PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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期待度◎鑑賞後の満足度◎ 「東京物語」ならぬ「東京便所物語」。判で押した様に同じ毎日を繰り返していけることが“PERFECT DAYS” という事なんでしょうね。
①石川さゆりも老けましたねえ(確か同い年)。石川さゆりの唄う「朝日のあたる家」も良いけれど、ここはやはり“ちあきなおみ”で聴きたかったねぇ、ちあきなおみバージョンを聴いてしまうと後は全て二番煎じに思えてしまうもの。
②出来れば役所広司のループの様な毎日(蒲団を畳む→水をやる→缶コーヒーを買う→トイレ掃除をする→近くの神社でサンドイッチを食べ写真を撮る→トイレ掃除をする→帰って銭湯に入る→駅側の居酒屋で晩飯を取る→文庫本を読んで寝る)(休みの日にはコインランドリーに行って、古本屋で文庫本を買って、石川さゆりがママをしているクラブに行って)を淡々と延々と描いてくれた方が良かった気もする。
③基本的に誰でも毎日ほぼ同じことを繰り返して生きているわけで、ただ生活パターンは同じことの繰り返しでも、勿論内面では色んな事が心に寄せては返し寄せては返ししている。見るもの遇うものに対して色んな感情がわくし、来し方行く末にも想いを馳せつつ、新しい一日を迎え、また同じ様にその日を生きていく。
役所広司扮する主人公もまさに同じで、ただ映画にするからには、この男にはどんな過去があって、どうして現在の境遇になったのかを知りたい気もするし、普通ならそこを突っ込んで描くだろう。
でも全て想像に任せるというのも一つの映画の形として良いと思う。
④良い奴のようで結局チャラい無責任男だった柄本時生のエピソードや家出した姪と数日暮らすエピソードはまだ良いとして、三浦友和のエピソードは無いかもっと別の形であった方が良かった。
仄かに好意を寄せている女性が知らない男を抱擁している姿にショックを受けて自棄酒を呑んでいるところへ件の男が現れ、実は別れた夫で癌で余命が少ないのが分かったため永遠の別れの前にせめてもう一度別れた妻に会いたかった、という在り来りな設定が映画の底を浅くしたようにも思う。
⑤独り身で生きているけれども、日々出逢う色んな事柄に対して微笑み、笑い、怒り、悲しむ、色んな想いを抱え、でも好きなもの(木、葉、木漏れ日の写真、読書)をやりながらルーティンの様に日々を過ごしている姿に、僭越ながらまるで自分の事を描いてくれている様な錯覚に陥るくらい共感してしまった(特に前半)。
だから、自分にはあまり起こりそうにないエピソードが続く後半に違和感を覚えたのかもしれない。
⑥主人公を極めて寡黙な人間と設定したのが良い。
ラスト、延々と映される役所広司のアップの表情が、ここまで生きてきた、そして今こうして生きているこの男の内面を何より饒舌に語っていたから。(後付けで知った事:バックで流れていたのはニーナ・シモンの「feelin ' good」という曲。歌詞がシンプルだけどすごく良い。主人公が朝を迎える気持ち・日々を過ごす気持ちにピッタリあっている。)
⑦様々に表情を変えるスカイツリーが頻繁に出てくるし、登場する女の子の姿なんかを見ていると確かに令和の話なんだけれども、地方人だからかも知れないが、令和の東京にあんなに昭和が残っているのに少々驚いてしまった。
特に銭湯のシーン。懐かし~です。まだ日のあるうちに湯煙の立つ風呂場に入った時の、あの大きな窓から差し込む日光。
(役所広司の衰えた裸に少々ショック。でも歳を考えたら当たり前か)
