青いカフタンの仕立て屋のレビュー・感想・評価
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イスラムの伝統服、カフタンに漂うエロチックな空気
モロッコで最古の旧市街、メディアで女性たちに愛される伝統服、カフタンの仕立て屋を営む夫婦、ハリムとミナの物語。冒頭から、高級素材の首元や袖口に手の込んだ刺繍を丹念に施し、完成まで数ヶ月もかかるカフタン作りの魅力に引き込まれる人は多いだろう。しかし、物語は伝統を守り続ける中で個人の欲望や幸せを犠牲にしなくてはいけないイスラム圏に住む人々の苦悩を描いて、見ていて息苦しくなるほどだ。 ハリムは店に見習いとしてやってくる美青年、ユーセフに対して、押し殺していた欲望を抑えることができない。だが、一線を越えることは許されない。なぜなら、同性愛はイスラム社会では違法なのだ。カフタンを裁断しながら、ハリムの気持ちを見透かすように熱い視線を投げかけてくるユーセフに対して、務めて冷静を装うハリム。2人の間に流れる空気はスリリングでエロチックだ。 かつて、長編デビュー作の『アダム』ではシングルマザーの窮状を描くなど、母国モロッコで伝統に縛られて生きる人々に視線を向けてきたマリアム・トゥザニ監督は、ハリムとユーセフの危険な関係を見守る病身の妻、ミナに重要や役割を負わせることで、広い意味での寛容の大切さを描いている。そこが、世界各国で高い評価を得ている理由だろう。 美しいカフタンに編み込まれた悲痛で感動的な人間ドラマ。同時にこれは、イスラムのカルチャーが学べる絶好の機会かも知れない。
It's Complicated... In North Africa
Blue Caftan is the Phantom Thread of the Arab world, telling the story of a tailor's different kind of love. The film has interestingly wholesome portrayals of homosexuality, necessarily open to interpreation given the culture the film is made, but bold in going the mile. It differs than say Brokeback Mountain with the subject's sexuality defining the marriage with his wife more than breaking it.
伝統技術の継承は重要だ。 男性同士の恋愛は苦手な展開だが、そこさえ...
伝統技術の継承は重要だ。 男性同士の恋愛は苦手な展開だが、そこさえ我慢すれば良作と言える。 ただ最後、青いカフタンを奥さんに着せてあげて、何となく泣ける展開に持って行こうとしているが、あのカフタンは客からの注文品ではないか。 客の立場からすれば、「死体に着せたカフタンをうちに納品するのか」という話で、それはいかんだろう。
私なら絶対に許さない
イスラム圏のモロッコでこうゆう同性愛の映画が作られて、質の良い人間ドラマと映像となっているのがすごいことではあると思うのだけど
同性愛である夫の葛藤を妻が許し包んでくれるとゆう、話なのが、なんとも座り心地が悪い気持ちになってしまう。
夫を、人として尊敬し、愛してるのに、女として求められない悲しみを抱えてるシーンもあるし、従業員として雇った青年との恋に揺れる夫を見て、青年に嫉妬し嫌がらせしてるシーンもある。
ミナは完全に傷ついてる。しかも、手の施しようのない病によってゆっくり死に近づいてる状態での夫の、
この行動。私なら絶対に許さない。
異性愛とか同性愛関係なくこんな状態で人生のパートナーだった人が、自分より若く美しい人間に心も体も惹かれいるなんて。
結局女性が全ての苦しみを飲み込み許すことが美しく回収されていくことに苦痛を感じる話だった。
もちろんモロッコで同性愛が容易にカミングアウトすることができないであろうことも分かってはいるが、
