「ノーベル、そしてオッペンハイマーへと科学者の功罪は続く」オッペンハイマー コショワイさんの映画レビュー(感想・評価)
ノーベル、そしてオッペンハイマーへと科学者の功罪は続く
1 原子爆弾の父と呼ばれた人物の半生を通して、科学者の本能と良心を描く人間ドラマ。
2 映画は、オッペンハイマーが中心となり原爆実験に成功する第二次世界大戦前と核利用について国家と意見対立し表舞台から消される戦後の姿が描かれる。
戦前のパートでは、オッペンハイマーの人物像と成功への歩みが描かれる。その中で彼の行動や言動は誤解を生みやすいがために、戦後自ら窮地に立たせる要因になったことが示される。核開発については、終始アメリカ側の視点で描かれている。彼は科学者の本能から成果を追い求めながら、その威力に恐れ、そして重大な結果責任を前に自らを死に神だとして悔やむ。
3 戦後のパートでは、商人から成り上がった狡猾な政治家の策略に巻き込まれる姿が描かれる。その原因は冒頭で示され、あらゆる答合わせは、終局で明らかとなる。彼の「核は国ではなく国連が管理すべき」「水爆開発はしてはならない」との主張は今日では的を得たものであるが、当時の時代の風は許さなかった。出来レースの聴聞会において、彼はかつての仲間が彼を非難する側と擁護側にわかれる姿を諦念の境地で見つめるしかなかった。
4 本作品はオッペンハイマーの科学者としての探究心と一人の人間としての苦悩と後悔が描かれた。また、核戦争による世界の破滅という戦後体制から解決されていない課題の原点も示された。彼の主張は、実現が叶わなかったが今日的なバランス感覚そのものであり、先駆的であったと言える。
5 本作品には、多くの物理学者が出てくるが、人物相関が分かりづらく、テンポが緩む所がある。加えて、戦後の聴聞会の場面が早い段階から時おり挿入され、理解が追いつかないこともあった。俳優では、顔がそっくりで主役になりきったキリアンマーフィの自然体の演技や狡猾な政治家を演じたのロバートダウニージュニアの存在感が印象に残った。