「「”新”コワすぎ」であり「”真”コワすぎ」ではない」戦慄怪奇ワールド コワすぎ! じぇんぬさんの映画レビュー(感想・評価)
「”新”コワすぎ」であり「”真”コワすぎ」ではない
さあ、何から書き始めよう…
コワすぎを知ったのは新作公開の丁度1年まえ。
ファンでいられなかった時間と取り戻すかのように、白石晃士監督のDVDやコワすぎを見漁って人生に必要な一本になった。
でも終わってしまった。
それも最高のカタチではなく、”置いてきぼり”を喰らったかのように。
※ここから完全にネタバレ有
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【コワすぎ!に幕を閉じるための”新作”】
「戦慄怪奇ワールド コワすぎ!」は今後予算的にシリーズを続けていくことに”メリット”がないため、一旦区切りをつけるためにも制作された一本らしい。
監督のキャリア的にももう十分名刺代わりの作品になったわけで、主演陣たちも俳優としてネクストステージに進むべきだというお考えから、新作をもってシリーズに幕を閉じたそう。
8年待ったファンにとっては、もちろん待望の新作が出るだけで儲けものなので無論喜ばしい事なのですが、いろいろな事情により”第三の世界線”のコワすぎを描かざる負えなくなった点がなんとも心苦しい…
確かに新作はまだか?と待ちぼうけを喰らい続けるより、新作を出し切り、後を濁さないカッコよさも素敵ですが、”大人の事情”という最大の理由がいくらか消化不良で、どうにも感情に収拾がつかないのです。
白石監督のそういう”潔さ”も好きですし、監督の作品ですので「コワすぎ」をどう生かすも殺すも勝手なのは確かです。
でも「ああ、もう彼らは必要なくなっちゃったんだ」という虚しさがぬぐい切れず寂しさにケリを付けられない、そんな自分の気持ちと対峙中です。
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【第三の世界線とは?】
本作は「戦慄怪奇ファイル コワすぎ!」と「超コワすぎ!」と違うバース設定らしいです。
市川はディレクターとして、工藤はプロデューサーになり一見立場は変わらずいつもの光景が待っているものだと期待していました。
しかし市川の拳には謎のパワーが宿り、工藤は自身の悪(暴力性)と向き合い、まるで”男女平等”と”暴力淘汰”を彷彿とする、”現代の日本”がまさに第三の世界戦の舞台でした。
本作には性暴力被害の過去があるキャラクター達が怪異と出会い、その悪の根源を断ち切ることが必要でした。
黒い男(加害者)は工藤(の無意識)であり、話の辻褄を合わせる意味でも工藤の性質は否定されるべきだっとのかな思います。
そうなるとやはり8年前のように工藤の支配的独裁勢力では、設定とメッセージに整合性がないということになってしまう。
だから第三の世界戦は生まれるべくして出来上がったのかなと思います。
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【コワすぎの主役って誰だっけ?】
本作で一番の注目の的は新たな霊能者の[珠緒先生]で、その弟子鬼村も師匠なしでは解決できないレベルでした。
年上の鬼村に劣ることなく、圧倒的力を持つ珠緒が場面を〆るという構成にやはり”世代交代”を感じざる負えませんでした。
そして珠緒ちゃんが見せ場を総ざらいし、工藤と市川は頼り切ることしかできない。
工藤さんのどんな手を使ってでも何とかしてくれそうな勝気なスタイルが欠落した今、本作は真に「コワすぎ!」の名を引き継ぐのに相応しいのでしょうか…(だから第三の世界線なんでしょうけども)
ただ、今回は工藤が本領を発揮するほど見せ場がなかっただけだと思います。
異界の存在である”赤い女”は実際のところ我々に危害を与えるつもりは毛頭なく、むしろサポート側。
そして本作でのヴィランは”工藤自身の獣性”であり、彼が最後に手を挙げたのは自分自身が最後なのかもしれません。
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【工藤の暴力性】
工藤は時代錯誤なキャラで、現代にいたら一発BANのアウトローです。
