春画先生のレビュー・感想・評価
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疾走するヒロインが心地よい
「春の画 SHUNGA」と公開時期が重なったのは良かったのか悪かったのか。レビューを読んでいても今一つどんな映画なのかよく分からなかったので「春の画」の後から観に行った。変わり者の春画研究者を描いた映画だろうと思っていたのだが、意外にも春画はモチーフの一つでしかなく、いわゆる艶笑譚、セックス喜劇に属する作品だと分かった。
これは褒め言葉である。1970年代ぐらいまでは日本映画にもセックスを題材にして明るく笑い飛ばす映画が多かった。それ以降は一部のピンク映画を除けばセックスは苦しい恋愛や深刻な不倫をテーマとした映画の添えもの扱いとなり性行為を大らかに楽しくとりあげた表現は後退することになった。海外でも同様な傾向がありウディ・アレンなど一部を除けばセックスを楽しく表現する映画作家はいなくなった。(韓国のパク・チャヌクはそれができる監督の一人。本作とパクの「お嬢さん」は似通ったところがある。春画の鑑賞会からの単純な連想かもしれないが)
本作はセックスをテーマとした、明るく楽しく柄の大きな作品である。
大きく貢献しているのがヒロインの弓子を演ずる北香那。柄本佑演ずる辻本が劇中で弓子のことを「感情ダダ漏れ」と評するが実に直情径行の疾走型ヒロインである。文字通りの疾走であって終盤姿をくらませた春画先生が彼女をラブホテルに呼び出すところ、走って走ってホテルに突入し回転ベットに飛び乗って「はいどうぞ」といいながら服を脱ぎだすところ爆笑してしまった。
実に気持ちよい弾けぶりである。この映画のヌケが良いところは彼女の演技に依るといっても過言ではないと思う。ファンになってしまった。あまり期待していない映画だったのだが収穫があったと思っている。
とんでもストーリーも役者が本気だと胸を撃つ
ツンデレ美熟女を演じさせたら日本一だと個人的に思ってる安達祐実と、稀代の憑依型カメレオン若手女優・北香那に、れっきとした紫綬褒章受章俳優の内野聖陽が、変態を描かせたら日本一(?)の塩田監督のメガホンの下でガチンコ演技を繰り広げる、それなら見ないわけにいかないと思いながら、もたもたしてたら主な映画館は軒並み上映終了になっちまった・・・ で、京都のしがない(失礼)ミニシアターにて観劇。
先に今話題のゴジラ・マイナスワンを別の映画館で見て、その時思いましたのは「どんな力業で攻めてくるストーリーも、見る側の胸を打つかどうかはそれを受けて立つ役者次第だなあ・・・」と、これは残念だったという感想ね。で、こちらの春画先生については「どんなとんでもストーリーでも、役者が体を張って演じるとグッと伝わってくるものがあるなあ」と・・・ それくらい、終盤のラスボス安達祐実と恋に狂った(文字通り狂ってます)北香那のガチンコバトルは、何を見せられてるんだと思いながらも目が離せません。
そしてね、嵐のようなバトルを経て、敗れた安達祐実が春画先生への愛を北香那に託すかのように静かに微笑みながら、あの和泉式部の歌を口ずさむのです・・・
もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る
やられました・・・ この歌を口ずさみながら静かに闇に沈んでいく安達祐実の姿から、彼女は誰よりも深く、けれど決してかなえられない悲しい愛を春画先生に向けていたんだな、とそのことが痛烈に胸に迫ってくるのです。(かのBlade Runnerで、初めてあのtears in rain monologueのシーン見たとき、気が付けば涙を流していた・・・それに似た感情の揺さぶり・・・と言ったら大げさすぎ?)
