さよなら ほやマンのレビュー・感想・評価
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苦しくても進め!吐き出せ! Don't be like "Hoya"!
感情が怒涛のように溢れ出す。奇跡のような傑作!
登場人物なんて、兄弟2人とイカれた漫画家の女と叔母と叔父のほぼ5人だけ。
しかしそれぞれがイイ。春子ちゃんなんてむっちゃいい味してた。箒で叩くところ、かっちょイイ。弟くんはブギウギの弟くん(六郎)そのまんまで笑ったけど、やっぱイイ。漫画家の女は「こういうむちゃくちゃな人でないとこの兄弟の現状を変えられなかっただろうな。」と思わせるに十分な迫真の演技でイイ。最後のシーンで船の上でアキラを抱きしめた叔父もイイ。
そしてなんといってもアフロMOROHA。彼だからこそ出せる少しコミカルな中の切なさ。やさしさ。溢れ出る気持ち。咆哮!アキラの想いがビンビンこちらに伝わってくる。彼がいなかったらこの奇跡はなかった。俳優ではない彼をアサインした監督の慧眼がすごい。
「昔、島を出たいと相談してきたアキラの父親を“あんただけずるい。”と引き留めた。」という春子ちゃんの言葉が刺さる。
悲しい過去や苦しいしがらみを超えて、人が一歩ひねり出す瞬間を体感した。
大波をアニメで表現。斬新。実写じゃなくアニメにしていても恐怖感が。(震災経験者の中には観れない人多いのではないか。)
“ほや”は住む場所を決めると背骨と脳がなくなって、あと何も考えずに一生を終えるらしい。諦めて考えるのを止めて現状に留まる人たちとオーバーラップ。苦しくてもホヤになってはいけない!ホヤとはさよなら!
こんな凄い映画を作りきった監督・脚本・カメラ・音声・スタッフ陣と俳優たち。
これはやり切った感あるだろう。羨ましくなった。
✴︎漫画家の女は昔アキラの父母にお世話にでもなったのかなあと思ったが、特になんもなかったのね。
✴︎アフロMOROHAが歌う歌や詩を私はよく知っていただけに(それが観に行った理由のひとつ)まったく知らない人が彼の演技をどう感じたかは聞いてみたい。きっと、関係なく響いたはず。
*美晴は最後、なぜ彼らの家ではなく、彼らの船を買ったのだろうか。ここはいろんな考察がありそうでレビュー読むのが楽しみ。
震災が及ぼした心の傷
したい から いきたい
良い映画
昔、半年ほど宮城に住んでいて、一番印象に残っているのは、宮城を離れる日に食べた牛タン定食、、、ではなくて、歓迎会で食べさせてもらった「ほや」でした。
そんなこんなでなんとなく気になって見たところ、良い映画でした。
都会に疲れた人向けの田舎のスローライフ良いでしょという映画ではないのですね。
勘の鈍い私はほやと言われても自分の思い出が蘇っただけで、現地の方々が受けた大きな出来事にも気が付かず鑑賞し始めたのですが。
災害を絡めつつ、田舎で生まれ育つこと、そこで暮らしていくこと、そこを離れること、それは田舎でも都会でも変わりはなくて、それこそ家族や友人など人間関係にも当てはまることで。
何かに捉えられてなのか、動けない言い訳にそれを使っているだけなのか、では動くことが正しいのか。すべてに正解はないけれど、動きたいのに動かないということは間違えているのかなぁとか。
動きたくて、動いてみたけど、結果上手くいかなかったとかもあるかもしれない。
じゃ、不正解だったのかというと、この場合はそうじゃないのだろうなぁとか。。。
私自身はもういい歳なので、今更動くことはないが、、、イヤ違うな。
動きたいなら年齢も関係ない。歳をとってるからどうでもいいなんてことはなくて、心の中では戦っているのだから。
ただ、やっぱり年月を経るほどに脳が溶けていく感じはする。
若いうちに動いといた方がよいし、歳とっても動けるなら動いていい。
溶けたらもう動けない。
まあ、歳とってから動くとリスクもあるし、溶けることが結果的に安全装置になっているのかもしれないなあ。溶けたら悩むことも少し減る感じするし。
話が逸れてますけど、役者さんたちの演技も良かったし、設定や演出、それと私が感じただけかもですけどメッセージもよかったと思います。
抑制型のアキラと発散型の美晴の対比構造は理解できるが心響かず
石巻生まれでホヤが大好きという理由で鑑賞。
うーん、面白くは感じず、「よくわからん」というのが正直なところ。何度か中断しながら最後まで鑑賞しました。監督さんの感性と自分の感性が合わなかった模様。
