6月0日 アイヒマンが処刑された日のレビュー・感想・評価
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焼却炉作りの下町ロケット的な話ではなかった
2023年劇場鑑賞213本目。
ユダヤ人の処刑を数多く命じたナチスのアドルフ・アイヒマンを捕まえたイスラエルが処刑する事を決めたが、死刑が初めてなのと、イスラエルの習慣通り土葬にしてしまうと遺族が遺体を持っていってしまうのでそれを避けたく火葬にしたいが焼却炉がない事情で町工場に依頼するという予告。
てっきり焼却炉を作るドタバタを描く話かと思っていたのですが、どちらかというとアイヒマン処刑に関わる三人の主役のドラマという感じでした。
アイヒマンが何を思ってああいう蛮行をしたかということは一切語られず、イスラエルの人の感情だけ描かれていたのは第三国の自分から見ると物足りませんでしたが、当事者の国民から見るとまた違った見え方がしたのかもしれません。
ナチスへの怨念を市井の人々の視点で描く
傑作と迷うことなく断言します。イスラエルにとって歴史的な重大局面に関わってしまった市井の人々を描き、そのドタバタぶりにナチスの悪行の重みを静かに掘り起こす。ナチを断罪する映画はそれこそ無数、そもそもがハリウッド映画での敵役として硬軟あらゆる作品において、ナチス・ドイツ程明々白々な仇役はなかったのですから。なにより本作のキーマンに少年を据えて描く骨格が、観客をごく身近に思わせる作劇として秀逸でしょう。この少年の存在が事実なのか創作なのかは不明ですが、政治的大局を政府高官達のよくあるドラマから、直接携わった人々のストーリーに成し得た事の勝利です。
第一幕は、まるでイタリアの戦後のリアリスモ映画の趣で、「自転車泥棒」の雰囲気そのまま。そもそもがスタンダードサイズのスクリーンにも関わらず、四隅が少し弧を描き、いまどき滅多に見ないやや荒れた画質(後で調べたら16mmフィルムとか)、えっまさか当時の制作?と半信半疑で始まります。妙に懐かしさを想起するのはそのためでした。
登場する主人公が目も鮮やかな美少年ダヴィッドで、父親がアラビア語しか喋られず、ヘブライ語に翻訳するのも彼の務め。と言う事はユダヤ人と言ってもメインのヨーロッパ系ではない少数派と提示される。このダヴィッドが年端もゆかないのに鉄工所で労働をさせられるのが発端。要は家計を助けるためでしょうが、少しでも大人に見せるために父親と靴を交換するなんて、慎ましい描写が目を引く。開巻早々に教室のシーンで教師が生徒に問う「ユダヤ人と言う人種はいるか?キリスト教は西欧人のものだけか? ユダヤは宗教である。西欧系もスラブ系もアラブ系もいる」と。2022年の新作映画にも関わらず、根本定義をダメ押しする丁寧さです。火葬の慣習のない国ですが、悪の権現アイヒマンなんぞ墓に埋葬なんてとんでもない、埃同然の灰にするための焼却炉の依頼に来るのが、投獄している刑務官のハイムであり第二幕に進む。
第二幕は死刑施行のその時まで、投獄されてるアイヒマンへの扱いに神経を尖らす様が描かれる。ややコメディタッチのオーバーアクションとして描かれ、刑務官のハイムはまるでピーター・セラーズのよう。アイヒマンも当然描かれるものの顔だけは写さないのも解る気がします。しかし職員の多くは家族をナチスによって殺害されており、怨念が画面一杯に拡がる。
そして第三幕はポーランドのアウシュビッツで生き残りとして真実を語るミハと言う男にフォーカスされる。このパートだけは焼却炉の話とは別枠で、なにも伏線として絡まないけれど、微妙なニュアンスを明確にしておくために描かれる。生き証人としての本音を、見世物でいいのか?の問いを通じて真正面から答えるシーンは本作の白眉でしょう。
こうして話は鉄工所に戻り、いよいよの6月0日を迎える。鉄工所のゼコブ社長やら工員のヤネクなどの心温まるエピソードも添えて、映画は重層的に拭いきれない重荷を描く。本作は古い映画ではありませんよ、と案の定、ラストには現代となり初老のダヴィッドが登場する。もう少し面影残した役者にして欲しかったですがね。自らの体験を歴史の証人として編集者に掛け合うも「証拠がないとどうしようもない」と冷たい。「真実であればいずれ明らかになるでしょう」のセリフで幕を閉じる。
こんなヘブライ語の作品が、なんとオスカー女優であるグウィネス・パルトロウの実の弟ジェイク・パルトローによる監督作とは驚き。米国におけるパルトロウ家は大変な資産家でユダヤ教の由緒あるラビの家系だとかで、本作に繋がるわけです。にしても大金持ちのボンボン息子が、家系のオリジンに立ち返り本作を造り上げるなんて、お見事です。
歴史は無名の人々によって造られる
〔アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男(2015年)〕の後日譚。
