違国日記のレビュー・感想・評価
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原作ファンとしては期待はずれ
要所要所の印象的なシーンはなぞるが、言葉足らず過ぎるんじゃないかと思う。
違う国云々のセリフも全然ないし、朝は槙生からノートをもらって日記をつけはするものの、おざなりな流れで日記についての会話も省かれるし、タイトルの回収が満足に出来てない。
槙生のコミュ障エピとしてえみりが来た時に避けるシーンが、目が合ってるのに引き戸を何度も開け閉めして隙間から覗くとか、槙生がバカになり過ぎててつらい
(役者さんの可愛い印象に引っ張られたのか?)
取捨選択はしょうがないとはわかっていても
もっと美しいものを受けるに値するとか
槙生が朝に遺体確認させた母親に怒ってることとか残して欲しかった
朝に自立を強要していないか問い、トラックがつっこんできた時にされたからいいと答えるシーンも、あなたいつの間にそんなに大人になったの?も急いで大人にならなくていい、も聞きたかった
乾いた寿司は殺すと言って欲しかったな
改めて原作読み直したが、原作の白さに対して映画の画面の暗さ重苦しさ湿っぽさからしてやっぱり印象が違いすぎる。
ほっこり系
結構こういう状況になる人はいるのでは?
そんな中で違和感もなく、引き取ることを決意
親戚ならば、ましてや自分の兄弟の子供ならば、やはり自分が引き取るのではと、自分も感情移入してしまう
多くの説明はないが、画面の所々に過去の確執や現在の状況が読み取れる
察してください、ではないので説明が邪魔にならない
母親も同じ職業なので、恐らくそれで長女は何か苦労したんだろうな
それを同じ道に進んだ妹に、八つ当たりに感じた
挙動一つ一つが違和感ないので、演出がとても素晴らしい
いや、演技も素晴らしい
前作もそうだが、ガッキーの死んだ目と言うのは、とても似合っている※褒めてる
目が大きくてハイライトがなく、静かに悲しんでる表情が良い
高校生活はポリコレ感が高いのですが、今の状況を著しているので、悩みが現代っぽい
時代が変わったのだなぁと痛感
発表会も彼女のやりがいが見つかった気がして
とても良かった
親目線で号泣してます
全体を通して違和感ない、爽やかな映画となった
ありがとうございます
許せない
原作厨なので予め言っておくと、全く満足していません。
原作の中にある優しい言葉のほとんどがカットされていて、カットされていないとしても何故か違う意味になっていたりして、それだけで途中から観る気が失せた。
なので、原作未読の方が観ても面白い作品なのかどうか客観的には言えない。
ここのレビューを見る限りは高評価らしい。
えみりと喧嘩をした朝が仲直りを躊躇って、それでも自分から電話をかけたのは、槙生がダイゴとの学生時代のエピソードを話し、自分のことを十なん歳から知っている人がいることは時々とても必要だったと、そんな言葉をかけたから。
えみりの話を朝がほとんど難なく受け入れられたのは、槙生との言い合いを経て「人が何に傷つくかはその人が決めることだ」と学んだから。ジュノさんと出会ったから。
こんなにもいいシーンやいい言葉をカットして無理やり二時間に収めるなら、収めなくていいから連続ドラマでやってほしかった。
キャストさんは皆さんとても素敵でした。新垣さんのクールな役柄は個人的には新鮮だった。
ダイゴと包団を結成するシーン(原作通り)、三人で外を歩くシーン(映画オリジナル)はとても良かった。MVPは夏帆さんだと思う。
「話さないとフェアじゃないと思ったから(姉が嫌いなことを)話しただけで、悪口聞くもんじゃない」と原作の槙生は言ってるのに、映画の槙生はあっさり悪口を言っていて、そこが一番悲しかった。
タイトルなし(ネタバレ)
女子高生のほうは思っていたよりめちゃめちゃコミュニケーション取れる子でホッとした。
ガッキーも頑張ってたし。
そして生前から行き来のあったおばあちゃんは静観って感じなんですかね。まあ助けちゃうと話がボヤけちゃいますもんね。
二人の前進を温かい気持ちで観れるよい作品でした。
それにしても亡くなったお父さんに関しては、一言も触れられてなく少し不憫に思った。
2人の関係性がいいし程よい距離感
予告で気になってて鑑賞!
両親を交通事故で亡くした15歳の朝
葬式の席で、親戚たちの心ない言葉が朝を突き刺す
そんな時、槙生がまっすぐ言い放った
「あなたを愛せるかどうかはわからない
でもわたしは決してあなたを踏みにじらない」
槙生は、誰も引き取ろうとしない朝を勢いで引き取ることに
こうしてほぼ初対面のふたりの、少しぎこちない同居生活がはじまった
人見知りで片付けが苦手な槙生の職業は少女小説家
人懐っこく素直な性格の朝にとって、槙生は間違いなく初めて見るタイプの大人だった
対照的なふたりの生活は、当然のことながら戸惑いの連続
それでも、少しずつ確かにふたりの距離は近付いていた
だがある日、朝は槙生が隠しごとをしていることを知り、それまでの想いがあふれ出て衝突してしまう――
というのがあらすじ!
