PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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淡々とした日常に射す木漏れ日の美しさ
学生時代に見た『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』。蓮見重彦が雑誌リュミエールに難しい批評を書いていたことを懐かしく思い出す。その監督の新作映画を2023年に観られるなんて思ってもいなかった。それだけでも感動ものだ。
トイレ清掃を行う平山の淡々とした日常。だけど、公園から持ち帰った木の苗木を部屋で育てたり、いまだにフィルムカメラを使ってモノクロ写真を撮って整理して保管していたり、曰くありげな過去があった事を匂わせる。
それでも、日常のルーティンは変わらない。そこに射す木々の木漏れ日、時々挿入されるモノクロ画像が美しくもあり、また、過去の記憶を映し出しているようでもある。
CASTは個性的。ホームレスの田中泯、相棒の柄本時生、小料理屋のママの石川さゆり、古本屋の店主の犬山イヌコ、そしてセリフが無いのに輝いていた研ナオコ、みんな愛おしいCASTとなっていて、この映画に豊かな彩りを添えてくれる。勿論、セリフが少ないながらも役所広司の演技は素晴らしい。
久しぶりに心に染み入る良い映画を見た感じだ。
ただ、ラストの三浦友和の登場の仕方がちょっと唐突。だって、探し回ったとしても、広い墨田区、あそこで出会えるはずないもの。淡々とした日常を描きながら、ラストで「作り物感」が出てしまったのが残念だった。三浦友和ならもっと味のある使い方が出来たんじゃないかと、無いものねだりみたいなことを感じてしまった。
あと「ニコは絶対実の娘だ」「ニコは知らないけど平山とケイコは結婚していたんだ」「だから抱擁して別れた後泣いたんだ」と思ったのだけど、公式HP見て、伯父と姪であることが分かった。深読みしすぎてしまった。でも、妹の「本当にトイレ掃除しているのね」とのセリフから、父親から「お前なんかトイレ掃除ぐらいがお似合いだ」みたいに言われたんじゃないだろうか、だから意地になって徹底的に掃除をするようになったけど、今ではそれさえもルーチンになっているって感じじゃないだろうか、とも勘ぐってしまった。これも深読みだろうか。
少ないセリフの一つ一つから想像の世界が広がっていく映画でもあった。
役所広司すげー
あるトイレ清掃員の完璧な日常‼️
あるトイレ清掃員の日常‼️近所の老女の箒の音で目を覚まし、布団をたたみ、歯を磨き、ヒゲを整え、植物に水をやり、ユニフォームに身を包み、ドアを開けて笑顔で空を見上げ、缶コーヒーを一本、そしてお気に入りのカセットを聴きながら仕事のトイレ清掃へ‼️お昼に公園でサンドイッチを食べ、仕事が終わると銭湯へ、地下の居酒屋へ行き、眠くなるまで本を読む‼️休日はコインランドリー、写真の現像、古本屋、そして休日だけ通う居酒屋のママの歌声‼️映画は主人公・平山のそんな日常を繰り返し活写していく‼️セリフもほとんどなく、まるでドキュメンタリーのような地味な展開かなと思わせる‼️しかしカーステレオから聞こえてくる音楽は毎日違うし、平山が清掃するトイレは世界的な建築家がデザインした、芸術品と呼べるモノばかりで、同じはずの日常のルーティンに異なる彩りを与えている‼️ホントにトイレを見ているだけで楽しい‼️そしてそんな平山の日常に訪れる思いがけない出来事‼️同僚の恋愛沙汰、孤独を抱える同僚の恋のお相手、家出してきた姪っ子、わだかまりがある妹、平山が密かに恋心を抱く居酒屋のママ、ガンを患っているママの元夫・・・‼️もうホントに全編がヴェンダース監督の優しさに包まれているし、役所さんの名演が常に寄り添っているような名作ですよね‼️毎日同じことの繰り返しのようでも、一日一日違った喜びや悲しみがあり、新たな刺激がある‼️平山が毎日カメラで写す木漏れ日のように‼️時折挿入されるその木漏れ日のカットが、この作品をより美しく、より詩的にしていると思います‼️そして、平山のカセットテープから流れるストーンズやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ヴァン・モリソンなどの名曲の数々も、サントラが絶対欲しくなってしまう素晴らしさ‼️ヴェンダース監督の最高傑作ではないかもしれませんが、最高傑作の一本である事は間違いないですね‼️
「この世界には、たくさんの世界がある。つながっているように見えても、つながっていない世界がある・・・」‼️
IMPERFECT LIFE
平山の暮らしは形容し難い。
仙人とも、清貧とも、“丁寧な暮らし”とも、“衣食足りて礼節を知る”とも、近いようでどこか違う。
物語とは言えないそれを、ただ追っていく。
意味深に出てきた人物、伏線に感じた出来事や台詞は特に活かされない。
脇役はおろか、平山の過去や考えですら全く明かしてくれない。
だが、それでも見ていられるのだから凄い。
役所広司の演技や、一風変わったトイレ、画面の端に差し込まれる紫や緑の光、曲、モノクロのカット…
そういったものが、静かながら確かな抑揚を生み出していた。
序盤は口数も少なく泰然として感じるが、徐々に印象が変化してゆく。
ほっぺにチューされてドギマギした後に、思い出してニヤニヤする中学生みたいな姿がかわいい。
姪との交流や、妹との再会、匂わされる父親との関係が、唯一明かされる過去である。
ママの元旦那が口にする「会っておきたかった」は、分かり易くも胸に沁みた。
そういった流れからの、ラストの笑い泣き。
平山が蓋をしていたもの、日々の綻び、不安、後悔など様々なものが溢れたように見えた。
穏やかな暮らしに見えるが、タイトルは『PERFECT DAYS』であって『PERFECT LIFE』ではないのだ。
ELLEGARDENの『PERFECT DAYS』の詞に通ずるものを感じます。
観進めるごとに、はじめは理解できなかった平山の解像度が上がり、同じ人間なのだと感じられた。
街と人と道路とトイレの素晴らしい時間
まったく素晴らしい時間だった。役所広司演じるトイレ掃除のおっさんの最初の1日のルーティン観てるだけでグッときてしまった。何を大切に、何を感じ、街を眺め、街の中に生き、街の中に見つけ、そんな一日。ベンダースの今がそうなのか。こういうのは日本的なのかと思ってたのが、ベンダースから提示されるとは。
孤独ではあるが寂しさと違う。距離を置いているけど離れてない。「今度は今度今は今」ではないけど、その境界線を大事に生きる人生の断片。その日常を少し掻き乱す人たちの断片から想像できるその先の世界、主人公の想像を良き方に超える、想像外の小さなサプライズが嬉しい。同僚の柄本時生とその彼女、改札脇の飲み屋、行きつけのママさんとその男の話、役所広司のリアクションが本当にいい。ラストのドライビングシーン、その表情が素晴らしかった。
過去の作品に比べて軽やかであるが、やはり映画と街と人、とりわけ道路の景色がとても沁みた。
これでいいのだ〜
独身の末路、日常
高すぎた期待よりは下回ったかな?
