月のレビュー・感想・評価
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きれいごとだけじゃない
原作は読まずにみました。
事件にはとても興味がありました。
お世話をしている方の苦労や葛藤があると思います。
理屈はわかるけど、きれいごとだけではすまない部分もあるのもわかります。
だからといって…
なんだか、胸がしめつけられる思いにおそわれました。
すべての答えはみる側になげられてたのかな?
と感じました。
映画なので、誇張されていたとは思いますが、みていて辛かったです。
ただ、3.11のことは必要だったのかな?と思いました。
揺らぐ人権
辺見庸さんの同名小説を『月』を映画化。
相模原障害者施設事件がモチーフ。
お月様は人の気持ち、見方、捉え方に寄って
全然違うと別物にもなる。闇も光も導く影が
ある感じ。
さと君はもしかしたら、初め普通の青年だったかもしれない。皆と同じような月を観ていたかも。
それが、やがて職場の現実と実態、同僚、ネット上の影響をより受け、深い闇に入り込み優生思想を唱えるようになった気がする。あと、この社会が生んだのでは。
心があるから人間なのか?人間だから心があるのか?世の中には意志疎通が難しい方もいる。
彼は心を売ってしまい、別の心を取り入れて
しまった。
ずっと重くのしかかる作品で、この社会を行き写している形。実際世には隠され、隠蔽された
闇がある。人も心も同じく。出したいけど出せないし蓋も開けれない。
誰もが一度位、こんな人が居なくなればいいのにとか、死ねばいいのにと頭をよぎる事があると思う。昔より平等と言う言葉が薄まり、不寛容な時代の心になってきたメッセージ感が伝わる。
出生前診断もある時、夫婦に問われる。調べるのか、調べないのか、調べた後はどうするのか。
夫婦間の気持ちの疎通と精神を伝える時。色々な一生の覚悟が必要である。洋子と昌平。
全てが視聴者側に問いかけられている映画。
何故、7/26の日付だったのか…事件当日かぁ。
カレンダーに張ったお寿司の玉子シールが
可愛いかった。あの手と手が触れ合った時のように生きてて良かったと感じられる心が少しでも
広まる事を願う。月の明かりを灯すように。
監督さんや俳優人の方々、お疲れ様でした。
臭いものには蓋をしたい
洋子と昌平が前向きに考えることができたのは対話のおかげだと思うし、さとくんがあのまま進んでしまったのは彼女と対話ができていなかったからかなぁ。
障害者施設が舞台になっていますが、老人ホームでも同じことが言えると思う。
誰のせいでもない。
台詞に無駄がなく、多くの問いを頂きました。「人って?」「こころとは?」「生きる意味は?」。正確ではないかも知れないですが、そう記憶しています。いわゆる犯人役を演じた俳優さんは存じなかったのですが、不気味に変貌していく演技が素晴らしかったです。宮沢りえさん、オダギリジョーさんには不覚にも泣かされました。才能について語った「陽子」の役割も大きいと感じていました。直接の理由が不明ですが、「不条理、不運、不幸は、誰のせいでもない?」という感想を抱いた次第です。本作品と原作者に感謝申し上げます。
ただただ考える
映画としてどうのとか論ずる次元の話ではないと思う。
久しぶりに満席の映画館。それが全てではないか。
社会はあの事件を忘れてはいないし、答えの出ない課題を抱えている。
あれだけの事件を起こしたことで、死刑になることの矛盾。
人間はこれからも考え続ける。
う~ん
面白くはあったので星4つつけましたがもっとサトくんが壊れていくさまを掘り下げて欲しかった。
それに、施設での虐待もそこに至るまでの経緯がありそうせざるを得ない状況に施設側が追い込まれてしまっている事にも真正面から取り上げて欲しかった。
障害、介護施設で働こうとする人が「虐待」がしたくて就職するわけではない事にも触れて欲しかった。
施設が一方的に「悪」になって描かれている事に強烈に違和感を感じた。
夫婦の再生物語とするなら全て中途半端で星1にも満たない。
明らかに実際にあったあれだけ大きな事件をモチーフにしている以上「フィクション」で納得できるだろうか?
