「不都合な事実は見せたくない、見たくない、という心理」月 ゆり。さんの映画レビュー(感想・評価)
不都合な事実は見せたくない、見たくない、という心理
2016年のやまゆり園の大量殺傷事件を下敷きにしています。
事件の関係者にとってはとても辛い内容だし、私も観ていてきつかったです。本作における犯人がもともと正義感の強い人物だった、という描き方には、批判もあるでしょう。
制作者も、万人が手放しで絶賛する作品を作るつもりは無かったと思います。
冒頭、青白い三日月の下、元作家の洋子が歩く線路上には、おびただしいガラクタが散乱し、よく見ると魚も散らばっています。振り返ると大量の瓦礫があり、東日本大震災の事だと分かります。ただ、汚泥は全くなく、魚は腐っていない、つまりこれはイメージで、真実ではありません。これが本作を象徴していたと思います。洋子は同僚の陽子に、「あなたはきれい事だけを書いている」と言われます。鋭く胸を抉られるセリフが幾つかありました。
洋子は作家業に見切りをつけて障碍者施設で働き始めます。大変で、感謝される事も少ない仕事にやりがいを感じられず、洋子の目には担当のきーちゃんの姿はぼんやりした影のように映ります。
熱心なさと君や心無い職員の様子を見、厳しい現状を目にするうちに、きーちゃんが一人の女性に見えて来ましたが、事件は起きてしまいました。
事件は本当に辛く悲しい事で、犯人の主張を正しいと思う人は居ないでしょうが、では何が正しいのかと問いかけてくる作品でした。
とても重たい作品に出演した方の勇気に感服しました。
ただ一つ、私は事件の細かい所までは知りませんが、犯行前にさと君の外見を敢えて実際の犯人に寄せたのは、良くなかったです。
レビュー書くのをためらってしまう映画ですね。それも観て見ないふりですね。簡単に言ってしまえば、弱いものいじめは絶対だめで、殺人はもってのほかなんですが、さとくんが「生産性」って何回も言うんです。最近は特に機械による効率性アップや人件費削減による増収や雇用調整で事務職からエッセンシャルワーカーへのシフトが課題のようですが、3K職業の極みとも言える介護業界は国が報酬額を決めているので、賃金アップが困難で、ますます人手不足の悪循環にはまって、入居者が八つ当たりや暴力によるストレス発散の標的にされることが問題なんでしょうが、これほどまでの大量殺人を一人でやってしまう背景に特殊性を感じざるを得ないわけですが、それがはっきりしたとしても、現場の問題は残ったままですね。二人の出会いのきっかけとなる回転寿司の玉子のエピソードが象徴するところや意味もよく分かりにくいです。ただ、安価なのに人気がないお荷物扱いの象徴として使われたのだとすれば理解できないこともないですが、食べ物をその対象にするのはイカンと思います。何かスッキリする解釈はありますか?
宮沢りえでなかったら観てなかったろうし、オダギリ・ジョーでなかったら救いのない物語になってただろうし、磯村勇斗でなかったら嫌な作品になってたろうと思います。
さとくんは普通の人だったほうがよかったです。