ニーナ・シモン「Feeling Good」に心震える!あまりにも深いありふれた日常のその意味とは・・・
feeling good「最高の気分だわ〜」
ラストに流れるニーナ・シモン歌うこの曲に全てが集約されている様に思う。
(他の方のコメント見ていないので重複した感想になるかもしれません)
ニーナ・シモンは1950〜70年代のジャズ、フォーク、ブルース、R&B、ゴスペル歌手、ピアニスト、公民権活動家、市民運動家。そう彼女の人生はそれこそ差別や偏見の波に翻弄された人生だった、クラシック音楽家を志したニーナは名門カーティス音楽院の入学を拒否される、溢れた才能があるのに黒人でありしかも女性のミュージシャンであるという事でその存在は音楽業界において忌避されるようになった。それが、当時のアメリカの音楽業界であり、アメリカ社会の現実だった。
「feeling good」その曲のタイトルはとても明るく意気揚々なタイトルなのに曲調は決して明るい曲では無い、重苦しい中から搾り出すような魂の叫び、それはまさに彼女の人生でもあり差別や偏見に晒されていた人達全ての叫びであったのだろう。
この作品でも淡々とした日常、朝家を出る時空を見上げて微笑む平山(役所広司)の表情は一見幸せな様にも見える、しかしその実は・・・ラストに車の中で微笑むその目にはみるみるとこらえきれない思いが溢れ、こぼれ落ちそうになる。
多くの“言葉”が無くてもその表情に込められた思いはあまりにも深すぎる、深すぎる、深すぎる。
人それぞれ背負ってたものは色々あるだろう、でも自分の人生の中であんな風に微笑みを浮かべながら涙を流す事はあっただろうか?
平山のありふれた日常、あの微笑みの裏には「ただ、トイレ掃除をするおじさんの話し」なんかでは無い「微笑みながらも涙が溢れてしまう様な日々」があったのかと思うと、えも言われぬ何かが込み上げてくる・・・。
そして
もう一つ裏に込められたキーワードは「アナログ」かもしれない。
平山が音楽を聴くのはカセットテープ、写真はフィルムカメラ、デジタルが当たり前の現代において日常使っているものはアナログなものばかりだ。
アナログってどう?古い物?デジタルより劣ってる?いやそんな事は無い、CDとレコードの音にしても自然界に存在する音は基本的に全て「アナログ量」の信号、デジタルはあくまでアナログの信号である音のデータをデジタルデータ化して「近似」する形で記録しているに過ぎないのだ、つまり人間が聴き取れ無い、必要が無い音=情報は排除されてるという事だ。
自分達が見たり聴いたりしているものが全てであり真実なのだろうか?身近な音や映像にしても気付かぬうちに“不要”とされた情報が削除されている、世の中の全ての情報も結局のところ真実の全てであろうはずが無い。
気づかぬうちに排除されているがその隙間に間違い無く存在するアナログ=真実の情報そのものを見極める事がとても大切なことなのではないのだろうか。
勝手ながらそんな風に解釈した。
Oh, freedom is mine, and I know how I feel.
It’s a new dawn, it’s a new day, it’s a new life for me.
And I’m feelin‘ good.
ああ、自由をやっと掴んだわ、そしてこの気持ちを噛み締めるの。
夜が明けて、新しい一日が始まる、私の新しい人生。
最高の気分だわ(〜ってもう言葉には表せない!)
多分もう一度この作品を観たら、涙が止まらないかもしれない。
あの箒の音もいつか聞こえなくなる
何故トイレの清掃員になったのか?
