「作ってはいけない作品」かかってこいよ世界 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
作ってはいけない作品
この作品のテーマに着眼したのは悪くない。
実際問題となっていることだ。
そして、
これと同じ問題が埼玉県やその他で新しく発生している。
多数派と少数派 この構図は仕方のないことだが、そもそも他国で自国の常識を押し通そうとする行為そのものが問題の根幹だ。
そしてこれは今や全世界で起きている。
この移民政策はグローバリストの意図的な行為だ。
この作品でパステル社が取り組んでいるのが「いつか出会う家族」というタイトルの映画を上映してくれる映画館を探すこと。
そこにはおそらく在日の物語が描かれているのだろう。
しかし、
そこにいくら真実が描かれていても、日本社会で生きるつもりであれば、自分たちが正しいかどうかを主張するのではなく、日本人を納得させる必要がある。
日本のそれが商品やサービスなどで表現されている。
一貫してある他者への思いやり。
商品やサービスでは以前からあったが、ようやく最近になって漫画文化やスポーツを通して、日本人を世界が理解し始めたことを考えれば、その道程に妥協はなく、その商品やサービスには一貫して使う人のことを考えていることが、世界にわかってもらえたことになる。
この道程が踏めない場合、他国で自国を主張したところで誰もそんなものは認めない。
ここが今までも今でも、「彼ら」に欠如していることだと思う。
さて、
このタイトルにも自分たちの主張が正しいことを謳っているように思える。
この物語の構図の根源にあるのが、日本と韓国だ。
その歴史と過去があり、両者険悪感を持っている事実がある。
在日の彼らは、映画配給会社だろうか。
日本で上映したい作品をもってミニシアターを探している。
主人公のマキは日本人で、一般的に見られる親子の確執がある。
アライは会社とも父ともマキとも板挟みになっているのだろう。
マキと新井の出会いとその後の進展は少し急ぎ過ぎている感じがしたが、そこを引き延ばせば問題の核心までに時間がかかる。
では、
問題の核心とは何だったのだろう?
マキは母からの独立宣言をして在日との恋愛を決意した。
アライはマキとの出会いに少々有頂天になって、在日の映画を上映してくれる映画館に対し日本人の反感を買ってしまった責任と、マキの心ない一言で撃沈した。
この作品の中で最もよかったのが、その新井のセリフだった。
「おれ、何か別人になっちゃったみたいですね」
後にマキも「別人になっていたのは私だ」という。
他人の目と気づかないフリを装う差別
これこそが最大の敵だろう。
この作品ではこの点を「問題の核心」として描いている。
在日に対する目 差別の根源であり擁護すると自分まで攻撃対象になる恐怖
この点を日韓問題まで突き通すような意図があるのは明確だ。
物語にはいくつかの問題があるが、
その他の問題は拍子抜けするほど簡単に解決してしまう。
さて、さて、
以下は穿った見方なのかもしれない。
アライは若さゆえの浮き沈みと純朴さを纏う人物として描かれている。
それに対しマキは他人の眼や母の言葉に惑わされた人物として描かれている。
つまり間違っているのは日本人のマキの方だ。
マキは親からの独立と自分自身の本心を再確認して、もう一度最初から脚本を書く。
そこにあるのは悩みぬいた末の決心
何が正しいのかを自分で判断した。
これが単なる恋愛物語であればよかった。
これは、単に、マキの問題なのだ。
でもこの作品は問題をすり替えている。
日本と韓国の問題を、男女の恋愛に置き換えることはできない。
「いつか出会う家族」がどんなに素晴らしくても、そこにある意図は、必ず韓国人に対して示されなければならない。
しかしこの物語がそうであるように、日本人が間違っていたという含みと謝罪、それを許す在日という構図にしたことそのものに悪意を感じる。
「かかってこいよ世界」とは、在日が今まで同様に自分の意見を日本で押し通してやるという宣戦布告に感じてしまう。
昨今の韓国のスポーツの場を政治の場にする問題
この作品は映画を通した日本の糾弾に他ならない。
私が気に入らないのは詐欺師の様なその狡猾さだ。
これは、決して作ってはいけない作品だと思う。