月のレビュー・感想・評価
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月の明かりに照らされて・・・‼️
この作品は介護施設を舞台に、光、喜び、葛藤、トラウマ、劣等感、妬み、狂気など、人間の様々な感情と人間性をあぶり出した傑作‼️物語全体を包み込むような月の明かりが印象的な作品でもあります‼️宮沢りえさん扮するするヒロイン洋子と、オダギリジョーの夫・昌平。3歳の息子を先天性の心臓病で亡くした辛い過去を持つ夫婦‼️人形アニメーションの制作に励む昌平と、作家でありながらデビュー作以降書けないでいる洋子‼️そんな洋子が介護施設で働くことになり、息子を失ったトラウマと再び対峙することに‼️洋子の息子を失ったトラウマと、介護施設で直面する葛藤を表現する宮沢りえさんの演技力は素晴らしいと思います‼️二階堂ふみさん扮する介護施設の職員・陽子。幼い頃から体罰を受けてきた父の浮気を知る陽子‼️そんな父や母との家族関係に悩み、作家になるという夢も、まったく芽が出ない時に出会った洋子への、劣等感と妬みを増幅させてしまう‼️そして磯村隼斗扮する介護施設の職員・さとくん‼️患者たちに手製の紙芝居を読んでやる心優しい男‼️しかし、同僚たちからは余計な仕事を増やすなと馬鹿にされ、その同僚たちの患者たちへの虐待を目の当たりにした時、狂気の世界へと堕ちてしまう‼️このさとくんがヒトラーと比べられるシーンがあるのですが、さとくんの彼女は聾唖者の女性‼️さとくんは障害者を社会に必要ナシと判断し、殺害を計画するのですが、自分の彼女みたいに意思疎通ができる人間は必要であり、介護施設の患者みたいな人間は必要ナシとラインを引いているところが恐ろしい‼️悪の論理ですね‼️最近の無差別殺人の犯人は、さとくんみたいな悪の論理が存在してるんじゃないかと思うと戦慄です‼️舞台となる介護施設も夜の闇に雷が響いたり、森の中にポツンと建っていたり、周りをヘビが徘徊していたり、クモなどの虫の描写があったり、まるで幽霊屋敷のような描写がなされており、この作品の世界観の構築にひと役買ってます‼️そして介護施設で日常的に行われている虐待‼️ここでは虐待のシーンを直接観せることなく、夜の闇に響き渡る物音や叫び声で表現していて、想像力を煽るという意味で秀逸‼️ただ部屋に閉じ込められた患者さんが便まみれで放置されてる描写は、強烈なショック度です‼️そして虐待をする職員たちの罪の意識の無さ‼️見て見ぬフリをし、現実を直視しない職員たちの後ろめたさ‼️その辺の描写も丁寧に描かれ、好感が持てます‼️そんなさとくんも精神病院に収監され、洋子も新しい小説の執筆を始め、妊娠も発覚‼️昌平も小さな映画祭で自分の人形アニメーションが賞を受賞‼️全てが順風満帆に向かっていた時、思いのほか早く退院したさとくんによってもたらされる悲劇‼️惨劇‼️ラスト、記念日に回転寿司屋で、今後の人生について前向きに話し合おうとしていた洋子と昌平‼️さとくんによる凶行がどんな影響を及ぼすのか❓観る人の判断に委ねられるラストですが、どちらに転んでも洋子と昌平にとって新たなトラウマとなるはず‼️恐ろしい終幕です‼️
後味は良くない。。。
今何も障害がなくても、怪我や病気で神経に悪さすれば機能が麻痺してしまう。。。皆なりたくてなっているわけではないし。。何より介護しているスタッフには敬意しかないです。
自分はと言えば、まだまだ見てみぬふりの時もあります。
優しくありたいです。
たとえ大事なことがわからなくても
「みんなちがって、みんないい」と言う。