【”人間の心の無い奴はいらないです・・。”誤った優性思想の基に行われてしまった凶事。そして障碍者の鮮血を浴びた下弦の月。今作は鑑賞側に”命に軽重はあるのか。”と問い掛けてくる重くて哀しき作品である。
ー ご存じの通り、今作は2016年に相模原市の”津久井やまゆり園”殺傷事件に着想を得た辺見庸の小説の映画化である。
私事で恐縮であるが、この事件は出張帰りに購入した新聞で知り、そこに大見出しで映された犯人の植松聖がパトロールカーに収監される際に振り返った笑顔が悪魔のようであった事を鮮明に思い出す。
だが、今作では犯人の残虐性よりも見る側に対し、命に軽重はあるのかを問い掛ける構成になっている。-
◆感想
・作家のスランプに陥っている堂島洋子(宮沢りえ)と夫昌平(オダギルジョー)の間には三歳になる男の子がいたが、先天性の心臓の病で他界する。
洋子は再び妊娠するが、同じような状況の子が生まれないか担当医(板谷由夏)に相談しつつも、浮かない顔で新しく働き始めた障碍者施設に足を運ぶ日々。
だが、夫はその報告を聞き、”やったー”と喜ぶのである。
ー この夫婦の存在が、作品に”命に軽重はあるか”と言うテーマを鮮明に与えている。特に夫の昌平は唯一、人間の善性を強く保っているように描かれる。ー
・障碍者施設には家庭で厳格だが浮気を繰り返す父に対し、嫌悪感を持つ若い陽子(二階堂ふみ)や笑顔のさとくん(磯村勇人)、ことなかれ主義の院長(モロ諸岡)、障碍者に対し嫌がらせをする若手二人の職員がいる。
ー さとくんは紙芝居を作ったり、園内でも笑顔を絶やさない。
だが、洋子と同じ生年月日の”キーちゃん”の母親(高畑淳子)意外、親族は来ないし、何年も部屋に囚人のように閉じこめられた障碍者もいる。-
・さとくんはそんな状況を見て少しづつ考え方が変わって来る。彼は”ナチスは嫌いだ。”と言いながら誤った優性思想に染まって行く。
ー それは、さとくんが人間扱いされない障碍者を”解放”しようとし、結果的に世間の為になると思い込んでしまったようにも、私には見えた。ー
<さとくんは夜勤だった陽子を無理やり連れ”こいつは心を持っているか!”と問いかけ、障碍者に刃を突き立てる。
そして、且つて”キーちゃん”の為に壁に張った月にも、無情にも鮮血が掛かるシーンは哀しい。
今作は鑑賞側に”命に軽重はあるのか。”と問い掛けてくる重くて哀しき作品なのである。>
■補足
・障碍者施設員の描き方が、一方的過ぎるきらいは気になった。一生懸命、障碍者の面倒を見ている人もいると私は思うので。
声と、心の声。
三年前に幼い子を亡くしてる夫婦、洋子と昌平、現在書けなくなってる作家の洋子と自主制作で短編映画を作る昌平の話。
作家活動はしてなく、仕事になってない旦那、生活の為に障害者施設で働く事になった洋子、その障害者施設で働く者達の施設利用者への対応を目にした洋子は…
洋子の同僚のさとくん、素はちょっと悪い奴かもだけど施設では利用者に向き合い仕事真面目な奴、だけど周りにいる同僚に恵まれず真面目にやってる事をバカにされたことで…
利用者、意思の疎通、心のない利用者は…施設で働くことで作家活動を再開することになった洋子のストーリー。
リアルでもあるだろう施設で働く者が利用者を虐待、あってはならない事だと思うけど働く側の苦労って仕事とはいえ大変よね!間違いなく。大変だから、見きれないから家族側も施設へお願いするんでしょうし。
ただ真面目にやってる施設、真面目に働く方達はいるから何かこういった作品が流れる=イメージ悪くなるで気の毒と思ってしまう。
さとくんのとった行動は間違ってるけど、発したセリフは何か納得出来る部分はあったし、利用者側もあんな扱い、利用者側の一番いい答えって何なんですかね?私には分からない。
磯村勇斗君は大好きな俳優さんの1人なんだけどちょっとテーマが重たいね!(笑)
観てて何かしんどかったです。
舞台挨拶付きで拝見しました。 登壇された出演者の方々、言葉に詰まる...
舞台挨拶付きで拝見しました。
登壇された出演者の方々、言葉に詰まるシーンが多々ありました。
この問題は各々意見があるとしても答えを出してはいけない気がするし
言葉を選ばないといけない場でしたので大変だったと思います。
なので正直、レビューもしにくいです。
作品自体、とても考えさせられます。
自分の子や親族が障害者だったら・・・
想像にも限界があります。現実は当事者家族にしか分かりません。
単に『他者を傷つけてはいけない』は綺麗事な気もします。
ただ、赤の他人が首を突っ込んで考えていいことなのか、
そこにすら疑問があります。
何を考えても自分の想像の範疇を超えないのです。
出演者の演技が素晴らしかったことだけは胸を張って言えます。
この作品と『ロストケア』は鑑賞疲れしますので
精神が落ち着いている時に見ることをお勧めします。
おもっ、、。
原作未読、レビュームズイな。
この映画は実際に起きた事件をベースにしたフィクションです、お間違いなきよう。
実際の事件自体はクライマックスと全体のバックグラウンドにはなっているものの、話の中心は障害のある子を失った夫婦の再生の話です。宮沢はもちろん素敵。オダギリジョーの優しい夫が新鮮であった。
映像は美しかったがカメラのワークが少しエフェクティブ過ぎだったと思う。見づらかったし、あんまり効果出てなかったよ。
劇中、結局磯村の優生思想を誰も論破できず、実際の犯人も同様に最後まで考えを変える事をしてないらしい。
会話できるのか?
