キリング・オブ・ケネス・チェンバレンのレビュー・感想・評価
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ケネス氏が精神疾患を患ってなかったなら、貧困層でなかったなら、そして黒人でなかったなら殺されることはなかったであろう。
「フルートベール駅で」では被害者オスカー・グラント氏の最後の一日が描かれたが、本作はケネス氏の人生の最後の90分が描かれる。
今回の事件については全く知らなかった。それもそのはず、アメリカどころか事件があったニューヨークでさえまともにこの事件は報道されなかった。
BLM運動以前の事件。報道されなかった理由のひとつとしてケネス氏がガラケーを使ってることからもわかる通り、スマホによる動画撮影がされておらず、SNSへの投稿もされなかったからだ。つまりインパクトある映像により人々へ訴えかけることがされなかった。当時の事件を記録した音声だけでは足りなかったのだろう。
そもそもBLM運動の発端となったのは白人警官によるジョージ・フロイド氏殺人事件を写したスマホ映像が瞬く間にSNSを通じて広がったことに起因する。いままで極地的に行なわれていた黒人への差別の実態がSNSを通して全米にタイムリーに共有されたのだ。
いままでならアメリカのどこそこで黒人が被害を受けたらしいという程度だったのが離れたアメリカの国内にSNSによってダイレクトに伝わり自分の身の回りで起きたように感じられたのだ。これは過去のロス暴動のきっかけとなったロドニー・キング氏への暴行シーンが全米にテレビ中継されたことと類似する。
そしてフロイド氏の事件では加害者である白人警官は罪を裁かれることとなる。さすがにあれだけの証拠映像があれば言い逃れは不可能だった。今でも不敵な表情でフロイド氏の首を膝で抑え込んでいた彼の表情は忘れない。
本作はそれ以前の事件であり不幸にも加害者たちは裁かれることはなかった。
本作で印象的なのはドアをたたく音だ。これはたたく人間によっては相手を思いやり優しくたたく音から相手を威嚇するような不快な音まで多種多様な音を聞くことができる。
本作では四種類のドアをたたく音がある。まず一つ目は職務で安否確認に来た者がたたく音、二つ目は犯罪を疑い問い詰めるかのような音、三つめは黒人を奴隷と見下し自分が主だと知らしめようと居丈高にドアをたたく音、そして四つ目は憎悪と殺意をもってドアをたたき壊そうとする音。
一つ目は知性にあふれた者、二つ目は自分の職務に忠実ではあるが偏見あるいは職務によるストレスを感じてる者、三つ目は明らかに前近代的な奴隷制度からの思考をそのまま引きずってる者、四つ目は三つ目の思考が憎悪にまで変容している者。これら四種類の人間がまさに今のアメリカ白人を象徴してるのではないだろうか。
二つ目の音までだったならこのような悲劇が起きることはなかったかもしれない。しかしやはり三つ目と四つ目の音がアメリカでは特に深刻なんだろう。いまだに黒人をさげすみ、それどころか同じ人間として扱うことも出来ない。
白人による黒人への差別の根深さはアメリカの歴史に起因する。アメリカは奴隷制度とともに発展してきた。白人は黒人をいまだに家畜と同じように見ている。だから21世紀になってもいまだに黒人に対してここまでひどいことができるんだろう。同じ人間だという意識があるならできるはずがない。実際、いまだにアメリカの南部では奴隷制度の時代から意識が変わってない人間も多いという。
ただ本作は黒人差別だけでなく貧困層への差別、そして精神病者への偏見と多重的な問題もはらんでいる。
この事件は公にはされなかったが遺族は何年も裁判を戦い続け、この作品の公開が寄与したかはわからないが、公開年に市警側と和解が成立した。
そしてなによりもケネス氏の死が無駄ではなかったこととして精神疾患を患っている人間を警官が訪問する際にはセラピストの同行が義務付けられることとなったことだ。
いまだに黒人の人々がいわれなき差別により命を奪われるアメリカ。奴隷解放宣言から160年超、急激な変化は望めないかもしれないがたとえ牛の歩みであっても改善されることを望みたい。
警察=正義?
