月のレビュー・感想・評価
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良心よ死ぬな
事前情報ゼロで見ましたが、
十分すぎるほど伝わってくる内容でした。
社会にも、施設にも、人にも、全てのものに二面性があって、影と日向は常に葛藤している、、、
振り返ってみると、全ての登場人物にも少なからず裏表があって、自分の暗部にきっちり訣別して良心が解き放たれる者、葛藤し続ける者、呑み込まれる者、、それぞれの心の中が痛いほどに描かれていました。
本作は背景設定を語らずに情景や演技だけでそれを伝える力があり、効果音や音楽、デパルマ風演出など随所で作り込みの良さが感じられました。
主演の宮沢さんは、ぶっちぎり圧巻の貫禄で素晴らしかったです!
オダギリさんも最初はホワッとしながらも終盤はジーンとさせる流石の演技でした。
難しいテーマを描こうとして大失敗している
2023年劇場鑑賞240本目。
障害者に関わっている人全員にとって、東日本大震災や9.11くらい大きな事件だったやまゆり園の大殺戮事件。
それに基づいて描かれる作品とだけ聞いていったので、犯人がそこに至るまでの心理や、事件後の関係者の心の傷を描くのかと思っていました。
まず、大前提としてこの映画は関係者をさらに傷つけます。この映画だと犯人を作り出したのは同僚や上司となっており、ある意味共犯者扱いです。終盤映画の中で職員に行われた残酷な行為は実際に行われており、そのトラウマたるや想像を絶するのに、その職員ですら悪者にしてしまっている。あんな虐待というレベルでなく、単なる犯罪が日常茶飯事に行われている事業所ならあの事件か起きた後速攻閉鎖され、職員も逮捕されなければいけないのに、そういうことはもちろん事実としてないので完全に嘘なんですよね。
犯人の言い分も、多少は宮沢りえとオダギリジョーが否定してくれますが、全く響いておらず、どうせ映画として嘘をつくならそこを徹底的に否定し、犯人が間違いに気づいて後悔する、くらいやらないと犯人の言う事にも一理ありますよ、という解釈になってもおかしくないです。
結局この作品を作った人からはまぁひどい事件だけど結局は他人事だよね、というメッセージをあそこで終わってしまうラストシーンから受け取りました。オープニングの障害者を化け物みたいに映すカットもめちゃくちゃ不快でした。
覚悟なくこのテーマを扱う罪
原作がこうだから仕方ないで逃げないで欲しい、なら映画化する必要ない。演出、シナリオ、演技全てが駄作、酷すぎる。
優生思想の作品なのか?
障害者を人間ではなく別物と考えているから蜘蛛や蛇、ミミズ等出して園を化け物屋敷と演出しているのか?
実際の役者と障害者を撮影のときに別けて撮っている事に違和感を覚える。
映画なので優生思想が良い悪いはつくり手の思想なのでそれは良い。
しかし、この映画の製作陣はそれを訴えたいのではないだろう。なのに完全に失敗している。優生思想が善で犯人が善、主人公はこの犯人に言いくるめられて終わる。
シナリオも何故次の子供が出来たときの障害健診をラストに持って来なかったのか?このテーマで行くなら障害健診は受けないが正解ではないか?もしくは迷って終わるで観客に投げかけるなど手法はあったはず。
犯人と主人公の長いやり取りも何も解決せず、ただ幻覚に言いくるめられて納得するだけのつまらない映画。
この監督は「茜色……」の時もそうだが何も覚悟がなく社会派撮りましたって、全くお門違い。
人物描写に厚みが感じられなかった