孤独の影
ヴィム・ヴェンダース(以下WW)によれば、ポスト・コロナにおいて人は“孤独”とどうむき合っていけばよいのか、その好事例を本作で描きたかったという。日常のちょっとした変化にも喜びを感じる主人公の姿は、WWの弟分にあたるジム・ジャームッシュ(以下JJ)監督の『パターソン』に重なった方も多かったことだろう。しかしその着地のさせ方には、JJの非常にパーソナルな気づきとはまた異なる広がりというか深みを感じるのである。多分、WWが尊敬してやまない小津安二郎の“ZEN”を意識した演出のせいだろう。
竹箒で道路をはく音で目覚め、アパートの前にある自販機でミルクコーヒーを買う。車のカセットデッキで70~80年代のオールディーズを聴きながらご出勤。相棒のタカシ(柄本時生)と合流後清掃仕事を丁寧にこなし、境内に植えられた大木を眺めながらサンドイッチでランチ、いつもの銭湯で汗を流した後、いつもの一杯飲み屋でレモンハイを飲みながらナイター中継を見る。渋谷のトイレ清掃員である平山(役所広司)は、こんなほぼ変わりばえのしない生活をくりかえしている。
いかにも建築家やデザイナーが作りましたというような斬新な🚻や、天に向かってそびえ立つスカイツリーのような、物質文明のダイナミズムを目のあたりにしなくとも、境内に植えられた大木の根元に芽吹いた小さな命にも気づける心の余裕が平山にはあるのだ。世捨人といってもよいシンプルかつミニマムな平山の生活だけに、“繋がっているようで繋がっていない”もう一方の世界に氾濫している余計な情報が入り込んでこないのである。
しかし、変わらない町浅草で暮らす平山のStill Lifeにもいつの間にか“変化”の波がおとずれる。仕事を突然辞めたタカシのせいでシフトを押しつけられ大忙し、家出してきたリッチな妹(麻生祐未)の娘ニコが平山のアパートに居候、そして、ひそかに想いをよせている?スナックのママ(石川さゆり)と別れた元旦那(三浦友和)が店内で抱き合っている姿を目撃してからというもの、平山は何ともいいようのない“不安”に苛まれるのである。WW作品の原作作家としても知られているパトリシア・ハイスミスが得意としたその“不安”である。
夜毎平山が見るモノクロの夢に必ず出てくる木々の葉が作り出す“影”が意味していたものとは?三浦友和扮する元旦那が「影と影が重なると濃くなるんですかね?」と平山に質問すると、「(二人の影を重ねながら)ほらちょっと濃くなったような気がしませんか?変わらないなんてそんなバカなことがあるはずがない」孤独+孤独=孤独。孤独は自由に逃げ回れるとおどけてみせたとしても、孤独な人間には影(不安)が常につきまとうのだ。木々を友としようがそれは決して変わることのない真実なのである。生活のルーティンを乱した一連の事件が、そんな絶対的な人間の孤独を平山に再認識させたのではないだろうか。
夕日とも朝日ともとれる太陽に照らされながら、平山はその真実の前に涙を流す。が同時に、主人公はそこに希望の光を見い出だすのである。この映画エンドロールの後に、ある重要なワンシーンが盛り込まれているので、劇場が明るくなってから離席することをお勧めする。なぜなら、平山が複雑な表情を浮かべた理由の大きなヒントが、そのシーンにこめられている気がするからである。私には、影と影が重なって濃くなった分だけ、その隙間から降り注ぐ○○○○が余計に眩しく輝いているように見えたのだ。
日常の幸せありがたい
主人公の平山さんの生活日常列車に同場乗車したかのような感じがした映画作品でした!!背景や風景も普通なのに何故か綺麗な写真切り取ったかのようなぁ感じながらほっこりしながらみれました特にトイレが綺麗に画かれたような気がします。今年最後に心が洗われたような感じで良かった!!
朝日のあたる家
「何も変わんないなんて、そんなわけないですよ」
