「アメリカ深部に残る醜悪な記憶」キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン おひさまマジックさんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカ深部に残る醜悪な記憶
期待と気合いを胸に秘めて鑑賞。
気合いは、、この長尺にはどうしても必要なのだ。
ああ、アメリカ。
この奇妙な超大国の影、影、そして影を描く。スコセッシ監督が、おそらくはライフワークとして世に叩きつけたような、痛烈な大作であった。
白人による、アメリカ・インディアンの迫害は世界の誰もが知るところだが、本作では真綿で首を絞めるような大河的で長期に及ぶオーセージ族への迫害・殺人事件が描かれている。長尺であることにもそんな意味合いを含ませたのではないか、と考えたが推量が過ぎるだろうか。
余談だが、人間の理性から発する差別意識の正体とは一体何なのだろうか。勉強不足を披露してしまうようで恥ずかしいが。集団で連鎖する引き寄せのそれなのか、心の奥底にある嫌悪感なのか。はたまた優越感・優位性を求める裏返しか…。濃淡はあれど世界中、今も、どこにでも蔓延している差別意識。これほど不要な精神性は他に無いと断言したい。
話を戻すと、アメリカの影である。
差別、迫害に利権が絡む、おどろおどろしい程の醜さが全編に描かれている。この3時間から学ぶものは何もないようだ。ただただ、醜いのだ。ただ唯一、人間らしさとして有ったのは主人公アーネストの子への愛情だったろうか。しかしそんな良心は飛礫のように消し飛ぶほどの、柔らかく長大に流れる川のような醜さがこの物語だった。
迫害・差別。
拝金主義。
権力。
原作タイトル『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』これに全てが集約されているようだ。
劇中ではシニカルギャグとして登場したが、デ・ニーロ扮するヘイルが捜査官へ吐き捨てる「エドガー?しらんな」というセリフ。エドガーとはいまや知らぬ人はいない、FBI初代長官のJ.エドガー・フーヴァーの事で、セリフの面白さは当のディカプリオがJ・エドガーを怪演したことで成立しているが、問題はこの事件への捜査を劇場型捜査として当時のフーヴァーがFBIの地位確立に最大限利用したとされることだ。
事実、終幕間際のラジオドラマシーン(これも事実のようだ)では、フーヴァー本人も出演したとのこと。捜査そのものは美徳でありつつ、そこにもまた権力追求の影があったりするわけだ。ただこの事は映画ではあまり触れられなかったようだ。
この映画から何を学べばよいのか。
その答えは終幕も終幕、ラストにやってくる。
誰か教えてほしいのだが、最後の語り部はスコセッシ監督本人だっただろうか。
そうか。本作が見せたかったのはこの「醜さを長時間見る苦痛」そのものなんだ。醜いものを見ることは何と苦痛なことか。それを長時間に渡り味わうことはさらに。
本作は、史実が過去の記憶として未来に埋もれることを拒否し、苦痛を事実として現代の記憶になすりつけた、スコセッシ監督の老婆心なのだ。
そう考えた。
満塁本塁打さんコメありがとうございます。少し時間がたってみて感じるのは、記憶に強く残る作品だなと。やはりスコセッシは名監督。
PS: ゴジラ見てきました笑
明快な解釈 勉強になります📚ありがとうございました。ラジオドラマが事実とは新しい発見です😊フーヴァーさんは何となくわかりました ディカプリオさんの映画観てますので。ありがとうございました😊
あっ ゴジラ マイナス へのイイねありがとうございました😭。