不安は魂を食いつくすのレビュー・感想・評価
全16件を表示
名作過ぎてひっくり返った
何の気なしに鑑賞して、我が人生のベスト級の映画に出会ってしまいました。「不安は魂を食い尽くす」、名作です。高度に洗練された映画だと思います。明瞭かつ芸術的。人物の仕草を繊細に描き出すアプローチを取りながら、テンポが全く損なわれていない事に驚きました。差別という題材を描く上で必要十分に登場人物の描写が立体的で、かつ必要以上に掘り下げない距離感を保つのも上手い。全てにおいて匙加減が絶妙。例えば冒頭で掃除婦のエミが元ナチ党員である事が提示され、彼女が単純化された悲劇のヒロインでない事を観客に提示する一方で、その背景が罪としてクローズアップされる事はないのです。シンプルな物語だから出来た理想の取捨選択がこの映画にはあります。強いて作品の色を語るならば、客観的でやや乾いた映画だと思います。だからこそ、差別を題材にしながら、半世紀経った今でさえ通用する普遍性を獲得出来たのでしょう。
ラストについては悲劇で終わる事も楽観も許さない、本作の小市民的リアリズムからの帰結だと自分は感じました。その分ちょっと恋愛ものに求められるロマンには欠けたかも知れないですね。
70年代の西ドイツにて
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー傑作選、にて劇場で観賞。
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは監督しつつ、チョイ役で出演してます。
センスいいオープニングから引き込まれて観ました。
人種差別や移民問題を扱ってて、いい題材だと思います。
今の日本にも通じ、考えさせられました。
70年代の西ドイツが舞台で、当時の西ドイツを記録した貴重な映像でもあります。
ビートルワーゲンが止まった雨の街角、街の雑貨屋、当時のアパート、などなど…
その点でも楽しめました。
良かったです。
人種問題と年の差婚
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー傑作選から2本目。
う〜〜〜ん、これは傑作‼︎
ドイツ、ミュンヘン。掃除婦として働く初老の未亡人エミは近所の酒場で出会った移民労働者の青年アリと恋に落ち結婚した。
序盤のあり得ない急展開に呆然とした。
移民を差別し、移民と結婚したエミをバッシングするドイツ人たち。ドイツ人に虐げられドイツ人を嫌悪する移民たち。確固として存在する人種問題。
そして、こわれもののようなエミとアリの関係。
60代の歳を取り過ぎているエミと30代で壮健なアリとの行為が想像できなかった。アリは結婚後も必要以上に豊満な肉体をもつ酒場の女と関係を続けた。
残酷なキャスティングだった。
凄いキャスティングだった。
真実の愛だと信じようとしたが確信が持てなかった。打算だったのではないかと最後まで疑った。
恋に猛進する老女エミを演じたブリギッテ・ミラ。
微妙な容姿を含め完璧にハマっていた。
名演だった。てか、ある意味グロテスクな怪演だった。
アリを演じたのはファスビンダーの愛人だったというエル・へディ・ベン・サレム。彼の逞しく美しい肉体、そして酒場の女を演じた後にフレディ・マーキュリーの恋人となるバーバラ・ヴァレンティンの熟れ過ぎてはみ出した肉体が見る目を曇らせた。
エミにとっては手で触れるアリの肉体が真実そのものだったのだろうが。
こんなラストってあるか?
未だ半分くらいの気持ちでいたら、
いきなりエンディングを迎えたので驚いた。
あれは、大丈夫なやつなのよね?
助かったやつなのよね?