先に「とんでもストーリー」と書きましたが、いやいや塩田監督オリジナルのこの脚本、蛍という小道具を実にうまく使った周到なプロットで紡がれています。北香那(弓子)の春画先生への激情の発火材として、そして安達祐実(一葉さん)の深く悲しい愛の象徴として。
確かに見る人を選ぶ映画かもしれません。和泉式部のこの歌に親しんでいるかどうかで(私個人的に平安文学キャラでは朧月夜が、実在の作家では和泉式部好きなもんで・・)、この映画への見方が全く変わってくるような・・・。
少なくとも僕ははまりました。全編、変態プレーのオンパレードですが、見た後の感じはとてもすがすがしい。いやあ、もう一度見たいです。今度は、北香那のシーンごとにころころ変わる表情を楽しむつもりで・・・
性愛を描いているのに、エロティシズムが皆無
主役の二人、一郎と弓子が惹かれ合う経緯に、説得力がまったく無い。弓子のほうは若い女性なので、風変わりな先生に勢いで恋してしまうのは分からないでもないけど、先生のほうはそれなりに年齢も重ねて、人生の修羅場もくぐって来ただろう大人の男なのに、まだ知り合って日も浅い弓子に、彼女なしでは生きていけないほどのめり込むというのは、ちょっとあり得ないかなと、、、
なので途中からは、春画に絡めて、登場人物たちの多彩なセックスがメインテーマになっていくけど、エモーショナルな要素がほぼないので、まったくエロティシズムを感じず、単なる運動のようにしか見えなかった。それならそれで、もっとコメディに振り切ってしまえば良かったのに、変に情緒的エピソードを差しはさんだりもしてきて、中途半端。
さしもの内野聖陽の演技力をもってしても、あの人物像に説得力を持たせることは難しく、期待していた作品だっただけに残念だった。
変態漢
好きなものがあるのは幸せ
打ち込めるものがあるのは幸せなことと思った。先生はかっこよく、ヒロインは健気だった。春画の解説は興味深かった。
春画に鞭
魂の解放
喫茶店で働く春野弓子は退屈な毎日を過ごしていたある日、“春画先生”こと春画研究者の芳賀一郎に出会い、奥深い春画の世界に心を奪われる。
春画に没頭するうちに芳賀自身にも惹かれるようになり、編集者の辻村や芳賀の元妻の姉・一葉を巻き込んで弓子の性が解放されていく。
これぞ偏愛映画。最高だった。
弓子が芳賀の家で最初の手解きを受けるシーン。
あの少しの説明だけで一気に春画の魅力的な世界に引き込まれる。
「後半春画関係ないじゃん」って意見が多いのも分かるんだけど、この映画は春画を通して性と愛の根元に辿り着く現代の春画。
春画が時代に応じて変化していったように、性のカタチも変幻自在。
ラストの怒涛の展開?はそういった性に対する監督なりのアンサーと感じた。
「春画をただの猥褻物と思っていないか」
というような問いから始まるこの映画だが、私は今まで春画は江戸の芸術だと思って来た。
ただこの映画を通して春画は芸術的な側面だけではないということに気付かされた。
何もカッコつけることはない。
春画は紛れもなくエロなのだ。
ただし、そのエロは特別で猥雑なものではないあくまで日常。
当時の江戸の人々の生き様をありのままに描いたものなのだと知ることができた。
ある意味、伝統工芸品みたいなものなのかもしれない。
そして特に印象的だったのが、「笑い絵」とも呼ばれるように老若男女が大勢で見ながら楽しむ娯楽的なもの存在であったこと。
江戸の性文化がどんなものだったかは断片的にしか知らないが、コンプラだの猥雑だのとやたら閉塞的な現代日本ももっと性をオープンにしても良いのではないかと強く思う。もっと己に忠実に性を楽しめば良いのだ。
そして、特筆すべきはなっと言ってもヒロインの北香那。
鑑賞動機の一つでもあった彼女は最高にカッコ良くて最高に可愛くて、セクシーで知性的。
そういう役だとは知らなかったためかなり衝撃的ではあったが、それをあたかも何もないかのように自然に演じていることの方がより驚きだった。
喜怒哀楽を出し切り、エロスを体現する姿はまさに春画的とも言える。
好きな俳優の新境地が見れて、さらに彼女が好きになった。
これで気になった人は是非バイプレイヤーズのジャスミンも全然違うので見てみて欲しい。
性は日常、愛は狂気。
その2つが重なった時とんでもないエネルギーが人間を人間たるものにする。
性について言いたいこと全部言ってくれていた。
人は選ぶ作品だがとても好き。
今度は春画を現物で見てみたい。
現代版の春画を鑑賞したのかもしれません
鰹節は何か意味が?
ホテル裏で風に傘が飛ばされていくシーンが印象的
かつての日活ロマンポルノ的な風合いを感じさせる懐かしくも現代のポリコレダイバーシティにも配慮した(風刺した?)喜劇(邦画なのでコメディではなく・・)作品である。冒頭喫茶店で店員の北香奈がコーヒーカップを持って立っているところに地震が来て「私に激震が走った」というモノローグ、このシーンでもう心を掴まれ良い映画であることを確信した。
中盤の軽快な音楽にのせて進む春画界あるある的なシーケンスは伊丹十三映画を想起させちょっとグッとくるものがあった。内野聖陽は硬軟大きく演じて適役なのだが、ちょっと控えめでもっととことん突き抜けて欲しかったのが残念。だが期待していなかった安達祐実が、あんたにはこれしかできないだろう!というはまり役で拍手!