ただ、子供が沢山遊んでいる公園にホームレスを住まわせておくかなァ、とあそこだけ?だったけど(大阪でももう見ない光景…)
⑧三浦友和は髪を染めているの丸分かりでしたね。
その他、神社で猫と戯れていた老婆が研ナオコ、昼飯にサンドイッチを食べる役所広司の隣のベンチで同じように昼食を取っているOL、銭湯の二人の常連の老人、写真屋(これも昭~和)の店主、役所広司が常連の居酒屋の店主、早朝に箒で道を掃いている老婆等々、点描される人々も面白い。
⑨この映画を観た人は今後トイレをもっとキレイに使おうと思うでしょうね。
⑩60年代・70年代のカセットテープにあんな高値がつくとはビックリ。
私は恥ずかしながら今やスマホでSpotify を聴いておりますが、昔のカセットは捨てずに結構持ってます。老後の生活に困ったら売ろうかな。
⑪久しぶりにヴァン・モリソンを聴きたくなった。
今度は今度。今は今。
感想
久しぶりに
ヴェンダースの国際興行作品を鑑賞した。やはり、監督はモノクロームの映像表現が秀逸であるのだという事を再認識させられた。
但し、今回は現代日本と日本人が主人公なので色彩美や、個性的な建築群、また東京の風景を表現するには鮮やかさが不可欠であり、旅という視点からも印象的となるカラーを選択したのだろう。
だか、監督において、事の発想と映像化の基本路線はモノクロームが主体でありまた、テーマは様々な世界で生きている多様な人そのものであり、人間模様を旅として表現している事は首尾一貫している。
監督の変わらない視点にいつのどの時代の作品も感動を与えられた。今回も人間模様の旅をしている雰囲気を充分に感じることができた。
また、アジアにしか生息していない銀杏や楓の木漏れ日を主人公は好んで白黒写真に収めており、光と影の描写が、作品のいたるところに表現されていてとても感動した。
『自由』の表現と捉え方
『さすらい』ではヒッピームーブメントの名残りとモラトリアム的自由の表現が主体であったと思う。
『ベルリン天使の詩』で全ての、あらゆる、天上界、人間界を含むあらゆる世界で生きる人々が想う『自由』を映像表現し、時に世界を複雑化させる原因が『自由』である事を考えさせられた。思考も表現も成長してそれぞれの立場、世界が理解できるようになったのだ。
今回の映画では日本人が基本的に持ち合わせている信念の中にある、単なる勝手な『自由』ではない、規律を持ち合わせた『自由』をよく表現している。
多くを語らず信念を持ち、規律を苦とせず、持ち合わせて自分なりの『自由』を謳歌している主人公。
彼の生き方はむしろ時代遅れの感が如実に出ているが、ここには監督なりの人生觀のような、『生き方を常に新しくしなくても良い。温故知新の文明で人は充分に事が足り、むしろ変えなくて良いのだ。』という信仰の様な、敬虔とも言える信念を感じる。
日本人の中には新し物好きで、常に革新を求めて動くという世界観を持った人達が少なからずいて、その様な人達が現代の東京を創った。
その人達の事もリスペクトしながら、監督は温故知新を大切にする日本人も、多いのだという事を今回の作品で教えてくれたような気がする。
よく日本人を理解してなければ、ここまでの映像表現はできない。勿論、役所さんの名演も含めて。
当たり前のように今を生きることがいかに大切な事で、世界でも貴重な事であることが簡単に理解できる。というところで、
⭐️5
2023年度 新作自己最高評価となった。
目に入っても目に止まらない、知らない世界から
世界のあり方が変わったコロナ禍を経験した私たちにならわかる"現代人が忘れがちなもの"を大事に大事に拾い集めるような2020年代の人生讃歌
