「フェミニズム映画の志が出演者らの不祥事に汚される不幸」エリザベート 1878 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
フェミニズム映画の志が出演者らの不祥事に汚される不幸
欧州の王族・皇族を題材にした映画として考えると、英国やフランスに比べて扱われる機会が少ないオーストリア=ハンガリー帝国時代の皇妃エリザベートを取り上げている点で、まず歴史的興味を大いにそそられる。もっとも、ウィーン発のミュージカル「エリザベート」が1990年代半ば以降宝塚歌劇団版と東宝版がコロナ禍前まで続いた人気の演目だそうで、ミュージカルのファンにとっては馴染みのあるキャラクターだろうか。
ともあれ、邦題「エリザベート 1878」が示すように、本作は16歳で皇妃となり1898年に60歳で死去したエリザベートの40歳の1年を“節目の年”と位置づける。伝記的な正確さでたどるのではなく、彼女の人生にまつわる後年のエピソードをこの期間の出来事として描写したり、歴史的にあり得ないことも意図的に組み込んだりして、エリザベートの人生を象徴的に凝縮した1年としてストーリーを創作している。
ちなみに、歴史的にあり得ないことの一例は、宮廷でハープの弾き語りで演奏されるローリング・ストーンズの1960年代の曲「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」。遊んでいる子供を見て自分が年を重ねたことを悟り涙を流している、といった趣旨の歌詞がストーリーに合うのは当然ながら、ストーンズに同曲を提供されてデビューした英国人歌手マリアンヌ・フェイスフルがハプスブルク家の血を引いている点も時代違いの曲が採用された理由の1つになった、というのは考え過ぎか。
脚本も兼ねたマリー・クロイツァー監督の出身国であるオーストリア、エグゼクティブプロデューサーも務めた主演ヴィッキー・クリープスの出身国ルクセンブルクと現在の拠点ドイツ、およびフランスの4カ国合作。男性本位社会において“美と若さ”という価値観に締めつけられてきた(原題"Corsage"つまりコルセットは、男性から見て美しくあるための拘束の象徴)女性の葛藤と抵抗を、現代的なフェミニズムの視点でとらえ直すことを目指した意欲作だ。
高い志を共有するスタッフとキャストが集まったと思いたいところだが、フランツ・ヨーゼフ皇帝役のフロリアン・タイヒトマイスターが今年1月に児童ポルノ所持の容疑で起訴され、被告の病気により裁判は延期されたものの罪を認めているという。またタイヒトマイスターとは別のオーストリア人俳優も、撮影セットでのセクハラで複数の女性から告発されたと報じられている。男女平等、女性の尊厳といった観点で啓発効果が期待される映画なのに、作り手の願いを汚す出演者らの不祥事が悲しいが、こうした事実が明らかになることも映画界に改善を促す力になるのだと信じたい。