エミの献身的な愛と不安、
そして終盤で出会った頃と同じように踊るダンス。
全てが不安定で、でもそれが人生で。
なんとなく地元の田舎を思い出したりしてしまったなあ。
生きづらいよな。
エミがアリと結婚後も全く臆せぬ態度でいるから
余計に好きになっちゃうんよね。
食料品店の店主や仕事仲間との関係性も良かったし。
エミとアリが見つめ合うと、
どうしてあんなにも緊張感が漂うのでしょうね。
恋なのでしょうかね。
現代日本にも突き付けられた移民に関するお話
1974年に西ドイツで製作された映画でした。Bunkamura渋谷宮下で、ライナー・ベルナー・ファスビンダー監督の特集をしており、観る機会を得ました。テーマ的には、移民にまつわる差別や労働問題、移民との愛情や結婚、年の差婚など、社会問題から極私的な分野に至るまで多岐に渡っていました。
中々興味深かったのは、半世紀前の西ドイツの映画でありながら、現代日本にも相通じるテーマ性を持っていると感じられたこと。少子化による労働者不足により、ここ10年程度で日本でも移民が飛躍的に増え、それとともに移民労働者に対する差別的待遇を中心に、それなりに報じられてきました。日本にとっては比較的新しい問題ですが、ドイツでは半世紀も前からこうした問題が社会に蔓延していたらしいことが読み取れた訳です。
主人公のエミは、夫に先立たれ、3人の子供もそれぞれ所帯を持って今は一人暮らしをする60代の女性。そんな彼女がひょんなことで知り合ったモロッコ移民のアリと結婚すると、3人の子供はもとより、アパートの隣人、近所の食料品店主、職場の同僚に至るまで、エミを蔑むようになります。ナチスドイツの反省に立って戦後歩み始めたはずのドイツでも、移民に対する強烈な差別意識は社会の至る所に残っていることを平然と告発した本作は、中々度胸があるとしか言えません。
さらに面白いのは、そんなエミが、自分の親も自分もナチス党員だったことを何の屈託もなくアリに告白し、ヒトラーが通ったというレストランに2人連れだって食事しに行くなど、差別で悪名高きナチスやヒトラーに懐かしさすら覚えていたのに、アフリカ出身のアリには深い愛情を感じていたということ。この辺りのアンビバレントな描写が、一層登場人物を立体的に感じさせてくれたように思います。
最終的には、エミを一時遠ざけていた彼女の子供やアパートの隣人、食料品店の店主、職場の同僚などが、それぞれの打算的な理由でエミに妥協的な態度を取ると、逆にアリの精神が崩壊してしまう逆転現象が起きる。この辺りのダイナミズムも本作の最大の魅力だったように思います。表面的な妥協は成立しても、本質的な解決に至ったようには見られないところでエンディングを迎えます。移民が増え続ける現代日本にあっても、我々がどういった態度を取るべきなのかを考えさせてくれる秀作でした。
幸福が楽しいとは限らない
映画の始まりから、夢中になって見てしまった。人種
、年齢、性別、社会的地位の差、周囲からの目線には敏感で、人を差別することには鈍感になってしまうこと、人を愛することの幸せと傲慢さ。時代も国も違うのに、なんでこんなに身につまされるのだろう。
いろんなシーンで出てくるテーブルと椅子、そこに座る人々の表情、ワンピース可愛い花柄、ファスビンダー監督の作る世界観はすごい。アキカウリスマキ監督が影響を受けたというのも納得。
幸せすぎて不安なの
「幸せすぎて不安なの」とエミは言う。
そう言えば、三島由紀夫の「永すぎた春」の主人公も同じことを言ってました。幸せはそうそう長くは続かないという誰もが心の奥底では気がついている真理。だから幸せって実は怖い。私は三島やファスビンダーのこういうところが好きです。
若き移民労働者と初老女性の結婚は、人々の差別意識を浮き彫りにしていました。周囲の人間は悪人ではありません。しかし悪意があります。排他性や差別の始まりは、真面目な良き隣人や身内から、というのが良く描かれていました。人々は不安から差別を作り出しますが、不安を感じたからこそ、ここまで人類は栄えたのかもしれないですよね。
多分、エミが男性だったらアリが白人だったらここまで差別されなかったと思います。そんな周囲の悪意によりエミとアリは終わってしまうかな?と思ったのだけど、、、
エミがアリを支配しつつありましたが、結婚制度の仕組み自体がそもそも双方の力関係が出る仕組みだからなあ。
ファスビンダー だからと身構えて鑑賞していましたが、意外や意外、ハッピーな気持ちで鑑賞を終えられました。