今度は今度、今は今…何も変わんないなんて、そんなバカな話ないですよ!例えば音楽をカセットで聴いたり、古本屋で買った本を読んだり、いつきけのお店で飲んだり、仕事終わり銭湯に行ったり -- 都度一つ一つのことに時間を使っては(自分は割と"ながら"で並行しがち) -- そんな何気ない日常の大切さをふと思い出させられる。
一周回って"エモい"と"クサい"=(思ったより)いかにも普通の劇映画っぽさを交えつつ懐かしさと新鮮さ、温故知新に我々が忘れてしまったもの。一日一日、一瞬一瞬を大事に生きると生き生きと色づき始める世界。見慣れた景色も途端に変わってくる。目を向け、耳を傾けると見えてくるものをトイレ清掃員の平山が教えてくれる。忙しない現代社会から切り離された、規則正しい生活を送る平山。一見同じ日々、そのくりかえしの中にも差異を伴う反復があって、役所広司さんの(なかなか一言目を発さないセリフの少ない)完璧な演技と佇まいがその機微を掬い取るよう。毎朝、家を出た瞬間に空を見上げる表情や、スカイツリーを見上げる仕草、昼休憩のときに写真を撮る様子、そのどれもが愛しい。
その中でも飽きさせない作り・仕掛けもあって、笑えることもあったけど、そうした海外の人から見た"らしさ"こそ、むしろこういう作品の成り立ちそのもので存在意義とも感じる。中でもルー・リード、パティ・スミス、ヴァン・モリソン…など、朝焼けと名盤カセットの相性の良さ。個人的にも好きなラインナップで、音楽の趣味が最高にツボ・ハマる主人公。従来のヴィム・ヴェンダース作品同様、鼻につく人もいると思うけど、ただ本作の"なんちゃって日本"が鳴りを潜めて、私たちの知る日常風景の中で淡々と、そして丁寧かつ繊細に紡がれるドラマは詩的で情緒豊か、かつ静かに胸を打つものがあった。しっかりとした組み立て・構成があるから、途中少し脇道に逸れたように感じられても、それもまた人生だなと思えるように、最後には感情が溢れてくる。
欲やいっときの感情に踊らされるのでなく、自分ももっとちゃんと生きたいなと。柄本時生の役柄にムカついたけど、そんな感情もまたくだらない。田中泯さんには無論踊らせる。今この一瞬あなたは本当に"生きてる"と胸を張って言えますか?
The Tokyo Toilet
おつかれさん!
木漏れ日
勝手に関連作品『すばらしき世界』『ベルリン・天使の詩』
さすが役所広司さん
ミニマルな中のちょっとした悲しみとささやかな幸せ
おじさんたちの心優しさと、さり気ない繋がりが微笑ましい。
常連同士のアイコンタクトがある生活空間が懐かしい。
外国人監督には微細な日本人の心を写し出すのは難しいだろうことが見える。
何といっても役所さんの顔がデカい!
あの派手で彫りの深い顔は外人だわ。
しかも、カメラがより過ぎだなぁ
そして全ての所作に日本的ミニマリストしての心在らずで忙しない。
唯一楽しめたのは、
三浦友和と影を重ねると濃くなるのか?
の問いに、
西洋絵画と日本画と墨絵の謎々を影踏みで戯れたところは愉快だった。
ならば、
肝心の木漏れ日や早朝の空気、
朝日に雲間の陽光のいい情景があってもいいようだが、
ターナー以下の景色しか映し出せないのは残念だ。
そして、あのカセットテープで昭和アナログを懐かしむのは良いが、
選曲と音量バランスが映像を更に酸化するようで、
なくてもいいのではない?
それに、
モノクロで映写した方が良かったのではないか!?
まあ、こんな不気味で違和感は、
全編に鎮座するあの新東京タワーと奇抜なトイレ群の奇妙さが時代の変遷を色濃く感じさせ象徴的ではあった。
何に充足を感じるかは、
野球と宗教は自由だと飲み屋のオヤジが怒鳴っていた。
敢えて言えば、
寡黙で大人しく、
兎小屋で盆栽いじりして、
薄ら笑いしている奇妙な日本人をよく撮っていた。
それで、平山さんは何をしでかして更生生活に入っているのだろうか?
