春画先生のレビュー・感想・評価
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R15➕には理由がある それは両極端な意味と感ずる 偏愛ステキな作品。初の春画作品。
本作、予告編では 瞬間映る 柄本佑の青パンツ しか目に入らなかった。
エロティシズム はエロティシズム と 実際の色々な愛の形
愛の形は 飛んだ方向に向かうが そこそこヘンテコで共感。
主人公の 愛の形が遠回りすぎて深い。
春画、浮世絵の美しさは芸術です。コレは2つの意味があると思った。
一つは 古風なエロの上品さ 春画、芸術だよね
一つは 古風なエロの 真っ当さ、つまり
ワシ高度成長期生まれ にとって 江戸時代の服装も髪型も 下の体が反応しない 昔から
もう和服の段階でほぼ 普通
やっぱり本当の肉欲的なエロはモジリアーニの裸婦画ぐらいじゃないと
あっ、江戸時代のエロと 西洋のエロの優劣ではないです。
ただ 現代っ子もやしっ子世代は 着物のエロ江戸時代のエロ は まんま芸術
色欲は一切感じない
だいたい 春画初めて聞いたのは 松本清張の 日本の黒い霧 下山事件の奇術
戦後占領期、GHQに揺さぶられたかと推測される 下山国鉄総裁
貸金庫には 現金と春画が・・という記述
自殺なら処分するのが人情 と松本清張さんは記している・・
ワシは思った 江戸時代の 絵画なら 色欲は関係ないんじゃない 当時はエロ写真ぐらいは縁日や通信販売で手に入ったよねぇって 実際 若干清張さんの主張を受けて 春画 本で見てみたらそのとおりだった。当時はネット検索無いから
探すの苦労した。
でも 幕府は公式には認めてないが いわば放任されてた 肉筆or木版画の春画 庶民【ただし地主】
から大名まで 男も女も 一服の清涼剤 笑い絵 は 表現の自由の素晴らしさなのだ。
内野聖陽が 大人の 落ち着いたエロ 倒錯した状況も好演
北香那さんは 体当たりの演技だけど 基本 サッパリ秋吉久美子みたいで 上品【いわゆる色欲は感じない個人的】
柄本佑は相変わらずの安定感
元祖 エロのパイオニア 白川和子さん 安田顕主演 私はいったい、何と闘っているのか 以上の好演
絵師、彫師 刷り師 の匠の技に感じ入った。
15R➕ というのは ネット全盛の時代 色欲には結びつかないからだろう、高校生見ても安心。
北斎 歌麿 文化的
ただストーリーは 現代の愛の形❤️描いてて ヘンテコリン 二刀流はずるいよね!と思った。
ミディアムテンポの 文化➕昔のエロ➕今では芸術🎨の好作品でした。
春画には日本人のDNAが凝縮されている?
春画の奥深さを味わって、教養を深めたところで、ドS女優競演のクライマックス。これは、予想をはるかに上回る面白さ。
内野聖陽がまじめな顔で春画の素晴らしさを語っているだけで、おかしみが伝わってくる。それに輪をかけて弓子が春画の魅力に取り憑かれて、春画の新たな発見をしていく様は、自分が体験しているようでもある。
円山応挙が和紙の白さだけで雪を表現する技法を春画先生が弓子に解説する。なるほどすごいと唸っていると、今度は、歌麿が春画で同じことをしているではないですか。
歌麿と北斎の違いは、致して描いたか、致さずに描いたか。この説明には、目からウロコ。
明治新政府によって封じ込められてしまった、性へのおおらかさというか、楽しむことへの屈託のなさ。日常に芸術が同居している豊かさ。
そんな日本人のDNAがたんと詰まっている春画を学んで行きたい。いや、楽しみのが先でございます。
愛すべき変態達の饗宴
コメディーではなかった。でもおもしろかった!
まさかの安達祐実劇場
もっと春画の世界を楽しみたかった
題材から、エロティックな話と見せかけて、実は真面目な話なのかもしれないと思ったが、やっぱりエロティックな話だった。
春画の解説を通して、文明開化以前の日本の性風俗は、今よりもずっとおおらかで開放的だったと説く春画先生によって、周囲の者の理性のタガが外れていくという設定は面白い。
その流れで、春画先生とその弟子の若い女性、編集者、そして先生の亡き妻の姉が織りなす、ちょっとアブノーマルな人間模様も楽しめる。
ただし、最初の頃こそ、春画を中心に物語が進んでいくが、徐々に春画が脇に追いやられて、最後は、(希少な春画の入手という目的はあるものの)春画とは関係のない三角関係と特殊な性癖の話になってしまうことには違和感を覚える。
特に、行為の最中の声を聴いたり、SMにふけったりといった性癖に、春画が何の影響も及ぼしていないことには、物足りなさを感じざるを得ない。
せっかく春画を取り上げるのであれば、もっと登場人物のキャラクターに絡めたり、人間関係に反映させてもよかったのではないだろうか?