悲しみの皺寄せが全てミナに集約されて死んでいったあと残った2人はミナは素晴らしい女性だった言ってお終いなの、けっこうキツい。
あと、客が嫌なやつだったとしても
オーダーメイドで仕立てた服を、冥土の土産にしてしまうなんて…職人としてどうなのか。プロ意識なさすぎてすごく萎えた。
ので、映画としてはかなりモヤるが
モロッコの庶民生活の姿が美しく描かれてるし、モロッコの公衆浴場のシーンも文化的に興味深いし、建物の装飾や街並みを観るのも楽しい。
3人が窓際でダンスするとこやミナがミカンを食べる姿、カフタンを仕立てていく手元や、糸を紡ぐ仕草、布の美しさなどたくさんの美しいシーンがあった。
イスラム圏のモロッコでも同性愛の人々が普通いるとゆう描写もすごく革新的だと思う。
同性愛を否定しようが、同性愛者や性的マイノリティの人が存在しているし、消えてなくなったりしない。
同性愛を否定する人は、この映画のハリムの様に社会の中で、同性愛者を隠して生きる苦しみを、観てほしい。
映画館で鑑賞
Gで妻も愛するハリム
モロッコの大西洋沿いの街サレで、カフタンドレスの仕立て屋を営むハリムとミナの夫婦。ミナはハリムを支え続けてきたが、病に侵され余命わずかとなってしまった。そんな彼らの店にユーセフという若い職人が加わり、3人はカフタン作りを通じて絆を深めていった。そして・・・てな話。 カフタンという民族衣装の奥深さを学べ、刺繍などの技量が必要なんだと知った。 モロッコはイスラム圏何だろうが、女性も顔を隠さず町を歩いたりしてるし、そんなに厳格じゃ無いのだろう。 ストーリーについて、これもLGBTなのかぁ、って思ったが、それはメインでは無いし、ゲイなのに妻を愛するハリムはいろいろな葛藤があったようにも見えたが、これからユーセフと上手くやっていくのかな?
生理的欲求を満たすことと愛情は別
手作業でひとつひとつ丁寧に刺繍を入れる美しいカフタン。
生地を行き来する指がなまめかしく息遣いが聞こえそう。
映画は艶めかしさに満ちているが嫌らしさがない
ミナとハリム夫妻に子がいないのはそれか。
でも、愛し合っているからお互いに折り合いつけて生きているのでしょう。
夫が肉体的な欲望を満たすのは生理的なもので、妻への愛情に取って代わるものではないと分かっているから夫のハッテンバ通いも妻は見てないふりをする。
そこに若い美男子の弟子が加わって、妻がヤキモチ焼いたりするが、結局彼が善良で誠実な人間であることが分かり、自分亡き後の夫を託すに相応しいと決めて、3人で「家族」になろうとする。
彼らは血は繋がっていないが同質の魂を持っていると思う。
モロッコは戒律が緩いのだろうか、女性がヒジャブを着けずに外出できるし、男性ばかりのスポーツパブに入っても大丈夫。ミナだからかもですが。そして男性同性愛者も、公衆浴場が男性同性愛者のハッテンバになっていたり。
こんなのが着たかったと言った妻の希望を汲んで、発注した客が支払いせず引き渡しを止めた極上の青いカフタンを着せてやる夫だが、婚礼は無理だったがせめて葬列では美しい高価な衣装を纏わせてあげたかったんでしょうけど、死んでからでは遅いよ。
男二人が愛情深く思いやりがあるのは、幼い頃から苦労して他人の機微が分かるからかも。苦労は人を悪くもするが、深くもすると思う。
目に映る君現れる自分、切ない3人
切なさは全て瞳の中 モロッコ🇲🇦の伝統衣装カフタン〜名は初耳ではあるけれどあの衣装なんだと…職人技の美しい服。 ありのままの自分で生きると一言葉では綴れない。 仕立て職人・主人のハリムはカフタンの刺繍の様に気持ちの糸を綴り縫い込んでいく。若い見習いユーセフに厳しい夫人ミナ 目に映るのは君だ。 瞳が美しい…そして切ない。 3人の関係はそれぞれに思いやるゆえに切ない… 生活の音や野外の声、野鳥の鳴き声、時の鼓動の様に心地良い、生きていくから死を迎える。 白で浄めらたミナに青で仕立てたカフタンを着せ自分の色を生きた証と祈りたい。 男性たちが集うラストシーンはイスラム教の隠れた事実なんだろう 自分でいられる表情は柔らかく見る者も和ませる。 しかし 女性の居場所はあるのだろうか。 イスラム教の女性たちが自分でいられる場があるように… #青いカフタンの仕立て屋 #刈谷日劇
