劇場公開日 2024年3月29日

「徹底的な権力者への批判を根底に紡ぎ出す、人間の高潔さと矮小さ」オッペンハイマー つとみさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0徹底的な権力者への批判を根底に紡ぎ出す、人間の高潔さと矮小さ

2024年3月29日
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鑑賞方法:映画館

上映時間が3時間とは思えないほど、張り詰めた緊張感のまま突っ走る作品だった。3時間もあるのに尺が足りないんじゃないかと思うほど、ロバート・オッペンハイマーという人物自身を掘り下げ、その背景にスペイン内戦から米ソ冷戦までのアメリカの空気を描き出した。

映画の主題だが、核兵器や新たなテクノロジーの危険性云々や、大量殺戮に対する罪悪感云々、反戦のメッセージなんかより、もっと何度も繰り返し映し出されていたのは「権力に奢った者に対する辛辣な批判」だったと思う。
オッペンハイマーへの機密アクセス権に関する審問会と同じくらい、ストローズの入閣を検討する上院公聴会に尺が割かれているのだが、ストローズという人物が「世界でパワーを誇示する存在」の暗喩として機能しているのだ。
その暗喩の対象とは他でもないアメリカという国家そのものであり、現在世界で無視出来ない存在とされるテック企業である。
この映画は彼らに「お前が世界の中心だなどと思うのは単なる驕りだ」という、辛辣な批判を突きつけている。

また、冒頭に書いたようにスペイン内戦から米ソ冷戦までのアメリカの空気とは、イデオロギーの熱気に半ば病のように取り憑かれた空気感でもある。それはアメリカだけでなく、この頃の世界全体がそうだったのかもしれないが、ある程度の理想に燃える若者であれば反ファシズムの共産主義者になるのが自然だった時代から、第二次世界大戦を経て、終戦後の赤狩りの時代へと「善」とされていた共産主義の立場が変わっていた時代なのだ。
それは誰が「仮想敵」とされるかで大義が変化することを意味する。
第二次世界大戦でもナチス・ドイツより先んじて原爆を開発することが是とされ、いざ敵が降伏したら行き場のなくなった兵器を使用する為に「とりあえず」日本に落とす選択が大義となったと言っても過言ではないだろう。
「とりあえず」敵にされる方はたまったものではないが、愚かな行為に突き進む人間の性に国籍や民族や宗教は関係ない。
安易な善悪二元論に陥った事のない人などいないはずだからだ。

原爆の父オッペンハイマーは、時代と言う背景の中で、時代が求める理想のために行動した。また人間は「世界全てを燃やすほどの火」を使うほど愚かではないと信じ、その使用の是非も含め他者に託すことしか許されなかった。そして時代にも人間にも裏切られたのだ。

とにかく登場人物が多く、時系列も前後するので映画を観慣れていない人にとってはかなり難度の高い作品とも言える。基本的にはオッペンハイマーの視点で構成されている映画の中で、唯一彼が登場しない部分、ロバート・ダウニー・Jr演じるストローズの視点部分だけがモノクロで撮影されているので、それを手掛かりに観ていればだいぶ理解を助けてくれるだろう。

人物の見分けについては頑張るしかないのだが、映画好きなら仰け反るほど豪華なキャストが次から次へとスクリーンに登場するので、これもまたこの映画の楽しみの1つでもある。
殆ど事前に調べなかったので、フローレンス・ピューとケネス・ブラナーが登場したあたりでは「えっ豪華すぎない?!」と驚いていたのだが、ケイシー・アフレックやラミ・マレックが出てくる頃にはもう変な方向で覚悟が決まってしまい、「Blu-rayが出たら絶対買おう」と密かに決心した。
勿論オッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィーの代表作としても、是非何度も観返したい。
想像以上に面白く、大満足の1本である。

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つとみ