劇場公開日 2024年1月26日

「「哀れなるものたち」では監督の真意が伝わらない」哀れなるものたち ジョーさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0「哀れなるものたち」では監督の真意が伝わらない

2024年3月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

原題の「poor things」は、邦題では、「哀れなるものたち」と訳されている。そもそも邦題が、本作の真意をとらえていないような気がする。「poor thing」はネットで検索すると、軽い感じでの「かわいそうに」の意味だ。それを、「哀れなるもの」にしてしまうと、ベラの強い女性として成長していく姿が霞み、男に単に身体を預ける娼婦の面だけが誇張されてしまう。

おそらく、ランティモス監督が、「かわいそうに」と軽く言っているのは、ベラが、脳の移植による蘇生によって、運命は変えられないけれど、最初から作為的に操作されてしまったことに対する「かわいそうに」であり、かえって彼なりの怒りがこめられているような気がする。
一方男の観点から見ると、彼は、「哀れなるものたち」という邦題によって、男はみんな女をモノとしてしか考えていない、という代弁者にされてしまっている。

男性中心の社会に相対した、自由、平等の代弁者としてのベラを見よう。
男尊女卑の男たちのなれの果てを、しっかり凝視しよう。
ランティモス監督が、過去の作品(「女王陛下のお気に入り」、「ロブスター」、「聖なる鹿殺し」」の映像美、世界観を更に進化させて、ベラ演じるエマ・ストーンに、その集大成を託したという見方ができるから。
成長の過程である過度な性的描写には目を瞑り、高らかに自由、平等を謳歌するエマ・ストーンの美しさを堪能しよう。そうすれば、「哀れなるものたち」という言い方は、まるっきりのナンセンスだと実感できるはずだ。

ジョー
yoyoさんのコメント
2024年3月23日

原作小説が2008年に邦訳されており、そのタイトルが「哀れなるものたち」なので映画でもそのまま使ったものと思われます。
(それは知ってる、でも映画の内容と邦題が合ってない、というご意見でしたらすみません)

映画を観ての個人的な感想としては、「哀れなるもの」はベラを指しているとは限らないのではないかと思いました。
ダンカン・ウェダバーンはアホで哀れだし、礼儀正しすぎてそのウェダバーンに眼前でベラをかっさらわれるマッキャンドレスも哀れだし、断トツ可哀想なのは実の父に虐待としか思えない人体実験をされて異様な見た目と思考になってしまったバクスター博士です。ラストの将軍も自業自得とはいえかなりカワイソーな事態になってましたし。
なので独自に邦題を付けるとしたら、「ベラと哀れな男たち」といったところでしょうか。「アナと雪の女王」みたいですね(笑)poor things、シンプルだけれど奥深いタイトルですよね。

少なくとも、カタカナで「プアー・シングス」なんでそれこそ哀れな邦題を付けられなかったことは本当に良かったと思います。

yoyo