6月0日 アイヒマンが処刑された日のレビュー・感想・評価
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市井の人々の目で歴史的出来事を描く
ナチスドイツの最重要戦犯アイヒマンは、近年だと「アイヒマンを追え」や「ハンナ・アーレント」などの映画でも描かれてきたが、彼そのものを描くのではなく、あくまでアイヒマンと対峙した主人公が何を感じたのかというアプローチになるケースが多かった。その意味では本作も変わらず。処刑に関わった人たちの人間模様や心の移ろいに焦点を当てた作品となっている。ただし、前2作に比べると、より”名もなき市井の人々”に焦点が当てられているわけだが。とりわけ監督自身が興味を抱いてリサーチしたという焼却炉にまつわる逸話は興味深く、少年と工場経営者との、疑似父子のようでありながら、決定的にそれとは違う関係性は本作の肝といえる。クライマックスでこの経営者の心にはどんな感情が迸ったのか。決して全ての答えが欲しいとは言わないが、もう少しだけ作り手の思いが率直に伝わる部分があると、観客(特に日本の)にとってわかりやすいのだけれど。
【最重要ナチス戦犯、アドルフ・アイヒマンの絞首刑執行後、火葬した舞台裏を描いた作品。】
■1961年、ナチス・ドイツの戦争犯罪人、アドルフ・アイヒマンがアルゼンチンに潜んでいたところを、イスラエルのモサドに拘束され、イスラエルでに死刑判決が下される。
アイヒマンを収監するラムラ刑務所は、遺体を所内で内密に火葬し、灰にすることを決定する。
そして、移民の少年・ダヴィッドが入り浸る町工場に極秘プロジェクトが持ち込まれる。
◆感想
・今作は、上記の内容を1961年を主に描き出す。
ご存じの通り、イスラエルは、ユダヤ教、イスラム教の律法により火葬は禁止されている。
だが、土葬するとナチスを当時でも崇める輩の聖地になる事を恐れ、62年5月31日から6月1日の真夜中に死刑を執行し、火葬したのである。
この作品は、その過程をややユーモラスなトーンも含めて描いている。
・私は、ナチスの蛮行を映画化する事はとても良い事だと思っている。それにより、かの蛮行を葬らない様にするからである。
ドイツ国内でも、右傾化が進みAFDが第一党になろうとしている現況下を鑑みると、どうしてもそのように思うのである。
<尚、余計な事かもしれないが、アドルフ・アイヒマンがアルゼンチンに潜んでいたところを、イスラエルのモサドに拘束される過程と、当時のドイツに多数居たナチスSSの面々が企んだ事を描いた「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」と、「ハンナ・アーレント」は観ておきたい作品だと、私は思います。>
風変わり
モサドが捕らえたアイヒマンを、イスラエルは裁判で死刑を下し、処刑後火葬されることになる。しかしユダヤ教で火葬が禁じられていて、焼却炉を作ることに。その工場で働く少年ダビッドは、リビアからの移民のアラブ人。アイヒマンを監視する刑務官ハイムはモロッコ人で、極度の緊張を強いられる。アロンソン捜査官はポーランド人で、ホロコーストを語り継ごうとする。ダビッドは。
捕らえたアイヒマンを焼却するまでの物語。ダビッドが主人公の部分は、イタリア映画のよう。アイヒマン自身ははっきりと登場させずに、周囲の人々を描いた風変わりな作品。
ダビッドの弟の名前がイスラエルであったり、ユダヤとは人種なのか宗教なのかという授業があったり、工場主はイスラエル独立戦争の猛者だったり、とこの地域の複雑な情勢がうかがえます。
まさに今に繋がる…
イスラエルの連日のガザ砲撃のニュースに触れるなか、まさに今、観ておくべき映画だと思う。イスラエルとパレスチナの関係と歴史、イスラエルに住む人々のさまざまな出自、宗教と民族の複雑さ…etc.。全ては現在につながっており、平和ボケの日本で、自分の無知と思考の浅さを痛感させられる。
大人と子どもの立ち位置の違い
〈映画のことば〉
お前は家に帰って、学校に行け。
そして、職業に就くんだ。
頭のキレや、小回りの効く小さな体、手先の器用さから、焼却炉の製作にあたり、ダヴィッド少年を重宝に使い回してしまったたことを、ゼブコ社長は、いつからか心のどこかに「重荷」として抱えていたのではないかと思いました。評論子は。
それが、冒頭の「映画のことば」になったことは、疑いありません。
そして、ゼブコ社長には、もう一つの思いもあったのだろうと思います。
