「頑張れ ブルゾンちえみ!(自己責任論にモノ申す)」コーポ・ア・コーポ pipiさんの映画レビュー(感想・評価)
頑張れ ブルゾンちえみ!(自己責任論にモノ申す)
ブルゾンちえみを応援したくて劇場鑑賞を決めた本作。
皆様のレビューを拝読するに、ブルゾンに触れていたのは御一方のみだった事も役に徹した彼女の演技力を物語るものだと思えて嬉しい。
原作は3話まで読了。
登場人物みんな原作の雰囲気そのままで素晴らしいと感じた。
いきなり山口さんからのスタートではなく、家賃取立てを冒頭にもってきたところや、裕福な人の多い阪急沿線の象徴でもあるマルーン電車が画面を横切り、その場所から「底辺・最下層」の象徴となるコーポにユリが帰宅する映画オリジナルの構成は大変上手いと思う。
ユリ・中条・石田・宮地の1巻冒頭話を忠実に再現しつつ、巻数が進んだあとに明かされていく彼らのバックヤードを映画の短尺に上手く織り込んであるのも良い。おかげで続きを読もうと思った。
「堕ちて生きる人間たちのファッキン下層生活」
というコピーから始まった原作。
「生きているから、ま いっか」
「這い上がりたいけど、ココ以外じゃ生きられない」
映画終盤でユリの弟が口にした「何がマトモなのかわからんけどな」というセリフは重い。
世の中、大多数は自分が「マトモな暮らし」をしていると思っているし、「マトモな暮らしをしていない人」に対して「ある種の感情」を抱いている。
それは大抵、憐れみか蔑みだ。
「可哀想に思う」のと「馬鹿にする」のは一見 正反対のようだが「自分より低いところにいる相手」と見做している点は同質だ。
そして平成〜令和の現在、「マトモじゃない奴」に対する「自己責任論」が過剰に横行している事を私は危惧する。
「下層から這い上がれないのは努力が足りない」
「生き方を変えればいい」
「そんな場所は出てきて、もっとまともな仕事をして、まともな暮らしをすればいいじゃないか」
そんなふうに考える事が出来るのは、その人が恵まれた育ちをしてきた証だ。
若い頃、ホームレスの方々と雑談しているうちに路上宴会に誘われて楽しい時間を過ごした事がある。
家はなくとも働いている人も沢山いる。そこに流れてくるまでの過酷な変遷。或いは生まれ育ちの事情。様々なナマの声を聞かせてもらった。
「マトモ」な人には決してわからない「背景」があるのだ。
「上」から見るだけだと簡単に上がってこれそうに見える場所だが、実際に堕ちてみればアリ地獄のように、容易には浮上出来ない仕組みになっているのだ。
ブルゾンちえみもその名を捨てるとき多大なペナルティを負った。ドル箱タレントを失う事務所は、彼女に1年間の活動停止とブルゾンの名を決して使用しない事を課した。
それでもいいなら「ブルゾンちえみ」という役割から降りる事を許してやる、という選択を迫ったのだ。
「自分の中でしっくりこないお笑いタレント」か「本当にやりたい女優の道」かどちらを選ぶも「自己責任」だが、女優を取るなら大きなマイナススタートも共についてくるのは凄まじい圧力ではないか。
「不当なマイナスを背負っている状況」は自己責任論で片付けるべきではない。
そんな思索に誘ってくれる本作であった。