辺見庸の同名小説を映画化した作品でした。明示はしていませんが、2016年に相模原の知的障碍者施設で発生した元職員による大量殺人事件を題材にしている作品であり、ひと言で表すと非常に重いテーマを扱ったお話でした。事件発生当時、前代未聞の大量殺人事件が起こったことに対する衝撃があったことは勿論、犯人を非難するどころか逆に礼賛するネット世論もあり、むしろその方が社会的に根が深い問題だと感じたものでした。
で、そうした衝撃を受けたのは映画制作者も同様のようで、昨年6月に公開された「PLAN75」の早川千絵監督も、相模原の事件が同作を創ったきっかけであると語っていました(参考 「どんな未来を望みますか?」 弱者を切り捨てる社会で問いかける映画「PLAN 75」 早川千絵監督インタビュー)。 また、今年3月に公開された「ロストケア」も、訪問介護センターに通う高齢者40名以上が、そこの職員に殺されるという話を描いたものでした。
「PLAN75」も「ロストケア」も、高齢者がターゲットになる話であり、障碍者がターゲットとなる本作とはその点異なるものの、効率重視、コスト重視、生産性重視の昨今の風潮が極まると、高齢者や障碍者といった社会的弱者が排除されるディストピアが生まれるんじゃないのかという恐ろしい予見を劇化するという意味では、同様のテーマの映画だったと言えるのではないかと思います。
そうしたテーマを扱った映画であり、「PLAN75」や「ロストケア」同様、かなり期待していた本作なのですが、正直映画としてはイマイチでした。というのも、全体的に登場人物の描き方が薄く感じられたのがその原因でした。主人公の堂島洋子(宮沢りえ)とその夫の昌平(オダギリジョー)は、彼らの長男が先天的な病気を持って生まれ、3歳の時に亡くなったことをずっと引き摺っており、この2人の描写はそれなりに丁寧に描かれていました。しかしながら、この2人以外で最も重要な役である大量殺人を計画・実行したさとくん(磯村勇斗)に関しては、教員を目指していたものの、ならなかった(なれなかった)ことや、刺青をしていること、大麻を常用していたこと、施設入所当初は仕事にやりがいを感じていたことなど、実際の相模原の事件の犯人をなぞるような描写がありましたが、最も肝心な、最終的に大量殺人を起こすに至るまでの彼の内心の変化についてはかなりザックリとした描き方になっていて、全く合点が行きませんでした。
また、昌平の勤務先の同僚や、洋子やさとくんと施設で共に働く同僚が、昌平やさとくんを馬鹿にしたりイジメたりする場面が出て来ますが、彼らの描き方は極めて平板で、全く人間味を感じることが出来ませんでした。まるで書き割りのようだったと言い換えても良いでしょう。登場回数もそこそこあり、昌平やさとくんに対して吐き捨てるような心無いセリフも結構あるのに、彼らは名前すら出て来ず、これまでにどんな人生を送ってきたのかも一切触れられていません。言ってみればモブキャラな訳ですが、その割に昌平やさとくんの心情に影響を与える重要な役どころでした。制作者としては、モブキャラとしての名無しの彼らに、逆に社会全体を背負わせていたのかとも思ったものの、生きて来た背景のない人はいない訳で、その点に物足りなさを感じざるを得ませんでした。
俳優陣については、「PLAN75」でも重要な役をやっていた磯村勇斗は相変わらず安定の演技をしていたし、主役の宮沢りえも、かつての印象とは全く異なる快心の演技をしていたと思います。またオダギリジョーの存在は、全面的に暗い映画の中で、一服の清涼剤の役割を果たしていたように感じられるなど、総じて評価できるものだったと思うだけに、人物描写がイマイチだったのが残念でした。
誰も本当の事を見たくない 〜 これが現実です
宮沢りえさん、オダギリジョーさん、磯村勇斗さん、二階堂ふみさんの渾身の演技に見入った。