それは、血で血を洗うようなアラブ人同士の内戦を戦い抜いて来たゼブコ社長には、熾烈な戦いの経験を踏まえ、戦争…というよりも、民族間の争いの無情さ・無意味さは、骨身に滲みていたのではないかと思います。
ユダヤ民族が不倶戴天の敵(かたき)とするアイヒマンの処刑にあたり、焼却炉の製作に与らせるということで、いわば「片棒」は担がせてしまったものの、生まれてから10年経つか経たないかの、それ自身も建国から間もない「若い国家」のこれからを担うダヴィッド少年には、不毛な民族間の憎しみに、これ以上は加担させたくなかった…というか、加担して欲しくはなかったのでしょう。
今(その当時に)、イスラエルという国を担っている大人たちがなすべきことと、これからの国の将来を担う少年がなすべきこととは違わなければならないことを、ゼブコ社長は感じ取っていたのだと、評論子は思います。
佳作であったことは、間違いがないと思います。
(追記)
ゼブコ社長の工場の従業員たちは、自分たちが作ろうとしている焼却炉の設計図面を引いたドイツの会社が、ナチスによるホロスコートに使われた焼却炉の設計を担当した会社であることから、自分たちが作ろうとしている焼却炉の使用目的に気づきます。
結局、ユダヤ人虐殺を指揮した男が、そのための炉を設計した会社が設計した炉で葬られる結果となりました。
別にドイツの会社を敢えて選んだわけではなく、火葬の習慣がないというイスラエルには、適切な炉を設計できる会社が国内にはなかったからなのでしょうけれども。
炉が売れさえすれば、その使用目的には頓着しないかのような商人(あきんど)としての件の会社の強(したた)かさに思いが至ると同時に、「運命の皮肉」というよりは、「自業自得」「ざまぁ見ろ」と考えてしまった評論子は、底意地が悪い、素直でないと思われてしまうでしょうか。
(追々記)
邦題の冒頭は、もちろん、アイヒマンに対して死刑を執行する(執行された)日を意味するわけですけれども。
一説には、執行日を秘密にするため「0日」としたという指摘もあるようです。
しかし、火葬の習慣がないというイスラエルで行われた死刑執行後の火葬を伏せるため、執行日として架空の「0日」を冠したというのは、穿ちすぎというものでしょうか。
評論子には、そう思えてなりません。
(追々々記)
本作は、映画.comレビュアーであるりかさんに示唆してもらって観た一本になります。
末尾になりましたが、ハンドルネームを記して、りかさんへのお礼としたいと思います。
焼却炉製作秘話
ナチス親衛隊中佐としてユダヤ人大量虐殺に関与したアドルフ・アイヒマンは、終戦後アルゼンチンに潜伏していたところをイスラエル諜報特務庁に捕らえられ、イスラエルに連れてこられ、1961年12月に有罪判決を受けた。処刑はイスラエルの定めに基づき、62年5月31日から6月1日の真夜中に執行されることとなった。宗教的・文化的に火葬の風習がないイスラエルでは、埋葬は聖地となる恐れから火葬と決めたが、焼却炉が無かった。そのため、アイヒマンの遺体を焼却するための焼却炉を秘密裏に製作が進められた。その焼却炉を作る工場の人々や、そこで働く少年、担当した刑務官、ホロコーストの生存者である警察官らの姿を通し、アイヒマン最期を描いた作品。
ヒトラーのための虐殺会議、の登場人物の1人、アイヒマンが戦後アルゼンチンでイスラエルの組織に捕えられ、イスラエルに運ばれて、裁判となり、死刑を執行された、という事を知った。
しかし、アイヒマンは顔も映らないし、ほとんど何も話さない。
そうなんだ、くらいの感想。
焼却炉を秘密裏に作った人たちの話がメインであまり興味を持てなかった。
中途半端で分かりにくい。
実際に焼却炉を作った人の息子をインタビューがきっかけになり生まれた作品。
ナチス戦犯アイヒマン処刑後の遺体の処理のために焼却炉を依頼された町工場と、
拘置したアイヒマンを警護する警察官や、アイヒマンを取材したい記者などの群像劇。
最初、ひとりの少年の目からの焼却炉制作の物語かと思いきや、
途中からは拘置所に舞台が移ってしまうので、唐突に集中力が削がれてしまう。
そして拘置所界隈の物語が今一つ整理できておらず中途半端で分かりにくい。
色々な思惑で焼却炉を作った話やその周囲の話に興味があるので、
もうちょっと詳しくそこら辺を描いて欲しかった…
せっかくのいい素材、なんだかちょっと残念。
こちら大変お熱くなっております
死刑確実の極悪人の命を誠実に守ろうとするあの刑務官をみていると、某放火犯の重症熱傷治療に尽力した医師を思い出してしまった。つまるところ、一見無駄に見えるこういう努力というのは、その極悪人と同じレベルに堕ちないために筋を通す情熱のなせる技なのだろうなあ。