2時間とちょっとの時間でしたがあっという間に終わった!
葬儀場での親戚の言葉はこっちも聞いててうんざりした
その時の槙生のきっぱりと言う言葉がよかった…
あと卒業式は普通に過ごしたかったのに友達の母親と担任が余計なことをしたよね
見ててそれ普通じゃないからって思ったもん笑
そして3人での手づくり餃子パーティーのシーンはよかったです!
楽しそうだったしここで意外な一面を知れる結果になったて距離が近くなった感じがしましたね☺️
全く違うタイプの2人だけど2人の距離感とか関係がとてもよかったです😊
この映画を観てお互いを理解しようとするのは大切だなと改めて思いましたね…
みなさん演技は素敵でしたがやはりガッキーと早瀬憩さんがさらに素敵でしたね!
早瀬憩さんはたまにドラマで見るのでこれからのご活躍が楽しみです😊
素敵な映画をありがとうございました!
もう一度みたい映画です!
白紙の日記に今日は何を書こうか・・・
原作未読。タイトルとポスタービジュアルから、相容れない性格の主演2人のすれ違い生活の悲喜交々と心の交流を描いた作品なんだろうと思いつつ鑑賞。
大筋は予想どおりだったが、2人の生活を中心に親子、姉妹、恋人、友人といった、生きていれば逃れられない人間関係の大切さと難しさ、それぞれの微妙な距離感を重苦しくなく淡々と描いていて「あるよねー」と共感しつつ、じわっと心に沁みる。
ストーリーもさることながら、私が印象に残ったのはやっぱりガッキー(槙生)。
ポッキーポリポリしていたガッキーは何処へ?
ボサボサ頭によれたTシャツ、化粧っ気のない顔、つっけんどんで挙動不審、時折放つ名言(迷言?)の数々・・・(小説家故?)。どことなく浮世離れした仙人風情が漂うかと思えば、すぐ頭を抱えて友人奈々(夏帆)と元彼笠町(瀬戸康史)に精神的に頼る弱い俗人ぶりも発揮。変人と言えば変人の部類に入る役柄なんだろうが、案外素のガッキーもこんな感じかもと思いつつ見入ってしまった。綺麗でかわいいガッキーより、こっちのガッキーが人間味があって良い。
朝は天真爛漫なんだけど、ちょっぴり大人な同級生達や槙生、奈々、笠町などとの交流を通じて心が育っていく、親離れしていく様子を早瀬憩がナチュラルかつ丁寧に演じているように思った。
母が朝に残した日記。
とても重要な何かが書かれた日記だと観客を引きつけておいて、実は最初の書き出しの1ページしかなかったというラストシーン。これから沢山のことを伝えようとしていたであろう亡き母の娘への愛を槙生と朝は汲み取ったであろう。何も書かれていなくても、それで十分。
2人はこれから一緒に暮らし、心の交流を深めながらも、それぞれ違う世界を生き、日々それぞれの日記を綴っていく。最後の虹が2人のこれからを語っているように思えた。
(2024年映画館鑑賞16作目)
雲走る
原作は未読です。
歳の離れた友達のような、でも親子に近いような雰囲気の予告に惹かれて鑑賞。
とても優しく美しい作品でした。
リアルを強く描きつつも、近くも遠くもない関係性だからこそ描ける大人と子供の境目や対比が溢れんばかりに表現されていて、観たことのない青春が感じられました。
交通事故で両親を亡くした朝と小説家の槙生の不思議な共同生活がメインの今作ですが、割と様々な描写を1本の作品に盛り込んでいるので、1本筋の通った物語に、枝葉のように分かれてのエピソードが展開されている感じで良かったです。
両親が亡くなった事により、盥回しにされそうになった朝を勢い任せとはいえ自分の家に招き入れた槙生の関係性、最初こそドギマギしてて、段々小突き合いし出して、2人で笑い合い出して、と時間をかけつつもゆっくりと関係性を深めていく描写がとても丁寧でした。
2人と槙生の友達の醍醐で一緒に餃子を作るシーン、これは飯テロだぁ〜ってなって腹の虫は鳴り始めました。
わちゃわちゃしつつも、大人同士の友達という新鮮なものを目にした朝のキラキラっぷりは年相応のものを感じれましたし、このシーンでよりグッと近づいた感があってなお一層良かったです。
終盤の演奏シーンも描写少なめだったとはいえ、自分の殻を破って自分の作った歌詞を自分の声で歌う、勇気がたくさんいる事をやってのけた朝の晴れやかな笑顔がとても印象的で、若者が音楽を懸命にやる姿に弱いので、鳥肌立たせながら観て感動していました。
心情を隠し隠しで日々を歩んできた2人が海岸通りで本音を話し合うシーンはヘビーな内容とは裏腹にどこか晴れやかな気持ちになるシーンで、ロケーションの良さと役者陣の立ち振る舞いの見事さも相まって締めに相応しいものになっていました。
原作未読でも分かるここ端折ってんなーという場面(幼馴染の同性愛や槙生と姉との確執や朝の音楽へののめり込み、森本さんの勉学に励む理由などなど)が多かったのは原作を1本にまとめるためには致しなかったのかなとはいえ、整理しきれていない感じは惜しかったです。
この辺の補足は今後展開されるアニメ版でしっかりやってくれそうですし、原作を読み込むためのきっかけでもあるなという風にポジティブに受け止めておきます。