金子みすずの、詩の一節だ。
ぼくはひとつの疑問として、その〝ちがった〟中に、
本当の〝まちがい〟や、
かえって本当の〝ただしさ〟があった時、
人は「それ」を、見分け、守ることが出来るだけの
決意と、それに伴う判断、
を持ち合わせているのだろうか、
という個人的な、疑問を思ってしまう。
「月」に出てくる、事件を犯した〈さとくん〉は、
「みんなちがって、みんないい」という考えよりも、
その手前か、ましてや奥か、
自分の〝ただしさ〟を他人の命に当てはめた
とぼくは思う。
それは劇中のオダギリジョーの役が指摘するする通り、
矛盾を持っていると感じる。
〝まちがい〟であると、一個人としてぼくも思う。
〈さとくん〉は言う。「わからないから」と。
わからない人は、そうしていいと述べる。
だが、ぼくは思う。
世の中には、たとえ大事なことがわからなくても、
代わりに〝わかっている〟人を見つけること、
その者を頼りにすることで、
世界を理解する人がいる、
と、ぼくは思う。
ぼくはあるワークショップに参加した時の
ある親子の方を思い出す。
障害をもっているお子さんは、
たとえそのご本人が作業を出来なくても、
代わりに作業をしているお母さんが楽しそうにしているのを見て、
とても喜んでいた。
それを思うと、人は決して、
自分ひとりで何もかも理解する必要は無いんじゃないかと思う。
だから、「わからない」からといって、人の命を勝手に決めたりするのは、〝まちがい〟であると、ぼくは思う。
社会の中で、
〝まちがい〟も、
その〈さとくん〉における〝ただしさ〟も、
「みんなちがって、みんないい」という、『負』の観点からのある種の多様的考えによって、
逆に防ぐことも、できなかったのではなかろうか。
「個性」というのは、いつしか、ただ人の特徴や長所を指摘するだけでなく、
人の短所や、かなり間違ったことでさえも、
「個性」として指し示すようになってしまったのではなかろうか。
そうした意味でも、「月」の中に出てくる職員たちは、
「個性的」と言わざる得ない。
ぼくはそうした役柄をあえて登場させたのか、観ていて分からなかった。
また一観客として、何故このように暗く、施設内を映すのか、とても疑問をもって観た。
ぼくは今作を、作り手の文芸的作品として捉えた。
そうした意味で、事実性がどこまで事件の本質を捉えているかは不明であると感じる。
こうした映画の見方も、ぼくの「個性」として捉えられるのだろう。
言葉や気持ちにおける普遍性よりも、有名度や評価的観点からの、個性における普及性の方が、社会により影響を及ぼす可能性を思うと、気持ちも暗くなる。
こうした投げかけの中でも、せめても「記憶」し、生きて行かなければならない。
ラストの、事件に対する思いか、現実への気持ちか、
決意を確かめる二人が印象的だった。
その思いには、事件を忘れないこと、その中には未来に生きようとしていた人々、生きていた人々の思いも含まれているのは確かだ。
ぼくはそう思う。
ただただ、苦しい。
磯村さん目当てで、とりあえず観ておこうかと。
そんなに直接的に描かれてると思ってなくて、普通に怖くてびっくりした。
というか、最初の二階堂ふみさんから怖すぎる。
二階堂さんが演じてた役はあの職場にいるから心が病んでしまっている人という認識でいいのか、それもよく分からず、ただただ怖い。
鑑賞後1番に思ったのは、これ遺族の人が見たらどう思うのかなっていうことだった。
モチーフですって言われてもなんかちょっと、リアルに作ればいいっていうものでもない気がして。
主役をさとくんにしてないから許されるのか?