先生による春画の講釈も、質・量共に満足のいく内容ではなく、弟子と共に、もっと多くの春画を鑑賞し、楽しみ方を学び、その奥深さを体感したかったと思ってしまった。
あそこを隠すと見えてくるものがある。
なるほど。でもそこまでだった。
もっと春画の魅力に引き込まれるような知的でお洒落な内容かと思っていた。自分に教養がないためか、楽しめなかった。
ポスターからは想像できないくらいのセンスのなさ。
テンポも良くないし、音楽も酷い。
弓子が春画に惹かれていく、そして春画先生に惹かれていくところが上手く描かれていないので、すべてに共感できない。行動原理が理解できない。
喫茶店という公共の場で春画を広げて見る。
自分を慕っている女の子を弟子である編集者と寝かせてその声を聞く。
お手伝いさんが辞めたら、もう僕には君しかいないんだと泣きつく。
挙げ句は、欲しい絵のために女を売る。
春画先生がただのクズ。
いっそR18にしてもっとマニアックな内容にした方がよかったのかも。
公開初日、数多の話題作が公開される中でこの作品を選んで観に行ってよかった。来週か再来週にはもうやってないかもしれないから。
こんな作品で裸体を晒した北香那がただただ気の毒でならない。
一瞬実相寺
将を射んとせば先ず馬を射よ
テーマは"性の解放"といったところで、監督の過去作『月光の囁き』を観て於いて良かったと思っている 『さよならくちびる』もきちんと俳優を脱がせば話の襞が露出され良かったのにと思う程、今回の北香那の決意がしっかり感じさせられる演技に称賛したい 濡れ場は脱がなくても、情事後のオトボケ感を醸し出すバストトップは演出もさることながら、本人の狐に摘まれた様な仕草、そして二回目の堂に入った落ち着きという演技分けときちんとこなす技術の高さに、同年代の俳優との差違を圧倒的に感じるのだ NHK『どうする家康』でクィア案件の回を演じた彼女と、『まなみ100%』の中村守里が、こうして堂々と映画の主役を張るということの邦画の正当性に感謝しかない
とはいえ、今作は、過去作よりかはインパクトに欠けるのは春画先生の吹っ切れ不足であることが明白である ストーリーテリング上、SMに転ぶ事は、春画から責め絵に移行するシークエンスの転換である程度予想範囲を張れる しかし、内野聖陽だけは新たな一面を垣間見せず、平坦な演技に感じてしまったのである 「私はこの世で一番醜い豚野郎です」の台詞も、彼のイメージ打破が得られなければ空虚に響く"言わされている感"としか受け取れない そういうセーブを演出として施されているならば、それこそ監督の過去作も同じで、原作の方が余程心に訴えるものが大きい 両作ともヒロインが身体を張ってるのに、監督にはきちんとマゾヒズムを表現出来る様、精進願いたい でも、地震アラームから始るオープニングと、折檻部屋での二度の地震の演出はニヤリとさせる演出であった
エロティシズムを文学や芸術でくるむという、揚物料理的な構造は、確かに歳を取るほど面白い それは若いとき程体力に任せたリビドーの落とし処が、枯れた水道栓の様に空気だけが情けなくだらしなくシューシューと音をたてる如くである しかしその空気はイマジネーションで如何様にも彩る事が可能であり、その補助線は文学であり絵画であろう
NTR、クィア、そして被虐、加虐 性の解放を単に忌まわしい欲に塗れた唾棄すべき行為か、それとも動物にはない高度なイマジネーションが基のイノベーションなのか?
倫理観では推し量れない陰湿感を、回転寿司のレールのような移動台座でクルクル回る海女と蛸の交わいで、滑稽さと真面目さを並行させた手腕は評価したいし、弟子のTバックの安直な演出の可笑味も上手だったが、表題の通り、亡き妻の双子の姉、すなわち元恋人という"馬"を射る為、安物の白ワインとビールの混ぜモノを"小水"と称して何杯も平らげる俳優魂に、果して内野聖陽は応えたのだろうか?・・・
ラストの弓道場を盗見していたヒロインが考えるレシピは、『的当=金的へのダメージ』といったところか・・・(苦笑
鰹節のメタファーが分らなかったのだが、どなたかご考察願えればありがたいです
PS.『春画とワインのゆうべ』は目白の永青文庫がロケっぽくて、春画展は観覧したことがあって、ハイソな雰囲気は住む世界の違いをまざまざと感じさせてくれた異空間である
セキレイの話と、冒頭の春画先生宅への訪問逡巡の件とか、細かい伏線回収が多いのも今作の特徴!