単にヘタクソな映画。
いやー、これは「ポリティカル・コレクトネス」がどうちゃらとか金輪際関係ないですね。ただ単にヘタクソな映画。俳優もそうだけど、それ以上に監督が映画というものを舐めきっている。編集も画角も照明もゴミ溜めになっている。こういう無教養で不器用な年寄りに映画なんか作らせちゃいかんのだ。あまりにヘタすぎて「映画」に到達していないので、性愛がどうのフロイトがどうのとか、まったく笑止千万。老害監督はこれがエロくて笑えるつもりなのだろうし、いまだに前世紀を生きている老害観客はそれを喜ぶだろうけど、まあ老人同士で好きにやっててとしか言いようがないです。
NTRと性の解放
春画の研究家の男やもめの内野聖陽と、春画で色々と目覚めバツイチの北香那の恋愛もの。
春画が題材であるものの、ただ春画を愛でる、という映画ではありません。それが観たければ、今月公開の「春の画」を観れば良いでしょう。本作は、春画を解釈しての作品です。
どう解釈したか、っていうと、春画ってただのエロ本でなく、描かれてる男女(時に男女でないが)に流れる背景の物語を見せるもの。
だから、何がエロに至るorエロを感じるのか?、がこの作品のテーマなんですね。で、それが「NTR(寝取られ)」なんです!
まずは、安達祐実が、春画と双子の妹(安達祐実の二役)に春画先生が寝取られる。北香那を担当編集者に寝取られて興奮する春画先生。最後も双子姉が先生を北香那に寝取らる姿を楽しむ。江戸時代で言えば春画の主要題材である「間男」を現代に当てはめると「NTR」なんです。
もう一つが北香那の性癖の覚醒。短期間で破局した彼女の離婚の原因はおそらく「最初は優しかった」という夫のDVでしょう。弱い女性が春画により性への貪欲さに目覚め、安達祐実により女王様に覚醒する。この成長譚がもう一つのテーマです。
一般的というかキリスト教的というか、貞操や倫理観でみると、ぶっ飛んだ作品でしょうが、春画を真ん中に置くことで、単なるエロや文化作品ではなく、大げさに言えば感性の解放を謳った秀作だと思います。
安達祐実がラスト近くに詠む和泉式部の和歌は、たぶん
「もの思へば沢の蛍もわが身より
あくがれ出づる魂かとぞ見る」
ですね。意訳すれば「愛欲は蛍のように、我が身から出る燃える魂」という感じですかね。なるほど、この作品の締めには相応しい詩です。
ヒロインの北香那は初めて観ましたが、素晴らしいですね。地味なウェイトレスから、怒髪天の般若、妖艶な魔女から、最後は菩薩(と言って支配者ですが、、、)まで、演じきっていますね。この人、とびきりの美人って訳ではないですが、存在感のある方です。
「女優が魅力的に見えれば、その映画は成功」ってポンポさんの言葉通り、この映画は私にとって秀作です。
禁欲が意味を持つ/アンチPC
2023年。塩田明彦監督。春画研究者(春画先生)と離婚歴のあるアルバイト女性の愛の行方。男に翻弄される女性が主人公だからというわけでもないだろうが、とにかく春画先生が現代社会での許容範囲を大きく超えて自己中だし、他の男どもが(女も)平気でセクハラを繰り返すので、これで恋愛映画が成り立つのだろうかとひやひやしっぱなしだった。しかし、逆に考えると、昨今の恋愛映画がいかにPC(ポリティカル・コレクトネス)に縛られた狭い領域に収まっているのかを考えさせられた。そういう意味では大胆なアンチPC映画だった。あっぱれ。(感情移入できずに批判する人が多発しそうだが)
春画が題材だけに、近代以前の日本のおおらかな性の世界を描くのかと思いきや、それも描いてはいるものの、メインストーリーは、春画先生の禁欲(喪からの回復)をいかに克服するのかということ。「おおらかな性」は「禁欲」が意味を成すための背景に過ぎないのだ。ところで、離婚歴のあるアルバイト女性が働く喫茶店名「フロイデ」はドイツ語で「喜び」「歓喜」だが、日本語ではフロイトと通称されるあの精神分析の創始者のドイツ語名にeがついただけでもある。この映画の内容自体、第三者を巻き込んだ倒錯的な性行為とか、いわゆるSMを通じた快楽とか、フロイトの性理論の範囲内にあるともいえる。そして、フロイト理論が19世紀的な家父長的で禁欲的な性意識を前提としてたことはよく知られている。そう考えると、PC的にあまりに問題があるのは、フロイト的な前提があるからだといえるのかもしれない。
女性の裸体を隠微な欲望や権力的な陰影のまったくない、あっけらかんとした文脈で描く無頓着さがある一方で、男性優位の性的秩序に従順な女性たちがいずれも小柄でかわいらしい似たタイプであるという特定の女性像への固執もみられる。とにかくいろんなものがごちゃごちゃと放り込まれていて、くらくらする映画だった。
