「実話らしい現実的なラストに胸がつまる」インスペクション ここで生きる ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
実話らしい現実的なラストに胸がつまる
イラク戦争の最中の米軍海兵隊に入隊したクィアの黒人男性が、その性的嗜好に対する差別に晒されながらブートキャンプ生活を過ごし、海兵隊員になるまでの物語。
8割方は、ブートキャンプでの厳しい訓練と寮生活、そして主人公のフレンチがそこで嫌がらせを受ける描写だ。海兵隊の新兵訓練そのものの苛烈さと、彼が受ける村八分的扱いや暴力は、見ているこちらの気持ちが滅入ってくる。だが、フレンチは黙々と耐える。過酷な生い立ちの彼は、自分が人間らしく生きて立派な人間として死ぬには、訓練を耐え抜いて海兵隊員になるしか道がないと思っているのだ。
上官の性的欲求を満たしてやったり、聖職者の説教を聞く義務に耐えきれなくなったイスラム教信者の同僚新兵を慰めたりといったことがあるうち、彼を取り巻く人間関係の質は少しずつ変わってゆく。
2005年当時、米軍には90年代のクリントン政権時に採用されたDADT(Don’t Ask, Don’t Tell)規定があった。同性愛者であることを公言しなければ、入隊を容認するという政策だ。この規定が定められる前は、同性愛者の入隊は明確に禁止されていた。
同性愛者に門戸が開かれたと言えるかというと、到底そうではない。同性愛に対する否定的な捉え方は全く変わっていないからだ。その後オバマ政権がDADT規定を撤廃するまでに、入隊後に性的嗜好が公になったマイノリティ約14,000人が除隊処分を受けた。
フレンチが性的嗜好を周囲から感づかれた途端激しい排斥にあった背後には、そのような時代背景がある。当時の政策が、排斥する側の心理に行為を正当化する材料として働いたという側面もあったのではないだろうか。
しかし、ある意味海兵隊の中での諸々の出来事よりつらかったのは、フレンチの母親の態度だ。保守的なクリスチャンの母親は、彼の属性を受け入れないばかりか、まともに人間として扱おうとさえしない。自室のソファに彼が座ろうとすると、そこに新聞紙をひく始末だ。
厳しい訓練中も、手紙の返事ひとつよこさない(あのシーンは最初郵便物にも嫌がらせをされたのかと思ったが、母親が手紙を無視していただけとわかって暗澹とした気持ちになった)。フレンチが心配になって、上官に頼み込んで電話をしてもそっけない。
そんな彼女が、修了式にはおずおずとやってきた。晴々しい式典と、母親の笑顔。フレンチの頑張りが形になって、やっと彼女も人間としての彼を認めてくれたか?
私のそんな、お決まりの大団円への期待はあっけなく打ち砕かれる。彼女は、息子の同性愛嗜好は海兵隊での訓練で矯正できる類のもの、矯正されるべき悪癖だと思っていたのだろう。彼がクィアのままであると知るや態度を豹変させる。
見ている私は絶望的な気分になったが、フレンチは母に対して決して投げやりにならない。これからも自分は母のものだし、母は自分のものだと、確認するように母に言い聞かせる。
母親の揺るがない価値観を、差別的と断罪して終わりにするのは簡単だ。私自身、息子への愛はないんか!とつい思ってしまった。ただ、彼女をそうさせる過程も想像してみる必要があるとも感じた。
信仰もそうだし、黒人である彼女が受けてきた差別の記憶もあるだろう。人種差別というマイノリティの苦しみを知っている彼女から見ると、息子が更に別のマイノリティ属性を持つことは、いっそう恐ろしく思えたのではないだろうか。その恐怖が、彼女の許容範囲を超えてしまったとも解釈できる気がする。
救いは、この話のモデルになったブラットン監督の後日談だ。監督が本作撮影中に亡くなった母親の遺品整理をしていると、彼の監督業に関する新聞記事の切り抜きや、海兵隊時代の写真などを見つけたという。
心ない言葉をぶつける母親を見限らずに向き合ったフレンチには、彼女の複雑な感情と、その底に埋まってしまったものの決して失われていなかった愛が見えていたのかもしれない。