アキラが色んな過去のものに呪縛のように縛り付けられていたのは理解できる。たくさんの方が亡くなった海の生物を食べることや、両親の死を認めること、両親の残した家を守る事。弟のシゲルを守る事。そこにはある種の意地があるが、我慢でもある。そうした中で、どちらかというと我慢せずに好きな髪の色に染め、時に暴力すら働いてしまう美晴が現れる。こうした対比構造とそれ故のドラマも理解できるのだが、それでも共感できない意味不明なシーンが多くあるように感じのめりこめなかった。
タイトルなし(ネタバレ)
素直に笑えた。
国からの助成をもらってるので、ファンタジーで終わるしか無い。
どこか旧国営放送の朝の連続ドラマの匂いで始まり、その割にはエロくてコレはコレはと思っていたら、やはり、思いっき連続ドラマ的大団円でしっかりガッカリしたかなぁ。
最後アニメのバックに流れしフリー・ジャズ。ASの演奏者は「この映画の主人公の名前!」と思って、エンドロールをしっかり見たらストライクだった。
彼は広⭕️大学 水産学部 だったかなぁ。世界的にも偉大なJAZZMANである。お元気そうで良かった。
震災から12年半。海へのトラウマから抜け出す兄弟の話し。
アキラとシゲルの兄弟は石巻に近い漁港の
離島の一軒家に住んでいる。
なぜか2人はカップ麺ばかりを食べている。
兄のアキラは船で漁に出て、素潜りでホヤを採っているが
食べない。
海のものを食べないには理由があることが、後にわかる。
2人の両親は3・11の震災の日に、シゲルを兄に託して、
沖へ向かい12年半経っても未だに行くへ不明・・・
その震災以後、アキラは海のものを食べれなくなったのだ。
(実際にはそういう人は少ないと思う。自分の漁をした獲物を
食べた方が安上がりだし、美味しい筈だ・・・やや無理がある)
そんな兄弟の日常に、漫画家の美春が飛び込んでくる。
借金の抵当に入っているアキラたちの家を1000万円で買う・・・
そういうのだ。
断ると手付金を50万円払って強引に同居始める。
理由を聞くと、
★この家は電波が良い、
★兄弟は漫画のネタになる、
そう言うのだ。
後に、美春は傷害事件で執行猶予中の身だと知れる。
映画的には、停滞した日常に闖入する他者により、
人生が転換する・・・映画のパターンですね。
漫画家の美春が狂言回し。
アキラとシゲルと美春の生活は疑似家族のようで、
次第に美春は、“家庭の憩い“を感じて癒されはじめる。
居心地がいい。
アキラは海への怒り、トラウマと対決して、
自分を取り戻すシーンはアニメーションを駆使して
迫力があります。
ラストでは、美春が買ってくれた漁船に海の怖いシゲルも乗って、
アキラとシゲルは漁師として一人前になって行く。
もう海から逃げない。
美春はフーテンの寅さん的に、どこかへ去ってしまう。
意外と真面目な良い映画でした。
(松金よね子、津田寛治が引き締めてくれました)
奇妙な同居生活
3.11の震災から12年、宮城県石巻市の多部島(網地島)を舞台に震災で両親を亡くした阿部家の兄弟アキラとシゲルの家に東京から来た訳アリの漫画家、高橋美晴が家を買いたいと奇妙な強制同居、兄弟は借金を返すために父親がかって島おこしに創ったヒーロー、ホヤマンを復活させYoutuberとして活躍するお話、しかし、そううまくは行かず美晴に懐いたシゲルを見てアキラは単身、島を出る決意、そこから3.11の回想とか色々あって3人の行く末は混沌となり、結末は如何に・・。
ハッピーエンドを願っていたのでちょっと失望、善人ばかりが住む東北の離島での特異な人物設定の3人の同居生活のお話でした。タイトルからヒーローものの映画かと思いましたが、脚本・監督の庄司輝秋さんは石巻の出身で3.11で家を失ったものの家族は無事だったが未だに震災で受けた心の傷は癒えないと嘆き、心に重荷を背負った人々の葛藤、復活を描きたかったそです。そういう映画だったのですね、軽く観ていたのでちょっと反省・・。
【今作には、人間として大切にしなければいけない多くのモノが詰まっている。今作は、大震災後にそのあまりに大きい呪縛に囚われつつ、必死に生きる兄弟の王道の喪失と再生の物語なのである。】
■宮城県石巻の離島で一人前の漁師を目指すアキラ(アフロ(MOROHA))。
「ほや」を獲るのが夏の間の仕事だ。
船に乗ることができない弟・シゲル(黒崎煌代)と2人で何とか暮らしてきたが、行方不明の両親と借金で人生の大ピンチに直面中。そんな折、訳ありげな漫画家の美晴(呉城久美)が島にやって来る。
◆感想
・アキラとシゲルは震災後、海で採ったモノが食べれない。故に彼ら、カップラーメンを12年間食べている。
ー 私は、仙台の大学で学んだが、大震災後、出来るだけ福島と併せ足を運んでいる。