映画では説明されていない事実
この映画はあまりにも衝撃過ぎて4回鑑賞しましたね😅
双極性障害を患うケネス・チェンバレンの悲劇がストーリーで、何故ケネスは警察官に殺され、そして何故警察官は罪に問われないか?
序盤にあった、医療機器の誤作動が生じた際に当初は消防への通報があり、消防が安否確認の連絡をとるも繋がらないために警察へ通報が入るわけです。警察がきて、やっと事の事態がわかったケネスは大丈夫だと話せば帰ってくれる、と思っただろうが、警察の安否確認って直接本人確認をしなきゃ任務遂行にならないわけで、声だけではNGということで交渉するわけだが…。
知らない方は覚えてほしいです。
警察の捜査、公務として行うことに妨害と見なされると、公務執行妨害ならびにケネスの場合はプラス武器を使い襲おうとした=脅迫並びに殺人未遂なわけです。最初から協力的な姿勢を見せたら違っていたわけですが被害妄想の病もあるケネスにとって、正当な考えができる人が近くにいたら違っていたんでしょうけど、残念ながら警察は精神病のエキスパートではないため前述したことも影響してより悪と捉えられたのかもしれません。
では何で警察は罪に問われないかとなると、これも理由がある。通報先で襲われそうになり、自身を護るために結果過剰防衛になってしまい殺すつもりはありませんでしたが殺してしまいました。
正当防衛が言い分のためだからです。
ならば悲劇はどうしたら防げたのか、精神科医も同行の上で説得するしかありませんね😮💨
私は大丈夫だ、帰ってくれ
実際にあったケネス・チェンバレン射殺事件を、ほぼリアルタイムで描く作品ですね。
非常に考えさせられる映画です。
なんという悲劇でしょうか。
人種差別的な考えが発端となってますよね。
映画の最後に、実際の音声で警官がチェンバレンに「ニガー」と言ってるのが公開されてますし。
市民を守るはずの警察官が、警報装置の誤作動だと言ってる初老のチェンバレンの話を聞かず、ドアを破壊してまで押し入って‥。
あくまで私個人の意見ですが、端的に言って殺人に相当すると思います。
この事件で起訴された者はいないというのが信じられません。
ご遺族の方達は、今後も戦い続けるでしょう。
私も、自分の事件であんまり警察が積極的に動いてくれないので困ってますね。
ぼったくり+傷害事件なのですが😅
チェンバレンを演じたフランキー・フェイソンの魂のこもった熱演、見事でした。
数少ない理性的な警官ロッシを演じた、エンリコ・ナターレも良かったです。
彼は終盤に屋根を登って、窓越しにチェンバレンに話しかけ、懸命に警戒を解こうとするのですが、邪魔が入り失敗に終わります。
警部補達のところへ戻る前に、悔しがるシーンが印象的でした。
実話の重み
サスペンスやスリラーを通り越してホラーな実話
怖かった。
実話まんまで脚色なしらしいが、これはもはやサスペンスやスリラーを通り越して、ホラーでした。
黒人の老人の使っていた医療用通報装置が誤動作し、契約の保安会社が、救急隊ではなく警官に安否確認を依頼したことで、差別主義者の白人警官に犯罪を疑われ、無実の身でその老人が撃ち殺された事件を、通話記録をもとにそのまま再現したドラマ。
警官が玄関に着いてから銃を撃つまでの90分が地獄のようで。
この事件で黒人男性を死なせた(いや殺した)警官たちが、誰一人として起訴されていないことに驚愕しました。
差別と恐れ
をまっとうすることが全ての目的であるかのように錯覚してしまう。
まだ新米の警官ロッシは精神障害のあるケネスを気遣う素振りを見せるが、他の二人はそうではない。
警部補のパークスはまるでここが犯罪者の巣窟であるかのような偏見を持ち、自分の判断が正しいと信じて疑わない。