誠意を持って入所者に接していた彼が、或る考えに至った後の言動に、思い込む事の恐ろしさを感じ、余りにも罪深いこの役を引き受けられた磯村勇斗さんの思いと覚悟に、心から拍手を送りたい。
さとくん( 磯村勇斗さん )、洋子( 宮沢りえさん )、陽子( 二階堂ふみさん)の問いかけが、観客である私達にずっしりと重くのしかかる。
鑑賞後も尚、第三者的思考をしている自分が居る。
ー私は嘘が嫌い
ー人の暗部
ー大丈夫、大丈夫
映画館での鑑賞
善意の正論 と 悪意【犯罪】の本音 コメント難しい。だが どちらでも無い 目を背けるワシが居た。
実際の事件をモチーフにした辺見庸氏の原作を より客観的に つまりキーちゃんの視点無く映像化らしい。
事件には衝撃を受けた。皆さんと違う意味で・・
申し訳ない 障がい者の方々の施設に勤めるのなら 障がい者の方々はカスタマーでないのかい❓
お客様商売は福祉も同じ、お客様なんだと というヘンテコリンな本音だった。仕事なんだから❗️
ただ 本作観て 正直な感想書く前に大前提述べとく
①命の価値は等価 お偉いさんも高貴な方も 貧乏人も 引きこもりも 同じ
②・人は言語道断だが、暴力自体いけない。反論できない人には尚更
その上で正直な感想書くと
正直 宮沢りえとオダギリジョーのまともな感覚 善意的に 同調する私
磯村勇斗演ずる犯人に 若干 同意する 悪魔👿の俺
の2人のオレがスクリーンの前に居た。
でも 結論は どちらも賛同できない 第三者無関係で居たい 安全地帯に居たい 卑怯者のワシに統合された。
綺麗事は言える。だが 糞尿の問題 暴れる問題 等から正面から当事者意識持つと
俺個人的には綺麗事は言えない。
もしかしたら 私と 磯村勇斗さん演ずる犯人は 警察に捕まるのが怖い死刑が怖い 家族への迷惑が怖い
の違いだけかも知れない。
言語道断の事件であるが、事実から目を逸らしてはいけないということかも。
最後の オダギリジョーの小さな幸せ 5万円の芸術🎨賞受賞で喜ぶ 宮沢りえ役
過去子供が夭折していて 再度の高齢妊娠 に 結論は安直には出さなかった
点は 良かった かえって心が洗われた。
実際の 聾唖の方が犯人の恋人役で好演
また 障がい者施設の入居者の方々もご本人後見者の方賛同で出演されている。
誰でも老いるし、障がい等級に該当する可能性がある
でも、毎日仕事とはいえ 仏の顔だけでは厳しい福祉の現実はあると思う。
【月🌕】のタイトルが意味深。
なんで有料パンフ@1300に触れないかというと
コラム review がいったい何人 というほど多くて さすがに 読むの放棄しました。購入はしました。
映像的には 誰でもわかります 誰でも置いていかれないテンポはある。
でも 決めつけコメントは難しい高難易度作品。誰でもわかります、そこは保証できる。
でも 心が無いから・・・という判定判断はよせや という偽善者の私もいましたよ。念のため。
原作読みたくなりました。辺見さん 上手いからねぇ。
7月26日は玉子の日
知的障害者福祉施設で働き始めた元有名作家と、施設で働き不条理を感じる普通の青年の話。
ネタ探しとして施設で働く女性に、紙芝居を自作する男性に、入所者に酷い扱いをするやさぐれコンビ、そして臭いものに蓋をしようとする施設長という面々に囲まれつつ、自身の過去と夫と対峙していくストーリーに、ズレていく男のストーリーを絡めて行く。
何が正しくて何が無慈悲で何が残酷か、倫理観や矛盾を問いかけている様ではあるけれど、それを訴えかけるが見え見えで少し白々しさも…そんなもの細かい線引は人それぞれだし、その時々で変わるものだしね。
それでも夫婦の描き方は良かったし、モデルとなった事件が実際に起きた時にも感じたけれど、マジメな会話をしようとしてもお話にならないのは誰だよっていう胸クソ悪さは良かったけれど、彼のパートは映画としては投げっぱなしで、ちょっと物足りなさもあった。