舞台は東京。スカイツリーを仰ぐ古びたアパートに住むトイレ清掃員・平山(演:役所広司)の1日は決まっている。夜も白んでいない朝、近所のおばちゃんが道を掃除する音で目を覚ます。布団をたたみ、歯を磨く。口髭を整えてから顎髭を剃る。観葉植物に水をやり、つなぎを着る。玄関に並べた鍵や腕時計を身につける。アパートに朝日があたり、ドアを開けて外に出たら駐車場の自販機でBOSSの缶コーヒーを買う。車に乗ったら、途上で聴くカセットテープを選ぶ。昼休み、近くの神社でサンドイッチと牛乳を飲む。境内の木々から木漏れ日がさす。平山はいつも携帯しているカメラで木漏れ日を撮る。担当エリアの公衆トイレの清掃を終えると家に戻り、自転車を漕いで銭湯に向かう。湯上がり後に駅の大衆食堂で夕飯をひとり食べる。シフトがある日は毎日この繰り返しで例外はない。大都会の真っ只中、忙しなく行き交う人々は平山の姿に目もくれない。完全にいないもの扱いだ。身内でさえ、平山がトイレ清掃員であることをあまり快く思っていないきらいがある。だが平山は別段気にする様子もない。都会に忘れ去られるほど都市に溶け込んだ男の目は、一見何も変わっていないように映る風景のほんのわずかな変化を確かに切り取っていた。公衆トイレで日々書き足される9マスの⚪︎×ゲーム、場所を移したホームレス、境内の木の根元に芽生えた新芽...そのわずかな変化に平山は生命の充足をおぼえる。
役所広司に心底惚れた。言うまでもなく、現代日本映画界を引っ張ってきた旗頭だ。その役所広司がここまでオーラを消せるのか。劇中124分、平山は必要最低限の言葉を発するのみでほぼ喋らない。喋る必要がないからごくごくわずかな表情の変化を見せるのみだ。恐らく平山は本来ならばトイレの清掃員ではなくホワイトカラーとして生きるはずだったであろう描写が繰り返し登場するが、平山の過去に何があったかはほとんど語られず、観る側としては想像するほかない。言葉に頼らずに観る側に伝えるという芝居は、ある意味映像作品の原点に立ち返ったと言っていい。そしてホームレス役の田中泯も要所要所で印象的な姿を見せる。確かな技に裏打ちされた言葉に出ない自信を垣間見た。
社会人になってから今日まで変わらずに思うことがある。社会で最も恐懼すべきは社長でも、重役でも、株主でもなく清掃員だ。お偉いさんを敵に回したところで、最悪組織を辞めればいい。だが清掃員を蔑ろにした人間に生きる場所はない。常々そう思う。このろくでもない、すばらしい世界は目に映らない誰かによって支えられている。
今日も平山のルーティンは変わらない。静かな男の眼差しには、今日も朝日があたっていた。
観客を選ぶ映画だった。高評価が多いからと観た人のなかには、がっかりした人もいるだろう。
上映初日に観たかったが仕事の都合で観れなかった。予告編を見て、素晴らしい映画だとの直感が働いたからだ。新作映画の予告編で、このような感覚を持つのは年に1本・2本あるかないかだ。
東京都内のモダンなトイレを清掃する主人公の日常生活を淡々と描いていく。同じルーティンワークをしていても、日々変化や異変が起こる。子供がトイレに隠れていたり、迷子がいる。同僚が遅刻してきたり、清掃員とのオセロゲームのやり取りを楽しむトイレ利用者がいる。公園のホームレスや公園で昼食を取るといつも同じOLが隣に昼食を食べている。この人達はどんな生活をしているだろうと想像すると楽しくなる。
この映画の監督は観客に想像力を要求していて、それがないと楽しめない。何の代わり映えもしない日々だけれど、それを受け入れ生きる糧にすれば、人生そんなに悪いものではないと訴えかけている。
タレントのせんだみつおが言う「生きているだけで丸儲け」。そんな境地に私もなりたいけれど、世俗の欲を断ち切れる状況にはない。私には死期でも迫っていないとなれないだろう。
妹は高級車レクサスを運転手付きで家出した娘(姪)を迎えに来ているから、実家はかなり裕福だと推測できる。施設に入った父親の見舞いを断ることから、父親との確執があって主人公の今の境遇が想像できる。また、妹を抱いて嗚咽する場面は感動させられる。もしかすると
母親の死が今の境遇を招いたきっかけかも?
心を寄せていた居酒屋のママ(石川さ)が知らぬ男と抱き合っているところを見て、やけ酒をあおる場面は笑わせさせる。男はママの元夫で、癌が転移し余命僅かで死ぬ前に別れた妻に謝りに来ていたのだ。こういう細かな場面を想像力を補って(癌と告白したから、謝罪したから、ママと抱擁した)楽しむことができると高評価になるだろう。
どうしても有名な映画監督がメガホンを取ったから、彼に注目が集まってしまうけれど、共同脚本を書いた高崎卓馬のアイデアもかなり採用されているのではないかと思う。
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