「みたくない現実から目を背けようとはしない映画」月 aさんの映画レビュー(感想・評価)
みたくない現実から目を背けようとはしない映画
随分、重く苦しい話だが、これは現実にあった事件の話。
私は、この事件をニュースで知ったとき、
「なぜそんな酷いことをするのか」
「虐待や殺してしまうくらいなら、なぜそこで働いているのか」と思った記憶がある。
“障害者の人権・尊厳の保障”
蚊帳の外から言うのは簡単だ。
関わりのないところにいて、現実・実態を知らない私たちに、何が言えるのか。何ができるのか。
映像では伝わらない“ニオイ”が最も現実を突きつける。
まじめで優しく、他者の痛みに敏感だった彼を狂わせたものは、社会の矛盾そのものだった。
さとくんはこう言う。
「でも、ここでは障害者達を物のように扱っています。
鍵をかけて部屋に閉じ込めて、何年も何十年も生きることも死ぬこともできないまま、ただ存在させているだけ。
その現実は見ましたよね?
洋子さん、見て何かしましたか?
自分の都合だけ考えて、何もしなかったんじゃないですか?
ずるいですね、洋子さんは。
ここには誰も来ません。
入所者の家族もほとんど来ません。
神様もここの現実は見ていないでしょうね。
誰にも見られていないから、
みんなめちゃくちゃするんです。
でも、そのおかげで僕は真実に辿り着いたわけです。
やっぱり、あいつら障害者はいらないんだって。
それが、この社会の隠された本音ですよ。
つまりね、この施設は幸か不幸か社会そのものなんですよ。
同じでしょ?障害があるならいないって考えたでしょ?
っていうか中絶しようとしたでしょ?
みんなずるいです。
心のどこかで消えて無くなればいいと思ってるのに、
責任は取りたくないから矢面には立たない。実行しない。
所詮は他人事です。だから僕が代わりにやるんです。」
この言葉を、あなたは完全に否定できるだろうか。
現実を知らない人は無責任で綺麗事ばかり言う
簡単に心ない言葉で「何のために生きてるの?」と問う。
そんな現実に憤りを感じていたさとくんだったが、
鍵をかけて隔離され、糞に塗れた重度の障害者の「臭い」を感じたとき
ようこ達は目を背けて
さとくんはそっと扉を閉じた。
中に入り助けてあげるには、とても勇気のいる状態だった。
彼は、“みんな同じ人間だ”と尊重していた人だった。
「自分とは違う」「関わりたくない」
しかし、あまりにショッキングな光景に
自分の中に社会全体の本音と同じ気持ちがあることに気づいてしまった。
その状況に心が折れてしまったのだろう。
みたくない現実から目を背けようとはしない映画。
ところで、なにかを成すことができなければ
生きてる意味ってないのだろうか?
