「チャック・ベリーの「ロックンロール・ミュージック」が一番素晴らしかった!」リバイバル69 伝説のロックフェス 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
チャック・ベリーの「ロックンロール・ミュージック」が一番素晴らしかった!
ビートルズのファンだったら誰でも知っていることだけれど、LPからシングルカットされたビートルズの「ロックンロール・ミュージック」は、1965年に発売された日本で大ヒットした。それを受けてのことだろう、あの66年の武道館での公演でも、第一曲はこの曲だった。リード・ボーカル(当時の言い方)はジョン。彼が、ロックンロールを好きなことも広く知れ渡っていた。ビートルズがロックンロールの母国である米国に上陸を果たした64年初頭に、本格的にロックが成立した。そのジョンが、原曲の作り手であるチャック・ベリーが出ることを知らされて、急遽トロントのフェスティバルに出演を承諾したとしたら。もちろん準備期間なんて、ほとんどない。バンドのメンバーも急ごしらえ、分担も楽器も不十分、練習の時間なんてないも同然。とすれば、彼がロンドンからトロントに向かった意図はただ一つ。
もう一つの背景はヨーコか。私たちは、皆、ヨーコの存在を知った時、首を傾げたものだ。いくら名門のお嬢さんとはいえ、よりによって。しかし、その後、様々な映像を見ると、いかにジョンがヨーコを大事にしているのかが判って、無理やり自分を納得させたものだ。この映像を見て、初めて判った。ミュージシャン(音楽家)であるジョンは、アーチスト(芸術家)にあこがれたのだ。ヨーコのあの声だって、現代音楽と思えば、何の不思議もない。草間彌生さんの米国でのパフォーマンスと同じ。ジョンはソロになって、不世出のアルバム「イマジン」を残し星になった。ヨーコとの出会いを糸口に。
それにしても、このトロントの69年のフェスティバルが、ウッドストックに匹敵とは言えないだろう。第一、規模が違う。ジョンのステージなど、部分的に映像や録音が公表されていたとはいえ、フェスティバル全体の映像が、普及したとは言えない。時代は、ヴェトナム戦争の厭戦気分が強く、ロックからフラワーミュージック(フォークソング)に向かっていた。ロック自身も、より大音量で先鋭的、刺激的なハードロックに移りつつあった。トロント・フェスティバルの中心は、彼らだけではお客を集めることができなかったロックンロールの初期の担い手であり、当時一番輝いていたドアーズは映像化を許さず、シカゴやアリス・クーパーはまだ無名で若かった。
ただ、あのチャック・ベリーやリトル・リチャードの切れきれのプレイを見るだけでも、この映画を見る意味があるのでは。彼らこそ、このフェスティバル(リバイバル69)に出られたことを一番喜んで、最も輝いていた。優れたミュージシャンであったジョンは、自身の出発点の一つであったロックンロールとこのフェスティバルで再会したが、同時に決別し、ヨーコの力を借りて、コンセプトを持つアーチストとなることを志したのだ。