ボーはおそれているのレビュー・感想・評価
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長かったのだけが星ひとつマイナス。面白かった!
キリスト教徒の欧米人でもわからなかったみたいなユダヤ教の話しらしいので日本人には初見でオール理解するのは無理だそう。でもそういう細かいところを気にしないで見てもエピソードの1つ1つはびっくりの連続で面白かった。私は前半のカオスな隣近所の人とのカラミが最高でした。連続不運に見舞われる試される男の話しです。
タイトルなし(ネタバレ)
ニューヨークの下町かどこか物騒な界隈に暮らす中年男性ボー(ホアキン・フェニックス)。
些細なことが気にかかる神経症的傾向でセラピストにかかっている。
ほぼほぼ自室から出るのもおそろしいくらいなのだ。
ある日、離れた実家で暮らす母親の突然の死を電話で知ってしまう。
それも先ほどまで電話で話していたにも関わらず、シャンデリアが落ちたか何かで頭部が破裂、偶然訪れた配達人が見つけたのだ。
不安で不安で押しつぶされそうなボーは処方された薬を飲もうとするが、「必ず水を使って飲むこと」と言われた薬を飲んだとたん、ペットボトルに水はない、水道からも水は出ないといったことになってしまった。
結果、外へ出たにはいいが、鍵を何者かに盗まれ、施錠できない・・・
という、まぁ落語の噺ではよくあるどうしようもない状況に陥った与太郎みたいなハナシ。
冒頭、ボーの眼から見た生れ出る瞬間のプロローグがあり、先のファーストエピソードにつながるが、ボーはどうにかして母親のもとに戻ろうとして、更なる泥沼にはまっていく・・・
ははん、いわゆる「オデッセイ」ものの変型で、苦難の旅の末に故郷へ戻る物語なのだが、まぁとにかく二進も三進もいかない状況が続く。
それを5つほどのエピソードとして見せていきます。
先のエピソードの最後に車に轢かれたボーは、加害者の外科医師夫婦のもとで療養することになるのが第2幕。
ここも相当ヘンテコだが、第1幕と比べると常識的な感じ。
そこを逃げ出したボーは夜の森の中で昏倒。
旅芝居の一座と遭遇し、舞台と観客が一体となった物語が繰り広げられ、ボー自身のような物語が展開する。
ここが第3幕。
このパートがすこぶる面白く、放浪の旅に出たボーが最終的には妻子のもとへ帰り着く(のでこれまたオデッセイの)物語で、ボー自身は童貞なのに、息子三人が存在するという矛盾の中で舞台劇は決着する。
エロスを拒否したエロス。
タナトスなきエロス。
そんな物語が、アニメーション技術をもって描かれる。
個人的には、このあとにちょっとしたエピローグで映画が終わってもいいなぁと思っていたけれども、それではオデッセイの物語にならない。
どうしても実家にたどり着かねばならない。
というわけで第4幕の実家編。
でここでボー出生の秘密があきらかになるのだけれど、タナトスと背中合わせのエロス。
ボーの父親の正体・・・
あれは面白いのかしらん?
B級映画のようで、腰が砕けた。
さらにエピローグ的な第5幕。
あれれ、これは「最後の審判」?
にしては『トゥルーマン・ショー』みたいな設定で、ますます腰砕け。
実家へ辿りついて、オデッセイの物語は完結したように見えたけれども、そうではなく、子宮から出でた者は子宮に還る、そういう物語なのかなぁ。
よくわからない。
よくわからないが、なんとなくわかってしまうあたりがツマラナイ。
ということで中盤までは異様な快作ということもできるが、終盤は怪作以外のなにものでもないでしょうね。
本作も『哀れなるものたち』と同様、オデッセイものの変型。
ここんところの流行かしらん。
評価は、★★★☆→★★★★→★★と推移して、相対的には★★★(3つ)としておきます。
なお、主人公Beauボーはフランス語では「美しいもの」の意。
母親からみた子どもはBeauそのものという意味での命名でしょうな。
ユダヤ教の文脈で読み解くのか
劇場予告編と公式あらすじでこちらが想像しているストーリー展開が、常に想定のナナメ上に進んでいくトンデモナイ映画。いったい何を観せられているのかという感じ。
とにかくシュールでブラックなギャグが満載の不条理コメディで楽しめた。
H.フェニックスが見せる当惑顔は、R.ニーソンの困った顔と双璧か。
と、表層的に鑑賞していたが後日、町山智浩氏が監督インタビューを踏まえてユダヤ教の文脈で読み解く解説をされていて(YouTubeの「町山智浩の映画特電」)意味不明だったいろいろな箇所が腑に落ちた。
とは言え、林家三平の小噺みたく「いまの噺は何が面白いかというと...」みたいな解説が必要な映画はちょっと面倒。
胸くそ悪い。けど、高評価。
前触れ込み情報全く無しで鑑賞。
感想
本編が始まり、最初のうちはとんでもない、気分の悪くなる映画を観てしまったと思った。
一言で言うと胸くそ悪い映画を観てしまったと。
話が進むにつれ、人には知られたくない、自己の醜い感情のもつれや、現実なのか、妄想なのか区別のつかない事態が次々と発生していく。今や日本にまで波及しつつある深刻な社会問題である薬物過剰摂取がテーマの一端である事は明らかだ。
歪な親子関係がきっかけとなり、成長の過程において自己肯定感が低く、発達障害が認められ、
過剰な薬物摂取の挙げ句、現在は境界性人格障害になっているのではないかと思われる男。
その男の闇深い深層心理を見事に映像化して観せているのだ。話が進むにつれて、それまでの胸くそ悪い気持ちが、不思議と面白いと感じるようになってくる。男の父親のイメージには大爆笑。
制作者の意図に自然に乗ってしまっている自分に驚いた。お、恐ろしい。それが一番怖かった瞬間であった。監督の演出手腕。恐るべし。
アリ・アスターさんごめんなさい。今作を観るまで存じ上げず。将来が楽しみな監督さんの一人に。◎ミッドサマーも観ます。
場面説明一切なし。シチュエーションで攻め続けた
上映時間2時間59分は気にならず。
忘れてた。オレ、この手の映画意外とイケるんだ!