( ̄∀ ̄)
PERFECT DAYS
「パリ、テキサス」「ベルリン・天使の詩」などで知られるドイツの名匠ビム・ベンダースが、
役所広司を主演に迎え、東京・渋谷を舞台にトイレの清掃員の男が送る日々の小さな揺らぎを描いたドラマ。
2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、
役所が日本人俳優としては「誰も知らない」の柳楽優弥以来19年ぶり2人目となる男優賞を受賞した。
東京・渋谷でトイレの清掃員として働く平山。
淡々とした同じ毎日を繰り返しているようにみえるが、彼にとって日々は常に新鮮な小さな喜びに満ちている。
昔から聴き続けている音楽と、
休日のたびに買う古本の文庫を読むことが楽しみであり、
人生は風に揺れる木のようでもあった。
そして木が好きな平山は、いつも小さなフィルムカメラを持ち歩き、自身を重ねるかのように木々の写真を撮っていた。
そんなある日、思いがけない再会を果たしたことをきっかけに、彼の過去に少しずつ光が当たっていく。
東京・渋谷区内17カ所の公共トイレを、
世界的な建築家やクリエイターが改修する「THE TOKYO TOILET プロジェクト」に賛同したベンダースが、
東京、渋谷の街、そして同プロジェクトで改修された公共トイレを舞台に描いた。
共演に新人・中野有紗のほか、田中泯、柄本時生、石川さゆり、三浦友和ら。
カンヌ国際映画祭では男優賞とあわせ、キリスト教関連の団体から、人間の内面を豊かに描いた作品に贈られるエキュメニカル審査員賞も受賞した。
no music no life
隙間なく密集した無機質なビル群の隙間の中をグルグルと駆け巡る首都高速と忙しなく先を急ぐクルマたち。
人と車が行き交うどこにでもあるような情景に時折り現れるスカイツリー。
昭和の雰囲気が漂う人情味に溢れる下町の日常。リアルな東京。そして彼の存在。
どんな人間に対してもあんなに優しい表情ができるなんて、自分にはとうてい出来ないな。
彼がこれまでどんな人生を歩んできたのかはわからない。
でも毎朝空を見上げた時に見せるあの優しい笑顔の表情から伝わって来る。
彼は自分で選んだ人生を一人で生きていく時間の流れを穏やかな心で愉しんでいる。
とても穏やかな映画でした。
彼の住んでいる町に行ってみたくなりました。
そこに行けば彼に会えそうな気がして。
彼は毎朝仕事に向かう時、慌てがちに玄関の扉を開け、
外に飛び出したと同時に空を見上げ笑顔を見せる。
朝の澄んだ空気を深呼吸。
体の中が清められるような感覚。
湧き上がる幸せな気持ち。
昨日の出来事やトラブルや悩みは浄化され清々しい気持ちでまた1日が始まる。
そしてあの笑顔。
自分もそんなふうになれたらなぁ…と思いました。
追記
昭和のウイスキーのCM のようなカットがあり役所広司にしか出せないあのシブさ。
あんなふうになれたらなぁ…とまた思ったのでした。
日本がもっと好きになる、優しく、重い映画
眠くなるだろうなあと思いながら、とても、楽しみにしていた。
予想通り、途中までセリフがほぼない映画だが、役所広司の表情、動き、すべてが物語っており、ぐっと惹かれた。
そうそう、日常でそんなにたくさん、話さないことのほうが多い。
外を眺めてみたり、なんとなく音楽流したり、(理想的な)日常そのものであり、インタビューのないドキュメンタリーのようだった。
そして、もう一つのメインである、トイレ。
透明なトイレは話題になったが、東京にいながらこんな独特なトイレがたくさんあることを知らなかった。トイレを観ているだけで楽しい。
新しいものと古いもの、変わるものと変わらないもの。その象徴である浅草周辺という舞台で見事に描かれている。
日本人にとっては、というか都会に住んでいる人にとっては、ニコの母のように、「こんなところ」という感覚だった。下町を意識することも薄かったがこうしてみるととても魅力的だ。
これは海外の人から観たPR的な日本として描かれているのかもしれないが、再認識させられる。
細かい日常と話さない平山の対比として、個性的な登場人物たちがさらに印象的にうつる。どれもほっこりするキャラクターで、微笑ましく観られる。
しかし途中から、変わらないようにする平山に、様々な変化が外から訪れる。その不穏さと儚さにこちらまで心のバランスが乱れてくる。
トイレの清掃という、どこかで社会の影と捉えている、自分に対しても何かを語りかけられている気がする。
それがラストシーンへとつながっていく。
静かな映画だけど、じわっと、ずしっと心に届く、映画だった。
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〈追記〉
パンフレットや様々な批評を見てから、2回目鑑賞。
世界観、空気感は個人的には刺さっており、何回でも観たいのは間違いないのだが、やはり綺麗な面しか見せていない、というのはひっかかる。
トイレにもたくさんのお金が注ぎ込まれ、東京都による壮大なグローバルまちおこしの一環であるのは否めない。
トイレ清掃員という労働階級とを扱いながら、問題提起が足りないのもあるし、恵まれている自分が満足してしまっているのに認識させられる。
映画の社会性というのを今一度考えてしまう。
2023年劇場鑑賞113,118本目
何で高評価?
