「ジグソーパズルの最後の数ピースをはめた人への称賛!?」ロスト・キング 500年越しの運命 ブログ「地政学への知性」さんの映画レビュー(感想・評価)
ジグソーパズルの最後の数ピースをはめた人への称賛!?
「エンタメ的には面白ければいいのか」
フィリッパ・ラングレーという女性があるきっかけでリチャード3世の研究にのめり込み世紀の大発見に辿り着く話だ。500年も前の史実への挑戦であり、その偉業が讃えられること自体に異論を唱える気はさらさらない。映画通でない筆者にとって典型的な映画の形にはめた作品だとしか見えず、違和感が残るスッキリしない感覚だ。典型的な形とは、突然不思議な力を持った主人公を最初は見くびっていた巨大な悪組織が、主人公の力に気付いた途端に掌返しで擦り寄ってきて、宝物を発見した途端に翻ってその宝物を独り占めにしようとするが、主人公はそこでも突破口を見出して、悪組織を打ち破って宝物を獲得する、そんな仕上がりだ。
「事実と真実は別物」
本作品は「事実に基づく」とある。映画だから脚色は許される。それでも研究対象が頻繁に現れて、主人公と直接対話する場面が多すぎる。主人公は霊媒者である。だとしたら今頃汚名を着せられた歴史上の人物の幽霊が主人公周辺に集まって大変なことになっているのかもしれない(笑)。主人公視点で描かれており、リチャード3世協会に代表される様々な支持もあるものの、主人公の猛研究と故リチャード3世の霊によるところが大発見の主軸だと言うのが大方の見方だ。これでは、レスター大学はほぼ悪者、その他この分野の研究に貢献してきたプロアマの研究者の多くも浮かばれないだろう。
「主人公らが戦った相手とは」
主人公が頼ったリチャード3世協会は、学術的な団体ではなく、愛好者の集まり。主人公がリチャード3世に関する見解を披露したのは学会であった。主人公がリチャード3世教会の会員を名乗ったとたんに見下されてしまう。さながら既成の権威に立ち向かう素人集団の一構成員によるジャイアント・キリングの構図だ。研究は権威・権力で成し遂げられるはずもなく、必要なのは確かなデータ・知識の積み重ね、客観的な証拠(エビデンス)と論理的な思考、そして一貫性ある主張ではないか。これらはもちろん研究に対する情熱や根気が無いと発揮されない。では霊感についてはどうだろうか。いずれにせよ霊感は、万人に備わっているのか、科学的に証明されているのか、そして霊界の存在も科学的に証明されているのか?と論点がずれてしまうので、言及は避ける。筆者が主張したいのは、エビデンス等が揃えば権威など必要無いはずである。
「結果的に学術的な成果だったと信じたい」
短絡的に述べれば、犬が吠えた場所を掘り出てきたものを宝物だと主張しても、周りの人からはガラクタだと言われてしまうのは、当然だ。だからしっかり研究の手順をたどる必要がある。こうした過程を経た成果であれば、たとえ素人の研究であっても学術的な成果だと胸を張れるはずだ。ただ、そうして辿り着いた成果であっても、これまでの研究成果があって辿り着けたのであり、ジグソーパズルで最後の数ピースをはめ込んだだけで、自分が完成させたと主張するような行為は歓迎されないだろう。発見から時間を経た今でもこの作品のような視点でしか世紀の発見を見られていないのだとしたら寂しい。それでも研究成果を大学に出し抜かれて憤慨する気持ちには同情します。この映画を観て研究者とは、こんな人たちだと思う人が増えなければ良いが…。