「ボーは解釈されたがっている」ボーはおそれている jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)
ボーは解釈されたがっている
アメリカの男の子は15歳になったら「Sex & Drug & Rock'n'Roll!」と叫びながら車やバイクをかっ飛ばし大人になるそうですが、ボーはいずれにも手を出しません。じゃあ何が好きなのか。彼の住む簡素なアパートには何の個性もありません。空虚な中年男の彼が喋るのは精神分析医とお母さんだけ。「どうして彼はこんな男になったのか?」その真実を求めて彼は地獄めぐりをやらされ、観客はそれに付き合わされます。すべての真実にたどり着いたラスト、彼は変わるのか?いえ、まったく変わることなく、ただ助けを懇願しながら水に沈んでいきます。
これまでのフィクションの常道をまるで無視する本作の筋書き。なんの成長も見せず滅んでいく主人公。大変斬新ではありますが、面白いかというと、退屈です。面白いのはソドムとゴモラのようなボーの住む街の退廃っぷりぐらい。それもすべてどこかで見たことのあるような景色ではありますが。それでもやることなすことすべてが裏目に出てしまうボーの姿は笑えます。でもボーが外科医の家に匿われて以降は、映画は失速してしまい、大風呂敷を広げた物語の世界は急速に縮んでしまいます。そして最後は母と子の罵り合戦、これまでの恨みつらみのぶつけ合いという泥試合に収束し、映画は幕を下ろします。「自分で稼ぐ力を持たない男は母親の愛情と財布の呪いから逃れられない」という当たり前のことを3時間かけて教えてくれました。
孫悟空は頭に輪っかを付けられてお釈迦様の手の上から逃れられませんが、ボーは足に輪っかを付けられてお母様の手の上から逃げられません。妖怪退治に大暴れする孫悟空と違い、ボーは何一つ自分で成し遂げません。精神分析好きかまってちゃん監督アリ・アスターさんの作る物語は悪夢的で退廃的で閉鎖的。ユダヤ人の詩人であるという彼のおかあちゃんに、本作の感想を聞いてみたいものです。息子を愛しているならどんなに評判が悪かろうとも「史上最高の傑作だ」と褒めてあげるはずですが。監督はこの映画で母親の愛情を確かめようとしているのかも知れません。いずれにしろ、第三者の私にはどうでもいいことですが。
日本人なら隠そうとする家の恥や家族間のトラウマを映画にする勇気は恐れ入りますが、その想像力のジャンプはあんまり距離が伸びていません。本人はずいぶん遠くまで飛んだつもりでも、実際はそんなに飛べないものかも知れません。そもそも日本には「首狩り家族」という、こんなファンタジーより何十倍も恐ろしい家族の実例があるわけで。