【”私も結婚の時にあの青いカフタンを来たかったわ。”とカフタン職人の妻は言った。”モロッコの伝統工芸カフタンの仕立て屋の夫婦愛。そして、仕立て屋の夫と若き職人の秘めた性癖を静謐なトーンで描いた作品。】
ー カフタンを手縫いで縫う職人ハリムの丁寧な仕事ぶり。それを賞賛の眼で見る気の強い妻ミナ。そして、若き職人で筋の良いユーセフ。
職人がシルク地に金糸で刺繍して行く姿をクローズアップで映し出してくれるだけで、モノ作りの好きな私は魅入ってしまった作品である。-
◆感想<Caution ! 内容に触れています。>
・カフタンの仕立て屋の夫婦は、お客に対しても一切妥協しない。お金を積んで、他の人のカフタンを欲しいという客には、とっとと帰って貰い、”納期を速く!”とせかす客にも”手縫いですから。”と言っている。
ー ハリムは、ミシンを使わない。全て手縫いである。一刺し一刺し、気合を込めてけれど丁寧に金糸をシルク地に刺繍して行く。そんな夫の作業を誇らしげに観る、病気がちのミナ。-
・ハリムとミナは同じベッドに寝ているが、肌をお互いに触るだけ。けれども、それで二人の絆は繋がっているのである。二人の間には子は居ない・・。
ー 後半のワンシーンでミナの病気が分かる。乳癌だったのである。多分、癌が全身に転移しているのであろう。
これは私の推測だがハリムは妻の健康を気にやり、性交渉をせず、公衆浴場の個室で男色に耽っているのであろう。但し、猥雑なシーンは一切描かれない。ー
・ユーセフも又、丁寧な仕事で信頼を得ているが、ミナが病に臥せっている時に、ハリムに言い寄る。だが、ハリムはそれを受け付けず、彼を店から追放する。
ー ユーセフは、男前だが明らかに同性愛者である。ミナが”直ぐに辞めるわよ”と言っている中、彼の手先はしなやかにシルク地に金糸をさして行くのである。-
・ミナが倒れ、店を閉めていた際に、心配したユーセフがやって来る。そして、ハリムは何もなかったかのように、彼を家に入れるのである。
ー これも、私の勝手な解釈だが、ミナはハリムが同性愛者であると分かっていたのだと思う。故にハリムが涙を流しながらその事実を告げた時も、優しく微笑んでいるのである。
そして、ユーセフは二人の為に、美味しそうなタジン料理を作る。
まるで家族の様な3人の姿。品性あり、人間性溢れるシーンが続く。ー
■白眉のシーン
・ミナが亡くなった時に、ハリムが取った行動。それは、妻の遺体を覆っていた白布を外し、美しき青いカフタンを着せ、ユーセフと共に墓まで運ぶシーンであろう。
哀しいが実に美しいシーンである。
ハリムがミナの想いを汲んだが故に取った行動であろう。
<今作は、とても静謐な品性高き作品である。そして描かれる二組の恋もスムーズに観る側に入ってくる逸品なのである。>
<2023年8月5日 刈谷日劇にて鑑賞>
狭い世界、3人の思いがひりひり伝わってくる
ミナはハリムの妻、というより庇護する者。彼女の死によって、彼自身で立たなければならない。 彼を一人残して先に逝くことは辛い事だ。 けれどユーセフがいる。それは死への怖れより、大きな喜びだったろう。 愛情と感謝を込めて、彼の最高傑作を妻に纏わせ、彼ら2人で彼女を送り出す。 喪失より、自分の足で立ってこなかった自分への訣別と、明日も明後日も生きていく決意を感じた。
夫婦愛+家族愛
マリヤム・トゥザニ監督によれば、前作のロケ中にサレのメディナで美容室を営む同性愛者の男性と知り合ったことがこの映画を制作するきっかけになったという。その後、大人の女性の象徴で、少女時代からの憧れであったカフタンというものについて考えていた時、伝統の手仕事を守る人々を見つめ、尊敬の念を作品で表現したいという思いが湧き上がり、カフタンの仕立屋を舞台にした内容に変わったそうだ。 この映画では同性愛というのが主要なテーマとなっているが、それよりも、ハリムとミナの夫婦愛やユーセフを含めた家族愛の方に好感を持てるというのが大方の感想であり、私も同感である。母親は自分を生んで命を落とし、父から愛されていると思ったことがないハリム。縫製の技術は父が教えてくれたが、父が亡くなってから身内がいなくなり、孤独感に苛まれている中、母性的で愛情深いミナに誘われて結婚した。ハリムは同性愛者であり、それを隠して生きているが、ミナはそれに気付いている。