先の一本は終戦後アルゼンチンに逃れた『アドルフ・アイヒマン』を追う
ドイツ人検事『フリッツ・バウアー』の執念を描いたもの。
対して本作は『アイヒマン』の死刑執行に関わった人々を描く群像劇。
そしてまた、そのこととは直接に関係はないエピソードも
(勿論、ホロコースト批判にはなっているものの)挿入される
風変りな造り。
『アイヒマン』の登場場面ですら、極めて過少だ。
原題は〔June Zero〕で、タイトルにもある6月0日の意。
時刻のずれを修正するための「閏秒」は
通常なら59秒⇒0秒となるところを
59秒⇒60秒⇒0秒と間に普通には無い1秒を挿入する。
それにも模し、
死刑制度の無いイスラエルで超法規的に
5月31日と6月1日の間の深夜に執行したことを表したもの。
ストーリーを構成する二つの軸は、
『アイヒマン』を収監する刑務所の担当刑務官と
死刑執行後の死体を焼くための焼却炉の製造を委託された工場の人々。
『アイヒマン』は国家の法の名の下に断罪されねばならず、
私怨で殺害されたり、裁判の最中に病死するなどはあってはならないこと。
それらを防ぐために、些細なことにも注意を払い続ける刑務官の日常は
傍目には滑稽に見えても、神経の消耗度合いはいかほどものだったか。
また、イスラエルでは火葬が禁止されているため、
そのための設備がそもそも無い。
下手に土葬をすればその場所が
「ネオナチ」の聖地となる可能性がある。
最終的に遺灰は、領海外に撒かれるとの周到さの一方
焼却炉を急遽造る依頼をするのだが、
その過程でのてんやわんや。
とりわけ、炉の設計図の元となったのが
「ナチス」が多くのユダヤ人の死体を焼いたものと同じだったことは
何たる歴史の皮肉か。
携わった多くの人々が歴史に名を残しているのに対し、
本作の狂言廻しの一人である少年の『ダヴィッド』は市井に埋もれてしまっている。
それを取り戻したいとの最後の挿話は
人間の性の深さを感じさせるもの。
タブロイド
「最後のシーン」に対する是非
私にとって「ナチス関連」は学生時代に勉強したことより、大人になって映画や本で知ったことが知識の殆どです。その中でも印象に残った作品が『ハンナ・アーレント(13)』で、その衝撃に思わず(その日)続けて観たのが『スペシャリスト 自覚なき殺戮者(17)』。たまたま続けて観られる環境にあったのもついていたのですが、その後も興味をもてたことは有意義なことだったと思っています。
アイヒマンは戦後捕虜収容所から逃走、その後アルゼンチンへ逃亡して潜伏していたところをモサド(イスラエル諜報特務庁)に拘束され、そしてイスラエルへ連行。その後、裁判を経て死刑となるわけですが、この作品は判決の直前から始まります。
現代でも、というか現代だからこそ勘違いされがちな「ユダヤ人とは人種ではない」ことが改めて気づかされるのが主人公の少年ダヴィッドの存在で、彼はモロッコからの移民者で学校の中でも「はぐれもの」の立場。教師からも「問題児」のように扱われます。
判決直前ということもあり、町中がアイヒマンへの復讐心でピリピリムード。ただ、見方を変えればハンナ・アーレントの言う「ごく平凡な人間が行う悪」を思い起こさせる人々の言動が見え隠れすることに気が付きます。
そんな中で歴史上だと見えてこない人物・アイヒマンが収監されているラムラ刑務所で、アイヒマンの警護にあたる刑務官のハイムが非常に興味深い存在です。ちなみにハイムもモロッコ出身。立場上、比較的バイアスが小さいだろうという前提で就いている任務であるはずですが、兎に角、死刑執行前に何かあってはならないその状況に、走り回るハイムのプレッシャーに同情してしまいます。
そして、サイドストーリー的に語られるイスラエル警察の捜査官ミハを軸としたシーンが、地味ながら重要なことを伝えようとしています。劇中、ミハが自身がナチから受けたトラウマと言って過言ではない経験について、外国人に対する語り手になることを意図的に強いられる状況に、「人身御供になる必要はない」と同情されます。しかし彼は「当事者が語り、伝えることは重要」と返します。これ、何気にこの映画の最後のシーンとも対になる話だったりするのですが、そもそも、繰り返し語ることはそのことを風化させないためだけでなく、後年、事実を不都合と感じる人間は破廉恥にも「そんなことはなかった」という輩が出てくるのも悲劇的な実情です。興味がある方は、ホロコーストを否定する相手と戦う『否定と肯定(16)』などを参考にしてみてください。
と、いろいろ気づかされる作品ですが、正直、いきなりこの作品観ても残念ながらそれほどの感動はないと思います。事実を基に創作されているようですが、個人的に、最後のシーンはちょっと興覚めかな。