不安、良くない。差別、良くない。
軽やかなファスビンダー作品
外国人労働者。移民、差別、偏見、思いテーマを、暗いファスビンダー監督が喜怒哀楽軽やかに描く。
冒頭のアラブ歌謡にグッときて、移民労働者が集まるバーに一度入ってみたかったエミが雨やどりを口実に立ち寄るところから、あれよあれよという間もなく周りの偏見に後押しされ結婚してしまう。
モロッコの表現だそうだが、不安は魂を食い尽くすのだそうで、だから不安にならないほうがよいと、人としてのエミの心の温かさ豊かさに、信頼と愛を感じるアリと、初婚の夫も戦前出稼ぎに来たポーランド人で偏見から自由で本質的な正しさや人間らしさに価値を見出すエミ。
社会、家族、移民仲間からの双方の偏見、意地悪、そこから、クスクスに釣られて浮気をしてしまうアリ、ドイツでの暮らし郷に従えと自国に住んでる強みが元々しっかりもののエミゆえ悪意に涙しながらも無意識にでてしまう、そんなすれ違いが、ほんとに、魂ではなく、アリの胃潰瘍を食い尽くしあながあいてじまうのだ。
元々多様性と寛容と個人の自由の尊重が身についているエミだから、アリにあなたは自由互いに自由でも二人一緒にいたら強くなれる、と、道に迷ったアリを勇気づけ愛と力を取り戻すのだ。
それにしても。同じアパートの女たちが、アリの友達が来て音楽や騒いでうるさいと警察に通報したとき警官は、特に問題ないと形式的な注意をしてたちさり、結婚の書類もすぐに受理されるし、アリはモロッコの人アラブの人は人ではないと、ドイツに出稼ぎにきた辛さを訴えていたが日本にくらべたらまともだったんじやない?ておもったり。
気になったのはポーランドからの出稼ぎであったが戦争中はナチスの党員になりなんとか上手くやって来れた、とエミが知り合ったばかりのアリにいうシーン、ヒトラー知ってる?と聞いて、あの時はみんな党員だった、と、その後婚姻届を出し結婚した日、一度行ってみたかっだという高級レストランに二人でいくのだが、またしてもエミが、ヒトラーが通っていたレストランよ、一度いっでみたかったのよ、のしれっと言うのだ。レストランのシーンは飾らず素直なエミの対応がとても良くて心地よいシーンなのだがこのあたり、アパートや職場の女が、エミを慎みがないと言ったり、エミの子どもたちがモロッコ人の夫を激昂するところ、最後ででくるユーゴからの出稼ぎを悪意もないが仲間に入れないシーンなどと重ねて、、、悪意がないことが正しさを意味しないことに思いが飛ぶ。
不安は魂を食い尽くすことストレスやイライラは胃を食い尽くすことを肝に銘じてこれから強く生きていこう。
移民を受け入れない限りこの映画の意義は残り続ける
23年8/14新生したルシネマで。
ファスビンダーのインタビュー本を日常的に読むのが趣味なので、本人による解説を散々読み込んだ上での何年振りかの再鑑賞。
見どころの一つである、主人公の周囲の人物たちの手の平の返しっぷり。
初見のときは呆気に取られるほどで、こんなことあるのか?というくらいの急展開に感じられたが、今回はファスビンダーの意図がよりよく読み取れたように思う。
差別心を露わにしてアリに意地悪する雑貨屋の主人は、妻に諭されて上客の機嫌を取り直す。
母から外国人との結婚を知らされた際に激昂してテレビを破壊するエミの息子は、自分の子供の保育所の空きがないので母親と仲直りして子供を預けたい。
外国人は不潔と言い放っていたアパートの住人は、事情があって物置きに荷物が増えて大変👉移民のあの人ガタイが良いし運んでもらえば解決やん?という発想で下手に出てエミに荷物運びを依頼する。
彼らはそれぞれ利益を得るために態度を豹変させているということが明白なのである。
その利というのがドラマチックなものでは一切ない、日々過ごしている中で、ちょっとこれがあると助かるんだよな〜というレベルの生活の利なのが見事である。
これがファスビンダー曰く、エミとアリの夫婦は結局「受け入れられてない」ということなのか!と膝を打った(インタビューでそのように発言している)。
この「受け入れられてない」状況からエミだけが立場を安定化する利を引き出す。
そのために2人にすれ違いが起き、そのすれ違いに翻弄されてエミとアリはそれぞれ行動する。
この関係性の変化の鮮やかさに見入ってしまうし、彼らの行動がなんとか身を結んで欲しいと思ってしまう。
しかしすれ違ったままで映画は終わってしまうので、実に悲しい終わり方だと思う。
70年代前半、西ドイツの都会ある雨の夜。 初老の掃除婦エミ(ブリギ...
