「だったら槙生と朝だけの関係性を描いてほしかった(原作既読)」違国日記 かのこさんの映画レビュー(感想・評価)
だったら槙生と朝だけの関係性を描いてほしかった(原作既読)
原作がとても好きで、ガッキーが槙生ちゃん?と一抹不安を抱えながら見に行きました。
この点で言えば、思いの外悪くないキャスティングだったなと思います。槙生ちゃん含め、朝もダイゴもえみりも。キャスティングは悪くないし、役者さんそれぞれの演技も原作の登場人物と近いものを感じたが、脚本があまりにも……。
原作では最初から最後まで登場人物がそれぞれの立場からきちんと15歳という「柔らかい年頃」の朝を思いやっている。
原作では遺体確認を朝にやらせた母親を槙生は怒ったのに、映画では槙生が朝と一緒に、なんなら朝のほうが近くで遺体確認をしている。その時点で「おや?」となった。
「悲しくなるときがきたらそのとき悲しめばいい」
「あなたは 15歳の子供は こんな醜悪な場にふさわしくない 少なくともわたしはそれを知っている もっと美しいものを受けるに値する」
冒頭、この2つの言葉が重要だと思うのだが映画では見事にカット。他にもこのセリフはいれるのに続きのセリフはカットなの……?なところが多くて不完全燃焼というか、セリフの意図がこれじゃあ伝わらないよね、て感じだった。
ピクルスの下りも、朝が急に妙な絡み方をしてきて「朝ってこんなに面倒だっけ?」となった。15歳らしい絡み方をする子ではあるんだけどね。個人的に違国日記を紙で買おうと決めたのがここで槙生が「現在形」「現在完了進行形」「過去完了形」を説明するところだったので、こんな変なオリジナルいれるならそっちをやってほしかった。(見る前からカットされるだろうとは思ってたけれど)
えみりと槙生の会話についても、原作ではえみりとある程度関係を築いて、えみりがちゃかすために聞いたわけじゃないから槙生は応えたのに、槙生は初対面で自分のことをあそこまで話せる人間ではない。且つ、その話をするなら映画を貸すところまでやって欲しかった。えみりは槙生と話しただけで救われたわけじゃなくて、槙生が貸してくれた映画もセットでようやく救われたのに。
えみりが朝に打ち明けるシーンもなんで体育館?しかも放課後なら部活とかで使われてるのでは?校舎裏とか屋上とかもっと他の場所あるでしょう。
そして、あんなに中途半端に出すくらいなら笠町くんも塔野さんもカットして良かった。特に塔野さんなんてあのシーンバッサリカットしても不都合なかったのでは?というくらい。染谷さんをキャスティングするほどでもないというか……。
個人的に一番嫌だったのは笠町くんのキャラ崩壊。他の登場人物は平気だったのだが、笠町くんは駄目だった。
距離感を間違えて別れて、それでも槙生の人生に関わりたくて槙生にとってちょうどいい距離感を模索して、し続けてる人がサイン会という大勢に見られてる仕事中の槙生にプライベートの誘いは絶対にしない。サイン会にだって行かないだろう。万が一行ったとしても知り合いムーブはしない。
そして誠実に丁寧に朝と接する人(自分の年の半分以下の朝に対してさん付けするくらい)があんな迂闊に日記の話を朝に振らない。
完全に笠町くんの良さは消され、映画の話の転換に都合の良い人としてしか描かれてなくて心底がっかりした。こんな風にしか描けないなら無理やり全部ダイゴに置き換えて笠町くんを出して欲しくなかったくらい。映画の笠町くんとは槙生は別れてから連絡は取らないだろうと思う。
朝の日記についても重要なアイテムなのにかなりおざなりな扱いだった。ましてや砂漠の話が一切出てないのに朝が急に砂漠のあのイラストを描いても原作を知らない人は「なんぞ、これ?」となるのでは?
エピソードのかいつまみ方が微妙で全体的に薄味。結局何を意図した映画なのかも分からない。これならいっそ槙生と朝以外の色んなエピソードを思い切ってバッサリなくして、二人の関係性と朝の成長を重点的に描いたほうがよかったのでは。