「青春のかさぶたの中には、あの時に封じ込めた過去の自分が眠っている」つ。 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
青春のかさぶたの中には、あの時に封じ込めた過去の自分が眠っている
2024.5.1 アップリンク京都
2023年の日本映画(84分、PG12)
佐賀の田舎町に住むコンプレックスを抱えた高校生の暴走を描いた青春映画
監督&脚本はU Inose
物語の舞台は、佐賀県の田舎町(ロケ地は佐賀県嬉野市)
高校三年生の祐樹(山下万季、幼少期:井出祐里)は、優秀な弟・準(西谷星七、幼少期:片渕奏汰)に比較され続け、将来設計の見えないダラダラとした日々を送っていた
二人には父・紳助(石橋征太郎)がいて、彼は茶房を経営しながら、男手ひとつで二人を育ててきた
祐樹は大学受験を控えていて、父は大学に行って安定した職業に就きなさいと口うるさい
だが、勉強することに意味を見い出せない祐樹が受かるはずもなく、そこで彼はカンニングをして試験を乗り切ろうと考える
消しゴムや靴の裏に答えを書いて試験に臨むものの、挙動の不審さからあっさりバレて、町中の噂になってしまった
父の小言はさらにひどくなり、それに対して祐樹は、「母がいてくれたら」と、言ってはいけない一言をぶつけてしまう
そして、学校でもいじめに遭うようになり、恋人の由香里(古賀海)とも絶縁状態になってしまった祐樹は居場所を失い、何も考えずに力の限り走り出した
そして、彼が気づいた時、そこは記憶の奥底に眠る森の中にいた
そこには自給自足をして生活しているコミュニティがあり、彼らに保護されていたのである
映画は、アイデンティティの不確かな高校生が惑う様子を描いていて、わかりやすくグレているというビジュアルになっていた
高校時代にあんな格好していた人いたわと懐かしい感じになったが、佐賀の今のデフォなのかはわからない
物語としては、山の民たちと価値観をぶつけ合う時間があり、そこで祐樹は自分なりの人生観というものの尻尾を掴んでいく
そして、コンプレックスの対象だった弟と対峙することになるという結びへと繋がっていく
青春のあるあるという感じになっていて、彼の悩みも等身大のものとなっている
後半の山の民との対話はやや説教っぽいところはあるものの、祐樹の年代の少年たちが理解できるのかは何とも言えないところがある
様々な価値観や思考にふれていく中で自分の小ささを認識するのだが、ある程度の自我の凝固がないと、アイデンティティは形成されづらい
それらを固めるものが「外界の繋がり」なのだが、祐樹の周りには大人が少ないので、そう言った機会をなかなか持つことができない
これらの熟成は書籍を読むだけでは学ぶことは難しいのだが、その知識をきっかけとして大人との対話を広げていくことができるので無駄な時間にはならない
要は、どのようなプロセスを経てでも、価値観のスケールの違う人間との対話によって、自分自身の見え方や見られ方というものが変わっていくので、その機会を阻害してはならない
エスカレーター式なテンプレ大人街道にはそう言ったものは少ないので、戻ってくることを前提にして、多少はみ出すのはOKなのではないだろうか
いずれにせよ、青春真っ只中だと刺さりそうで、通ったことがある道だとしたら、心の中の亡霊を叩き起こしてしまうかもしれない
「つ。」は「かさぶた」の意味があるのだが、かさぶたは痛んで外気にふれることで塊へと変化する
その外気こそが価値観のステージの違う者たちとの関わりであり、それは家庭では成し得ないものだと言える
かつては教育現場がその場所だったが、今では見る影もないように思える
かと言って、ここまでの劇薬はその辺にあるものではないので、このような映画の主人公に自分を重ねることで、120分をその領域に変えることができるのではないだろうか