でも師匠夫婦からも救いが何も見つからなくて、苦しい。
とはいえ、自分に優生思想がないとは言いきれないよなぁとか、改めていろいろと考えさせられることがあった。
観た後引きずるというのをレビューでよく見たけど、確かにこれは翌日くらいまで心に深く刺さった感じがあった。
考えるきっかけとしてはよかったのかなと思った。
あとは、役を演じ切った役者さんたちの覚悟とその熱演には敬意しかない。(もちろん制作スタッフの方も)
せめて人間らしく
2023年映画館鑑賞63作品目
11月12日(日)フォーラム仙台
スタンプ会員1500円
原作未読
原作は『赤い橋の下のぬるい水』の辺見庸
監督と脚本は『ガール・スパークス』『川の底からこんにちは』『舟を編む』『ぼくたちの家族』『バンクーバーの朝日』『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『町田くんの世界』『茜色に焼かれる』の石井裕也
原作は2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件をモデルにしている
この映画はそれをベースにしている
堂島夫妻は映画オリジナルで原作は障害者の目線で話しが進んでいるようだ
タイトルの月とはなんなのかよくわからない
鎌の形を比喩してるのか
前半意味不明な実験的カメラワークが目障りだ
新人かよ
真に迫る人物のアップもやたら多かった気もする
前半の二階堂ふみによる演技力の圧力が凄まじかった
後半は狂気に走る「さとくん」演じる磯村勇斗を引き立たせる必要があるので抑えめになったがやはり彼女の演技力はずば抜けている
殺戮シーンは殺人そのものは描いていない
これはこれで良い
『福田村事件』と違い俳優ではなかろう
本物の障害者の可能性が高くそれを求めるのは酷だし演出としてもこれが正解だと自分は強く感じた
さとくんの殺害動機は共感できないが批判する気にもなれなかった
呆れているわけではない
その理由をありのままに書けば削除されるだろう
ここで本音を書いても無駄である
人々はありのままなんて求めておらずそれぞれが共感できる自分なりの「優しい」世界のみをこころよく受け入れる
これに関してはご想像にお任せする
宮沢りえは実年齢より10歳近い若い役を演じている
堂島洋子のデビュー作は高く評価された
現場に出向き取材した東日本大震災を描いた小説のようだがその後は伸び悩んだ
編集者の意向でありのままを書けなかった影響もあるようだ
オダギリジョー演じる堂島昌平は売れないアニメ作家
彼は妻を師匠と呼ぶ
表現者として尊敬しているからだ
2人の間には息子がいたが喋ることができず3年のわずかな命だった
2人はそのため心の傷を抱えて生きている
無理に笑顔を作るも心ではいつも泣いていた
夫はしばらくのあいだ働いてなかったけれども最近マンションの管理人を始めたが思いのほか楽な仕事ではない
重度障害者施設では職員によって障害者があまりにも粗末な扱いを受けていた
洋子はその現実を施設長に訴えたがいわば馬耳東風だった
ラストシーンは回転寿司屋のテレビでニュースを知る2人
そのニュースをバックに愛を深める堂島夫妻
アオハルかよ
このズレ具合は石井裕也監督らしいといえばらしいかもしれない
アオハルといえば宮沢りえはすっぴんで臨んだ
年齢は50くらいになってしまいそれなりに皺はだいぶ刻まれた
それでも彼女のそばかすはそのままだった
『僕らの七日間戦争』や『みなさんのおかげです』の学園コントや初めて出した写真集(ヌードの方ではない)のあどけなさの痕跡がそこにはあった
それは彼女と年齢が近い自分の青春時代の1ページの片隅そのものだった
だからこそ宮沢りえのそばかすを見るにつけ感慨深くなるざるを得ないのだ
配役
元売れっ子作家で震災がきっかけで書かなくなり重度障害者施設の職員として働き始めた堂島洋子に宮沢りえ
人形アニメーション映画を制作しているがなかなか評価されない洋子の夫の堂島昌平にオダギリジョー
重度障害者施設の職員で作家志望だがなかなか評価されない坪内陽子に二階堂ふみ
重度障害者施設の職員で正義感が強すぎて狂気に走ってしまうボクサーでもあるさとくんに磯村勇斗
耳が聞こえないさとくんの恋人の祥子に長井恵里
さとくんの先輩にあたる重度障害者施設の職員に大塚ヒロタ
さとくんの先輩にあたる重度障害者施設の職員に笠原秀幸
施設の看護士役に井川あゆこ
洋子の友人で産婦人科医に板谷由夏
重度障害者施設の施設長にモロ師岡
陽子の父に鶴見辰吾
陽子の母に原日出子
洋子と生年月日が一緒の障害者キーちゃんの母に高畑淳子
石井裕也のインディーズ時代の作品『ガール・スパークス』に主演していた井川あゆこが久々に登場
セリフはなかったが嬉しかった
重くて、苦しい。
自分は昔、障害者施設で働いた経験があるため、支援者としての視点で、この映画を観たいと感じ、観に行きました。
実際の事件は、当時もかなりのショックを受けたため、覚悟はしていましたが、映画の内容はかなり重たく、事件をモチーフにしたシーンは目を背けたくなるほど、苦しかったです。
あと、映画に出てきた支援員がみんな虐待だったり、マイナスな気持ちを抱えて支援をしてるように描かれてるのが、モヤモヤしました。支援員の仕事がしたくて、働いている人もいるのに、どうしてマイナスな面ばかり描くのか、辛かったです。
私はこの映画を観て、とても絶望的な気持ちになりましたが、津久井やまゆり園の事件を忘れずに、自分に何が出来るか考え続けたいと思いました。改めて考えるきっかけをつくってくれた作品なので、多くの人に観てもらい議論出来たら良いなと思った。><
うん〇に触ってない奴がうん〇を描くな
この映画の感想はこれに尽きる
一緒に観た介護福祉士の娘と、ケアマネジャーしてる私の感想
映画を観終わって、しばらく無言で映画の内容に触れなかった娘が、堰を切ったように『本当にデカさない映画、世の中に出してはダメな出来、監督の自己満』と言い切った長女
私、本当はレビューはマイナスにつけたい!
