「「荒唐無稽」を「リアルなドラマ」へと引き上げる演出力」クレイヴン・ザ・ハンター いたりきたりさんの映画レビュー(感想・評価)
「荒唐無稽」を「リアルなドラマ」へと引き上げる演出力
本作をもってSSU(Sony's Spider-Man Universe)打ち切りという逆風吹き荒れる中での劇場公開。が、おっとどっこい、秀作『マージン・コール』『オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~』で監督・脚本を務めた才人J.C.チャンダーが、本作でも手堅い演出できっちり魅せてくれる。
個人的には『ヴェノム』シリーズより面白かったし、『キャプテン・アメリカ』『アイアンマン』『マイティ・ソー』各シリーズの第一作みたいな“お子ちゃま感”もなく、大人の鑑賞に充分耐えうる出来ばえだったと言える。
惜しむらくは、監督自身が脚本も担当していればもっと面白くなっただろうと想像される点。
たとえば、主人公がヒョウと取っ組み合うシーンやヒロイン役のアリアナ・デボーズがアジト内で不用意にクロスボウを構えるシーンなど、伏線の張り方が不自然でとってつけたようだ。また、隠された武器収納棚を二度見せしてしまうなど余計なショットも散見される。くわえて物語上のアリアナ・デボーズの無駄遣い感がハンパない。
そんな脚本のヘッポコぶりを補って余りあるのが、見事な肉体美をみせつける主人公のアーロン・テイラー=ジョンソンだ。
彼はただのマッチョではない。ピューマのように強靭でしなやかな身のこなしをみせる一方、ふとした折に愁いを帯びた表情を湛えたりもする。こんな表情は、同じく地を駆け宙を舞ってゲリラ戦を繰り広げたランボーにはなかったものだ。
余談だが、アーロンが半裸のムキムキ上半身に百獣の王の毛皮でできたベストを羽織って、鏡に映った自分に見入るショットは、なんだかエマニエル夫人が例の籐椅子に座ってポーズをキメてるみたいで、思わず吹き出してしまった。
同じく吹き出したといえば、主人公の弟役のフレッド・ヘッキンジャーが「小柄なカラダに、顔だけアーロン・テイラー=ジョンソン」という珍妙なショットもあって、ここでも笑ってしまった。いずれも至極真面目なシーンなのだが。
もう一人、ベテラン俳優アレッサンドロ・ニヴォラ扮するメガネのおじさんは、いつもワイシャツ姿に小さなリュックをちょこんと背負っている。この、ヴィランらしからぬショボい感じが、意外性とも相俟って面白い。
そして触れないわけにはいかない、ラッセル・クロウ。MCUの『ソー:ラブ&サンダー』ではミニスカもどきの衣装で最高神ゼウスを演じて爆笑(?!)をかっさらった彼だが、本作では一転。ロシアン・マフィアの親分役で貫禄を示し、物語の大きな牽引力となっている。
ロンドンが舞台のロシアン・マフィアものといえば『イースタン・プロミス』がすぐさま思い浮かぶが、本作はさすがに遠く及ばず、ステレオタイプな描写が目に付く。また、同じくロシアが主戦場のひとつとなるMCUの『ブラック・ウィドウ』ほど大がかりなスケール感もない。
それでもJ.C.チャンダーの演出は、ラッセル・クロウの好演も得て父子の対立・葛藤を重厚に描き、「荒唐無稽な話」を「リアルなドラマ」へと引き上げているのだ。
なお本作の劇中およびエンドロールで、ロシア伝承の子守歌「Bayu Bayushki Bayu」がくりかえし流れる。この曲は、大人気ゲームの「Dead by Daylight」でも使われていたが、映画ファンならむしろアニメーション映画の金字塔というべきユーリー・ノルシュテイン監督作『話の話』の挿入歌として忘れがたいのではないか。このメロディが今作でも見事に「母なる大地ロシア」のムードを掻き立てていたことは特筆しておきたい。