往年のスプラッタームービー大好き。物体Xや、トワイライトゾーンなどに代表される不条理ストーリー好きにはたまらない作品。
脚本 ◎
映像・画面構成 特殊効果 ◎
主演 ホアキンの演技素晴らしい ◎
共演 若き日の母親役、男女子役が印象的。◎
アリ・アスター感動だから許される事
性愛や家族愛のグロテスクなとこ詰め合わせ
これまでにあまりホラーを見たことがなくミッド・サマーも伝聞のみであったので、これを機に挑戦してみるような気持ちで映画館へ
身構えていたような恐ろしさやジャンプスケアの類いはあまりなかったけれど、苦い物を奥歯に噛んだような、吐き気に似た気持ち悪さが持続するような、怖いというより気持ち悪い映画だった
たぶん元々そういう映画として作られ、そのように味わうものなのだろう
全てが作中における真実だとは到底思えない
けれどもどこからどこまでが嘘や幻覚や錯覚であったかというと、これも分からない
答え合わせはしない、というのが答えなのだろうと思う
だから考察をするし、どうすべきだったのかを考える
考えている内に次の材料が出てきて、どんどん積み上がり、答えはあくまでも示されない
思いつく限りを越えてイヤなこと、悪いことが引き起こされていくのに、思考しながらだからか意外なほど時間が経つのが早い
これを 引き込まれたと表現するのなら紛れもなく引き込まれていた
精神医学や心理学を学んでいたらより面白く分析できたのかもしれないな、と思う
ネタバレは避けつつ、ある程度の前評判は小耳に挟んでいたので「自分はこれから気持ち悪い思いをしに行くんだ!」と覚悟を決めて視聴に向かったところがあるけれど、やっぱり気持ち悪いのは気持ち悪かった分で星一つ、全体的にキリスト教的な宗教観やアメリカの国柄に立脚した感情の揺さぶり方が主体となっているような感じで、日本の辺境に住んでいると現実味に乏しく感じられて、多少やむを得ないけれど没入しきれないところがあった分で星半分を減らしてある
真実はどこにあるのか、ボウはどうすれば良かったのか、一部始終を見た自分は何を得たのか
おそらくは答え合わせがないという答えが出ているので、見た人間次第でどんな答えを出してもいいのだろう
もう少し、この奥歯に挟まった苦い物を噛みしめてみたい
視聴翌日、追記に合わせてレビュータイトル改訂
この作品の気持ち悪さに通底する物はこれだったのかなぁと漠然と思う
愛情そのものやその美しさをことさら否定するわけでもないけれど、醜悪さも同居する物としてより強調するかのようにむぎゅっと詰め込まれている
作中の真実と虚構の境目も曖昧であるように、愛情の美しさと醜悪さの境界もシームレスに繋がっている
精神状態や元々持つ価値観によってはクリティカルヒットを食らうことになりそうだと思う反面、自分は軽傷で済んだ部類だったのだろう
……作品の味わいを隅々まで享受できなかったことを惜しむべきか否か、迷うところだ
女神復権
ボーの母モナの母性愛は強烈だ。
全能だった時代の大地母神の様に、命を与え、育て、愛し、奪う。
ギリシャなどで時代が下るにつれ、権能を奪われていく女神たちを不憫に思っていたので、本作はいっそ痛快だった。
ラストの審判シーンでのモナの激白は「母」の一面であり、いつ報われるのか嘆く辺りは、母の枠組みを通り越して人間の本質を見た気がした。
監督の前2作の集大成の様な作品で、アリ・アスターの脳内遊園地に迷い込んだ気分だった。
本作には2つのお気に入りがある。
1つは森編だ。ミッドサマーの色彩豊かな映像美で監督のファンになったので。
2つ目はボーがモナの首を絞める時の表情の変化だ。いつもの悲しげな表情から憎悪を煮詰めた眼差しに変わるまで瞬きする間も要さないボー役のホアキン・フェニックスに魅せられた。
次回作もアリ・アスター監督とホアキン・フェニックスのタッグが見られるようなので今から楽しみで仕方がない。
ざわざわ大喜利が凄い…けど長いよ…
相変わらず…
3時間という昨今では珍しく長い上にアクションでもないため観客が飽きないのかと観る前は不安に思っていたが、そろそろ飽きがくるかなという頃に場面が大きく変わるを何度か繰り返し、その度に結末でのタネ明かしというか全てが最後には分かるのだろうという気持ちにさせてずっと興味関心を引き続けるようにできていたのがさすがというか感心した。
そしてその状態で3時間見続けた結果、結局ワケが分からないまま終わった。
アリ・アスター監督はミッド・サマーもよく分からなかったけど今作はさらになにを描きたいのかなにを伝えたいのか全く分からなかった…
発達障害の人を社会がどう受け止めていくべきかを描いているのか?なんなのか?
