さよなら ほやマンのレビュー・感想・評価
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【今作には、人間として大切にしなければいけない多くのモノが詰まっている。今作は、大震災後にそのあまりに大きい呪縛に囚われつつ、必死に生きる兄弟の王道の喪失と再生の物語なのである。】
■宮城県石巻の離島で一人前の漁師を目指すアキラ(アフロ(MOROHA))。
「ほや」を獲るのが夏の間の仕事だ。
船に乗ることができない弟・シゲル(黒崎煌代)と2人で何とか暮らしてきたが、行方不明の両親と借金で人生の大ピンチに直面中。そんな折、訳ありげな漫画家の美晴(呉城久美)が島にやって来る。
◆感想
・アキラとシゲルは震災後、海で採ったモノが食べれない。故に彼ら、カップラーメンを12年間食べている。
ー 私は、仙台の大学で学んだが、大震災後、出来るだけ福島と併せ足を運んでいる。
そして、知ったのは実際に今でも海産物が食べられない人が居る事である。多くは親類縁者を震災で失った人たちである。アキラとシゲルの心の傷が分かるシーンである。-
・そんな彼らの前に、漫画家だがアシスタントへの傷害罪でもある漫画家の美晴がやって来る。彼女はアキラとシゲルに前金を渡し家を売ってくれと頼む。
ー 彼女も、何処か心に傷を負った女性である事が、随所で描かれる。-
■邦画の名優、津田寛治さんが漁師のタツオを、絶妙な巧さで魅せる。松金よね子さん然りである。
・アキラはユー・チューブでほやマンを演じ、僅かなる金を稼ぐが、状況に余り変わりはない。
・そんなアキラが船を出した時に、震災後行方不明になった両親が乗る漁船を見る。そして、彼は初めて自身で採ったホヤをむしゃぶるように食うのである。
ー 彼が、震災の呪縛から解かれた瞬間である。-
・漫画家の美晴は、アキラの船を買うが姿を消す。そして届いた大漁旗。
ー 実に粋である。そして、美晴が新たな人生を歩み始めた事も示唆している。-
<今作は、震災後にそのあまりに大きい呪縛に囚われつつ、必死に生きる兄弟の喪失と再生の物語である。
今作が、オリジナル原作&脚本である事にも、敬意を表したい。>
■ほやについて
・東北の初夏の最高の酒のつまみである。
アキラがむしゃぶりついているように、海のパイナップルと言われているが海水のみで食べるのも乙である。
だが、仙台の国分町の飲み屋で頼むと、”ホヤ酢”として出て来る。胡瓜が添え物になっている事が多い。
東北の太平洋側の食べ物であるが、昔は愛知県でも偶に出ていた。見た目がごついので買いにくいかもしれないが、一匹(?)まな板に載せて包丁を入れ、ざっくりと切れば一丁上がりである。
大体は二杯酢に付けて食すが、我が家では私以外に箸を付けるモノはいなかった。
けどね、本当に美味いですよ。
自分を許せるのは自分自身
脳を無くしてその場で生き延びることを選択した「ほや」のように、島で生き続けているアキラ。
アキラの中には、津波の被害から船を守るための「沖出し」によって行方不明になった両親が今も生きている。頭では、もう亡くなっていることはわかっていても、12年たった今も海の物が全く口に入れられないくらい身体が受け入れないのだろう。その両親から託された弟シゲルを守る責任と、自分は生き延びてしまった自責の念。そして叔父から一人前の漁師になることを求められる「本家なんだから」との言葉。それらががんじがらめの足枷になって、アキラに思考停止を強いているかのようだった。
終盤、アキラは、自分がずっと面倒をみてきたはずの弟シゲルから、実は気を使われていたことを知り、それを契機として、12年前のトラウマと向き合う船出(沖出し)をする。
津波を知らせるサイレンの幻聴を聴き、「沖出し」に向かう両親の幻影を見ながら、迫り来る津波に立ち向かって、沖へとスピードを上げて船を走らせるアキラ。
アニメの表現が、彼の内なる格闘を的確に表現していたと思う。
その先に、美しい朝焼けが待っていた所も象徴的。ほやのように、思考停止して生きながらえていたアキラが、ほやと人間の間の「ほやマン」になることで一歩を踏み出し、更にあの日のトラウマを乗り越えることで、人間として、ほやを口にできるようになった。
