劇場公開日 2023年10月20日

  • 予告編を見る

「道具としての映画、愛情と支配構造のはざまで。」キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン 文字読みさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0道具としての映画、愛情と支配構造のはざまで。

2023年10月28日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

2023年。マーティン・スコセッシ監督。1920年代のアメリカ・オクラホマ。オーセージ族が所有する痩せた土地に石油が噴出したことから、白人たちが手練手管でその富を奪い始め、ついには殺人にまでいたる。その流れに巻き込まれた男の悲劇。
あからさまな暴力ではなく、親切を装った構造的な暴力によって、真綿で首を締めるように原住民消滅が進行する。責任を負うべき支配者たちに暴力の意識は薄く、「自分ではどうしようもない大きな流れ」(=すなわち支配の構造)として、自分が何をしても結末は定まっていると責任を放棄して考えているところが恐ろしい。遅ればせながら抵抗を始めた主人公でさえ、最終的におのれの中の支配構造ともいうべき自己保身によって、妻の愛を失ってしまうのだ。力の構造(権力者の伯父を中心とした白人社会)に支配される立場の「私」は、同時に、内部に白人・男性としての支配構造を抱える「私」でもあるのだ。この構造から「私」が逃れることは至難の業だ。
その難しさが、デ・ニーロの人のよさそうな笑顔や、ディカプリオの苦悶の表情からひしひしと伝わってくる。しかし、伝わってくればくるほど、映画は広い意味での政治的主張を伝達するための道具になってくる。CGをふんだんに活用し、会話場面と過去の想起場面を丁寧に描き、最後はメタレベルから語り継ぐ工夫も見せているが、映画のためというよりも物語を伝える道具立てに見えてくる。もちろん、寡黙な妻とのにらめっこかというほど静かな会話場面は3時間を超える理由がこれなら仕方がないかと思わせる迫力がある。

文字読み
トミーさんのコメント
2023年10月28日

主人公は裁判で姿勢を翻しただけで、バリバリ当事者だと思いました。

トミー