少年の成長物語としてまあまあかな
なんとなく散漫としたお話で予想していたのとちょっと違った
個々わかりにくい点はあるが、今週の本命枠。
今年303本目(合計953本目/今月(2023年9月度)13本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))。
東京テアトル系列さんの映画とのことで、大阪市では主にシネリーブル梅田で放映されていましたが、tohoシネマズ系でも放映されていました(マイルがたまるし、6回みたら1回無料になるのでお得)。
存在はよく知られた人物ですが、そのときイスラエルでは何があったのか…ということは意外に知られておらず、ここに焦点をあてた映画になります。なお、イスラエルの建国をいつに取るかはそれこそ歴史上かなりの争いがありますが、一般的な近現代での成立以降ということを想定した場合、イスラエルで死刑が宣告・執行されたのは彼が2人目で(1人目はこの事件とは無関係な方)、その後50年以上死刑は行われていないので(死刑自体が回避される傾向にあるようで、一般的には無期懲役(日本相当の言い方)で回避されるようです)、国連の資料等においては「事実上の死刑撤廃国」とされることもあります。
趣旨的に、死刑は決まっていたものの、そのあとどうするのか、つまり、墓地埋葬法(日本基準の法律)にそってお墓でも立てるとそれこそ「信者」(ここでの言い方は、当然表現を考慮したものです)の「聖地」になりかねないことから、絶対に「信者」が現れないように、徹底的に「地球上から存在を完全に消し去る方法」を考えていく、という趣旨のストーリーになります。これが決まればあとはとんとん拍子に進んでいきます。
日本では6~9月頃、毎年何らかの意味でナチスドイツものは放映されますが、こうした映画により、戦争の悲惨さを各国(もちろん、日本は加害国でもあると同時に、原爆による被害国であるともいえる)から発信される映画文化が今後も続けばよいな、と思った一人です。
なお「6月0日」が何を指すのかなどについては、映画の最後のほうにちゃんと説明がありますので大丈夫です。
採点に関しては以下を考慮したものです。
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(減点0.3/「上告したって新しい証拠が出るわけじゃないんだし…」)
・ ここは日本であり、日本で見る場合、日本の法律をある程度念頭に入れてみる(もちろん、現地の法を知っていれば、そちら優先になる)ことになりますが、上告、つまり、最高裁への刑事裁判への上告は、法律審であり事実審(あることが真実である、証拠が何だのといった事柄を争うもの)ではないため、この部分はやや若干混乱を招きます。
※ ただし、日本においても、国民の興味関心の高い事件や、主に死刑・無期懲役が言い渡されることが想定できる上告審においては、慣例的に上告先の最高裁でも事実審の役割を担うことがあります(裏をいえば、単純な万引きほかで死刑になるようなことがない場合、刑事事件においては「事実上」二審制だ、ということです)。
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2度目のチャンス
鉄工所にて働き始めた少年ダヴィッド。めきめきと仕事をこなしていくが、戦争犯罪人のアイヒマンを火葬する焼却炉を作るという話が舞い込んで来て…といった物語。
2時間弱という尺の中で、場面場面で主人公が変わるような、オムニバス的な印象を受ける作品。随所に、宗教観や死生観を感じられるようなつくりが印象的。キャラクターも皆良い感じですね。
ダヴィッドは子供なのに優秀。対してゼブコはまさに怖い上司といった感じ。それでいて、仕事をやってのけ大人ぶるダヴィッドを叱るゼブコとの姿はなんだかホッコリ(笑)
ハイム主人公パート(?)は重苦しいですね。相手が相手だから…胡散臭い床屋とのシーンやアイヒマンの監視シーンはホラー感すら感じる程。変なジャーナリストにつきまとわれたりもして、中々精神を保てない姿が印象的だった。
ミハ主人公パート(?)は哀しい。あの女性との会話シーンは中々グッときますね。
81回目の…ここを前面に押し出した作品にしても良かったかも。
そしてそして、アイヒマンが処刑され火葬され…。悪人ということは置いておいて、やはりこういったシーンは物悲しいですね。BGMも相まって、灰の話には胸を打たれた。
(あのピアノ曲、ちょくちょく聞く気がするがなんという曲だろう…)
かなり重厚な物語であり、訴えかけてくるものもあるが、結局主軸がなんだったのかなぁという印象も。火葬にまつわる宗教的な話?ダヴィッドの成長物語?要人の処刑という重圧?迫害されたユダヤ人の悲劇?処刑の物悲しさ?歴史に名を残すこと?
