「変態に関する一考察」春画先生 TSさんの映画レビュー(感想・評価)
変態に関する一考察
何やら知的で文化的薫りの漂うタイトル。
そういえば、何年か前に春画がちょっとしたブームになった時期があったような?
これは変態を描く映画。みんな真面目に一途に変態なので、それが可笑しい。
劇中で語られるように春画は「笑い画」と呼ばれていた。性をおおらかに笑い飛ばす社会の空気の象徴でもあった。この映画も性をある種、可笑しみを持って描いている。
弓子が春画先生のどこに惹かれたのかが、最後までいまいちよくわからないことと、最後の30分くらいがヘンテコな性倒錯映画になってしまっているのが残念だが。
私は、この作品を観て「変態」とは何ぞ?ということを真剣に考えてしまった(どうかしている)。
一体全体、他人には開かれていない秘密の営みについて、正確な国勢調査をしたことがあるのか?学術的研究はどれほど進んでいるのか?「これが普通」「これが変態」と誰がどう線引きするのか?
上記で「変態を描く映画」と書いたが、これは私の主観であって、大多数の人間がそう思うかどうかはわからない。多分大多数は変態と思うのではないか、相対的に、という条件付きでの主観的見解である。
春画先生は、性を視覚的に長年研究し続けた結果、その方面の感覚ではもう満足できなくなったが為に、聴覚方面に走ったのではないかと思われる。
受け身(M)であった弓子は、先生の本性(M)を知って自身がSに瞬時に転換するという離れ業をやってのける天賦の才を示した。いや、この女に目を付けた先生こそ、やはり天才と言えよう。天才と変態は紙一重。
ラストの弓が的を射止めるシーンが何を意味しているのか、しばらく考え続けたが、納得いく考えに落ち着かなかった。先生が弓子の名前を聞いて弓を射るジェスチャーがあったが、その射た弓が的に当たった、つまり、先生が狙った弓子を射止めた、という暗喩だろうか?
振り返ってみると、あ、春画の話だったか、というくらい変態について考えてしまった妙な映画であった(どうかしている)。