ぐしゃっと自分のう〇〇を握りしめてから臭い嗅いでみろ
自分たちも毎日排泄してるでしょう?それをさも自分たちは排泄とは無関係かのような描かれ方に、大きな違和感しか感じない
宮沢りえが演じたようこ、最後まで実際に介護してるシーンはなく見学してるようなスタンスだし、苦虫を噛み潰したよう顔で利用者を見るだけ
あそこまで不適切なケアだけを描くのは現場をあまりに浅く見ただけの人が脚本描いたからだと思う
さとくんを演じた磯村、もう一人のようこを演じた二階堂ふみも、本当に働いている人に見えなかった
カレー食いながらう〇〇の話する現場なんだ!
う〇〇さえ愛おしい、う〇〇の臭いでどの利用者なのかがわかる!そんな世界なんだ
この人にとって、今日が最期になるかもしれないからと介護している大勢の私たちは、この映画には描かれていない
あの5人の職員以外の職員が描かれてないの、なぜ?
ああいう5人みたいな人も入り込む世界だけど、なぜ一生懸命利用者に話しかけながら介護して、ぐちも言いながらだけど、笑って働く職員が描かれてないのはなぜ?
5人を描くなら、大勢のちゃんと仕事してる介護職員を描かない?
う〇〇まみれになってしまった利用者を、見なかった事にする介護者3人のシーン
もう介護職の私たち二人は失笑しちゃった
あんな暗く描くシーンなの⁈
現場の私たちなら、一度扉を閉めたとしても『さぁ、やるか!』って協力し合って介助に入り、のちには大当たりだった話しとして労い合うヤツ
あんな苦虫を噛み潰したような顔しながら働いている介護職員だけじゃない!
現場知らない人がみたら、ああいう人しかいないんだと、誤解するだろう
誰にだって老いや死はやってくる
健常者なら、ずっと健常者で生きていられるような
障害者になる確率がないような描き方も非現実
誰にだって障害者になる可能性があるってことが描かれてない
大勢の私たちは反応ない利用者に、笑顔で話しかけながら介護してるよ
介護職員だけ『なぜ〇〇者に?』という話しになるの?警察だって自衛官だって消防だって、教員、保育士だって、どんな職業の人だって、そういう〇〇者になる人はいる
植松が入り込んで、ああいう事件を起こしたのは、陰惨な介護の現場、最低な仕事へのモチベーションしか持ってない低俗な職員のせいかのような描き方も許せない
国の決めたギリギリな人員配置基準や介護報酬のせいで、労働の対価として見合った待遇を得られず、常に質の高さを求められながら、踏ん張っている大勢の介護職員たちを、おおいに失望させてくれたわ
綺麗事じゃないことを突きつけられた、みたいなレビューがたくさん出ている事にも『いや、これは介護の現実じゃないよ!』と大きな声で言いたい
監督さんの言いたいことを表現するのに、大幅に勝手に都合よく切り取られたりつぎはぎされて利用された気持ちがして、とっ散らかってまとまりのない映画だと思う
これをフィクションと思わない大勢の人たちが、出てしまうことに危惧しか抱けない
人の定義
目を背けてはいけない。それは分かっている。だけど、朝9時に見るもんじゃなかった。とにかくキツくて辛くてどうしようもない。犯人の気持ちも少しばかり分かってしまうからより一層。答えのない問いであるとは重々承知なんだけど、せっかく映画化したのなら、監督なりの考えくらいは提示して欲しかった。ただひたすらに事件の概要を説明するのは、とてもじゃないけど見てられない。
見ている最中はそれほど気にならないのだけど、思い返してみればこの映画は何を伝えたかったんだろう?と疑問が浮かぶ。犯人は極悪人であるということ?人々全員、偽善者だということ?全員正しくて、間違っているということ?最初から犯人を主人公に当てて物語が展開されていたら、どのような映画になっていたんだろう。客観的に、他人事のように見るからこそ、心が重くなり、深く考えさせられるんだろうけれど、主人公の気持ちにこれっぽっちも同情できず、かといって周りの人間にも感情移入出来ず、ただひたすらに居心地が悪かった。
結局、主人公は過去を繰り返している。
長い年月をかけて、何も成長していない。それどころか後退しているまである。夫だけが前を向いていて、自分はずっと過去を背負っている。たまに八つ当たりしたり、感情的になって逃げ出したり。人間味があると片付けることも出来るんだけど、あまりに身勝手で、しかもこのテーマを描くにあたって必要な人物だったとも到底思えない。それは他の人物も同じ。モチーフにしているとは言えど、観客が頭に浮かべるのはやはりあの事件。表面だけを伝えるメディアと何が違うのか。