そのどれもが印象的ではあったが、話があちこちに飛ぶので感情を追いつかせるのが少し大変な作品でもあった。
ユダヤ人とは?
人生で大切なことはすべて映画から教わってます。笑
とくに本作には、今まで知らなかった事を沢山教えてもらいました。
てっきり焼却炉を作る物語かと思っていたので、途中で登場人物の視点が変わるのに混乱…
アイヒマンを通して“様々な立場のユダヤ人”が描かれる映画です。
お恥ずかしながら、イスラエルの背景を全く知らずに見たので、なぜそんな反応になるのかわからない部分が多く…
アフタートークのおかげで、だいぶ整理できたので、私のような方の為に予め知っておいた方が良い情報の一部をご紹介します。
アイヒマンの処刑火葬を巡る群像劇
・焼却炉作り
・アイヒマンの警護
・ポーランドからの移民
イスラエルには迫害から逃げてきた様々なユダヤ人が集まっていて、それぞれ人種も言語も違うそうです。
ヨーロッパ系、アラブ系、ロシア系もいるそうな。
焼却炉を巡る物語に出てくる少年はアラブ系のユダヤ人で、父親はアラビア語しか話せません。
イスラエルはヘブライ語なので、少年が通訳している感じでなんとなく言語が違うことは伝わりましたが…根底にアラブ系に対する差別があるのは分かりませんでした!
てっきり少年が貧しくて問題児だから学校で浮いているのかと思ってましたが、
実は差別があるから貧しくて問題を起こす→負のスパイラルに陥っていることを後から知りました。
弟の名前にも納得。
私が今まで見ていたホロコートを題材にした映画で描かれるのはヨーロッパ系のユダヤ人で、アラブ系のユダヤ人とは言葉も違えば、アイヒマンに対する温度感も全く違う!
学校でハンムラビ法典(や旧約聖書)の言葉を持ち出してアイヒマンの処刑を肯定する教師に向かって少年が放つ言葉にドキッとしました。
本当にその通りなのだけど…逆にそれはアイヒマンの所業を自分たちのことだと思っていないから言える言葉でもある。
実際に犠牲になった人や身内の心情を考えると、そこまで冷静ではいられない。
しかしその後、少年はアイヒマンの焼却炉を作るという歴史に触れたことによって、今まで知りもしなかったアイヒマンに対する特定の感情が生まれます。
アイヒマンを通して、イスラエルのユダヤ人と同じユダヤ人として同調することができたのだと感じました。
では一体、“ユダヤ人”とは何なのか?
映画のなかでも「ユダヤ人とは?人種なのか?宗教なのか?」の問いかけがありますが、考えれば考えるほどわからなくなりました。
定義としてはユダヤ人の母から生まれた子どもがユダヤ人みたいですが、ザックリだなぁ。
そんなザックリな対象をナチスは迫害していたのか。ロジックの破綻が甚しくて怒りしかありません。
そして、アイヒマンが処刑された後の展開も驚きですので、ご注目ください。
埋もれている歴史はまだまだあるでしょう。
もっと歴史は語られるべきだと思いますが、語っても信じてもらえなかったり、すぐには語れない人もいる。
様々な圧力の呪縛を抱えて実体験を証言するには時間が必要になるのもわかる。
でも、語ることで救われることもあるから、生きてらっしゃるうちにその時が来るのを祈るしかない。
歴史に触れた少年は、そのこと自体が自分が“ユダヤ人”である誇りとなったのでしょう。
余談:証言について、小学生のころ体育館で観た『対馬丸 さようなら沖縄』を思い出しました。言えないことの苦しさはどれほどだったか。
知られざるホロコーストの被害者たち
ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンに関しては、『アイヒマン・ショー』、『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』など、手法を凝らして描かれた作品が多い。本作もその系譜にあり、死刑となったアイヒマンの遺体処理に携わった市井の人々を描いた群像劇となっている。
死刑が執行されたイスラエルでは火葬が禁止されているという事実に驚く。急遽焼却炉を作らなければならなくなった町工場社長や偶然関わる事となったリビア系移民のユダヤ人少年、さらにアイヒマンを監視する護衛、彼らも間接的だがホロコーストの被害者であるといえる。
テーマ的にも地味な上にドラマチックに盛り上げる見せ場もないので、淡々とストーリーが進行してしまうのが辛いあたり。でも、ユダヤ人とアラブ人との微妙な関係や、ナチが滅んでも安住の地を求めて彷徨い続けるユダヤ人の辛い運命を垣間見れるという点は興をそそる。
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