そして、知ったのは実際に今でも海産物が食べられない人が居る事である。多くは親類縁者を震災で失った人たちである。アキラとシゲルの心の傷が分かるシーンである。-
・そんな彼らの前に、漫画家だがアシスタントへの傷害罪でもある漫画家の美晴がやって来る。彼女はアキラとシゲルに前金を渡し家を売ってくれと頼む。
ー 彼女も、何処か心に傷を負った女性である事が、随所で描かれる。-
■邦画の名優、津田寛治さんが漁師のタツオを、絶妙な巧さで魅せる。松金よね子さん然りである。
・アキラはユー・チューブでほやマンを演じ、僅かなる金を稼ぐが、状況に余り変わりはない。
・そんなアキラが船を出した時に、震災後行方不明になった両親が乗る漁船を見る。そして、彼は初めて自身で採ったホヤをむしゃぶるように食うのである。
ー 彼が、震災の呪縛から解かれた瞬間である。-
・漫画家の美晴は、アキラの船を買うが姿を消す。そして届いた大漁旗。
ー 実に粋である。そして、美晴が新たな人生を歩み始めた事も示唆している。-
<今作は、震災後にそのあまりに大きい呪縛に囚われつつ、必死に生きる兄弟の喪失と再生の物語である。
今作が、オリジナル原作&脚本である事にも、敬意を表したい。>
■ほやについて
・東北の初夏の最高の酒のつまみである。
アキラがむしゃぶりついているように、海のパイナップルと言われているが海水のみで食べるのも乙である。
だが、仙台の国分町の飲み屋で頼むと、”ホヤ酢”として出て来る。胡瓜が添え物になっている事が多い。
東北の太平洋側の食べ物であるが、昔は愛知県でも偶に出ていた。見た目がごついので買いにくいかもしれないが、一匹(?)まな板に載せて包丁を入れ、ざっくりと切れば一丁上がりである。
大体は二杯酢に付けて食すが、我が家では私以外に箸を付けるモノはいなかった。
けどね、本当に美味いですよ。
石巻の離島、漁師の兄弟生活、両親は3.11で行方不明のまま、生活困...
石巻の離島、漁師の兄弟生活、両親は3.11で行方不明のまま、生活困窮…。
そこに、通りすがりの女性漫画家が、半ばムリヤリ居座って暮らすことになり。
摩擦を起こしながら、徐々に心が近くなってゆく様子。
主演のアフロさんは、普段は役者ではなくラップ歌手だとのこと。
だからでしょうか、武骨で泥臭く、
映像での見え方が "演じている" のではなく "本気の全力" に煮えてしまい。
その姿がささりました。
三陸で、震災も背景にありつつ (それが主題ではないにしても)
兄弟、家族、近所などの、絆を見直す物語でした。
田端のチュプキさんならでは、イヤフォン音声ガイドが、今回とくに傑作でした。
呉城久美さん、役では漫画家の美晴さん、ご本人の演者目線での解説。
"これがあたし" "さえない兄弟" など、あえて口調をやさぐれトーンにして。
映像の重さと、音声の調子、そのギャップが癖になりそうでした。
よそでは得難い体験。
上映中に再びいかねばです。
自分を許せるのは自分自身
脳を無くしてその場で生き延びることを選択した「ほや」のように、島で生き続けているアキラ。
アキラの中には、津波の被害から船を守るための「沖出し」によって行方不明になった両親が今も生きている。頭では、もう亡くなっていることはわかっていても、12年たった今も海の物が全く口に入れられないくらい身体が受け入れないのだろう。その両親から託された弟シゲルを守る責任と、自分は生き延びてしまった自責の念。そして叔父から一人前の漁師になることを求められる「本家なんだから」との言葉。それらががんじがらめの足枷になって、アキラに思考停止を強いているかのようだった。
終盤、アキラは、自分がずっと面倒をみてきたはずの弟シゲルから、実は気を使われていたことを知り、それを契機として、12年前のトラウマと向き合う船出(沖出し)をする。
津波を知らせるサイレンの幻聴を聴き、「沖出し」に向かう両親の幻影を見ながら、迫り来る津波に立ち向かって、沖へとスピードを上げて船を走らせるアキラ。
アニメの表現が、彼の内なる格闘を的確に表現していたと思う。
その先に、美しい朝焼けが待っていた所も象徴的。ほやのように、思考停止して生きながらえていたアキラが、ほやと人間の間の「ほやマン」になることで一歩を踏み出し、更にあの日のトラウマを乗り越えることで、人間として、ほやを口にできるようになった。
結局、自分を許せるのは自分自身だけなのだろう。
アキラの生活を動かすきっかけとなった漫画家ミハル役の呉城久美さんが素晴らしい。他の方も書かれているが、どんどん魅力的になっていく。アキラとのつかみ合いの中で、互いに自分の頬を殴り合うシーンが強く印象に残った。