ジリジリと迫り来る音楽、そして絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたような汚い黒。映像作品としては文句無しに素晴らしい。140分を超える長尺だが、見事に魅せられた。役者の演技も怖い。魂を抜かれたような二階堂ふみの表情に、気分を悪くしてしまった。最高の役者だ。とても「翔んで埼玉」と同じ人とは思えない。だが、史実を元にした作品としてみた時、この期に及んで本作を制作した理由が見当たらない。そう易々と語れるようなものでないことは十分理解しているが、せっかくなら石井裕也らしく、ズバッと決めて欲しかった。ん〜...。また洗練して、映画化してくれないかな。
96%の選択
医療関係の仕事をしており、様々な施設の特殊な病棟やICUにも入ります。そこで様々な人を見てきました。
そして自分も心臓に障害を持って生まれました。
自分は手術という現代の技術で普通となんら変わらない生活と運動出来る身体になりました。
そのため感慨深いものがあります。
自分の子供が産まれる時も不安で仕方なかった経験があります。
今は染色体異常は出生前判断にて事前に判りますが、子供を持つ事は精神的にも経済的にも覚悟が入ります。ただ、産まれた子供は可愛いです。何も出来ないから可愛いのです。多分それはどんな人として生まれても可愛いのだとおまいます。しかしそれが他人の場合はどうでしょうか?
幼少の頃近所に意思疎通が出来ない年上の子がいました。まるで獣のようなオムツをしたままの子でした。その家族はいつの間にか居なくなりました。
毎日布団が干してありました。
正直出生前判断は色々な意味で必要だと感じた映画でした。
観ることができて良かったです。
地元の映画館では公開終了してしまったので、高速乗ってわざわざ観に行きました。
観ることができて本当に良かったです。
【かつてあったことは、これからもあり かつて起こったことは、これからも起きる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。】
旧約聖書の一節から始まりました。
いきなり考えさせられました。
原作は読んでいませんが、事件のことは少し調べました。
重いテーマです。
目をそむけたくなる場面もありました。
生きてるって何?
簡単なことは言えません。
映画の作りとしては、
事件と宮沢りえさん夫婦のことが、リンクしている描写に無理がなくて、
わかりやすかったと思います。
宮沢りえさんは、ちゃんと年齢を重ねた女性を演じていて、
とっても良かったです。
磯村勇斗君も、かなりの覚悟で演じたのだと想像できます。
ワンテイクで撮影したという長台詞も、見事だと思いました。
あのシーンは、すごかったです。
このテーマを映画にしたことが凄いです。
重いけど、見た方がいいと思う作品です。
さとくんほどでなくとも
高齢者施設勤務経験のある者です。
隠蔽された殺人や虐待、横領などを私は目の当たりにしました。いくつも。
役所に訴えても切り捨てられました。
この話は日本中のどこかの施設で起きています。有名な介護派遣会社のアンケートに6割の生活相談員が虐待を目撃したという回答を寄せています。
サニーライフや有名老健などいままでもあちこちで殺人は起きてきた。地元でも横領は頻繁に起きている。
他人事にしてはならない。これは映画の中だけではない。施設が暗いとか描写が暗いとか、そんな上っ面しか見えないのでしょうか。どんなに灯りがついていても虐待起きる施設は明るいですか?殺人が行われても警察も役所も動かない、そんな業界なのに。
目を背けないでほしい。どうか。
磯村勇斗さん、ありがとう
映画「月」を鑑賞しました。キャスティングが、とても良かったと思います。中でも、磯村勇斗さんの演じた犯人のエスカレートしていく異常さには、ぞっとしました。演者の覚悟を感じました。磯村さん、この役を引き受けてくれてありがとう。この作品が、多くの方に届きますように。
テーマは評価できるが