ミナは乳がんを患っていて余命が短いが、「愛することを恐れないで」とハリムに問いかける。そんな2人の元に、ハリムの見習い職人として現れたのが、8歳から自分の力だけで生きてきたというユーセフ。ミナに布を盗んだ疑いがかけられ、「盗んでいません」、布代を給料から引くといわれても「構いません」と答える。独りで生きてきたのだから、給料を減らされてもなんとかなる、そう気持ちを強く持って生きてきたユーセフに自分と似た匂いを感じ、親身になって縫製技術を教えるハリム、次第にミナとの間の誤解も解け、3人は疑似家族となっていく。 モロッコに加えて、同性愛ときたので、カルーセル麻紀という人の存在を思い出した。彼女は「戸籍を男性から女性にしたパイオニア」といわれ、1973年モロッコで性別適合手術を受けた。モロッコというのは同性愛と関係が深い国なのだろうか、疑問がわいた。
カフタンの仕立屋の夫婦と職人の3人の愛の物語。(アプリ不具合の為再掲)
カフタンの仕立屋の仲睦まじい夫婦の元にある日職人がやって来る。 この夫婦には秘密がある。1つは夫はゲイでもう1つは妻は余命幾ばく無い。 夫と男はやがて惹かれあう。妻はそれに気付いているが自分はもう長く生きられないし自分の死んだ後の夫が心配なので2人を止められない。これが実に切ない。この女優さんの繊細な演技が素晴らしい。後半彼女の背中がガリガリに痩せて骨が見えるシーンがあるが、一体どれ程この役の為に体重を落としたんだろう。女優さんが本当に死んでしまうのではないかと思うくらいだ。 3人が淡々といい関係を保ちながら物語は進む。夫は男に惹かれてはいるが、妻をとても愛している。とても大事にしている。こういう夫だから妻は自分がいなくなった後の夫の心配が出来るのだ。そうでなければさっさと男を追い出すだろう。 イスラム圏の絶対ゲイを認めない国の事情なども丁寧に描かれて見応えのある映画に仕上がっている。
なまめかしく、繊細で、そして強い
ミカンの薄い内果皮を丁寧にむいて、病に伏せるミナに食べさせる。「甘いだろ」「とても甘い」2人が確認し合う。そして、ハリルがミナの口元を優しく拭く。たったそれだけを、丁寧に描写するんです。それだけにすぎないのに、どこかなまめかしい。 モロッコの光と陰が、なまめかしさを生み出すのでしょうか。マリヤム・トゥザニ監督の映像には、しかし、いやらしさはない。些細な描写が美しい。 例えば、ハリルが自分の店に出勤するために、ひとり歩く。直線の道を向こうから、ただ歩く。そのシーンが、そこそこの長回しなんです。特別なことは何もないのに。歩みは孤独です。 最後のシーン。カフェの男たちが映し出される。カメラをゆっくり振って、どこに行きつくのか、と疑問が湧いてくる頃、ようやくハリルとユーセフを見つけたように映し出す。特別な存在ではない、普通のふたり。 映像のそこここに、トゥザニ監督の繊細で丁寧な感性がにじみ出るのです。相反するように、彼女の描く女性は、強くたくましい。個人の生き方を抑圧するイスラム社会にあって、自分を押し殺すことがない。 と同時に、モロッコの文化の美しさが描かれる。それらの矛盾しているかのような描写は、彼女の中で整合しているのでしょう。 考えてみれば、『モロッコ、彼女たちの朝』『青いカフタンの仕立て屋』でも、モロッコの伝統的なパン、伝統的な衣装を生み出す職人の家庭に、外部から違う物をもった若者が舞い込んでくる。モロッコの文化を愛しながら、個人の解放を願わずにはいられない。トゥザニ監督の描くテーマは、ぶれることなく一貫しているようです。
生き方
マリヤム・トゥザニ(Maryam Touzani)監督の映画はこれで2本目である。伴侶であるナビル・アユチNabil Ayouchも監督だが、彼はここでプロデューサーになっている。二人の新作を私はいつも楽しみにしている。その理由は宗教が生み出す社会の不条理と人間の結びつきが絡み合っているから。不条理というとモスリム社会の批判かと思うかもしれないが,いやそうではなくて、グローバル化の進んで世界が変化して行く中、人間の心が変わらず、人間の生き方が社会の中で受け入れられなくなるハリムのような存在が日陰者のように心の葛藤を余儀なくされるところだ。
