「すべてを呑み込み、根こそぎ奪う侵略者」キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
すべてを呑み込み、根こそぎ奪う侵略者
20世紀初頭のオクラホマ州、白人によって先住民のオセージ族は不毛な土地へと追いやられてしまう。
ところがその土地で石油が採掘されたことから、一夜にして彼らは巨額の富を得ることになる。
冒頭、着飾ったオセージ族に付き従う白人という見慣れない構図の画が展開される。
この土地では白人よりもネイティブアメリカンの方が豊かな生活を送っているようだ。
やがて多くの白人がこの豊かな土地に仕事を求めて集まってくるようになる。
第一次世界大戦の帰還兵であるアーネストもその一人だ。
彼はオセージ郡で"キング"の通り名で知られる叔父ウィリアムを頼りにこの地を訪れる。
ウィリアムはオセージ族に対して理解が深く、また街を活性化させるためにあらゆる貢献をしている。
彼の元で働くうちにアーネストはオセージ族のモリーと恋に落ち、やがて結婚をする。
彼だけでなく多くの白人男性がオセージ族の女性を妻に娶っていた。
最初はこの地で白人がオセージ族と良い関係を築いているかのような印象を与えられるが、すぐにその化けの皮は剥がされる。
白人はオセージ族に対して富を管理する能力がないと決めつけ、自分たちにとって都合の良い法律を作り、オセージ族が自由にお金を使えない状況を作ってしまう。
ばかりか白人の中には受益権を奪うために巧みに彼らに取り入り、そして暗殺という卑劣な手段を使う者まで現れ出す。
唐突にオセージ族の変死者の例がいくつも挙げられるが、いずれも適切な捜査がなされないまま放置されてしまうことから、いかにこの地でも白人が我が物顔でのさばっているかが分かる。
初めは善人の顔をしていたウィリアムも、実はオセージ族から利益を搾り取ろうとする最低な悪党であることが分かる。
早速彼はモリーと結婚したアーネストを利用することを思い付く。
モリーの親族がすべて亡くなれば、石油の受益権はウィリアムの一族のものとなる。
叔父の命令には逆らえないアーネストは、やがて彼の意のままに操られることとなる。
正義はどこにあるのかと問いたくなるほど、この映画の中での白人の行為は卑劣だ。
しかしこれは白人に限ったことではないのだと思った。
同じような例は歴史上、世界のいたるところにある。
考えさせられたのはマジョリティは時としてマイノリティな存在に対して信じられないくらい残酷になれるということだ。
だからこれは遠い昔の、遠い国の日本人には全く関係のない出来事ではない。
社会の均衡が崩れ、再び秩序が保てなくなると人間はまた同じような過ちを犯してしまうものなのだ。
もっともこの映画ではウィリアム個人のサイコパスさが際立っているのだが。
この映画で一番恐怖と苦しみの中で生きたのがモリーだ。
彼女は姉も二人の妹も母親も残らず殺されてしまう。
彼女はもしかしたら愛する夫でさえ自分の敵なのではないかと疑心暗鬼にかられる。
そして実際にアーネストはウィリアムの命令通りに、糖尿病である彼女の命を奪うために偽のインスリンを射ち続ける。
もっともアーネストはインスリンの中身が本当は何なのか知らなかっただろうが。
アーネスト自身もウィリアムの被害者ともいえる。
彼は元からの悪人ではない。
ただ意志がとても弱かっただけだ。
ウィリアムは自分では何も手を下さず、アーネストに指示を出す。
アーネストもウィリアムの命令を実行者に伝えるだけだ。
それでも彼は自分の指示によって実際にモリーの身内が無惨な死に方をしてしまった事実に戦慄する。
終盤になってようやく事件の真相を解明するためにFBIの捜査官が訪れ、正義は失われていなかったことを認識させられる。
狡猾なウィリアムは早速嫌疑の対象になりそうな人物を街から遠ざけるように根回しをする。
実行犯ではない彼はアーネストすらあっさりと切り捨てようとする。
おそらくアーネストも自分がウィリアムに利用されているだけであることに気づいていただろう。
しかし気づいたとて、彼に逆らうことは出来ない。
これは一種の洗脳であると思った。
やがてひとつひとつの罪が暴かれ、ウィリアムは窮地に立たされる。
そしてアーネストはウィリアムの言葉に従うべきか、それとも愛する家族のために真実を証言すべきか、選択を迫られることになる。
最後まで観終わって、これが遥か遠い昔ではなく、せいぜい100年前の出来事であることがショッキングだった。
かつての西部劇では野蛮に描かれていたネイティブアメリカンに対して行った、白人にとっては忘れたいはずの汚点の歴史を直視する作り手の姿勢にはとても心動かされた。
が、求心力は強かったものの、上映時間のあまりの長さによって少し冗長的になったようにも感じた。