観賞する前から、特に大したことは起こらない淡々とした内容の作品なのだろうとは予想していましたが、ここまでとは思いませんでした。私の感性がおかしいのだとは思いますが、何も伝わってくるものはありませんでした。
また、ただでさえエピソードが少ないのに、その少ないエピソードから響いてくるものは何もありませんでした。全くやる気のない相棒や売る気もないカセットテープを売りに行く場面、スナックの場面、三浦友和との場面など必要だったでしょうか?かえって無い方が良かったのではと思いました。いったいこの監督は何を撮りたかったのでしょうか?私には日本をよく知らない人が、神社、トイレ、自販機、銭湯、食堂、スナックなど、日本ぽい物を撮りたかっただけにしか見えませんでした。
それと、私の身勝手な憶測ですが、この作品の主人公のような生き方を良く思う方々は、仕事で毎日トイレ掃除をしたことがない人で、結局「隣の芝生は青い」のだと思います。
ヴェンダースの青
朝、主人公が整える口髭は、中年サラリーマン役の笠智衆の口髭そのものだった。もうそこで私は笑いをこらえることができなかった!この後も沢山笑った。泣かせるより笑わせる方が難しい。これは笑わせてくれる映画でした!
小津安二郎ラブの監督だけあって、
赤を意識してるな~と楽しかった。主人公が好きなお菓子の本店は鎌倉、紙袋は赤で店の名前も!でもこの映画では赤よりも青だった。青が主人公の世界を表す色、静かで透明で光を映し出す水、空、風、青々とした木々の葉、仕事着も普段着も青。「青騎士」の作品、例えばフランツ・マルクの絵画のように心を落ち着かせてくれる色。
音楽もよかった。あまり詳しくないジャンル&時代の音楽だったけれど、最初にカセットテープから流れたのは娼館の歌だった。ドキッとした。
畳、布団、箒、縦縞の柄の湯飲みを映してワーイ!と嬉しくなっている(と勝手に自分が想像する;小津映画小僧の)監督の顔が目に浮かぶようだった。
監督はドイツ人、言語は日本語で出演者もロケ地も日本のこの映画は邦画?洋画?そんなのどっちでもいい、いろんな世界があってそれが重なると味わいが濃くなって面白くなるよ、というメッセージなのかな。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は大好き。他作品は別に~、ですが見てよかったかな。とにかく役所広司はいい顔してます!