それに母親の死が原因で息子であるハリム(Saleh Bakri )がスケープゴートになるところなどはユニバーサルでもある。
モロッコはイスラム社会だがイランやアフガニスタンと比べて、
特にヨーロッパからの観光客が多くマラケシュなどはモスリム教は形骸化しているように思えてならない。心の拠り所である宗教として残るより慣習とした形式として残ることによる人間の生きにくさ。その慣習やならわしという伝統に固執して現状を維持している人々と西洋文化の影響から慣習特に生きにくい慣習をやめていこうとしている人々。それに、ここでは店をおとずれる客の現金な態度。それを捌けないハリム。社会は心がついて行かなくても、自分が動けなくても変わっていく。ミナLubna Azabal の言葉で、Pureな人がハリムなのである。
ここで素晴らしいのは監督の力量。ただ、変化するモロッコをモロッコ文化の中から見てはいない。しかしモロッコ系フランス人の伴侶である監督の影響もあるとは思うが、モロッコの見方は多面的である。モロッコに息吹を吹き込んでいるのかもしれない。それに、ナビル・アユチ監督の従来の直接的なアプローチでは観客受けがうまくいかないのかわからないが、RAZZIA(2017年)で主役を演じているマリヤム・トゥザニはまるで、フェミミストの部分を軽く抑えてこの映画を作ったようだ。でも、ミナは力強くてハリムの父親から受けてしまった心の障害を助けることができた。そして、ハリムに結婚を申し込んだ。ユーセフが本当かいというくらいだから、この社会では稀なんだろう。それに、ミナは命が短い自分を知っているから、自由奔放に生きようとする。例えば、男だけ通うバー、モハに15年間もこの前を通ったけど、足を踏み入れたことがないと言って入りたがる。ハリムはだからどうなんだとまるで、男女と別れていて、バーは男だけの世界に疑問を持たない。ミナは理由を言っても無理だとわかるから、ミントティーが飲みたいとかわすだけ。バーに入ると男たちは不思議そうに二人を見るが、ミナはタバコを吸わせてくれと。ハリムは冗談でしょと。ミナはどっちがゴールを入れたのかもわからず、『ゴール!!』って叫ぶ。周りから批判を浴びて、二人は笑っている。大笑いしている。市民警察(?)に捕まった時、警察に謝るハリムになぜ謝るのか聞く。だよね。ミナは男だけの世界に問題意識を持ち、髪も覆わず、挑戦している逞しい女性。ハリムも自分の本当の存在が社会に受け入れられないのを知っている。この二人はアウト・ローで、お互いをよく知っている。
伝統美の素晴らしさを五感を使って感じさせてくれる映画だ。それに伏線となっている箇所が多く、次に何が起こるかのヒントを示唆している映画だ。まず、例えば、サレという海岸に近い車が入れないメディナ(medina )の市街地の2階に住居を構え自然の美を風によって感じさせている。メディナの街並みに石畳。またはモロッコの伝統料理Rfissaの色や香り、 それにミントティーやオレンジ。それにミナLubna Azabal のオレンジに触れる指の動き。またはハリムやユーセフAyoub Missioui [が注意深く触れるカフタンへのこころを込めた愛情も我々に伝わる。その伝統服の賛美もここでしていると思う。ミナの祈りの時の右人差し指の動きは彼女が息を引き取ると、もう動かなくなる。一番切ない感触はハリムがミナの左房の傷口に触れるとき。ミナは自分の死が真近であることを感じていて伴侶に着替えを手伝ってもらう。これは伏線の部分である。五感や指の動きを大切にしている作品で職人の一本木質や匠の技がここで生き残っている。しかし、無口である職人の専門知識は深く饒舌になるが、客は耳を傾けるわけではない。美の中で人間がひとりひとり生きていくという今流に言えば、『生き方の使者』とでも言えよう。
ミナ『もし、結婚式を祝うなら、これとおんなじカフタンドレスが欲しかった」と。この映画はカフタンを伝統継承できただけでなく、
ミナは夫に対する愛の継承をユーセフに。愛する夫を一人で置いていくから、まるでユーセフにお願いしているようだ。それが、納棺を二人だけで担ぐところによく出ている。二人はモスリムの伝統に縛られす、生きていく。アッパレ!