あくまで工藤の暴力が許されるのは異界の存在であり、無機質な人間への手出しは許されるべきではないと思います。
ただ今までのシリーズには、失踪した友人を助けたいと言いつつ秘密を隠したり、黙っていたりと非協力的な態度をとる輩にしか手を出してこなかったはず。
工藤は”真実”を知って、事実を目で確かめるまではブレーキが掛けられない暴走列車状態なんですよね。まっすぐで真面目としか思えない。
そして異界の存在って極端に理不尽じゃないですか。
どこからでも出てくるし、一方的に恨まれたり、あり得ないパワーがあって人間が立ち向かえなかった存在なんですよ。
それを物理的攻撃で何とかしてくれた工藤。
そして理不尽なのは現実も同じで、私にとって工藤は現実でサバイブする自分と重ねて、勇気を貰える存在だったんですね。
それを否定しなければならなかった本作を自分の中で消化しきるのは、あまりにも苦行で時間がかかってしまいます。
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【性暴力の描写】
同じく白石監督の「オカルトの森へようこそ」でも投稿者の三好さんがバスの車掌に「小さいころ酷い事された!」と訴えるセリフがあります。
本作も投稿者の3人は性被害にあった過去があり、そのうちの被害者の彼女は集合的無意識として霊的な存在になりつつありました。
コワすぎを終わらせるために逆算したら、工藤が黒幕だったというのは面白いですし、そのために集合的無意識である人間が生まれたというのもいいと思います。
ただ、なぜ投稿者たちが共通して性被害にあう必要があったのでしょうか?
よくホラーには表裏一体の「生」と「死」の表現が含む関係で、ヌードや性行為のシーンが多様されますよね。
例に「コワすぎ震える幽霊」でのエロシーンは観客へのご褒美要素だったらしい(「フェイクドキュメンタリーの教科書」参照)のですが、やり過ぎると成人指定がついてしまいます。
そのレイティング評定の調節のために”性被害”、ないしレイプを想起させるようにしたのなら少し手荒で雑かもしれないなと思います。
これは完全に私の考察というか所感なので、もし想像通りでもまったくミスリードでも正直何も変わりませんが、ささくれのように「なんか痛いな、気になるな」と気になるだけです。
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【私が新作コワすぎに感じたこと】
本作の次元が2023年現代とダイアルがあっているせいか
「ああ、やっぱり現実では工藤のような人間はいないんだ」と物語とリアルの境目を今一度思い知ることしかできませんでした。
コワすぎクルーたちはファンタジーの中だから成立できている。
本来工藤のような男は主役ではいけない、と言うことは彼が唯一彼らしくいられる異界の存在もない。
こんな被害妄想に近い連想ゲームが始まってしまいました。
それほどにコワすぎは私のバイブルで、支えで、最高のシリーズでした。
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【まとめ】
―――「”新”コワすぎ」であり「”真”コワすぎ」とは言えない
それが私の感想です。
・制作側の事情で第三の世界戦にせざる負えなかった
・珠緒先生のファインプレイにより工藤らの出番は割愛
・工藤の暴力性は淘汰されなければ成立しないストーリー
本作には花子さんや河童のようなアイコニックなキャラはいません。
口裂け女の呪物やコックリのしっぽのようなアイテムも。
そして工藤の市川も、霊能者の先生は全面アップデートが加えられ、現代的に軌道修正が加えられたように感じます。
いわば「新コワすぎ!」になるんじゃないかなと。
あのチープなバカバカしさは控えめになりました。
かと思えば黒地のシンプルなエンドロールではなく、”演者”を意識したラストになりました。
思えば私の好きだった「コワすぎ」ではないだけ、そして自分が一緒にアップデートできずに成長の足を止めただけ。それだけの話です。
でも昔の「コワすぎ」の呪縛に閉じ込められることが悪いわけではないですし、私は元祖工藤の作る「コワすぎ」のファンであり視聴者であり、あの世界線に取り残されることは”本望”にも思えるのです。