津久井の障害者施設で起きた大量殺人事件はとてもショッキングだった。殺された人の数もそうだが、事件を起こした犯人の主張の異常さに驚いた記憶がある。本作はあの事件をベースに作られたフィクション。そう思ってみても実際の事件はどうだったのだろう?と想像してしまう。
個人的にあの事件にひっかかっていたのは殺害した人数ではなく、犯人の優生思想だ。そういう意味で本作はそこに焦点を当てた部分もある。原作は未読だが、出生前診断も絡めた脚本は考えさせられる。でも、優生思想をふりかざす彼に対して、「私は認めない」だけでは弱いのではないかと感じた。ただ、それ以上に強さを持つ言葉を私達は持っていないかもしれない。あの事件をベースに映画を制作したという勇気だけは評価できると思う。
ただ、個人的には映画としてあまり評価できない。事件当日の犯人の行動や作家の洋子の夫との関係性に何かしらのおぞましさや感動を覚えることはなかったから。妙なカメラワークや演出に違和感を憶えることが多かったから?少し考えてみたがこれという答えは出ない。前述した「この事件を題材にする」という目的が強すぎたのかも。さとくんや洋子の心情がうまく描かれていなかった、もしくはさとくんの彼女が聴覚障害者とか女性同僚の家庭環境とかの設定が好みでなかったということかもしれない。観終わっても心が揺さぶられることはなかったなーというボーっとした感想しか浮かばなかった。
でも、案外こういう映画が日本の映画賞を受賞してしまう。あくまで個人の感想だが、テーマだけで評価されるのは避けてほしい。
事実とは違う物語。事件そのものに引っ張られないよう注意。
実在した事件をベースにした小説をさらに映画化する、という「メタメタ物語」なので、それを念頭に入れて見た方がいいです。wiki読んだり、元の小説を書いている人の情報を仕入れたり。
鑑賞後のシンプルな感想は「立場によって善悪は変わるな〜」でした。
特に印象的だったのは、さとくんの「じゃあ僕を排除しますか?」の一言。
事実ではどうか分かりかねますが(wiki情報しかないので)さとくんは自分のことを「生産性がない」と心のどこかで思ってたんじゃないでしょうか。
私たちはあくまで「命を奪うことがいけないこと」というのを演繹的にしか学びません。
虫などを(意図的でないにしろ)殺して大人に怒られた人は多いのではないでしょうか
のちに道徳の授業や社会の授業などで「命を奪うのはいけないこと」という道徳原則を強化していきます。
もちろん違う道徳原作を学んでいる国もあります。例えば日本と違い厳格なカトリック教徒の多い州では中絶は禁止だったりします。
さとくんは事実ベースでは確定死刑囚であり、罪を償うために死ぬのは確実です。
私は死刑廃止論者ではありませんが、さとくんを取り巻くさまざまな意見の中に
「こういうサイコパスや頭がおかしい人間を、終身刑にして税金で生かしておくのは許されない」
と考える人もいるでしょう。
そもそも危害とはなんなのでしょうか?身体への傷はもちろん、心への傷もそうでしょう。
さとくんを擁護するつもりは毛頭ありませんが、さとくんに石を投げられるのは、今まで人を傷つけたことがない人だけです。
そして、宮沢りえの方のヨウコ。彼女もまた出生前診断をある種肯定している人間の一人なのです。
エンタメにケチつけるのは寒いなと思いますが、宮沢りえがお化粧したまま寝てたり、施設職員がドカスだったりして、細かいところに集中が難しくなる要素がありました。お寿司を2人で取ろうとするのもなんか…蛇足っぽいです。
誰もが思うこと
とても重いテーマですが、正面から向き合ってチャレンジしている作品だと思います。どこか心の中にあって、でも見ないふりをしているような部分。答えは出ないけど、考えさせられる良い作品だと思いました。個人的には見ることをお勧めします。
衝撃の問題作
原作は未読であるが、映画化するにあたりかなり脚色されているそうである。後で調べて分かったが、原作の主人公は本作にも登場する障がい者の”きーちゃん”ということである。映画は視点を変えて洋子というオリジナルのキャラクターを主人公にしている。ストーリーを語らせるにあたって、言葉を話せない”きーちゃん”では限界があるということで改変したのだろう。