ただホアキン・フェニックスの演技はやはり凄かった。
ジョーカーよりも自然で本当にこういう人いるよな、という感じがとても上手い。
ホアキンの演技を見るために観た映画と思えば、3時間ずっと何を観せられていたんだろうという虚無感も少しだけマシになる。
なんの意味もない3時間
2024年劇場鑑賞37本目。
予告で変な映画そうだなぁと思っていましたが思ってたより悪夢みたいな話でした。
じゃどこからが現実でどこからが悪夢なのか?
普通の映画ならある程度の境目が見えるのですがこの映画には見当たりません。
これは自分の解釈なのですが、この映画の前に普通の家に住んで普通の生活を送っているボーが眠りについて、この映画の後に目覚めて元の生活に戻るのではないかと。
とすればこの映画でどんなめちゃくちゃな事が起きても夢の話を延々されているだけなので何の意味もないな、と思うのです。フィクションであっても、そのフィクションの中ではリアルの出来事でないとフィクションとして楽しめないと自分は思うので。
そうでなくても実の子を親があそこまで醜く責め立てるのは不愉快でしたので、こういう解釈をしないと耐えられないというのが正直なところです。
ブッとんでイカれたA24らしい映画。ホアキン・フェニックス演じるボ...
全編が悪夢のブラック映画
ボーは心理カウンセラーで治療を受けています。明日父親の命日で母親に会いに行くことになっています。不安定な心理状態ということで薬処方され部屋をでました。ここまでは普通でした。しかしここからは異様な光景となります。暴力に満ち溢れた野蛮な人達にあふれています。その一角に住んでいるボー。部屋にたどり着き眠りにつくも部屋の外では騒ぎが続いています。翌朝母の元へ出発しますが、ちょっと目を放したことにより鍵と鞄を盗まれてしまいます。そしてカードは利用不可となります。母に行けなくなったことを伝えると母は激怒します。改めて電話をすると母親は死亡したと告げられ直ぐに母の元へいかなければならなくなります。混乱するボー。そこから始まる様々なトラブルと奇妙な人物達が登場します。ボーは翻弄されながらもなんとか母の家にたどり着きます。そこで待ち受けていた衝撃の真実となります。概略を記述すれば異色ロードムービーと思われますがそんな気の利いたものではありません。異様で異常な狂気の展開です。テーマは母性、母親の特性となっています。息子を心から愛して人生の教訓を教える立派な母親と思いきや自分の愛情不足と誤解して過剰となりボーに数々のトラウマを植え付け精神的に苦しめていく母親が描かれています。題名である「ボーはおそれいる」それは狂気に満ちた社会でもそこを取り巻く人々でもなくおそれいるのは母であったというのを鑑賞後に思います。この作品をブラックコメディとなっていますが、そうは思えません。2度3度鑑賞すればそのシュールな笑いが理解できるかもしれませんが、リピートしたいとは思いませんでした。
A24
の世界観満載で、映像も展開も「らしさ」が、いっぱいでした。ただ、自分には少し付いて行きづらい感じでした。何が何に繋がっているのか?結局、ボーはどうなったのか?‥3時間の間、考えながら観てるので疲れました。
星付けられないけど下げたくも無いので3つ
本作のカオスが
アリアスター監督が鬼才と言われる所以か
何を観させられたんだという思いと
重大なメッセージがあるんだろうという思い
自分ごときでは
評価できない
でも、ホアキン・フェニックスは
ボウとして人生送って来たとしか思えない
ものすごい演技だった
2/25追記 星3→星5
色々な考察動画を見て
ハッとさせられたものがあった
ボーだけが正常な世界
これだと思った
ボーの悪夢と妄想の映画では無く
ボー以外が狂ってる話だったのではないか
何ということだ
アリ・アスターは天才だ!
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