またジャクソンは完全に差別主義者で、力を与えてしまうとそれを乱用する警官としては一番ふさわしくない人間だ。
その後応援に駆けつけた警官隊は、これまた時代錯誤もいいところの荒くれ者たちばかり。
ライフガード社のオペレーターが必死でケネスを宥め、事態を解決しようと働きかけるが警察の横暴は止まらない。
ケネスの家族も何とか彼を救おうとするがあまりにも無力である。
やがてドアは破壊され警官隊が部屋に突入し、最後の悲劇へと繋がっていく。
第三者の視点から冷静に物事を見れば、決してこんな大事にはならなかったはずだ。
思い込みとはとても恐ろしいものだ。
部屋の中では何か危険なことが行われている。
その思い込みがどんどん大きくなり、それが人から人へと伝染していく。
ほぼ無抵抗なケネスを殺す理由など何もないはずなのに、思い込みにより過剰に神経過敏になってしまったジャクソンが越えてはならない一線を越えてしまう。
もともと問題の多い警官だったらしいが、これまでに免職されることはなかったらしい。
そんな人間でも必要とされるほど手が足りていないのか。
それともこれがアメリカの警察の体質なのか。
色々と問題はあるが、一番の根底にあるのはやはり黒人差別だろう。
たとえば同じ躁うつ病でも、これが白人ならそれほど危険視はされなかったはずだ。
またケネスは元海兵隊員だった。
本来なら尊敬されるべきはずが、これもまた警官たちを警戒させる要因になってしまった。
歴史的に白人は黒人を差別し続けてきたからこそ、逆に白人は黒人による反発を心のどこかで恐れているのだろう。
この事件で有罪判決を受けた警官は一人もいないらしい。
しかしラストに流れるケネスとオペレーターのやり取りの一部始終が、そこで起こっていたことを克明に記していた。
どれだけ隠そうとしても、世界はこの事実を知ってしまっている。
決して遠い国の他人事には感じられない衝撃の内容にただただ呆然とさせられた。
Unstoppable
10年以上前に実際に起きた警官による銃撃での殺人事件をもとに作られた映画で、チェンバレンさんが警官に殺されるまでの90分を一言一句誤魔化さずにストレートに紡いだ作品です。
チェンバレンさんが誤って医療用通報装置を起さてしまい、警察官がやってくるけれど、実際は何も無いので帰って欲しいというのに警察官たちは一向に帰ろうとせず、それどころかドアをこじ開けようとする…といった感じはじまりで実話も進行していきます。
警察官・消防官のほとんどが性根が腐っています。特にリーダー格とガムばっか噛んでる1番のクソ野郎は時間が経過するごとにイライラ度は爆発していきます。
最初はなんでこの爺さん出てこないんだろう、仕事が進まないといったイラつきだけだったんでしょうけど、段々これだけドアを開けないのは人を隠してるのでは?薬を隠しているのでは?と妄想を働かせて、その上でドアを開けようとする行為に及んでいきます。
チェンバレンさんもケアセンターの人も帰ってくれと警察署に送ったと何度も何度も言っているのに、自分たちの正義という名の妄想で挙げ句の果てに殺そうとまでするもんですからグーの手が出そうになりました。
警察官の中では同じ黒人である方とロッシしか良心的存在がいません。
特にロッシは学校勤務から警察官になったばかりという事で勝手は分からないけれど、早朝にガンガンドアを叩いたりする行為を止めようとしますが、新人は黙ってろ的な事で止められたりしてアクションを起こせないもどかしさがひしひしと伝わってきましたし、なんとか説得を試みようと1人で屋上まで登ったのに消防隊か警察官のどちらかか分かりませんが急かしてきてチェンバレンさんに警戒されてしまい膠着状態になってしまったりと、一番チェンバレンさんを真摯に助けようとしたのに白人主義優先の奴らに阻まれまくっていて観ているこちらもヤキモキしていました。