心はあるのか?
まあ判断基準としてもあやふや過ぎるし、どんな症状だとしても人権はあるのだ。
この世界で気に入らない奴や足手纏いを
切り捨てる事は容易い。
それをどこまで認め、容認し、共に生きる道を探し、構造を組み立てる行為が健常者の「徳を積む」「よく生きる」という事でひょっとして「責任」ではないかとも思う。
ホリエモン的合理主義の人には意味ない努力、無駄と言われ、さとくんに現実はもっとギリギリです、、
と怒られそうではある。
現代の日本映画界が成し遂げた偉業 本作の製作に関わった全ての人に敬意を表します
終始、全身が硬直状態、もの凄い熱量に圧迫され呑み込まれそうになる、とんでもない作品、これほどまでの経験はかつて覚えがありません
「”生きるとは何か”
”命の尊厳に斬り込んだ”
”人は一生懸命生きて、何になるのか”
などを突き付けられ考えさせられた」
などと表面づらのありきたりな感想やコメントはいくらでもできるけど、それでは到底終われない、
かと言って文章化もできない、何とも複雑な心境と 言葉にできない とてつもない余韻に包まれ、エンドロール後も暫く動けませんでした
映画館を出て帰り道で見かけた街中にごった返す人々を見かけた時、大いなる命の息吹を感じた反面、何とも言えない気分になりました、この感情は何か?今でも自分でも解りません
そんな本作、メインキャストの皆さんが本当に素晴らしい、彼らなくして本作はありえなかったでしょう
主役の洋子を演じた宮沢りえさん、大好きな女優さんです、彼女の圧巻の演技に感動しました、今や大女優の域に達していると思います
洋子の夫 昌平を演じるオダギリジョーさんも素晴らしかった、妻を必死で支えようと自らも苦悩しながらも静かに力強く、時に繊細に演じきった姿にさらに感動を覚えました
そして・・・さとくん
を演じた磯村勇⽃さん、優しくて明るい青年から始まり、自らの信念に突き動かされる”確信犯(これが人の最も恐ろしいところだと思いますね)”を見事に演じきっており、改めて凄い役者さんだなあと思いました
恐らく本作のクライマックスで一番の見どころであろう、後半の洋子とさとくんの対峙シーンは圧巻、思想の下、さとくんが確信犯へ変貌していくことに気がついた洋子が何度か繰り返す「私はあなたを絶対に認めない!」というくだりがやけに印象に残りました
緊張感たっぷりの暗めの重厚な映像が良かったけど、所々目を背けたくなる描写も出てきます
でも”事件の行為”自体は直接描写されていないなど、想像していたほどの酷い描写は少なく、わりと観やすかったと思います
最後に、この偉業に真っ正面から取り組み、その表現に一切の妥協を許さず、最後までやり遂げた石井裕也監督に心から尊敬の意を表します
また一つ、日本映画界にとても大切な作品が刻まれました
サトクンに言い返せないだでけでなく、自分の中にもある優生思想にがく然とする。重度障害ということが全然分かっていないことを知る。
最初の方で洋子(宮沢りえさん)がきーちゃんに出会う場面で圧倒される。
きーちゃんはベッドに横たわったまま動けない。聞こえず話せず目も見えない。僕はきーちゃんが僕の親、子ども、パートナーだったら生きていてほしいと思う。しかし、自分がきーちゃんだったら生きていたいと思うのだろうか?