結局、自分を許せるのは自分自身だけなのだろう。
アキラの生活を動かすきっかけとなった漫画家ミハル役の呉城久美さんが素晴らしい。他の方も書かれているが、どんどん魅力的になっていく。アキラとのつかみ合いの中で、互いに自分の頬を殴り合うシーンが強く印象に残った。
加えて、お隣さんである春子役の松金よね子さんとの掛け合いのシーンも最高だった。松金さん、本気でホウキを打ちつけていたと思われるが、それによって、鳥肌が立つくらい緊張感のあるリアリティが生み出されていた。主役達を食う、すごい演技を見た。
年のせいもあって、方言が聞き取れない部分があり、ちょっと悔しい思いをしたが、それもまた大切なリアリティ。
みんな大変な想いをしながら生きている
morohaのファンなので見に行きました、というところです。
低予算映画で脚本もまぁよくある形かなぁ、と思いました。
方言のせいか音声のせいか何言ってるのか良く分からないところがあちこちにあり。
海難で行方不明になった父親が町おこしのためにやっていたほやマンのスーツを発見→YouTubeコンテンツに→島に来た売れっ子漫画家がポスト→バズる→でも売れっ子漫画家は過去にアシスタントにパワハラをしていた→ほやマンが怪人をやっつける姿に重ね合わされて炎上 というのは予想された展開。
島特有の閉塞感や各人によって苦労の量は違いこそあれ、まぁみんな大なり小なり苦労して生きてますよ、という視点から見れば、そこまで取り立てる内容はないように感じました。
特別何が悪い、というところもないけれど、何かしらの感銘を受ける訳でもない、と思って3点かなー、と思っていましたが、後半思わずポロッと泣けてしまったので、+0.5点。
ただ、最後は寂しい終わり方というか。
3人で漁に出ているインサート写真が1枚くらいあっても良かったんじゃないかな、と思いました。
感情がぐちゃぐちゃにゆすぶられる、私は笑いながら泣いていた。
石巻のとある離島に暮らす兄弟と、
東京からやってきたワケアリ漫画家との出会いを中心に
震災から10数年経過した今を描いた映画
なのだが、、、
単に『震災』だけの物語では無かったと思う。
軽度障害を持つシゲル
純粋でやさしいその兄アキラ
良くも悪くも直球ドストレートな漫画家・美晴
この3人が織りなすストーリーに
何か日ごろ我々日本人が無意識に我慢している
言っちゃいけないこと?
感じちゃいけないものみたいな何かがえぐり出される。
家族は大切にしなきゃなんない。
家業は継がなきゃならない。続けなきゃなんない。
家族の面倒はみなきゃなんない。
けど個としての自分もいる。
そこ我慢しないで
個としての自分、大切にしていいんだよって
我慢ばっかりしててもダメなんだよって言ってくれる作品。
あ、こういうこと
素直に考えていいし感じていいし表現していいし言って行動にしていいんだって
ちょっと日本、家族息苦しいなって思う部分から解放される。
作中の漫画家・美晴のおかげで、そういう思い込みから解放される。
例えば
“家族に対する義務、愛憎”
“ふるさとに対する執着”みたいなもの。
アキラでいえば
俺は長男だから残された家族、障害を持つ弟の面倒みなきゃいけない。
本当は△△がしたいけど、うちは漁師の家庭で、障害をもつ弟がいるから
やりたいことは我慢しなきゃなんないし、一生、島から出れないという
呪縛。
それは確かに事実なのかもしれないし
アキラがだまって一生我慢してれば波風も立たないし
“問題化”することもない。
アキラは優しいのでその現状に我慢できてしまうんだが
本当はやってみたいこともあり(それがホヤマンなのだが)
弟の存在からも解放されたい
島からも出てみたいというという気持ちをずっと押し殺していた。
しかし
たまたま東京からやってきた美晴の存在が、行動が
アキラの我慢していた心を不器用にも抉り出していく。
その過程を見る中で
もう感情がぐちゃぐちゃにゆすぶられる。
日ごろ凝り固まったカチカチの何かが
ボクシングでパンチを連発されたかのように
愛情と血で解放されていく感じがした。