役者陣はもうどの方も素晴らしくて、静と動ならば静な演技がとても目立つ作品で、キャラクターの雰囲気一つ一つがこれでもかと伝わってくる名演の連発でした。
新垣結衣さんはこれまでとは一線を画す、ダウナーなカッコ良さとちょっと抜けた愛らしい部分のリミックスという豪華さ。
最初は怪訝な感じが漂っていたのに、ほぐれたように表情や仕草が柔らかくなっていくのが最高でした。
面食らったシーンで出てくる擬音がたまらなく可愛かったです。
早瀬さんは今作ではじめましてだったんですが、これまた素晴らしく、等身大の女子高生のもどかしさや煌びやかさがこれでもかってくらい滲み出ていて、泣き笑いも跳ねて喜んだりするところもどのシーンを切り取っても素晴らしく、今後の飛躍が大いに気になる女優さんでした。
同級生の小宮山さんや伊礼さんの演技も素晴らしく、なんで逸材を見つけてきてくれたんだ…!と製作陣の先見の明には脱帽ものでした。
夏菜さんのゆる〜さ全開の大人な友達も最高でしたし、瀬戸さんのこんな優しい人手放したらアカン!と言いたくなるくらいの良い人(最後まで良い人)なのも最高でした。
海を眺めるしっとりと、それでもきっちりと物語を締めて、続きの未来を予感させる感じの終わり方はオリジナルならではだと思いますし、とても良かったです。
これは原作読まなきゃなという事で読み込んでいこうと思います。自然体のままで生きたいなぁ。
鑑賞日 6/10
鑑賞時間 18:05〜20:30
座席 H-4
エコー(反響)
人と人は分かり合えない、そんな言葉を
槙生は朝に言う。槙生の経験からだろう。
分かり合えないもどかしさが愛おしい。
ただ、時間と供に相手をより知るように
なると違った方向から見える部分もある。
そして少しずつ気持ちの変化も生じる。
他者を知っていく自分自身と相手との間には
境界線があり、そこには信頼が不可欠。
そのバランス、人と人の距離感や関係性を
演出したかったんだろう。なかなか難しいよね。
家族の関係は誰にも伝えてないだけで
何かしらのしこりや問題があると思う。
家族だからはっきり言うし、言い難い事
もあるから複雑化していく。
槙生と奈々、朝の3人のやりとりはほっこり。
心を寄り添う歩みよりは本人しか出せない
不思議な潤いの感情。
日常生活の積み重ねが自分にエコーのように反響して、心に影響を与えていくのを改めて実感でした。
原作を読んでいるかどうか
TOHOシネマズ日本橋にて鑑賞。
表題の通り、原作を読んでいるかどうかで評価が別れる印象を受けました。
原作11巻あるうちからいくつかの要素やエピソードを抜き出して実写化しているのですが、やはり個々のエピソードのボリューム不足は否めません。 原作では掘り下げのあったところで説明が足りず、分かりにくい部分が多々あったように思います。また、改変した部分がエピソードの魅力を損ねてしまっている部分もあるように思いました。三森さんが軽音を辞める下りとか、森本さんの留学の下りとか。逆に原作で印象的なシーンがさらっと流されていたりもしました。日記をつけ始める所は、もっと大きく扱っても良かったのでは。
また、主観的な話になるのですが、新垣さん演じる槙生さんのキャラクター設定について違和感が拭えませんでした。原作の「群れをはぐれた狼のような」鋭さや毒が、大きく緩和されていたというか。あと槙生さんの部屋に観葉植物や絵が飾られているのはどうなんでしょう。埃被らせたり枯らしてしまうから買わない置かない人な気がするのです。
それから、原作は詩的に感じられるモノローグを多用していて、それが私には大きな魅力だったのですが、それがほぼなかったのは残念でなりません。
と、色々批判的な事を言ってしまったのですが、個々の役者の方の演技は良かったですし、上記のように書き連ねた文句についても原作読んでない方にはあまり関係のない話です。ただ私が原作と映画を切り離して考えられないだけで。
原作を未読で映画を観た方は、是非原作の方もお読みください。
愛するよりも大切なこと
誰かを愛するよりも、「踏みにじらない」ことのほうが大切だと思う。いくら(一方的な)愛情があっても、それが刃となって相手を傷つけたり踏みにじったりしてしまっては意味がない。他人はもちろん、親子でも。
踏みにじらないために重要なのは、線引きをすること。私とあなたは違う、という線引き。だから、互いの気持ちは分からないし理解できないし寄り添えない。そんなことは必要ない。共存するために必要なのは、愛することよりも、踏みにじらないこと。尊重。
原作を読んだ時、「あなたを愛せるかどうかはわからない。でも私は決してあなたを踏みにじらない」という台詞にがつんと殴られたような衝撃を受けた。なんて強く美しい言葉だろう。
とにかくこの原作者ヤマシタトモコさんは、台詞の力がすごい。未読の方はぜひ、1話2話だけでも読んでみてほしい。圧倒的な言葉の力が、ヤマシタ作品の世界観を支えている。