雰囲気づくりで狙ってやっているはわかるけれど終始画面が暗くて疲れた。
きれいごとだけじゃない
揺らぐ人権
辺見庸さんの同名小説を『月』を映画化。
相模原障害者施設事件がモチーフ。
お月様は人の気持ち、見方、捉え方に寄って
全然違うと別物にもなる。闇も光も導く影が
ある感じ。
さと君はもしかしたら、初め普通の青年だったかもしれない。皆と同じような月を観ていたかも。
それが、やがて職場の現実と実態、同僚、ネット上の影響をより受け、深い闇に入り込み優生思想を唱えるようになった気がする。あと、この社会が生んだのでは。
心があるから人間なのか?人間だから心があるのか?世の中には意志疎通が難しい方もいる。
彼は心を売ってしまい、別の心を取り入れて
しまった。
ずっと重くのしかかる作品で、この社会を行き写している形。実際世には隠され、隠蔽された
闇がある。人も心も同じく。出したいけど出せないし蓋も開けれない。
誰もが一度位、こんな人が居なくなればいいのにとか、死ねばいいのにと頭をよぎる事があると思う。昔より平等と言う言葉が薄まり、不寛容な時代の心になってきたメッセージ感が伝わる。
出生前診断もある時、夫婦に問われる。調べるのか、調べないのか、調べた後はどうするのか。
夫婦間の気持ちの疎通と精神を伝える時。色々な一生の覚悟が必要である。洋子と昌平。
全てが視聴者側に問いかけられている映画。
何故、7/26の日付だったのか…事件当日かぁ。
カレンダーに張ったお寿司の玉子シールが
可愛いかった。あの手と手が触れ合った時のように生きてて良かったと感じられる心が少しでも
広まる事を願う。月の明かりを灯すように。
監督さんや俳優人の方々、お疲れ様でした。
臭いものには蓋をしたい
誰のせいでもない。
台詞に無駄がなく、多くの問いを頂きました。「人って?」「こころとは?」「生きる意味は?」。正確ではないかも知れないですが、そう記憶しています。いわゆる犯人役を演じた俳優さんは存じなかったのですが、不気味に変貌していく演技が素晴らしかったです。宮沢りえさん、オダギリジョーさんには不覚にも泣かされました。才能について語った「陽子」の役割も大きいと感じていました。直接の理由が不明ですが、「不条理、不運、不幸は、誰のせいでもない?」という感想を抱いた次第です。本作品と原作者に感謝申し上げます。
ただただ考える
う~ん
【”人間の心の無い奴はいらないです・・。”誤った優性思想の基に行われてしまった凶事。そして障碍者の鮮血を浴びた下弦の月。今作は鑑賞側に”命に軽重はあるのか。”と問い掛けてくる重くて哀しき作品である。
ー ご存じの通り、今作は2016年に相模原市の”津久井やまゆり園”殺傷事件に着想を得た辺見庸の小説の映画化である。
私事で恐縮であるが、この事件は出張帰りに購入した新聞で知り、そこに大見出しで映された犯人の植松聖がパトロールカーに収監される際に振り返った笑顔が悪魔のようであった事を鮮明に思い出す。
だが、今作では犯人の残虐性よりも見る側に対し、命に軽重はあるのかを問い掛ける構成になっている。-
◆感想
・作家のスランプに陥っている堂島洋子(宮沢りえ)と夫昌平(オダギルジョー)の間には三歳になる男の子がいたが、先天性の心臓の病で他界する。
洋子は再び妊娠するが、同じような状況の子が生まれないか担当医(板谷由夏)に相談しつつも、浮かない顔で新しく働き始めた障碍者施設に足を運ぶ日々。
だが、夫はその報告を聞き、”やったー”と喜ぶのである。
ー この夫婦の存在が、作品に”命に軽重はあるか”と言うテーマを鮮明に与えている。特に夫の昌平は唯一、人間の善性を強く保っているように描かれる。ー