そして純粋な島の兄弟がかわいいし笑えるので
映画を見ている自分は
もう終始笑ってんのか泣いているのかわからないくらい泣いていた。
個人的には
島に住む近所のおばあちゃん・ハルコさんの
マニキュアをした爪のシーンが
何かすごい刺さるものがあった。
画面上ではおばあちゃんのマニキュアをしたピンクの爪なんだけど
そこに描かれた辛辣なメッセージがなんかすごく刺さった。
映画を見た後にスーパーにホヤを探しにいったし
髪を青く染めてみたいなと思った。
私はこの映画が大好きだ。
ほやは食べてみたいけど美味そうには見えない
アフロが主演ってことだけが気になって見てみた作品。
CMとかで見ない限りは作品のあらすじなども見ないまま映画を見たいタイプなので、タイトルからするとB級作品なんだろうなという気持ちで劇場へ。
冒頭からはほのぼの離島ホームドラマでアフロ演じる主人公の成長する様だけを見るのかと思っていたら震災を絡めてくるとても深く重たい内容だった。
演技などはド素人のアフロに求めるものはそんなにないと思う。直球で手探りでやってるからの良さもあった。
個人的には美晴役の呉城久美がとても良かった。
全く名前も知らなかった俳優さんだけどwikiを拝見したら見ていたドラマなどにも出演していた。
でも記憶にないので俳優とはかくも大変な職業であるなと。
そんな美晴だけど登場シーンではぜんっぜんかわいくもなくてこんなこと言っては悪いがブサイクな子をヒロインに選んだんだなと思って見進めていたら中盤、終盤とどんどんかわいくなっていくんですよ。とてもかわいい。なんなんだ。もう私は多分この人のファンかもしれない。
一番印象に残ったのは終盤のアニメーションカット。
唐突に入ってきてなんだこれと思ってたんだけど、説明しにくいけど「なんかいい」。
自分自身は震災の被害には遭ってないけど友達や身内をもし亡くしてしまっていたらこの作品はもっともっと深く残る作品になってしまっていたと思う。
見終わったあとにアフロの作った「さよなら ほやマン」の撮影中に作った曲を聴いてこの作品の真の終わりを迎えられた気がした。
タイトルだけで舐めていた。
私の今年一番の作品でした。
思ってた感じと違った
モロハが好きでアフロさんが頑張ってXでいっぱい宣伝してたんで見てみました。
タイトルやポスターの印象で離島でのほほんとホームコメディが展開されるのかと思いきやめちゃめちゃ重たい内容でした。なんというか震災ものは今までも描かれてきたけどまた違った視点で見せてくれているなと思います。
正直、面白かったかと問われたら微妙です。ただ、なんとなく見た後の余韻や考えることがある作品ではあるように思いました。
あと、アフロさんは普段のライブではめちゃくちゃ人の心を打つ表現力を持ってますが、やはりミュージシャンと役者の畑は違うものなんだなと思いました。あくまで私の感想ですがアフロさんの演技は少し残念でした。あと、弟役の子も素人さんかな?と思うくらい残念な演技力。たしかに難しい役どころではあったかと思います。
津田さんや松金よね子さん、美晴役の女優さん、がいることでその辺りはカバーできたのかなと思います。
アフロ魂
昔はホヤは酢の物でしか食べたことがなく、それでも臭かったので、とても苦手でした。
生ではじめて食べたのは福島の飯坂温泉の近くの炉端焼き屋で35年前。
新鮮なホヤを手づかみでパクパク食べる女優。すごい根性。エロ旨そう。シゲルが我慢できなくなる気持ちわかります。
グリコーゲンが豊富で海のパイナップルと呼ばれるホヤ。タウリンや亜鉛も豊富なので強精剤としても。
脊椎動物だったんですね。いそぎんちゃくの仲間だと思ってました。
成長過程で背骨がなくなり、脳もなくなるなんて。
オイラも最近はそういやホヤみたいなもんです。
震災津波をメインの題材あるいはそれに関連付けられたテーマの映画は最近何本かは観ていますが、当事者のつらい気持ちがいちばんリアルに伝わって来た映画でした。単に切ないだけじゃない。魂の慟哭に胸を打たれました。両親の死を認めたくないので、ずっと死亡届提出を拒みながらも、海で採れたものは両親の身体を食べることになると思うからなのか、12年もの間カップラーメンだけで乗りきってきた兄弟。