70年代前半、西ドイツの都会ある雨の夜。
初老の掃除婦エミ(ブリギッテ・ミラ)が雨宿りのために職場近くの移民労働者が集う酒場にやって来る。
明らかに場違いな様子。
だが、カウンターで屯していたひとりのモロッコからの移民労働者・アリ(エル・ヘディ・ベン・サレム)からダンスの誘いを受ける。
アリは仲間から暗に圧をかけられたような恰好なのだが、ダンスの最中に、移民労働者に対す卑賤視がなく、心を開いてくれているように感じた。
彼女が頼んだ1本のコーラの代金を払い、雨の中、彼女を送っていくと申し出、寄る辺なきもの同士の一夜は、意外にも男女の関係へと発展、その後、エミの部屋の家主から同居人を置くことは認めずという達しの際、アリと結婚すると言ってしまう・・・
といったところからはじまる内容で、いまから50年ほど前のハナシだが、SDGs、グローバル化の昨今における移民問題と裏返しのナショナリズム、そんな中での個人の幸せに焦点を当てた本作、先見の明があるというか、世は変わらずというか。
「幸福が楽しいとは限らない」と冒頭の字幕で出る。
エミとアリ、どちらも寄る辺ない者。
互いにその孤独感を共有し、排他的な世間に対抗することで幸せを保っていた。
が、その寄り添う感じは少しずつ壊れる。
責められるのは、過去の価値観を有している世代に属してる(と世間から思われている)エミの方。
あんな移民・・・ 汚らしい・・・ よっぽどの好色なのね・・・と陰口をたたかれ、職場からも近隣(個人営業の食料品店に代表されているが)からも拒絶され、孤独感が募っていく。
こういうあたりをファスビンダー監督は、最小限の描写で綴っていきます。
テレビ的というでもなし、演劇的というでもなし。
やはり、映画的な簡潔演出なのだろう。
もしふたりきりで過ごせる世があるなら・・・とエミは考え、アリとふたりで小旅行に出ているうちに、世情は一変してしまう。
これまでエミへの風当たりを強くしていた人々が、環境の変化で困窮することで、手の平を返したように、エミとアリに優しくなる(それは表面的かもしれないのだが)。
そんな周囲の優しさが毒になったともいうべく、エミとアリの関係は冷めていく。
アリにとっては、やはりドイツは異郷の地。
エミにとっては、生まれ育った地。先夫はポーランド人といえども、である。
ドイツの先住主流社会の偏見・バイアスは、エミからアリに発せられ、アリはその毒を感じ、結果、なじみの酒場の女主、同郷の若い女(といっても店主なので、そこまで若くない)とヨリを戻してしまう。
崩壊ぎりぎりのエミとアリだが、もう崩れようとする寸前、関係が無に消えようかという寸前、ふたりの関係は、ふたたび「寄る辺なき者が寄せるところ」となる。
あぁ、ちょっと落涙した。
なんだかわからないが。
幸福が楽しいとは限らないが、たぶん美しい。
この映画もまた傑作だった。
ファスビンダー、恐るべし。
不安は
魂を食いつくす
人間は他人を食いつくす
ファシズム的熱狂というのは、トップから急に降りてくるのではなく、庶民的で素朴な感覚(不安)から草の根的に発生するというのがよく分かるな。
一人ひとりはただ孤独で不安な人間で、寝付けて根付けるねぐらがほしいだけ。
あと、稲妻に撃ち抜かれるような非日常のインパクトと、毎日そんなことやってらんねーっていう日常とのコントラストもあんだよね。人生って無理ゲーすぎるわー。
年の差婚と人種差別
ファスビンダーの作品は知的で陰鬱なイメージが少々、ようは小難しい感覚で身構えながら観た結果は何だか拍子抜けしてしまうほどに和やかな気持ちにさせられる意外性にビックリ仰天!?
