「愛することを続けるためには、手に入れないこと…ではない」四月になれば彼女は bunmei21さんの映画レビュー(感想・評価)
愛することを続けるためには、手に入れないこと…ではない
映画化された『世界から猫が消えたなら』『億男』『百花』等の小説の著者であり、『君の名は』や『天気の子』の映画プロデューサー、そして、絵本作家や映画監督等、エンタメ界でマルチにその才能を発揮する川村元気のベストセラー作品の映画化。痛く、切なさの中にも、愛おしさが染み渡るラブ・ストーリーとして描いている。
「愛することを続けるためには、手に入れないこと」と言うセリフがあり、誰かを愛すること、愛されることの実態を掌に感じることは難しいものだと思う。だからといって手に入れない愛は本当の愛なのか?また、本当に相手が求めている愛なのかはわからないままに、自己満足の中で見切り発車している愛もあるかもしれない。そして、いつしかその愛とも別れを告げる時が来るのであるならば、時に流されないで、今、この時この一瞬を精一杯、愛し続けることの大切さこそが、本作が問い掛けているテーマであると感じた。
また、作品の背景として描かれていたボリビアのウユニ湖、アイスランドの海岸、プラハの街の朝日が昇る風景は、人々を寄せ付けないような、圧倒的な大自然の美に包まれ、物語の象徴となって映し出されていく。原作とは、やや違うシチュエーションや人物設定もあったものの、生きることに不器用な者達の愛の形が、美しい景色を背景に浄化されるようにも感じた。
精神科医の藤代は、自分の患者で精神的に苦しんでいた弥生をプライベートでも支え、共に暮らすようになる。そして、2人が結婚を控えていたある日、音信不通だった大学時代に付き合っていた彼女・春から突然、ウユニ湖からの手紙が届く。その後も、世界各地から手紙が届くようになる。実は、その差し出し先は、大学時代の藤代と春が、写真撮影の為に計画していたが決行できなかった世界旅行の行き先だった。
婚約はしているものの、この所すれ違いが多く、弥生を本当愛しているのか疑心暗鬼となっていた藤代にとって、春からの手紙は,二人が若く付き合い始めた頃の瑞々しい魅力的な恋の記憶が綴られ、心も揺り動かされていく。一方、弥生もまた、人を愛し続けることの難しさについて自問自答していた。そんなある日、弥生が藤代の前から突然に失踪してしまう。弥生の行き先を探す中で、友人や弥生の妹から浴びせられた言葉が心に突き刺さる中、藤代が、五里霧中で見つけた本当の愛とは…?
主な登場人物として、藤代役には、佐藤健、失踪した恋人には長澤まさみ、そして大学時代の元恋人を森七菜が務めた。3人とも、複雑に絡み合った心の襞と、一途に愛することの切なさが伝わってくる安定した演技を見せていた。但し、森七菜が、長澤、佐藤の同じ時代を生きていた女性の設定というのは、年齢的にやや無理はあったかも。
不器用さに揺れ動く人間たちの〝この時この一瞬を〟雄大な景色たちは長い年月をかけずっとみているのでしょうね。
bunmeiさんがおっしゃるようにいつかかならず別れがくるさまざまな愛。大切に生きたいなと感じます。
共感ありがとうございます。
口はばったいようですが、変わらないものなんか有るんですかね?
今ふっと思い出したのが太賀くんの言ってた「イイ感じにくたびれたおっさんになった」それだけ苦しまないと変われないんですか、苦しんだから少しは変われたのか?