両親の死をうまく悲しめずにいる朝に、「べつに変じゃない。悲しくなるときがきたらそのとき悲しめばいい」。
葬儀の場で親戚たちの無神経な言葉にさいなまれる朝に、「15歳の子供はこんな醜悪な場にふさわしくない。もっと美しいものを受けるに値する」。
一度見ただけで忘れられなくなった。とてつもない名シーンで名言だと思う。
踏みにじられて傷つきながら大人になった槇生が、今まさに目の前で踏みにじられている子供を見過ごすことができずに、自分の人生を変えてまで手を差し伸べた。
私も槇生と同年代で、この年になると仕事もプライベートもだいたい安定し、自分の生き方が決まってきている感じがする。このタイミングで人生を変えるような決断をするというのは、なかなか胆力がいる。槇生は生き方を変えたくないタイプの人間だ。それでも朝のために変えた。
そしてまたシスターフッドの心強さも感じる映画だった。槇生の親友を演じた夏帆さん、最近ブラッシュアップライフを見たのもあり、主人公の心地いい親友としてこんなに素敵な演技をされる女優さんなかなかいらっしゃらないと思う。この親友がとてもとてもよかった。本当に信頼できる素敵な女性。
あと、朝ちゃんを演じた早瀬さんの、なんとも言えない瑞々しさ、無垢な無邪気さ、明るさと翳り。引き込まれる。そしてとても可愛い。朝そのものの佇まいだった。
新垣結衣さんも、槇生にしては可愛すぎるかなと思ったけど、全然よかった。いつもの生来の可愛さは封印し、でもところどころでにじみ出るのが、逆に槇生らしくてよかった。
ストーリーはやはり原作に比べたら薄味にはなってしまうけど、キャスティングが非常によかったので、あの世界が映像になっているという満足感がすごかった。
丁寧。
一つ一つのシーンをさっと見せるのではなく
丁寧に映像にしているなという印象のある映画でした。
たわいもないみんなで餃子パーティするシーンも、結構長い時間うつされていましたが、そんな自然なシーンが、見ていて微笑ましくて、ずっと見ていられました。
朝ちゃんが、とんでもなくいい子ですね。
とんでもなくいい子です。ひねくれてなくて素直で
真正面からマキオちゃんに質問したり意見したり
なんかいいなぁ、素直って素敵だなぁって思いました。
タキオちゃんの色んな大人になってから見た世界からの意見も、見てて分かるし、そう思うし伝えるのって難しいけどそうなんだよなぁみたいな共感シーンもあれば、
この言い方だと、朝ちゃんにはまだ伝わらないよなぁとか、見ながら色々考えて気持ちを汲める映画でした。
かなり長い作品ですので、見応えはあります、ハラハラドキドキみたいなシーンはないので、スリリングを求める方は物足りないと思いますが、人が人を想う気持ちとか、気持ちをしっかり考えたりできるような映画だなと個人的には思いました。
色んな人がそれぞれ色んな思いを持っていて悩んでいて葛藤していて、それでも支えあったり、時には喧嘩したりして、生きてるなって感じでした。
見てよかった作品です。
引きこもりぽいボサボサなマキオちゃんしか見てなかったのに、本発売イベントで急に新垣結衣が出てて綺麗でした!笑
いろいろあるけど、明るく前向きに生きるのだ
朝の目の前で両親が事故死した。母の妹の槙生(まきお)は子供が苦手だが勢いで姪を引き取ると宣言する。2人の手探りの生活が始まった。
娘への愛ゆえに価値観を押し付け気味だった母に対し、自主性を尊重する叔母。高校に進学して人間関係も変わり、朝は戸惑いながらも自分で判断することを学んでいく。槇生は朝との生活の中で、嫌いだった姉の思いの一端に触れ、自分の気持ちを整理していく。
出演者の自然な演技で、観ていてほっとする作品です。新垣結衣さんの落ち着いたトーンの声が、信念をもって生きている女性を体現し、夏帆さんもしなやかに生きる女性を好演していました。
設定が甘いところがありますが、おまけで☆4です。
幾つかの違和感
本作は、周囲の固定観念や偏見に悩みながらも前向きに生きる女性にエールを送っている作品なんだろうと思います。ただ、いろいろ盛り込み過ぎて、違和感が生じてしまいました。
両親が事故死した事を隠すのは不可能だし、中学の担任の対応は適切で、朝が変に気を使われたくなかったとしても、あんなに激高するのはキャラクター的にも変でした(父親の会社が倒産した、とかならわかるけど)
朝の両親は席を入れていませんでしたが、あの母親はきちんと入籍したいと思うタイプでは無いでしょうか。
槙生が姉の言葉にずっと傷ついてきたとしても、十数年全く会わないなんて、恨み過ぎじゃないでしょうか。あるいは、姉妹の母親は何でフォーローしなかったのか。母親が原因を作っているのに。
槙生と奈々が仲良くじゃれ合っている様子を朝が興味深く眺めていると、奈々が、「そっかー、こんなだらしない大人に会ったことが無かったかー」みたいなセリフがありましたが、どこがだらしない?と思いました。槙生は人気作家で片付けが苦手なだけだし、奈々はデキる女、仕事場はキチンと整頓され、料理も上手く、身だしなみにも手を抜かない(足りないのは夫くらい?)