何が正しいのか、何が悪なのか、何が聖なるもので、何が愚劣なものなのか。
R15+指定。史上初、無修正の浮世絵春画上映。そう聞くとどこか猥雑な印象を持ちかねるが、鑑賞後の気分はとても気分がいい。自分の美意識に、卑下ることなく、日和ることなく、純真さを持って芸術に触れようとしている愛すべき人たちがこの映画にはいるからだ。
とにかく、北香那の表情がいい。この役はこの子こそ似合う。まぐわう男女を目の前にして、紅く火照った顔をする北香那。しかしそれは画が発する直接的なエロスに興奮しているのではなく、男の視線や女の仕草に隠された感情を感じ取って悶えている。その高揚した気分が見事にこちらに伝わってくるんだよな。この映画的に言うと「心のリミッター」を外した時がいいのだ。これがフェロモン駄々洩れの女優が演じてしまうとエロ映画になってしまうのだけれども、まだ幼さが残る肢体であり、走り方に鈍さもある彼女が演じるからこその味がある。しかも、時たま凛とした色気を見せる。
内野演じる芳賀の言葉も含蓄がある。「セックスは一種の運動」とか「痛みこそが生きているという感覚を呼び覚ます」とか、ちょっと世ズレた感覚があってこそ春画をしっかりと芸術として味わえるんだろうなあ。あの崇高なるマゾヒスティックな美意識が成せるものだ。その気分は、尊敬ではなくてややバカバカしさも含まれるのだけれども。多分僕はこの先、堅いかつおぶしを見るだけで、さらにはシャカッシャカッと削る映像か動作を見れば尚更、この映画を思い出してしまうかもしれない。
鰹節を削れば性格や性癖までわかるかも。春画入門にもよろし。
浮世絵は観ても、春画を真剣に観たことが無かった。
テレビではそのまま放送しないだろうこういう映画こそ映画館で見るべきだと思い観に行った。
春画は口元にハンカチを当てて鑑賞することや、春画から読み解ける人物の気持ちや、女体の白い肌は色彩されていない紙そのままであること、喜多川歌麿と葛飾北斎の女体と創作の違いなど興味深く、春画とワインの夕べのイベントにも参加したくなってしまった。
春画は回転寿しのようなレーンで回覧されるし、回転ベッドでぐるぐる回りながら愛する人のため、身体を投げ出す無理難題を投げかけられるヒロイン弓子。
観ているうちに頭の中もぐるぐる回り何が正しいのかわからなくなる。
オープニングからして地震で揺れていた。
観てる方も観終わる頃にはグラグラと固定観念が地震のように揺れて崩れていくような気持ちになった。
性についてクリスチャンでもないのに、知らぬ間に西洋の固定観念に支配されて来たことに気がつく。
柄本佑の青Tバックと強烈なキャラクターがインパクト大。
安達祐実は子供の時に「同情するなら金をくれ!」って凄んでいたけど、大人になって凄み技はグレードアップ!今回の双子の姉のドS役は素晴らしかった。
北佳那は怒った顔がいい。前半から鰹節の削り方、削られた鰹節のかたまりの鋭角な形に勝気な性格が出ている。そこからの先生のお取扱方法に開眼するまで。弓子の全ての行為は愛あればそこ!
なるほどな。春画先生は素質を見抜いていたわけか。
インテリな先生の顔から盗み聞きやドMな性癖を露わにする所まで。内野聖陽だからドン引きせず嫌味なく観れた気がする。
自分のことをを豚と言わされながら、流れる曲はフォーレのレクイエム。ピタリと合っていた。
ホタルになって現れる忘れられない妻への鎮魂歌なんだなあ。
さり気に、先輩家政婦として日活ロマンポルノの白川和子が出ている所もいいキャスティングな気がした。
洋館の双子のメイドが思わせぶり。嶽本野ばらの小説を読んでるような気持ちに。なかなかお耽美な世界観でございました。
せっかくのエロティシズムなのに
北香那が身体を張っただけでなく、変わっていく様は良かった。声、特に漏れ出す息はゾクゾクするほど良かったです。時々見れる弓子の薄衣(シャツやシーツなど)も眩しくて良い。
柄本佑の変態ぶり、安達祐実の気迫ある演技、白川和子さんも変人の中に真人間として、
無修正でドアップの春画、官能的なセリフ、
蛸鑑賞会の色彩も怪しく申し分ない
何かに夢中になる人にはたまらない空間。
その後も春画に添う内容を勝手に期待していただけに、豚になりきれない内野聖陽はちょっと肩すかし。
着たままは良いが、せっかく着物の事も講じたのに洋服
弓子と一郎の幸せを願うが、本来の姿ではないような弓子に一抹の不安。
だから的も少し外れたのかな
それでもドタバタしているので見応えありでした
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