加えて、お隣さんである春子役の松金よね子さんとの掛け合いのシーンも最高だった。松金さん、本気でホウキを打ちつけていたと思われるが、それによって、鳥肌が立つくらい緊張感のあるリアリティが生み出されていた。主役達を食う、すごい演技を見た。
年のせいもあって、方言が聞き取れない部分があり、ちょっと悔しい思いをしたが、それもまた大切なリアリティ。
みんな大変な想いをしながら生きている
morohaのファンなので見に行きました、というところです。
低予算映画で脚本もまぁよくある形かなぁ、と思いました。
方言のせいか音声のせいか何言ってるのか良く分からないところがあちこちにあり。
海難で行方不明になった父親が町おこしのためにやっていたほやマンのスーツを発見→YouTubeコンテンツに→島に来た売れっ子漫画家がポスト→バズる→でも売れっ子漫画家は過去にアシスタントにパワハラをしていた→ほやマンが怪人をやっつける姿に重ね合わされて炎上 というのは予想された展開。
島特有の閉塞感や各人によって苦労の量は違いこそあれ、まぁみんな大なり小なり苦労して生きてますよ、という視点から見れば、そこまで取り立てる内容はないように感じました。
特別何が悪い、というところもないけれど、何かしらの感銘を受ける訳でもない、と思って3点かなー、と思っていましたが、後半思わずポロッと泣けてしまったので、+0.5点。
ただ、最後は寂しい終わり方というか。
3人で漁に出ているインサート写真が1枚くらいあっても良かったんじゃないかな、と思いました。
感情がぐちゃぐちゃにゆすぶられる、私は笑いながら泣いていた。
石巻のとある離島に暮らす兄弟と、
東京からやってきたワケアリ漫画家との出会いを中心に
震災から10数年経過した今を描いた映画
なのだが、、、
単に『震災』だけの物語では無かったと思う。
軽度障害を持つシゲル
純粋でやさしいその兄アキラ
良くも悪くも直球ドストレートな漫画家・美晴
この3人が織りなすストーリーに
何か日ごろ我々日本人が無意識に我慢している
言っちゃいけないこと?
感じちゃいけないものみたいな何かがえぐり出される。
家族は大切にしなきゃなんない。
家業は継がなきゃならない。続けなきゃなんない。
家族の面倒はみなきゃなんない。
けど個としての自分もいる。
そこ我慢しないで
個としての自分、大切にしていいんだよって
我慢ばっかりしててもダメなんだよって言ってくれる作品。
あ、こういうこと
素直に考えていいし感じていいし表現していいし言って行動にしていいんだって
ちょっと日本、家族息苦しいなって思う部分から解放される。
作中の漫画家・美晴のおかげで、そういう思い込みから解放される。
例えば
“家族に対する義務、愛憎”
“ふるさとに対する執着”みたいなもの。
アキラでいえば
俺は長男だから残された家族、障害を持つ弟の面倒みなきゃいけない。
本当は△△がしたいけど、うちは漁師の家庭で、障害をもつ弟がいるから
やりたいことは我慢しなきゃなんないし、一生、島から出れないという
呪縛。
それは確かに事実なのかもしれないし
アキラがだまって一生我慢してれば波風も立たないし
“問題化”することもない。
アキラは優しいのでその現状に我慢できてしまうんだが
本当はやってみたいこともあり(それがホヤマンなのだが)
弟の存在からも解放されたい
島からも出てみたいというという気持ちをずっと押し殺していた。
しかし
たまたま東京からやってきた美晴の存在が、行動が
アキラの我慢していた心を不器用にも抉り出していく。
その過程を見る中で
もう感情がぐちゃぐちゃにゆすぶられる。
日ごろ凝り固まったカチカチの何かが
ボクシングでパンチを連発されたかのように
愛情と血で解放されていく感じがした。
そして純粋な島の兄弟がかわいいし笑えるので
映画を見ている自分は
もう終始笑ってんのか泣いているのかわからないくらい泣いていた。
個人的には
島に住む近所のおばあちゃん・ハルコさんの
マニキュアをした爪のシーンが
何かすごい刺さるものがあった。
画面上ではおばあちゃんのマニキュアをしたピンクの爪なんだけど
そこに描かれた辛辣なメッセージがなんかすごく刺さった。
映画を見た後にスーパーにホヤを探しにいったし
髪を青く染めてみたいなと思った。
私はこの映画が大好きだ。
呉城久美さんの
他の方のレビューにもありましたが、とにかくホヤが食べてみたい
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