一昔前に、家庭を持って子供がいる女性を勝ち組、独身女性を負け組と線引きするのが流行りましたが、制作者こそがそれを引きずっているんじゃないでしょうか。
登場する女性は高校生も含めて生き生きしていましたが、男性は脇役でした。男性だって色々悩んでると思います。
朝には悲しみの感情が薄いんでしょうか、父親の存在感はゼロでした。
それぞれの建国日記
予告で毎回ちょっと涙腺が緩んでた作品。
曲も好きだったのに、インスパイアソングということで聴けなかったのは残念。
『正欲』に続いて内向的キャラのガッキーと、瑞々しい早瀬憩ちゃんの対比がいい。
ぎこちない共同生活も、予告の「はい、いってらっしゃ〜い」に繋がると思うと逆にニヤニヤする。
ネタバレと言えばネタバレだけど、これはむしろ見ててよかったかな。
槙生は初対面が混じると一気にコミュ障化するけど、奈々を挟んで距離を詰めるあたり自覚ありそう。
全体的に会話の雰囲気がいいので、大きな出来事がなくても見ていられる。
無神経な人はいても、悪人は出てこない塩梅も好み。
遺品整理の際に槙生が避妊具を見つけ、一旦閉じた後に他のもので隠しながら捨てるなど、細かな笑いも。
ただ、映画としてまとまってるとは言い難い。
人間関係に留まらず、やりたいことや自意識、ジェンダー差別、同性愛など盛り込みすぎたか。
塔野のシーンは、朝の音楽への興味の補強にしかなっておらず、PCも詞の印刷に使ったのみなので不要だった。
その分を他の掘り下げやキレイな締めに回せなかったのだろうか。
後半に笠町が家にいるシーンなども、やや唐突。
朝が暗闇にいたり、急に周りの人が消えたり、幻覚や幻聴などの演出も大袈裟で浮いてた。
とはいえ、色々あるだろうけど大丈夫だと思えるラストは嫌いじゃない。
続編あったら観たいし、アニメも楽しみ。
違国に来たように思えても、人はそれぞれ自分の国をつくるしかないのだろうなぁ。
これと同タイプの原作付き映画、これからも皆さんは本当に観たいですか?
いいところもある映画です。
でもこの映画が好評になり、皆さんの大切なマンガや小説がこんな風に「原作とは明らかに違って」「原作を崩したことにも納得するような監督の独自なチャレンジがあるわけでもなく」「原作を薄く引き伸ばしたような」「原作を読むと『やっぱりこっちだね』と思い知るような」映像化が次々と、それも神棚に置いているようなかけがえのないものたちが無雑作にハタキではたき落とされたら、はたしてわたしは許せるだろうかと考えて、この映画を強く否定して以後は無視したいと思いました。
感情の扱い方が上手い
ぎこちない親戚同士の2人を描く物語。
高校生らしい感情の変化をシーンの跨ぎで繋いで大人の変わりにくい感情を跨ぎでも残す上手い表現の仕方。
近づいては離れてを繰り返す内に次第に通わせて行くストーリーラインは魅力的だった。
周りのキャラクターたちも2人を描く上でそれぞれ感情の変化に上手い具合に絡んでいて良かった。
ただ、日記とタイトルにはあるがさほど重要ではなかったのがちょっと残念。
新垣結衣さん大好きです。(追記)再鑑賞
ポケットに手ぇ突っ込んで潮風に吹かれるガッキー、かっけー。
(ガッキーがカッケーところがネタバレ部分?)
ってオレ、2時間超の大作に、も少しまともなレビュー書けんのかね?