PS2.やはり秀逸だったのは主人公の演技と演出の吹っ切れ具合に尽きると改めて感じる
彼女の俳優魂がなければ今作は愚作に成り果ててしまう危険性がチラつくからだ
勝ち気な性格というキャラ設定を、ステレオタイプ的に物言いの強さや刃向かう態度の文脈の空間に潜む単純な心情吐露を観客に伝える術や、只感情表現だけではない微妙な表情、情熱と戸惑いと決意の表現を、勿論共演者のガイドが補強しているのだが、助けなくても理解出来るストーリー読解力が十二分に完遂している演技で以て為し得ているのである 春画に併せた性愛描写、それとは関係無い目覚めの無防備な演技と演出、俳優と監督の信頼感があっての見事な画なのだ。。。
沼る人になりたい。
春画先生
観るものを選ぶ作品
春画を詳しくわかるかと期待して鑑賞
初めての挑戦を評価したい
監督のコメントによると、無修正の春画を商業映画で扱うことにチャレンジする、というコンセプトが先にあった作品であるとのこと。
本編を観ると、「官能」と「芸術」と「娯楽」の要素を持つ春画の世界を投影する作品を目指し、ある偏愛の形を軸に全体を明るくまとめようとコメディテイストに仕上げたのだと感じた。
ストーリーは、地位のある男性と芯は強いが彼には従順な年下女性が、支援者にけしかけられながら二人の世界に沼っていく、官能小説のような物語。序盤は比較的コメディテイストが薄いのでつい真面目に見入ってしまうが、全編を通せば人間ドラマとしても恋愛ものとしてもファンタジー性が強く、真剣に観るより肩の力を抜いて観るのが正しい楽しみ方なのだろう。
女優陣や自然の風景を美しく撮ろうという熱意が伝わってくる映像は、非常に見応えがあった。
ストーリーや表現の端々に、商業映画として成立させるためのラインを見極めようとする手探り感や、映画の作風を妖艶な官能の世界に振るか文化や芸術の世界に振るかを迷ったような雰囲気も伝わってきた。世界観でも主張でもない現実が透けて見えたのは少々残念だったが、邦画界初の挑戦ともなれば仕方ないのだろう。
そうした挑戦的な作品が堂々と複数の一般試写会を開催していることもまたプロモーションの分野における挑戦であり、自分は歴史に立ち会ったのだと解釈した。
今作で無修正の春画を扱う最初の作品としての前例ができたので、いつの日か、より振り切って練り上げた没入感の強い作品が生まれることを期待する。
現世で「同志」を見つけられたヒトは幸いだ…
まず最初に断っておくと、本作は「コメディ」ではない。一風変わった「恋愛」作品ではあるけど。予告編から勝手に思い描いていたストーリーは、良い意味で見事に裏切られる(笑)。そんな裏をかかれる愉しみ?も秘めた作品だ。
老舗喫茶店でバイトしながら無為な日々をやり過ごしている弓子さん。彼女は、店内でテーブルに春画をこれ見よがしに広げる春画先生から、春画をもっと見たくないかと声をかけられ、興味を覚える。
ほどなく彼女は、谷崎潤一郎の短編にでも出てきそうな古風な先生宅を訪問。そこで春画の読み解き方をレクチャーされるうち、春画に、そして妙にストイックな先生に惹かれていく。
そんなある日、先生はいきなり弓子さんに、亡き妻のドレスを着用し(ヒッチコックの『めまい』のよう)、内々な春画の会合への同行を求める。これを機に二人のキョリはぐんと縮まるが、先生はヘンテコな性癖も顕わにしてきて…。
その後、キューブリック監督の『アイズ ワイド シャット』『シャイニング』やポール・トーマス・アンダーソン監督の『ファントム・スレッド』のような、全く予想外の展開があって、、、などと書くと相当ヤバい作品じゃないのかと誤解されそうだが、そんなことはない。むしろ、隠し味として『彼岸花』『秋日和』などの小津テイストがはらりとまぶされ、「おおらかで明るい」一品に仕上がっている。そこが、映画前半で熱く語られる「春画の魅力」とも一脈相通ずる本作の、類いまれな持ち味になっているのだ。
江戸時代の自由闊達な春画にドハマりしながら「亡き妻に操を立てる」という現代の呪縛からは逃れられない春画先生。
対する弓子さんの方はおのずと生命力をほとばしらせ、その場のノリに身を投げ出すかと思えば、70年代邦画の絵沢萠子のごとく、ひたむきに走って走って走り抜ける。
このふたりが互いを「同志」と認め合い、「人を好きになることの痛み」に悶々としながら共に歩を進めていく姿を、私は羨望と嫉妬が入り混じった眼差しで、そぉっと覗き見たのだった。
追記:
“覗き見た”本作ではあったが、鮮やかな青のブーメランパンツ一丁でぷるぷるさせながら歩く柄本佑のことだけは、唯一ガン見してしまった。小津監督作『彼岸花』の朱色のやかんに匹敵するディープインパクトだ(笑)。
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