ロッシさんが現在警察官として過ごしているのかは分かりませんが、こんな現場を体験したあとは嫌になって違う職に就いてるかもしれません。彼のような人こそ警察官であるべきなのに…。非常に悔しいです。
ドアをこじ開けるという前代未聞の行為に及んだ挙句、ガム男が黒人差別の言葉をガンガン発して(しかも実際に録音されていた)、ドアを強行突破して心臓病を抱えてるチェンバレンに何人も覆い被さり、それでいてガム男が銃で撃つ…。タイトルからチェンバレンさんが殺されるまでの時間を描く作品だとは分かっていましたが、ここまで酷い終わり方とは…。
ここ数年でも白人の警察官が取ってつけたような理由で黒人を捕まえ、逃げようとしたら殺すという事件をニュース越しとはいえ聞いた時はかなり衝撃的だったのですが、チェンバレンさんの事件があったにも関わらず、現代でも起きてしまうというのがどうにも信じられなかったです。言い方はアレですが、チェンバレンさんの犠牲を反面教師にして少しは学ぶと思うんですが、そんなことなく高圧的に接する警官がまだまだいるとは…多様性を謳っている割には根幹は何も変わってないのかなと悲しい気持ちになりました。
エンドロールに入る前に実際のチェンバレンさんの抵抗する音声が鮮明に残されており、警官の罵詈雑言までしっかり録音されているにも関わらず誰も罪に問われなかった事には怒りを通り越して呆れてしまいました。あれだけのことをしておいてのうのうと今も生活している、多分でしょうけど反省もしてないでしょうし、今作が公開された時は気が気じゃなかったでしょう。
今作公開後に裁判が再開されたという記事を見たので、今作の力が強く働いてくれたんだなというところは嬉しかったです。
人種差別という今も昔も変わらず残り続ける悪しき文化について映像を通してでも劇場でこそ体感すべき作品だなと思いました。
鑑賞日 10/3
鑑賞時間 10:00〜11:30
座席 H-2
今現在も起こっているという悲劇
モーガン・フリーマンが製作に名を連ねているとはいえ、メジャーな会社の作品でもないこういった作品を日本で公開してくれる配給会社と上映してくれたイオンに感謝したい。
緊迫感が半端ない。
ソフトアンドクワイエットに続いてすごいものを観せられた。今作はこれが実際にあった事件というのが衝撃的だが、今も同じような事件が起こっているのが悲しい。
福田村事件もこの映画みたいに「事件」のみを淡々と描いた方が怖さが伝わったのかな、とも思ったけどあれは100年前の出来事だからやっぱり時代背景とかいろいろ描かなければならなかったんだろうな。
警官の姿を見ると、安心する人と恐怖を感じる人とがいる。日本では悪いことをしていなければほとんどが前者。幸せな国の幸せな時代に暮らしている私たちは、こういった作品を観て世界の現実を学ばなければならない。
アメリカ
まず、私が思うアメリカの良い所を書きたい。
世界最先端のカルチャー、エンタメ、音楽、ファッションを発信し続けている国ということ。
医療、教育、様々な分野でも世界トップレベルです。
社交的でフレンドリーな人が多く、自由や平等に対する意識が高い。
たくさんの価値観がある事も素敵です。
私が特にリスペクトするのは養子制度。
養育出来ない場合は「養子に出す」という選択肢がしっかり認められており、アメリカでは80%近くの子供が里親の元に行けるそうです。
不幸な子にも幸せになる権利が確立されている事は素晴らしいです。
問題が起きた時はいつもそれを批判したり、反対する人々が存在する事。デモなど実際に行動を起こすのも日本とは違い当たり前の事ですよね。
全てにおいてスケールがデカい!