「むっむぅ ~ ?・・・ (-ω- ?) 」お
「アッ、そうだ!長げえ?」 (^^)
あと、軽音のセッション良かったヨ。 「おお、今どきは iPhoneでライブ中継かよ」と思った。
僕はかなり気に入ったので、また見に行くと思うけど、長いし、エンタメ的な事件も起きないから退屈っちゃ退屈なので、睡眠不足や疲れていたら熟睡してしまう自信がある。
時計の針も12時回ったし、あしたアサ早いからもう寝る。
【追記】2024/6/15(土) 再鑑賞
前回も思ったのだが、中学生、高校生ってメンドクセーと思った。
とはいえ高校生パートの、親友エミリの恋、留学の選にもれた同級生の話、軽音の上手な新入部員の話は良かった。映画は時間が短いからアッサリしてしまうのが残念。
タイトルなし(ネタバレ)
原作のファンとして見て、原作を思い出しながらだったから色んなシーンで泣いてた。
映画、どこまでやるんだろうとは思ってたけど、やってほしかったところが結構あってよかった。
えみりの初登場シーンでは、あれ、えみりなんか地味だな、ま〜実写ってこんなもんか、と思ったけど高校に入って垢抜けた彼女を見てとても納得した。
彼女は高校に入ってからいわゆるカースト上位のグループと仲良くなるわけで中学の時は普通なんだな。
えみりと朝の同性愛当事者が身近にいるかもしれないことを認識させる会話、ここが映画で見れたのがよかったな。
あとクラスメイトの優秀な子、漫画では医大志望で男女格差が発覚したのが問題になってたけど映画では留学に変わってた。部活決めのシーンでうまく留学を入れ込んでてここはうまいな〜と思った。
漫画をあえて読み返さずに映画を見たんだけど、おばあちゃんは朝を引き取らなかったくせになんなんだ?と思ってしまった。漫画ではどうだったか…
あとは笠町くん、瀬戸くんは爽やかすぎるだろうと思ってたけどうまくハマってたと思う。
でも笠町くんの掘り下げがほぼなかったから映画だけ見たら笠町くんのことが全然わからないな、と思った。
あと漫画だと性行為の影を感じたことないと思ってたけど映画だと匂わせてきてたかな?と思う。それ、必要かなあ、違国日記には要らなくない?と思った。
あと弁護士の方、染谷さんはイメージ違い過ぎて笑った。映画だとパソコンは返品しなかったのかな。
全体を通して、早瀬憩さん演じる朝がとってもよかった!本当に原作のイメージ通りの朝って感じ。
高校生たちがみんな素敵だったな。
原作が好きだから、やっぱり映画だと時間が足りなすぎるな〜、でも空気感とかはとっても良い感じ。
映画を見て、良いなと思ったら原作も是非読んでほしい。
笠町くんや弁護士さん、いろいろ今回スポットの当たらなかったキャラクターにも人生があるのが伝わって欲しい!
穏やかな雰囲気のいい映画(原作既読)
葬儀のシーンでの、周囲の言葉を言葉として拾わないように分解し、音の塊になり、おおってくるような描写…それを打ち破るマキオちゃんの声……実写ならではのいい描写で凄くゾワゾワした。あと、同シーンで、キャパオーバーしてるんだろうなぁってわかるアサ役の俳優さんの狼狽える表情もかなりよかった。
しかし、マキオちゃんがなぜ、アサに「あなたの母親のことが嫌いだった」と伝えたのかが描写されてなかった気がするので、そこは少し気になった。マキオちゃんが親が亡くなってしまったアサに追い打ちをかけるような言葉をかける不躾な人に見えてしまいそうだ。
だが、マキオちゃんの周りのナナちゃんやカサマチくんとの会話は、あー彼らは長く関係を続けてくることができた代えがたい人達なんだろうなぁというのが垣間見えるようないい距離感だった。
題材を転々と詰め込みすぎでエミリの恋愛の描写や学年首位の女の子の描写は必要だったのだろうかと思わなくはないけど、全体的に穏やかでいい雰囲気の映画だった気はする。ドラマでの実写化のほうが合ってたのでは?とは思うが。
最後に、アサの歌のままエンディングではなく、そのあと数シーン挟んでからのエンディングだったのが、この作品らしい終わり方な気がしてとても良かったと思う。
原作の良さが生かされておらず、なにを伝えたいのかピントも合っていない
原作が大好きで、楽しみにしていた。
正直キャスティングは新垣結衣さんは大好きだけれど慎生ちゃんにしてはキュート過ぎると思っていたが、それはそれで良いかと思い
それ以外の情報を入れずに見に行った。
ここの評価も高めだったので安心していただけに、非常にがっかり。
新垣さんは原作の慎生に近づけようといろいろ努力してくださっている感じは伝わってきたが、肝心の脚本が浅かった。
あの膨大な情報量の原作から何を切り取り
どこにピントを合わせたいのか全く分からなかった。全てが中途半端。
取捨選択が必要なのは分かるが、必要な台詞をカットし不要にしか思えない大胆な改変が続く。
セリフが一緒でも違う状況で言われたら全く印象は変わるし、
切り貼りされてる感じで余計チグハグだ。
タイトルへの言及も無かった。
そもそも何故構成を変えてしまったのだろう。朝を可哀想な子に見せたいからだろうか。
それなら身寄りの無い子どもを親戚として引き取るなんて違国日記でなくとも
オリジナルでいくらでもその設定で作ればよかったと思う。
途中で席を立とうかと何度も考えてしまった。
『この日このひとは群をはぐれた狼のような目で
わたしの天涯孤独の運命を退けた』