愛したい人を愛し自分らしく生きる
夫を理解し支えてきた妻ミナ、 その妻に受け止めてもらって生きている夫ハリム、 ずっと一人で生きてきた若い職人ユーセフ、 3人は青いカフタン作りを通じて絆を深めていく。 ラストも良かった〜。 刺繍も美しかった〜。
美しい物語でした。(「カランコエの花」の内容にも触れています)
「カランコエの花」を見た時に、保健室で女の子が保健の先生に話をするシーンがありました。うれしそうな表情で顔を赤らめながら話す場面で、生まれて初めて「ああ!男の人を好きになる時と何にも変わらないんだ!」と気づきました。
私は、LGBTQに関する話は苦手で、「ブロークバック・マウンテン」や「パワー・オブ・ザ・ドッグ」のよい評判を聞きながらも、なかなか見る気がしませんでした。実際に見た「ムーンライト」のよさは全くわかりませんでした。近頃の映画に必ずと言っていい程その話題が出ても「またか」という感じでした。
昨夕、スマホでryuchellさんが亡くなったというニュースを見ました。もし彼女が、この映画を見ていたら、「家族とLGBTQは両立する」と思えたのではないでしょうか。もしそうであれば、最悪の事態は避けられたのではないか。そう思いました。
とてもよい映画なので、みんなにぜひ見て欲しいと思います。
思ったことあと2つ。
・青い服はナウシカの服を思い出させました。(実際には全く似ていませんでしたが)
・「自分の失敗は隠したくなるよな」「謝られても簡単には許せないよな」と思いました。
モロッコ海沿いの街サレ。 路地が入り組んだ街中で父親からカフタンド...
モロッコ海沿いの街サレ。
路地が入り組んだ街中で父親からカフタンドレスの仕立て屋を継いだハリム(サーレフ・バクリ )とその妻ミナ(ルブナ・アザバル)。
伝統的な手仕事による仕立てのため数はこなせない。
また、そんな伝統的な手仕事職人のゆえか、見習い職人はいつかない。
その上、ミナは気丈夫だが病弱であり、人当たりはいたって厳しい。
折しも高級なブルーカフタンドレスを仕立てているさ中、ユーセフ(アイユーブ・ミシウィ )という若い職人が現れ、筋が良いことから彼を雇うことにするのだが・・・
といったところからはじまる内容で、まぁ、こういうように書くと、伝統的な師弟愛、夫婦愛の映画に見えるのだけれど、その実、伝統的に反旗を翻すような類の映画。
ユーセフを雇って指導するハリムの妖しい眼差しから、「ははぁん、ハリムは同性愛者なのね」と気づく。
ハリムは、しばしば街中の公衆浴場を利用し、その個室において、見知らぬ相手と性的関係を結んでいることが描かれます。
そして、当初、よくわからなかったのだけれど、妻ミナはイスラム社会にもかかわらず女性が着けるべきとされているヒジャブを被っていない。
また、夫のエスコートがあるにしても、男性しか集まらない喫茶店(イスラムの戒律によるのだろう)に連れていって頼み、夫はその願いを叶える。
周囲の眼は冷ややか。
帰宅途中、警察官に尋問されたりもする。
つまり、ハリムとミナの夫婦は、イスラムの常識的な夫婦からは逸脱しているのだ。
それが、彼女の病気、夫の性癖のどちらが先だったはわからないが。
ということで、いくつかのエピソードが積み重ねられるが、最終的にはハリムとミナとユーセフの奇妙な三角関係に帰結し、ミナの死によって、三角ではない形となる。
イスラム社会のモロッコを舞台に描くことで、その三角関係の何とも言えない先鋭性が突出するが、伝統からの逸脱はミナの死装束代わりのブルーカフタンに集約されます。
伝統への対抗意識やバイアスに対する疑問の投げかけなど主題的には評価できるのだけれど、いかんせん前半がまだるっこしく、後半から終盤になって立ち上がって来た主題のわかりやすさは逆に高評価するのが難しく、なんとも微妙な一編だったぁ、というのが正直なところ。
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