桁違い!憧れる所も多いです。
しかし、人種差別は今なお色濃く残り、本作の様な悲劇を繰り返している側面があるのも事実です。
アメリカではないですが、人種差別といえば、先日ショッキングなニュースを知り、ずっと心が痛かったです。
去年アイルランドで行われた女子体操の大会の表彰式での出来事。
笑顔で一列に並んだ少女達。1人1人順番に首にメダルをかけてもらうのを待っていた。
しかし、黒人少女1人だけとばされ、メダルを授与されなかったのです。
姿勢良くニコニコしてメダルを待つ彼女の姿。
自分だけメダルがもらえず戸惑っている表情。胸が張り裂けました。
彼女を抱きしめてあげたかった。
ブランディー、ディスチャ、ローリン・ヒル、マイケル・ジャクソン、ファレル・ウィリアムス、レニー・クラヴィッツ、スティービー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、エディ・マーフィー、デンゼル・ワシントン、モーガン・フリーマン、ウィル・スミス、サミュエル・L・ジャクソン、ウーピー・ゴールドバーグ、バスキア、ナオミ・キャンベル、、、
他にもスポーツ選手や作家など、活躍する黒人は多い。
そんな素晴らしい彼らに触れ、あの白人警官は心が動かされた事はないのか。
幼い時からもう洗脳されていたのか。
彼が警察官を志したきっかけは何だったのか。正義の心はなかったのか。
白人至上主義を振りかざし、自分は強く、偉くなったつもりにでもなったのか。
ケネスが白人警官の入室を拒まなければ起こらなかった悲劇。。では片付けられない闇があった。
そして警察官に有罪判決が出なかった事にも憤りしかない。
アメリカの銃社会や人種差別問題の根深さは、実際には自分が経験していない事、見た事もないものなので、想像力だけで理解するのは難しい。
しかし、映画や本はその助けになる。
人間は愚かな生き物で、この様な悲劇も差別も戦争もなくなる事はないだろう。
と、理解した上で、どの様に生きるべきか考えるきっかけをくれた作品でした。
とてもつらい
あんな老後は嫌だ。ぼろいアパートに暮らしている黒人というだけで警官に蹂躙されてしまう。お互い意地を張り続けて引っ込みがつかなくなる。しかし、チェンバレンが、すぐにドアを開けていれば問題が起こらなかったとも言えない。廊下で組み伏せられて、首に膝を乗せられて窒息死していたかもしれない。
姪のアーニャが、もっと大声で叫んでチェンバレンとやり取りしていたら事態は変わっていたかもしれないが、すべては「たられば」だ。白人警官に差別意識が強くあり、黒人を踏みにじっていいと考えているため、どんな事態も起こりうる。
ドアがとにかく頑丈で防犯性が高い。SWATなどが、丸太のような道具でガツンと一発で開ける場面があるが、そんな道具は登場しない。
深い意義のある映画なのだけど、見ていてつらい。暗い気分になる。普通にしているだけでもつらそうで、年はとりたくない。
【捜査令状を持たぬアメリカNYの警官達が、齟齬が有ったにせよ、無実の黒人老人の家のドアを叩き壊し、殺害する過程をリアルタイムで描く恐ろしくも、哀しき作品。アメリカは本当に法治国家なのであろうか!】
- 今作品は変わらないアメリカ警察の黒人蔑視の実情を、リアルタイムに描き出した恐ろしき作品である。-
◆感想
・2011年、双極性障害を患うケネス(フランキー・フェイソン)は、早朝の就寝中に医療用通報装置を作動させてしまう。
・安否確認の為にやって来た警官三人はドアを抉じ開けようとして、ケネスと扉を間に対峙する。
- ケネスがドアを開けなかった理由は、劇中でも語られている様に、警官の中に黒人蔑視思想のある人間がいるからである。明らかに分かるあの金髪の若者である。-
<無実の黒人が白人警官に撃たれ、亡くなる迄をリアルタイムで見せつける作品。
かなりキツイが、この作品の中に警察の正義は無く、あるのは、剥き出しの黒人に対する侮蔑と差別意識だけである。
唯一、この行いはオカシイと反発する新人警官の呆然とした表情が虚しい。