【"木漏れ日。”東京の公園の公衆トイレ清掃を生業とする男のルーティンな日々の中、小波の様に起こる出来事を静謐なトーンで描いた作品。人生の真なる豊かさとは何であるかを考えさせられる作品でもある。】
ー 今作の主人公である男の苗字は、平山である。
この時点で、今作を製作した小津安二郎監督作品を敬愛する、ヴィム・ベンダース監督の想いが伝わって来る。
そして、今作品の魅力は、”現代の平山”を演じた役所広司さんの抑制しつつも、確かなる演技である事を再認識した作品である。-
■男(役所広司)は、仕事のある日は早朝に近所の住人が箒で道路を掃く音で目覚め、”The Tokyo Toilet”と背中にロゴが入った青いつなぎを着て、玄関脇に置いた車の鍵、小銭(何故か時計はしない。彼は仕事のある日は体内リズムで時を感じるからであろう、と鑑賞中に思う。)を手に取り玄関を出て、空を見上げてから自販機で決まった銘柄の珈琲缶を買い、一口飲んでから気分に合わせて60年代ロックのカセットテープを流しながらミニバンを仕事場に走らせるのである。
◆感想
・冒頭、上記の仕草をした男が車内で掛けたカセットテープから流れる”朝日のあたる家”を聞いた途端に”この映画は面白いぞ!。”と確信する。
・更に別の日には”The Velvet Undergroundの”PALE BLUE EYES"を流しながら、男は公衆トイレに向かうのである。
ー 無茶苦茶、センスの良い選曲である。-
・男は公衆トイレに着くと、手際よく且つ丁寧に仕事をこなして行く。
ー 使用者が来ると、さっと作業を止め、外で待つ。その間に彼は木漏れ日や公園のルンペンの初老の男(田中泯)のゆったりとした踊りを楽し気に見ているのである。-
・男の相棒の若い男(柄本時生)は、スマホで話しながら清掃をしているが、彼はその姿を見ても咎めない。
・男の昼食はほぼ決まっていて、ある神社の境内のベンチで食を摂る。サンドイッチと飲み物。そして、男は胸ポケットに入れてある小型カメラで境内の木の葉の間からの”木漏れ日”を写真に撮り、時には木の根の近くに生えて来た小さな枝を、新聞紙で作った小箱に神社の宮司にアイコンタクトで許可を貰ってから移し替え、家に戻り育てている。
・男は仕事を陽が高いうちに終え、銭湯が開いた途端に暖簾を潜り、一番湯に浸かるのである。年輩の常連客に軽く会釈をする男。そして、行きつけの酒場でレモンチューハイを飲み、家に帰りフォークナーの小説を読みながら、寝落ちしていくのである。
ー 実に、豊饒な時間を過ごす男であると思う。-
・休日には、男は、”Lou Reed"の”Perfect Day"を部屋で寛ぎながら聞き、水に濡らした千切った新聞紙を部屋に撒き、埃を吸わせ手際よく掃除をする。
そして、平日には着けない時計を手首に嵌め、外に出る。
つなぎを始め洗濯物をコインランドリーで洗い、古本屋で幸田文の「木」の文庫本を購入し、行きつけの小料理屋でレモンチューハイを呷る。女将(石川さゆり)は何だか、男に好意を持っているらしい気配である。
ー 男が、自由な生活を楽しんでいる事が良く分かるシーンの数々である。-
■男のルーティン生活の中で起こる小波
1.相方の若い男が気にしているアヤ(アオイヤマダ)にパティ・スミスのカセットを気に入られ、車内で流す。アヤはそのカセットテープをそっと、袋に落として去る。
その後、若い男からアヤの店に行くため金をせびられ、一緒に中古レコード屋に行く。若い男は、男の所持品である60年代ロックのカセットテープを店の男に見せると、高額金額を提示され驚くが、男はカセットテープは売らず(そりゃそーだ!)、若い男に金を貸してやるのである。
そして、車で家に帰る途中にガス欠になり、男はカセットテープを持ち、橋の上を走って行く。彼がそのカセットテープを、中古レコード屋で売ったシーンは描かれない。
ー 観る側に、解釈を委ねるシーンである。男がどのカセットを手にしたのかが、妙に気になる・・。-
2.ある日、男がアパートに戻ると階段に女子中学生位の女の子が座っている。男は”ニコか!大きくなったな。”と嬉しそうに言い、彼女を家の中に入れるのである。
ー 最初は、ニコが男の娘かと思っていたが、妹(麻生祐未)の娘である事が、後のシーンで分かる。