後半、洋子とサトクン(磯村勇斗さん)が対峙する場面。
サトクンの思想と問いに言い返す言葉を見つけられない洋子と僕がいる。
入所者に優しく寄り添っていたサトクンが洋子に問う、「きーちゃんは幸せだと思うか?」と。
つまり、サトクンは洋子に(そして僕に)、「自分がきーちゃんだったら幸せだと思うのか?」 と問うているのだ。 洋子は(そして僕も)言葉に詰まる。
「生産性がない」と言うサトクンにも何を伝えればよいか分からない。
この時もう1人の洋子が洋子自信に問うて来る場面も圧巻だ。
出生前診断で障がいが見つかったとき中絶するのは命の選別、優生思想ではないのか?サトクンは生きている障がい者を殺すつもりだが、生まれる前に選別して中絶する自分はサトクンと同じではないのか?洋子が洋子自身と僕に問うて来る。僕は「イヤ同じではない」と返す。 だけど、もし「サトクンと一体どこが違うんだ」と問われたら返す言葉がない自分にがく然とする。
色々なことを考えるキッカケになる映画だ。僕には答えが見つけられない問いも多い。
-_-b まずは、、、。
まずは上映館と上映枠を増やすべきです。なんだか少ないですよね。素晴らしい映画ですよ。
知的障害者は人の心を持っていないから殺した方が世のためだという犯人の主張。ダメに
決まってるんだろう、、、、、、、、。本当にそうですか?自分の子が知的障害者だったら、野獣のような声を出し、糞尿を撒き散らしてもそう思いますか?どうなの?犯人からの釜が今も私の喉元に引っかかってます。綺麗事を言えば喉元かき切られそうな映画ですよ。
宮沢りえはいい演技でした。紙の月での演技も好きでしたが、本作も抜群にいい。代表作になるでしょう。
回転寿司の平和
140分と少々長いけど、途中緩むことなく見続けることができました。役者のみなさんが本気で取り組んでいてとても良い演技を見ることができました。施設で勤務をする主人公は人間のココロの裏の声を聞くという課題を持ち、直面した時の対峙の方法に悩みます。自分も「早く殺せ!早く殺すシーンを出して!」という正直で真っ黒な自分のココロに気付かされた映画でした。安全なところに安穏としてますね。本当にごめんなさいです。ラストあたりのお寿司が平和に回っていながらTVで事件を報じるシーンはとても良かったです。
断絶したまま繋がる世界
原作未読。
演劇的で詩的な作品だったように思う。
そうした意味でリアリティを求め鑑賞すると、肩透かしを食らうのではないかと感じた。
こうした作品で欧米型であればひとつ、問いかけや主張をまとめて投げるスタイルが多いように感じるが、本作はひとつの関係構造をあらゆる立場で再現し、それらをコラージュのように散りばめ絡め、互いの関係性の中から立ち上がるものをメッセージとして投げかけていると鑑賞した。
そのためあやとりの様に絡まり、引っ張り合い、大変曖昧だ。
どの方向から、誰に肩入れして物語を追うかで見えてくるものは全く違うと感じる。
似た感触の作品としてか、なぜか李相日監督の「怒り」をふと思い出した。
自身にとって不利益、不快をもたらす「もの」とどう共生して行くか。
のみこめず、さばけず、排除するのは合理的だが動物的で、
人はケモノでない以上、非合理をも当然と行えるものであるといいたい。
その時、互いのあいだに介在するものは何か。
ウソ、が多用されていた劇中。
アートや創作家も多く出てくる劇中。
共生できずとも、せめて互いに「穏やかなファンタジー、ウソの世界」に包まれ、断絶しつつも在ることができればいいのに。としか、結論としては出せなかった。
平和な誤解や、詭弁や、都合のいい○○があれば。
大変むずかしい。
主演の宮沢さんもさすがの迫力だったが、オダギリジョーさんの頼れそうで頼れない、人の好さげなダメ気味夫が好演だと印象に残る。
案外、あの夫が主役で、全ての要なのかもしれない。
追記
ウソの世界が隠蔽につながるのか、とも省みる。
だが一方、本当のせめぎ合いにヤラれて狂うのも地獄だ。
それら地獄を負う者が限られた少数だから個々を圧迫するのなら、この映画の意義はそれら重みをできるだけ多くで分担しようよ、そうすれば何とかしのげるくらいに軽くなるかもしれない、ということかもしれず。
だから主人公は1人でなく、夫婦として描かれていたのかもしれず。
わたしたちが主人公夫婦になれるかどうかは、この作品を語り続けることで少しは成されるかもしれず。
本質の解釈が大事
ユダヤ人の迫害について外国記者から問われたゲッペルスは、「貴方も体内のウィルスを殺すのに躊躇はしないだろ。ユダヤ人は社会のウィルスなんだ」
これがこの作品、彼の、全てだと思います。要は、根本的な考えの相違が有る限り絶対に理解し得ないと思います。ユダヤ人は、人間かウィルスか、と。
その彼が、「ナチスは嫌いだ、悪いから」。これがもう一つ気になりますが。例の、ガラの悪〜いコスプレ女性議員にぜひ見てもらって、感想を聞きたいです、はい。
日常の出来事として描かれる凄み
人を殺すと言う事はショーではない。
淡々と行われる殺人を坦々とこなす磯村くんがいい(もうアランさまと呼ぶのはおこがましい⁈)
その『佐藤くん』にも日常の生活が当たり前にありそれをもちゃんと描かれているのもいい。
ジョーくんとりえちゃんの新しい門出の答えが気になる終わり方だけど暗闇の中に光を見出せるか?と思わせる終わり方がいいのかな…?
意思疎通を信じている『高畑淳子』はちょっと無駄遣い。
全カットでもなんら影響無いよね。
盛り上がりを作らない分上映時間は長く感じると。悪くは無いんだけど。
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