この言葉は繰り返し出てくる重要なものなのに、”その方が豊か”という理由でモノローグが無くなり
朝の内心が全く伝わってこない。
原作の無邪気だからこそ不躾になることがあり
幼いところがあるもののきちんと可愛い朝と違って、
慎生に対して態度が悪くうざいと言ったり心配させたり、そしてけして謝らないので
ただただ生意気で苛々してしまった。
歌が本当にうまい感じも伝わってこなかった。
槙生ちゃんの作家な感じも、上辺だけだった。
ちょっとした会話からふっと創作の世界に沈み込む感じが基本的に無い。
言うことが詩的で含蓄のある感じもなかった。
笠町くんと塔野は正直出した意味がなかったと思う。
特に笠町くんに至っては、元カノに未練がある上日記のことを口を滑らせる
余計なことしかしない男でしかなくてノイズだった。
原作の笠町くんは朝のことをさん付けで呼び、子供に話して良いことかどうか
言葉を選びながら嘘はつかず丁寧に接してくれる重要な人物なのに。
親が完璧で自分も完璧でいなくちゃならなくて
周りもそうなのが普通だと思ってしまうのは遺伝病のようなもので
だからこそ鬱になって苦しんで、大人になっても親との関係で苦しんでいる笠町くんは映画にはいなかった。
そもそも病院で母親に言われて仕方なくその日はうちに連れ帰るという流れが自然だったのだ。
大雑把なようでいて、取り敢えずあったかいものを食べさせようという
絶妙な槙生ちゃんの気遣い方が無かったし、
しかも「わからないのは変じゃない」はその後の
「悲しくなる時が来たらその時悲しめばいい」があってこそではないのか。
姉を嫌いだから悲しくない。朝を気の毒だと思う分それが悲しい。
大人がそうやってぶっちゃけてくれるのが大事なシーンなのに、
あれではただの思わせぶりだった。
日記は、悲しいか分からないという朝に
「たとえ二度と開かなくても悲しくなった時それがあなたの灯火になる」と
書くのをほぼ初対面の段階で勧めるから良かったのだ。
事前にこのやりとりがあっての葬儀の場面だから良いのに。
しかも、「あなたにこんな醜悪な場はふさわしくない」とはっきり言ってしまうところが。
自分の母親が朝に遺体確認をさせたことを怒っている描写は絶対大事だったと思う。
日記はタイトルにも含まれているとおり非常に重要なアイテムで、
「本当のことを書く必要もない。書いていて苦しいことをわざわざ書くことはない」
と慎生が言ったことが朝にとても響いた訳だし、
悲しくない自分が変なのかと思っていたから、
悲しくなったらでいいと言われてありがたかったという朝の台詞は非常に重要だ。
非常に気になったのだが、槙生ちゃんが玄関まで見送りに出ないのは何故なのか。
とても違和感があるし、朝も戸締りしないし普通に不用心。
しかも毎朝そうやっておばあちゃんもお母さんも慎生ちゃんも見送って
帰りになになにを買ってきてという会話があって、という話もあったのだから
見送るのは重要なシーンだと思う。
二人とも平気で外着で布団に寝転ぶのも気になった。
原作だと朝が布団に入ってスマホを充電コードに繋ぐ感じもリアルだったのにな。
朝がわざわざ仕事をしている槙生ちゃんの横に寝る理由もあれではわからないのでは。
姉が嫌いというのもフェアじゃないと思うから言っただけで
人の悪口をわざわざ聞くものじゃない、自分の意見に流されずおかあさんを好きなままでいなさいという理由で何故嫌いかを話さないのだ。
映画しか見ていない人に、その慎生ちゃんの思慮深さは伝わったのだろうか。
マンションを買うのを笠町くんにいわなかったのは、誰かに言ったら目が覚めて夢でしたってなるのが怖かったからであって、
アニメになったからお金があったから、では意味が違ってしまう。
朝と部屋を片付けに行った時、「来週」という姉の予定を見て
来るはずだった来週が来なくなり世界から忽然と存在が消えることに思いを馳せる慎生はいなかったし
ピクルスの前で、現在形で母のことを話す朝にあなたは考えている途中で強引に断ち切る必要はない、とも言ってくれず、あろうことか「ピクルスは好きになったじゃん!」
と朝に喧嘩を売られてしまって驚いた。
慎生がだらしない印象をつけたかったのか知らないが、原作の慎生は
卒業式の日にちゃんと見送るし、その時に記念だと写真を撮った。
朝も、食べたいのはピザとちゃんと答えたのだ。
えみりのLINEを無視している時も、「うるさいな、仕事してれば」と喧嘩腰になるが
「したいよめんどくさいな」「一日分喋って疲れた」という慎生に朝は「ごめん」と言う。
用意してもらった足湯を叔母に引っ掛けてがたがた当たり散らしはしない。
だいごからの手紙の話がカットされているのも解せなかった。
えみりの母親が原作では朝に謝るし、朝が一人で寂しいのに言えないのではと心配して
叔母さんに来てもらったら、と言うのに、映画ではただの嫌な人でしかなかった。
入学式で親が死んだとみんなに言った後、原作では母親ではなく慎生ちゃんが知ったらなんというだろうかと考えているのも大きな違いだと思う。
歌上手いんだから歌えば、と慎生ちゃんが言って、お母さんがバンド嫌がったからと返すのを、なぜマックブックプロの話にして流れを変えたのだろう。
弁護士をとりあえず登場だけさせたかったのだろうか。
原作の弁護士は笠町くんの次に良い人な男性という印象だった。