何よりも、警官達に対し、何の沙汰もなかった事が恐ろしい。
アメリカは本当に法治国家なのであるのだろうか・・。>
■2023年10月1日 日曜日の午後なのにたった一人で鑑賞。寂しきかな・・。
警察ってやつは!(ただの偏見)
刑事モノの映画やドラマは大好きだが、実際の警察官は好きではない。悪い人から守ってくれる人ではなく、犯罪者を見つけようとする人たちだから。何もしていなくても疑いの目を向けられる対象にいなくてはならない。警察官も人間だから間違いを起こすし、先入観や偏見を持っていたりするのはわかる。でも、過ちを認めたり謝罪することは少ない。疑われる方が悪いんだとばかりの発言を繰り返す。まぁ、偏見なんだけど。
でも、そんなイメージのまんまの警察官が登場する本作。安否確認のための訪問だったのがどんどん不穏な空気になっていく。地味なのにとてもスリリングな展開。観ているこちらとしては、もっとこうしていればいいんじゃないの?なんてことを何回も思ってしまう。
ケネスが精神障害を持っていて黒人だということ以外に警官たちの行動があそこまでエスカレートした理由が思いつかない。普段から黒人の犯罪が多発している地域だとしてもやりすぎなことは否定できない。でも一番驚いたのが最後の字幕。どこの組織も身内には甘い。多少の演出があったとしてもあの事件でその結末はないだろう。ひどすぎる。
ただ、ケネスがさっと部屋に入れればそれで終わりなのにと思ってしまうのも日本に住んでいる者の正直な感想でもある。でも、そんなことを思わせる作りかもしれない。入室を拒んだとしても、そんなことは関係ない。入室を拒んだとしても、令状もなしに明確な危険や事件の可能性がないのに、部屋に押し入る正当性はない。ケネスが何回も訴えていた通りだ。ケネスがなぜそんなに警官を嫌がっているのか、軍在籍時に何があったのかなんてことはあまり説明しないのも実はうまい演出。観終わった後に冒頭映し出される字幕を思い出す。ケネスは確実に後者だったことだ。
やはり警察官ってやつらは!と私の中の偏見がまた強くなってしまった。
あっという間の約90分
パンフレット販売がないのが何とも、といったところ。
今年329本目(合計979本目/今月(2023年9月度)39本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
本作品は実話で、当時の録画フィルム等や録音も残っているのか、エンディングロールでそれらが多少流れます。また、実話としても90分ほどのやり取りで、映画のストーリーとしてもその時間の流れをできるだけ重視したということです。
個々微妙に感想は異なると思うのですが、舞台のアメリカにおいては、精神に病気を持った方、あるいは人種差別が実際に深刻であるようで、映画内でもこれらのことは触れられますが、個人的には「極端に差別思想を持っているのではなく、イライラ「しすぎ」でこういった発言に及んだのではないか…」とは思えます(この辺、映画の描写がやや微妙)。
一方、問題提起型の映画と見る場合、その「精神に病気を持った方、人種差別」ということは明確に出ますが、90分ほどと短い上に事実上「その当時の事件を時間軸もほぼ正確に再現した映画」という趣旨がかなり強く(つまり、これら差別についてどうこう、という思想についてはエンディングで結末が語られるのみで、個々に判断をゆだねている形)、「やや」趣旨がはっきりしにくい(ただ、アメリカのその事情は多くの方に知られているので、やや主義主張が弱めでもわかることは明白)という点は言えようかと思います。
個人的にはパンフレットの販売がなかった(売り切れではなく、もともと発売されていない模様)が厳しかったです。販売がない以上、「何が書かれていたか」は語る方法がありませんが、ここが日本である以上、「日本でこういうことが起きたらどうするのか」という点についての言及は映画内では当然まったくなく、また当然のこととして「日本では」ここまで極端な状況になることはまず考えにくいものの、映画で述べるように、精神に病気を持っている方などの「見守りサービス」は実際に存在するため、その場合に、警察や町内会(民生委員など)、あるいは一般私人がどのような行動をとればよいのか…という「日本で実際に類似の事案が起きた場合に何をすべきか、何をしてはいけないんか」という点についての監修のついたパンフレットなどは明確に欲しかったです。
