劇場公開日 2024年3月29日

「タイトルなし」オッペンハイマー えみりさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0タイトルなし

2024年3月30日
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鑑賞方法:映画館

素晴らしかった。脚本が圧巻。キリアン・マーフィの存在感、ユダヤ人を引きずりつつ、科学者として生きた人生が描かれていた。
実験を成功したときの人々の熱狂と歓喜のシーンは、被爆国国民であり、被爆二世の夫と三世の娘を持つ身には辛いけれど、原爆を完成させた男がこのような形で巻き込まれていく文脈に、心を打たれていた。
そして、後半の筋の中心にあったストロースとのやり取り。ストロースは小者であり、アインシュタインとオッペンハイマーとのコミュニケーションの高度さがストロースの卑劣さを浮かび上がらせる。
女性たちが強く知的であることもよかった。
ユダヤ人の文脈もあるけれど、一流の科学者たちが左派的な活動とも繋がっていたこと、当時の赤狩りの文脈の凄まじさも感じた。
ノーランの映画は、孤独で暗い感覚が漂う。これだけの成功と名声を手にしたオッペンハイマーの持つ孤独も描かれていた。彼に妻がいた事は救いだ。
原爆の連鎖反応が地球を破壊するかもしれないというエピソードにノーランは惹かれたという。ほぼ0の指摘は実際恐ろしい。
ノーランはもともとファンだったので、とても楽しみにしてたのだけど(好きすぎたベッソンのドッグマンを楽しみにしてたのと同じく)。
原爆成功のあとのアメリカ人たちの歓喜のシーンも凄まじく、それ自体が考えさせるものだし、原爆がトラウマの事象だからこそインパクトをもつものなのだと思った。
この映画の、トラウマの事象である原爆がもつあまりに日常的な文脈、そして政治的な文脈は、原爆を脱神話化させる。もっと恐ろしい現在形の何かへの想像力を掻き立てる。
とはいえ、映画の素晴らしさは、ナチも日本も原爆を作る正当性、理由でしかなく、科学者たちがただ作りたいのだとする欲望も描けてしまっていること。
さらに、オッペンハイマーがユダヤ人でありそれはあらゆる不安を喚起し、物理学者の世界の中で実験も下手だった彼の闘いがあり、それは原爆を作るコンテクストとして重要で、また、軍には軍の、官僚には官僚の、ブルデュー的に言うと界の文脈があり、誰も全体を見て動いているわけではない。
とはいえ、オッペンハイマーはそんな中でもナチスにだけは渡せないとして、全体を統括する強いリーダーとしてやはりそこにいたことも。彼が共産主義者として疑われることになるような人道主義者であったことも。
アインシュタインとのやり取りは見事だし(それをシーンとして作り出しているのも)、ノーランが注目したのは、原爆が大気への反応を引き起こして地球を滅亡させるかもしれないほんの数%の確率にオッペンハイマーがおそれをもったこと(ネタバレです)、それはこの映画の隠れた重要なモチーフ、ノーランゆえに惹かれるテーマか。一方、原子力のもつ力のイメージにオッペンハイマーは若い頃から圧倒され悩まされ、アメリカ人たちの歓喜、日本の原爆被害の映像も、彼にとっては、科学が作り出してしまった意図せざる結果として、トラウマというか、操作不能なものとして描かれる。
このとき、オッペンハイマーは孤独で(理解できる物理学者の友人たちや妻がいても)唯一、先人としてのアインシュタインがいるだけ。
この世界との違和感というか、存在の解離的なイメージ、孤独もノーランの描きたかったもの。バットマンの圧倒的な力と孤独、その力がもつ悪のテーマは、オッペンハイマーに来て、さらなる説得力を持って迫る。
豊橋でも初日初回そこそこ入ってたので、当たるかなと思われる。

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えみり