はじめましてだったアフロさんの武骨な存在感がすごかった。梅澤富美男じゃないが、百年にひとり出るかどうかの役者かも。朝ドラのブギウギに弟役で出ている黒田煌代クンとは本当の兄弟のようだった。
石巻から船で約1時間かかる沖合いの小さな島が舞台。津波から船を守るために沖に出た両親は小さな船たったせいか帰らぬ人になってしまい、障害のある弟シゲルと一緒に早く高台に逃げろと言われたが、両親を気遣って峻巡してしまった数分の時間のために両親が死んでしまったとの自責の念から逃れられず、悪夢を毎晩見るアキラだった。守らなければならない家や両親の思い出。
ほやマンは生前の父親が島おこしのために考えたキャラクターだった。その復活とYouTubeのきっかけは突然島にやって来た、昔とった杵柄でちょっと名の知れたアラフォーの女性漫画家。現金をちらつかせ、いきなり家を売れと言ってくる。。相当粗暴で乱暴なキャラ。訳ありの様子。好かんな。お近づきになりたくないタイプ。誰?この女優さん。ググったら、京都大学法学部卒。ほんまかいな。変わってる。京都のアングラ劇団からNHKの朝ドラにいきなりデビュー。しかも、2016年から3年連続で、まんぷくでは主演安藤さくらの親友役。さらに調べたらNHKの演出家の黒田さんは京都大学卒。学閥繋がりのコネの匂いがプンプンします。とは言うものの、高学歴のクセのある女性に弱いので、この女優さんとても気になりました。アブナイねーちゃんと言うよりも、アブナイおばちゃんだったけど。それはさて置き、手付け金の50万円を活用して、アキラが大逆転を目論むのはなかなかたいしたもの。形勢を逆転しないと明日はない。気骨が感じられます。そして、兄弟に肩入れする漫画家高橋ハルミもまだまだインフルエンサーなんだと自覚するに至ったバズりにもくすぐられました。障害者搾取容疑の炎上も良くできた脚本。ほやマンもご当地萌えキャラとして良くできているので、石巻市もこれは乗らない手はないでしょう。松金よね子がまたいい味で泣けました。映画ONODAで主演の津田寛治も好きですね。
エンドロールで島の住民の人の名前は阿部さんと庄司さんがほとんど。監督さんも庄司さんでしたね。
音楽は大友良栄。
あまちゃんです。
エンディングテーマソングもとてもエモーショナル。アメイジンググレイスのようなコード進行。
なんか嬉しくなって、帰りにパンフレット買っちゃいました。
ホヤ色
後悔やモヤモヤと戦っている人には見て欲しい作品です。
人生はドラマ
何が起こるかわからない。
そう思って脚本を受け入れて欲しいです。
みんな何と戦っているのか
どうやって心の処理をこなしていくのか
なるほどなって思いました。
あの沖のホヤ色の朝日のシーン
そして周りに…
幻想的でとてもよかったです
彼女は島にいるタイプではないなぁと思ったから
最後にはなぜかほっとしています
泣かされた。ネタバレなので読まれなくていいです
貧乏漁師は昔親がやってたホヤマンをネタにYouTube特撮ホヤマンとかの金稼ぎをやり、女性漫画家が酒飲みで暴力的な女で、漁師の弟が漫画アシスタントもできるようになる。
動画で障害者ぽかったのがネットで指摘されてホヤマン動画障害者搾取とか人権侵害とかでネット炎上。
漁師は津波のあと親の遺体がみつからないから12年以上海のもの食べないが、弟がホヤ食べたの兄が覗き見てぶちギレ、いろいろもめていなかを出ていく漁師兄のはずが金が手に入らず、漁師兄が最後に津波発作になって、女性漫画家がトラウマ克服だとみて船をださせて、両親の最期の姿にシンクロして映画ラピュタみたいな嵐のなかの親の姿をみて(兄が両親に叫びかけるとこに泣かされた。)
映画パーフェクトストームみたいな大波に飲まれる船形の青黒いアニメになって
アニメ獣の奏者エリンの最終回を思わせる
で目が覚めると凪の穏やかな海になぜが大量のホヤが浮いてる
もう漁師にも現実感がなくて浮いてるから食べとくかみたいな頭ぼろぼろ
いやおまえ親がみつからないから海のものは食べないって12年いって揉めてたのにもう何もかも脳の中身流れてるな、あ、泳いだ先で定住するとき脱皮して脳をなくすホヤの生態と被らせてるのか