ダヴィドくんが殴るのを諦めて最後に石を投げる、というオチは、やはりなかったか…
アドルフ・アイヒマン
映画館で予告編を観て、焼却炉を作るコメディタッチのフィクションかと思ったけど、
ナチスの重要人物アイヒマン最期の裏側を描く、事実に基づく話です。
大部分は軽めのタッチで、重苦しい感じは少なめだけど、けっこう退屈で眠くなりました(笑)
最後、終わり方が良かった。
まあまあ…
謎の映画
シリアスな実録タッチのサスペンスを期待しましたが、何だかよくわからないことだらけの謎の映画でした。
アイヒマンはおろか政府の人間も殆ど登場せず、周囲の民間人しか出てこないので、最後まで混乱しました。
・使い走りの少年がいつの間にか焼却炉のスペシャリストになっていた謎。
・民間の工場がどんな経緯であんなに重要な焼却炉を受注したのか?背景の説明がなく、政府関係の人物が出てこないので謎。
・所長等の幹部が出てこないで、制服の普通の刑務官の一人が収容所の一切を仕切っている謎。
・あれほどの超大物収監者の取り扱いが、素人集団に任されているかのように見える謎。
・途中、突然ポーランドに舞台が移って、収容所で辛酸をなめた男の話が始まるが、焼却炉の話には何のつながりもなく、意図が不明の謎。
要するに背景の説明がないのでイスラエル人以外には、ストーリーが破綻していて意味不明、何をいいたいのか??????の十乗でした。
哀切きわまりない。傑作。
まずこの映画はクロード・ランズマンに捧げられている。「SHOAHショア」でホロコーストを徹底的に描いた映画監督である。
イスラエルには一度行ってみたかった。旧約聖書に遡る長い歴史を持つ民族が極めて人工的に創った新しい国家。宗教と因習、科学的合理性が同居する独特の社会。
この映画はアドルフ・アイヒマンの裁判と処刑、火葬に関わった数人の人物の視点で1962年の6月某日(実際は処刑は1日だったらしい)とそれに先立つ数日間を描く。主要な人物としてはダビッド少年、工場主のゼブコ、収容所のハイム大尉、検事補佐のミハなど。注目すべきはそれぞれの出自が異なること。もちろんユダヤ民族の血は流れているがイスラエル建国前に住んでいたのはリビア、トルコ、モロッコ、ポーランドとバラバラ。
イスラエルは建国後に世界各国からユダヤにルーツのある人々が集まって成立した国家だからこういうことになる。
そして不幸なことにこの寄せ集めの国民の団結の象徴がアイヒマンを捕らえ処刑することになってしまった。国家の礎となるべき国民共有の歴史がホロコーストとその復讐である、こんな不幸なことはない。この映画はそれを余すことなく描いている傑作です。
最後に一つ。ダビッド少年の父親は恐らくは自分たちのユダヤ民族としてのアイデンティティの薄さを気にしていて、だから息子にダビッドとイスラエルという名前をつけたのでしょう。でも弟のイスラエルは事もあろうに父親の出身地であるアラブとの戦争で命を落とすことになる。民族、国家の不幸はまだ続いているのです。
独特な切り口のナチス物
年に何度かお目に掛かるナチス物でしたが、かなり独特な切り口の作品でした。ナチス親衛隊の中佐であり、ユダヤ人の強制収容所への移送に関わり、結果的に大虐殺に加担したということで1961年にイスラエルにより死刑にされたアドルフ・アイヒマンを巡るお話でした。アイヒマンも登場し、いくつかのセリフはあるものの、映像的には真正面から顔を捉えたショットはなく、アイヒマンを中心とした物語でありつつも、彼自身は本作の主役という訳ではありませんでした。
主役はアイヒマンの火葬をするための焼却炉製作に関わったダヴィッド少年であり、その製作を請け負った鉄工所の社長であるゼブコであり、アイヒマンを収監する刑務所(拘置所?)の責任者であるハイムであり、アウシュビッツの生存者でアイヒマンの取り調べに参加した警察官のミハと言った人たちでした。
イスラエルとアメリカの合作ということで、イスラエルが行ったアイヒマンに対する処刑に対しては100%無批判なのかと思っていましたが、意外にも皮肉っぽく描いた部分もあり、その辺が中々面白かったです。例えばアイヒマンは、ドイツを脱出してアルゼンチンに潜伏していましたが、1960年にイスラエルの諜報機関であるモサドに捉えられてイスラエルに連行されます。てっきりアルゼンチンの法律的にも問題ないことなのかと思っていましたが、モサドによるアイヒマンの連行は、アルゼンチン法的には誘拐であり、違法行為なんだと言うセリフがありました。だからこそ裁判は遵法的に行いたいという話であり、アイヒマンにも弁護士を付けた上で、きちんとした手続きに則って死刑にしたとか。ただそもそもイスラエルでは死刑制度がないので、他国での誘拐から制度のない死刑執行まで、およそ遵法的な手続きとは対極的な手法だったのは確かなようです。