仕事ではなくちゃんと朝ちゃんを心配して、慎生ちゃんにもちゃんと謝ってくれた感じがあったからひっかからなかった。
映画の台詞の順序だと、塔野さんが慎生ちゃんを疑って、「行動を制限されたことはありますか」と朝に訊いているようにしか見えなかったし、実際「朝に訊いてる」と慎生の言葉を遮りもした。
えみりを家に呼んだ時、原作は慎生が家にいなくてLINEも返事がなくて、でも書斎スペースのドアをちゃんと締めていた。
変わった人だから、と朝とえみりで馬鹿にすることもないし、慎生が何度もドアを開け閉めして挙動不審な態度をとることもない。
ここの朝とえみりの会話も、「髪ピンクに染めれば」より
「ゆこちゃんがカットモデルをやってて朝ももっとおしゃれすればいいのに」が重要なのではないのか。
笠町くんが人を慰める時に肩を抱いて、大型犬だと思ってと言って、これまでのその経験があるから慎生ちゃんは朝にそうしたのに、
映画の感じでは元彼と酔っ払って良い雰囲気になっているように見えてしまって嫌だった。そういうのではないから慎生ちゃんも気にせず、テレビに朝の好きな人出てるよと呼んでくれるのが良いのに。
映画の元サヤに戻るのかと騒ぐようなのでは、
「わたしだけが知らない国にいるのだという心地で眠らない、いうなれば久々の幸せな夜」にはならない。
お母さんに似た人を見て一瞬はっとするのはわかるが、叫んで追いかけるのはやり過ぎ。
中学生という年齢でしかも目の前で事故を目撃した設定で
遺体確認までしてそうはならないだろうと思ってしまう。
おかーさまです、とかぐうっとか、漫画だからこその書き文字表現であって寧ろそういうところこそ実写化にあたって改変するところだったのでは。
えみりと慎生ちゃんのやり取りが恋バナしか残されていなかったが、
えみりに物語を貸すことで回答とするのが良かったのに。
慎生ちゃんが食べ物を口に入れたまま喋るのは、笠町くんや友達とか気を許せる人
とだからやったことだと思う。
朝の母親の日記は二十歳になったらあげようと思っていたと書いてあったのに
設定を変える必要はあっただろうか。
渡さない選択肢も5年もあれば出て来たかも、と慎生が思ったことも朝に伝えるか迷った重要な理由だと思う。
しかもあの書き出しの言葉、実里が泣きながら言っていたのなら話は違ってくるだろう。
実里には実里の怒り、孤独、葛藤があった。
朝のサボりを重要な試験をぶっちしたことにした理由もよくわからないし、
笠町くんが駆けつけて「頼るの簡単だろ」「難しい」の会話があったり
塔野さんが「大事にした方が良い」と言って大人三人で探すのが意味があったのに、
映画では先生に呼び出されるだけになっているのも改悪だ。
「親が亡くなったことをうけいれる準備ができ始めたのかも」と慎生が言うのも重要だったはずだ。
慎生の部屋に勝手に入ったことを笠町くんが怒ってくれるのも、
慎生には友達がいっぱいいるし自分がほしい嘘を慎生は言ってくれないと
朝がいじける流れまで自然だった。
それでやっと初めて両親が死んだ、と朝が泣くのだ。
ここまでで5巻の話だ。
どうせ最終巻までは話に入れられないなら、このあたりまでを丁寧に描いた方が良かったのではないか。
朝のライブが盛り上がりで終わられたらチープで嫌だなと思って見ていたら本当にそういう展開だった。
三森や塔野など、原作と見た目やキャラを変える理由はなんだろう。
なにからなにまで忠実にする必要はないが、不必要に変える必要もないと思う。
朝の作詞に慎生はちゃんと具体的なアドバイスもしていたし、
「死ぬ気で殺す」もこの前の「打ち、鍛え、研いで」が大事なのでは?
えみりが「もう絶対友達辞められないじゃんと思った」というのもカットされているし
不正の話も物語の舞台が2023年だからといってあそこまで変える必要はあっただろうかとてもチープになってしまった。
千世ちゃんとの
ひどいこときいていい?自分の人生終わったと思った?
終わってない、生きてるから という会話をカットするなら、千世ちゃんとのシーンの重みがなくなってしまう。
原作では慎生がする遠吠えをなぜ改変したのかも疑問。
えみりのカミングアウトの話を残すなら、慎生から映画を借りたり
最初に慎生に相談したエピソードは残すべきだし、
ベランダで外が見えるところでお弁当を食べながら話すのを
放課後体育館に呼び出してふたりきりひっそりというシーンに変えてしまったのはなぜなのか。
落ち込む三森の話を聞いて励ますこともなく、どちらかというと三森ちゃんの方が強くて
「大学では軽音はやらないからいまのうちに」と言うのを朝が自分は続ける、と言ったのを聞いて揺れ動く=本当はやりたい三森が
音楽好きだからやめるーと思わせぶりなことをライブが始まってから言うのも謎。
千世が「大丈夫じゃないまま生きていくからいい、田汲が忘れないでくれたら少なくとも田汲の周りでは変わる」という台詞があってこそ、
世界を変える、と願いを込めて朝が歌った意味があったのに。
朝のコミュニケーション能力を慎生が心底羨ましがっていることも
もし過去に戻れたらと言われても多分お互い自分の持っていないものを持っている相手が嫌いだったから無理だ、と話すのも無く
中途半端に掻い摘んだ会話になってしまっていた。
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