家は手放すが船所有権経由でお金も手に入りハッピーエンド
ただし女漫画家とはそのあとはとくになし
最後のシーンでの郵便が女漫画家からの何かだった可能性はある
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話の始めにホヤがしゃべるからそこから幻覚かも
んでYouTubeやるためにパソコン買ったり動画編集したりが漁師にできちゃうのも不自然
話の出だしでは女性の生足やタンクトップ胸仰向けシーンあるのにエッチ路線が消える謎
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(PG12と思ってたけど勘違いでした)
PG12でもなくR18になってないことから考えると
人生や大切なことを子供に伝えるための作風にするために変なエッチ話やパソコンスキル習得過去話は消し飛びました、だとおもった。
ただぶちギレ、怒鳴りとか、柄の悪いところで、手はでないけど喧嘩してるから、結局喧嘩しなきゃわかりあえねーんだよーぐああああみたいな印象をもった。
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お金が大事、
家族に死に別れられるとつらい、
生きていくには自分なりの方法でいいから何か克服するなり記憶と同居するなり折り合いつける、
そのために都会の暴力的な女性も心化学反応で役に立つ、可能性、希望
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現実では犯罪ニュースとか多いからこれは裏読みすると
女性が一人旅するのは安全ではないが安全だというストーリーにしたい
トラウマは消えないが消えるストーリーにしたい
映画だから現実にめったに起きないことを起こす
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老婆がいちばん生き生きしてたような
シャーマン能力か何か持ってそう
アドバイスや自分語りが他者の運命いい方へ変えてる
役者が生き生きとしている。記憶は再生されないが海は光輝く。
完成披露試写会にて鑑賞。
色鮮やかな映像と心躍る音楽に彩られて、海に囲まれた東北の島に登場人物が躍動している。震災と過去の様々な記憶の断片が乱反射して、それが人間の心に及ぼす影を描く。冒頭のムービーに登場するほやマンが誰であるのか。映画はその答えを徐々に解き明かしていく。
カップラーメンを食べながらマンガを読みふけるシゲルのぼさぼさの髪に、アキラが庭でバリカンを入れている時、荷物を引き摺り携帯を持った美晴が二人に声を掛ける。「ねえ、その家私に売ってくんない」都会から来た得体の知れない美晴が、兄弟のさえない日常に、何の脈略も無く侵入してくることで物語が始まる。
アキラは海に潜っても、もうかつてのようにほやを獲ることができない。気を失ったアキラの心は暗い海の底に沈み込んでいく。海に閉ざされた島に暮らすアキラの心もまた海に閉ざされている。
暴力事件を起こして都会から逃げて来たマンガ家の美晴。美晴は金があり自由気まま、携帯で都会とかろうじて繋がっているがその存在は危うい。兄を慕うシゲルは知的障害があり無垢な存在だ。シゲルはいつの間にか美晴のアシスタントになっている。二人が心をかよわせていく様子が丁寧に映し出される。
アキラとシゲルは海岸で、ほやマンのムービーの撮影に熱中する。それは震災で失われた記憶を再生する試みである。しかしそのユーチューブの再生回数は、美晴のネットのコメントがもたらした偽りに過ぎない。過去が再生されることなど決してない。藍色の空の下に父と母を乗せた船は、漆黒の海に飲み込まれてしまったのだから。
兄弟を乗せた船は、美晴丸の旗をなびかせて光輝く海原を進んで行く。美晴は島を離れて、おそらくまた都会へと去って行った。アキラとシゲルの住む島を取り囲む海は、遠くどこまでも開かれている。
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