また、ダヴィッドが通う学校で、アイヒマンに対する裁判が話題になり、先生がアイヒマンを死刑にすることを「目には目を」だとダヴィッドに言うと、彼は「目には命を」ではないと、半ば屁理屈だけれども先生の教条的な意見に反論します。これをきっかけにダヴィッドは学校から追放されてしまいますが、こうしたやり取りがイスラエルで映画化されるのは非常に興味深いものでした。
この辺りの批判的なスタンスは、ハンナ・アーレントの「エルサレムのアイヒマン」から来ているのかなと想像したりもしたところです。
秘話の推理には意義あるのかもしれないけれど、オムニバスのつながりがわかり難い
オムニバス的につくられたつながりがわかり難い。少年の話はよくわかるけれども、アイヒマンを警護する看守と、床屋への疑い、記者の動き。生き残り男性の証言をツアーの呼び物にすることについて、興行側が心配する一方で、本人は前向きになっていた。無名な人は、歴史から葬り去られるのが常であり、事実の検証は難しいのだろうが、推理し、表象化したところに意義があるのかもしれない。
焼却炉制作の話ではない
予告編を見て焼却炉製作に携わった少年の話かと勝手に思い込んでいたが、これは少年、アイヒマンを担当した刑務官、ホロコーストの生存者である警察官、3名の物語で、しかもそれぞれが特に繋がっている話でもなかった。個々の話は興味深かったものの、特別厚みがあるわけでもないので、全体的に何となく散漫な感じがしてしまった。
Incinerator
アイヒマンが処刑される日の一般人の日常を描く一風変わった作品です。少年、刑務官、ホロコーストの生き残りと3つの視点で描かれるオムニバス的な作品でもあります。
少年が俺様タイプのやつで、とにかく反抗しまくって迷惑かけまくり、態度は大きいと大物感がありますが、それとアイヒマンに関係性が何かあるかと言われるとほぼ無いなと思いました。先生に向かってユダヤ人は人種じゃないと言ったシーンだけは良かったかなと思います。
刑務官は心境穏やかではなく、ずっとソワソワしていたのはアイヒマンの担当官としての責任感を感じていたのかなと思います。にしてもジャーナリストはいつの時代でも厄介ですね。
ホロコーストの生き残りの警察官はアイヒマンの行為の訴訟担当をしているのですが、ここの話が個人的にはとっ散らかっていてまとまりが無かったなと思いました。このタイミングで頭がポカーンとしてしまったのも拍車をかけてしまいました。
大きな波が無いので映画よりもテレビの再現とかでじっくり見る方が楽しめるのかなと思いました。アイヒマン関連作品には触れるべきだなとはチラッと考えたので見てみようかなと思います。
鑑賞日 9/11
鑑賞時間 20:20〜22:15
座席 C-9
ヒリヒリとした感情
史実をほぼ知らない状態で鑑賞した為、途中で何か映画的な展開が起こるのではないかと終始色んなヒリヒリした感情を抱きながら観ていた。
ユダヤ人とは何か?という問いかけが学校の中であったが、私自身もよくわかっていなかった事に気付かされたし、ユダヤ・アラブ・イスラエルなどそれぞれの歴史を知った上で鑑賞するとまた違った感想になるのかも。
実話ですか?
ナチスの大物の処刑にしてはなんかひっそりだったんだな。
ナチスはユダヤ人の遺体を焼却って言ってたらしいからアイヒマンも報いとして焼却ってことでいいかも。でも本当にあの少年の考えたので焼却されたの?
市井の人々の温度差
「イスラエルの様々な市井の人々」が主人公のオムニバス的で地味な作りでした。
アイヒマンは出てくるものの、特に物語を動かす人物としては描かれず、設定条件や背景みたいなものなので、そこを期待して行ったら肩透かしのはず。
それでいて面白い。
ユダヤ人の感性から最も遠い、アラブ人移民の少年。
責任感が強く、職務に忠実なモンゴル系刑務官。
ホロコーストの生き残りのユダヤ人。
同じイスラエルの中でも人種や世代で、ナチへの怨みの温度差がある事実や、ユダヤ人の定義の曖昧さを示していたのが上手い。
ユダヤ人とは何か?
人種か?宗教か?
イスラエル人とは何か?
国家としてのイスラエルはどうあって、どうなるのか?
ユダヤ人の生きる道は?
そんなことを観る者に考えさせつつ、ナチスの行ったユダヤ人虐殺は絶対に忘れないし、許さないという決意を込めた作品と思いました。
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