・障碍者施設には家庭で厳格だが浮気を繰り返す父に対し、嫌悪感を持つ若い陽子(二階堂ふみ)や笑顔のさとくん(磯村勇人)、ことなかれ主義の院長(モロ諸岡)、障碍者に対し嫌がらせをする若手二人の職員がいる。
ー さとくんは紙芝居を作ったり、園内でも笑顔を絶やさない。
だが、洋子と同じ生年月日の”キーちゃん”の母親(高畑淳子)意外、親族は来ないし、何年も部屋に囚人のように閉じこめられた障碍者もいる。-
・さとくんはそんな状況を見て少しづつ考え方が変わって来る。彼は”ナチスは嫌いだ。”と言いながら誤った優性思想に染まって行く。
ー それは、さとくんが人間扱いされない障碍者を”解放”しようとし、結果的に世間の為になると思い込んでしまったようにも、私には見えた。ー
<さとくんは夜勤だった陽子を無理やり連れ”こいつは心を持っているか!”と問いかけ、障碍者に刃を突き立てる。
そして、且つて”キーちゃん”の為に壁に張った月にも、無情にも鮮血が掛かるシーンは哀しい。
今作は鑑賞側に”命に軽重はあるのか。”と問い掛けてくる重くて哀しき作品なのである。>
■補足
・障碍者施設員の描き方が、一方的過ぎるきらいは気になった。一生懸命、障碍者の面倒を見ている人もいると私は思うので。
声と、心の声。
三年前に幼い子を亡くしてる夫婦、洋子と昌平、現在書けなくなってる作家の洋子と自主制作で短編映画を作る昌平の話。
作家活動はしてなく、仕事になってない旦那、生活の為に障害者施設で働く事になった洋子、その障害者施設で働く者達の施設利用者への対応を目にした洋子は…
洋子の同僚のさとくん、素はちょっと悪い奴かもだけど施設では利用者に向き合い仕事真面目な奴、だけど周りにいる同僚に恵まれず真面目にやってる事をバカにされたことで…
利用者、意思の疎通、心のない利用者は…施設で働くことで作家活動を再開することになった洋子のストーリー。
リアルでもあるだろう施設で働く者が利用者を虐待、あってはならない事だと思うけど働く側の苦労って仕事とはいえ大変よね!間違いなく。大変だから、見きれないから家族側も施設へお願いするんでしょうし。
ただ真面目にやってる施設、真面目に働く方達はいるから何かこういった作品が流れる=イメージ悪くなるで気の毒と思ってしまう。
さとくんのとった行動は間違ってるけど、発したセリフは何か納得出来る部分はあったし、利用者側もあんな扱い、利用者側の一番いい答えって何なんですかね?私には分からない。
磯村勇斗君は大好きな俳優さんの1人なんだけどちょっとテーマが重たいね!(笑)
観てて何かしんどかったです。
舞台挨拶付きで拝見しました。 登壇された出演者の方々、言葉に詰まる...
舞台挨拶付きで拝見しました。
登壇された出演者の方々、言葉に詰まるシーンが多々ありました。
この問題は各々意見があるとしても答えを出してはいけない気がするし
言葉を選ばないといけない場でしたので大変だったと思います。
なので正直、レビューもしにくいです。
作品自体、とても考えさせられます。
自分の子や親族が障害者だったら・・・
想像にも限界があります。現実は当事者家族にしか分かりません。
単に『他者を傷つけてはいけない』は綺麗事な気もします。
ただ、赤の他人が首を突っ込んで考えていいことなのか、
そこにすら疑問があります。
何を考えても自分の想像の範疇を超えないのです。
出演者の演技が素晴らしかったことだけは胸を張って言えます。
この作品と『ロストケア』は鑑賞疲れしますので
精神が落ち着いている時に見ることをお勧めします。
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