※ この点は、日本がこれから超高齢化社会を迎えれば、映画で述べるような極端な事例は起きえなくても、「見守りサービス」(配食サービスほか)で異常を検知した場合に公権力や一般私人が何をできるのか、という「映画の趣旨として一部重なる論点」については、当然多くの方が知っておくべき事柄だから、という事情です。
これらまで考慮して以下のように採点しています。
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(減点0.4/パンフレットの販売がないことについて)
・ もっともここは日本なので、映画内で描かれるような無茶苦茶な事案が(公権力によって)引き起こされるということ自体は考えにくいものの、述べたように「見守りサービス」(配食サービス)で類似の事案が起きた場合にどうすればよいのか、という「日本に住んでいて経験しうること」について、ちゃんとした監修のついたパンフレットの販売はあってしかるべきではなかったか、と思います(この点で、一般的な娯楽の映画のパンフレットの販売がない、という点とは明確に減点幅が異なる)。
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(減点なし/参考/日本で起きた場合はどうなるのか)
※ 以下、行政書士の資格持ちレベルでのお話です。
(公権力(警察)が行った場合)
・ 単なる国家賠償法による国賠案件で、警察が勝ち切るのは容易ではなかろうというところです(警察は権力を持っているからこそ、「今起きている状況」に比例した「公権力の行使」が認められるにすぎず、それを極端にオーバーすると一発アウトです)。
※ 国家賠償法は民事訴訟であり、行政事件訴訟法の適用はありません(併合・逆併合の論点除く)。
※ ただし、映画の描写内と似た部分もありますが、公務員個人の責任を問うことは(日本でも)できません(いわゆる「国による代位責任説」の論点)。
(一般私人がおこなった場合)
・ 見守りサービスなどの契約を結んでいる場合は委任、そうでなく「たまたま通りすがりの人」が行った場合には事務管理の扱いです。ただ、委任においても「どこまでやってよい」ということが決められており、それをオーバーすると単なる不法行為です(そして、見守りサービスにせよ配食サービスにせよ、ただ単に1回か2回か相手が出ないだけで勝手に扉を壊してよい、というような契約にはなっていないはず)。
また、事務管理においては「本人の意思がわかるか、推知できる場合」はそれに従う必要があり、本人の意に沿わない事務管理の費用請求権は減縮されます(民法697条以下)。
一方で、事務管理を始めたものは「本人の意思がわかるか、推知できる場合」にはそれに従う必要があるものの、結果として何らかトラブルを起こしてしまうと債務不履行を問われる(事務管理、不当利得、不法行為の3つは、法定債権と呼ばれるもので、突然債務不履行が発生したりと面倒なことこの上ない)など、「一般人がかかわるといろいろ面倒なことに巻き込まれうる」のも確かで(だから、事務管理の中でも、例えば女性に対するAEDの使用がためらわれるなど、事務管理の民法の規定の特殊性故にいろいろトラブルになることが議論されているのは、これが理由)、むしろ「勝手に義務なく協力関係に入る」パターンのほうがいろいろトラブルに巻き込まれたりと怖い部分はあります(よって、「知らない顔をするのが一番マシ」な議論になってしまうが、それは助け合いをある程度想定した事務管理の規定の趣旨を没却するにほかならないため、解釈が難しい)。
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