序でにニコという名は”The Velvet Underground” のファーストアルバム”The Velvet Underground and Nico"から取ったのだろうと勝手に推測する。-
ニコは男の妹であり彼女の母と何か揉めて家出したらしいが、男は何も聞かない。ニコは男の所有するパトリシア・ハイスミスの”11の物語”を読み耽り、男と一緒に銭湯に行ったり(男はコッソリ、彼女の母に公衆電話から電話している。)男の仕事にも付いてくる。
或る晩、彼女の母が運転手付きの高級車で彼女を迎えに来る。ニコは”11の物語”を未だ読み切って居ない。特に”掌編すっぽん”の主人公の少年は私だよ!”と多少抵抗するが、素直に車に乗る。
そして、男の妹は”お父さんがもう・・。逢いに行ってあげて。”と言うが男は答えずに、涙を流し妹を抱きしめるのである・・。
3.休みの日、行きつけの小料理屋の扉が開いていて、男が覗くと女将と見知らぬ男(三浦友和)が抱き合っている。
男は慌てて自転車を漕いで店を離れ、コンビニでハイボール三本と煙草を買い、夜の川沿いで独り呑んでいると、女将と抱き合っていた男が現れる。
そしてその男は自分は癌であり、女将の元夫だと言って男から煙草を貰い、咽びながらハイボールも一缶貰い(元夫は、最初は固辞するが。)二人で影踏みをして遊ぶのである。
ー 女将の元夫が男に頭を下げて言った言葉。
”アイツを宜しくお願いいたします。”男は、”いや、そんな関係ではないんです。”と答える。
役所広司と三浦友和という邦画の名優二人の演技が光るシーンである。-
<今作は、ラストシーンも素晴らしい。
男は早朝、朝日が差す中、ミニバンを仕事場に向けて運転している。
男の顔は、笑顔でありながら涙が目尻に湧き、徐々に上記の色々な小波を思い出したのか、泣き笑いの表情になって行くのである。
正に役所広司さんの畢生の演技である。
今作は、”人生の真なる豊かさとは何であるか。”を観る側に考えさせる作品でもあるのである。>
<2023年12月22日 劇場で鑑賞>
<2023年12月29日 別劇場で再鑑賞:レビューも少し追記する。>
■依って、勝手ではあるが、評点を4.5から5.0に変更させて頂きます。
<2023年12月31日
あるレビュアーさんから御指摘を受け、一部修正しました。有難い事です。>
人生とはありふれた尊い日々の積み重ねである
トイレの清掃員である平山(役所広司)は、ごくありふれた同じような日常を送っていますが、特徴的なのが寝ている時に必ず挿入される映像です。不思議な感覚になり癒されますね。
木洩れ日のようなサブリミナル効果に似ている映像の中には、物語の先の内容を暗示している物が含まれています。
後半に2つほど出来事が起こりますが、時間というものは、自分が支配している時間と他人に支配されている時間があることに気づきます。
ありふれた日常でも自分が支配している時間は、その一瞬一瞬が特別な時間であり、後になってかけがえのない時間であることを実感しました。
平山は観葉植物を育てているように人生はありふれた日常の積み重ねなのだと思います。
観終わった後、久しぶりに大きな衝撃を受けました。
豊かさってなんだろう?
トイレの清掃員をしている一人暮らしの初老の男の、単調で質素な毎日が淡々と描かれる。
しかし、男は、そうした生活に不満を抱いたり、悲嘆したりするどころか、満ち足りた幸せな人生を送っているように見える。
しかも、そうした、余計なものが削ぎ落とされたミニマルな生き方に、知らず知らずに憧れを感じるようになっている自分に気付かされたりする。
ここで、改めて、「豊かさってなんだろう?」、「幸せってなんだろう?」ということを考えさせられる。
それは、日常の些細な出来事にも感動でき、「世界は美しい」、「人生は楽しい」と思える心の持ちようなのだろう。
朝、家を出て空を見上げる時の主人公の表情や、昼、神社の境内で木漏れ日を写真に収める時の主人公の様子や、夜、馴染みの居酒屋でチューハイを引っ掛け、銭湯で湯船につかる時の主人公の姿を見るにつけ、そう実感できるのである。
それにしても、主人公は、これまでどのような人生を送ってきて、どうして今の仕事をしているのだろうか?