特に終盤での病院の場面、まるで昭和の日本にあったようなTVドラマやアニメみたいな感動する場面にこれみよがしで流れる古臭い音楽がホンワカした気分に、微妙に笑わせられてしまう。
微動だにしない登場人物を長回し、しつこい程のロングショット、アキ・カウリスマキの映画を思い出してしまう映像のLookや話運び、ちょっと違うが『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』も何となく、耐えられないほどのストレスが好物のクスクスを作ってあげてさえいれば、そんな問題ではないのか!?
閉鎖的な時代背景か、それともそんな御国柄、70年代に描かれた物語は2020年代の今も変わらない、差別があるか無いか、人間ってそれだけの生き物かも。。。
家を出たまま、職場に押し掛ける、最初は同僚たちと嘲笑う、でも表情は曇り始め、心がキリキリしてしまう場面でもあり、二人には応援の眼差ししかない。
......アキ・カウリスマキにとって自分の映像スタイルは本作から多大な影響を受けていた、ファスビンダー監督作の中で最も重要な作品であると、物凄く納得できてしまうカウリスマキの言葉に気持ちがスッキリとさせられた。
ファスビンダーは「あやつり糸の世界」でもそうだったが相当なテクニシ...
ファスビンダーは「あやつり糸の世界」でもそうだったが相当なテクニシャンだと思う。途中の「そうはならんやろ」連発を技術でかわしつつ、いつの間にか2人に移入するように仕向けている(に違いない)。最近のバービーの件から察するに、世界的に(日本も)60年以上変わっとらんということか。差別に対するものと同等に現実に対しても持たれているファスビンダーの冷たい眼は現代でも全く通用するということ。
誰が結婚を発明したのだろう?
とても面白くて笑えて可愛らしくて。そして結婚の嫌らしさをすごく感じた。
結婚は唐突に起こった。アリはモロッコからの外国人労働者、若くてハンサムでスタイルよくて優しい。ドイツ語は完璧でなくても十分に話せる。付き合いがあるのは同郷の仲間と行きつけのバーのみ。一方、ポーランド人の夫を亡くした未亡人エミには成人した子どもが3人いて、掃除婦として働き自分の住まいに一人暮らしで社交的で料理上手で経済的にも生活面でも自立している。孫もいる。ずんぐりむっくりでおばちゃん顔。アリの祖母といわれてもおかしくない年齢差である。
結婚は大家への言い訳から始まったが同意のもと役所に行って二人は本当に結婚した。幸せでかわいらしいカップルだ。生活しているドイツ社会において権力(見えないガラスの下駄を生まれつき履いている側)はドイツ人である妻のエミにある。ただ当初は、肌の色が異なる外国人労働者と結婚した為にアパートの住人からも行きつけの商店主からも同僚の女性からも自分の子ども達からも疎んじられ皆離れていく。それでもエミとアリは強く結びついていた。
それが、二人で過ごした気晴らし休暇から戻ったら状況がおかしく(普通に?)なってくる。住人も商店主も同僚も子ども達も手のひら返しの優しさでエミとの関係を戻す。そしてエミも変わる。顎でアリを使うかのように隣人の荷物移動手伝いをアリに指示する。女達がアリの若くてスベスベした筋肉質の身体を触りまくって褒め称える。それをエミはニコニコと笑って眺めている。クスクスを作ってというアリに、「クスクスなんて私は本当は嫌い。あなたもドイツに慣れなくては」と言い放つ。二人だけが幸せなら良かったはずだったのに。みんなの意地悪は嫉妬からだとエミは言っていたのに。でもエミはアリとの結婚で失った知人、友人、家族関係を恋しがってもいたのだ。
最後にエミはアリに言う。あなたが誰と寝ようが関係ない。二人で幸せに暮らしたい。残りの人生を一緒に過ごせればそれでいいと。「オレはお前より先に死ぬ、お前はオレの面倒を最後まで見るのだー」と昭和の夫のようだ。一方で、アリは当時の医者によると外国人労働者に多い胃潰瘍を煩っていて原因はストレス。どっちが先に死ぬのかもう誰もわからない。
結婚における権力構造を明らかにするためには男女関係をここまでひっくり返す必要があるのか・・・と絶句した。
全16件を表示