洋子は、生まれつき障害を持った我が子を失ったトラウマから小説を書くことが出来なくなった主婦である。これを宮沢りえが熱演している。彼女の葛藤は画面からひしひしと伝わってきて、まずはこの存在感が素晴らしかった。これは本作オリジナルの美点だろう。
同じ施設で働く小説家志望の陽子や画家を夢見る”さとくん”との関係、常に優しく包み込んでくれるがどこか頼りない夫昌平との関係。こうした周囲との微妙な距離感を言葉を使わず繊細に表現しきった所は見事である。
また、それとは対照的に後半の”さとくん”との対峙では切実なる感情を爆発させ、この熱演にも見応えを感じた。本作は正に彼女のためにあるような作品となっている。
テーマも実に興味深く読み解くことができた。
実際に障がい者施設で起こった事件を題材にしているということで身構えてのぞんだが、確かにセンセーショナルな意欲作になっていると思う。ただ、それ以上に、ドラマの根本ではもっと普遍的な問題を問うているような気がした。
建前を重んじて事実を隠そうとする社会。真実を知りつつも見てみぬふりをする世間の風潮。そういったものに対する問題提起が感じられる。
例えば、酒に酔った陽子は、自分の才能の無さを棚に上げて、洋子が書いた東日本大震災を題材にした小説を「真実が描かれてない、綺麗ごとだけだ」と嫉妬混じりに糾弾していた。
陽子の両親は不倫を知っているが何事もないように円満な家庭を取り繕っていた。
昌平は洋子に気を使って我が子の死に一切触れず、そのせいでどこかギクシャクした関係になってしまっていた。
施設の所長は職員による暴行を知りつつも見てみぬふりをしていた。
そして、洋子自身も小説家として、母親として自分自身に嘘をついていた。更に、施設の問題を行政に告発出来ず、小説という形で表現しようとした。実際に行政がこの問題にどこまで対処できたかは疑問であるが、少なくとも彼女はそうするべきだったように思う。ところが、小説家としてのエゴが勝り、”綺麗ごとだけではない”作品を書くことで彼女は自分を優先させてしまったのである。結果、事件を止めることが出来なかった。
このように、ここに登場する人々は目の前の現実を見ようとせず、あるいは知っていてもその現実から逃げているだけなのである。
結局、この物語で最後まで現実に目を向け、自分自身に嘘をつかなかったのは”さとくん”だけだった…というのが実に皮肉的である。
もちろん彼の思考や行動には決して賛同することはできない。しかし、彼の言い分には、否定しがたい真理もあるように思う。
生産性のない障がい者は不要だ。意思疎通ができない者に生きる意味があるのか。障がい者施設で働く者は日々の激務から自らも精神を病んでこうした思考に陥ってしまうのは何となく理解できる。
そして、このような排除思考は、我々が暮らす一般社会でも、すでにまかり通っているのではないだろうか。自助努力が出来ない人間は切り捨てても良いといった社会の風潮、合理性を重んじて負け組が容赦なく見殺しにされてしまう競争社会。そうした思考が普通に蔓延しているような気がする。
劇中で洋子は”さとくん”のこの排除思考に論理的に反論することが出来なかった。それは彼女自身にもそうした思いが心のどこかにあったからであろう(実際に彼女は出産に迷っていた)。
もし自分があの場面の洋子の立場だったら”さとくん”をどう説得できただろう…と考えてしまった。彼の誤った思考を改心させるだけの言葉を自分も持ち合わせていない。
監督、脚本は「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」、「ぼくたちの家族」、「舟を編む」等の石井裕也。
施設のロケーションやデザインにホラー映画のような不穏さが漂い、少し作り過ぎという気がしてしまった。おそらく日常の中の非日常性を演出したかったのだろうが、ここまでくるとリアリティがかえって薄まり違和感を覚えてしまう。
また、突然ズーミングするカメラワークや斜め構図のアングル、スプリットスクリーンで分割される画面が、鑑賞のノイズになってしまった。
重苦しいテーマだけに、全体的にもっとシックな演出に徹した方が良かったのではないだろうか。奇をてらい過ぎという印象を持ってしまった。
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