苗木を育て、カセットテープでオールディーズの音楽を聞き、フィルムカメラで木漏れ日を撮影し、寝る前に単行本の文学を嗜む主人公の姿からは、豊かな感性と高い知性の持ち主であることが伺い知れるし、ラストの彼の泣き笑いの表情からは、様々なことを経験し、積み重ねてきた人生の年輪を感じ取ることができる。
実は、彼は、事業に失敗した実業家だったり、妻子を事故で亡くした大学教授だったり、刑期を終えて出所してきたインテリ・ヤクザだったりしたのではないかと、色々と想像を膨らませことができ、そういう点では、余白を楽しめる映画ではある。
ただし、キャラクターの掘り下げという点では、彼の過去について、もう少しヒントがあってもよかったのではないかとも思ってしまった。
泣けた 地元が舞台なので満点
作品中、1960~70年代のロックや日本のフォークソングが流れる。
そのうちの1曲、68年、オーティス・レディングが歌った「ドック・オブ・ザ・ベイ」。
今から37年前、今と同じく「無職」だった僕が車に乗りながら聞いていた歌である。
25歳の無職だった僕、62歳の無職である僕。37年の年月――。
泣けた、泣けた、泣けた。
今も、昔も、そこにあるのは「PERFECT DAYS」なのだ。
今、そしてあの時も。あの場、この場に居た僕。そしてあなた、見たこともない、彼ら彼女ら。
すべてが生きていることが、PERFECT DAYSなのだ。
そう思い、そう感じると、涙が出てきてしようがなかった。
カンヌで主演・役所広司が最優秀男優賞を受けてから、特報、予告編として流れるシーンで彼が自転車に乗る、それが、隅田川にかかる人道橋「桜橋」なのだ。
ここは、僕が住む自宅マンションから900メートル、走って7分の場所にある。いつも、今朝も走って来た場所――だ。
東京の下町・押上はスカイツリーのおひざ元。そこに役所演じる主人公が生活する。
京島の銭湯に行き、業平のコインランドリーを使い、地下鉄浅草駅の地下商店街で一杯やる…。
それでいて、経ワゴンで高速を使って渋谷までトイレ掃除に行くというのは、現実にはない話だが、映画として見た場合、出てくる近代的で清潔な公衆トイレと崩れかかった下町のボロアパートやごちゃごちゃした街並みのギャップがよい。
物語に筋らしい筋はなく、役所が口にするセリフもほとんどない。
それでいて、漂うこの雰囲気はなんだ! 彼の表情、泣けたよ。
2023年後半、僕が見た映画はどれもいいものが多かったけれど、これがベストかも。
小津を敬愛するヴェンダースの作品は、見る人によっては退屈極まりないだろう。本作も、そう感じる人は多いかもしれないが、心にしみる作品なのである。
作品傾向が似ている感じの、アキ・カウリスマキの「枯れ葉」も見たが、あれは僕にとって退屈だった。★2つでレビューを書こうと思ったが、やめた。
退屈と感じる人も、そう感じない人もそれぞれ。
墨田区が舞台というのに、錦糸町の映画館で上映されないのが非常に残念。亀有まで行ってきたよ。
渋谷のアーティストデザイン公衆トイレのステルスマーケティング。
鑑賞のキーワード。ルー・リード。納戸のキャディバッグ。石川さゆり。木漏れ日。主人公が『平山』。パトリシア・ハイスミス。
小津安二郎をリスペクトするジム・ジャームッシュらしく、主人公を「平山」としているあたりで(小津の小市民映画の主人公は「平山」が定番)、そうとうな目配せしています。一番気になったのは「平山」がなぜ、この生活になったのか。という行間の読み取り。姪が家出して、妹が引き取りに来た時の会話で「父親との確執」が暗示される。さらに、住居の納戸にキャディバッグが置いてある(処分されていない)というカットで、かつてはゴルフをたしなんでいたという描かれ方をされている。「平山」が何故このウルトラシンプルなルーティンライフに至ったかを理解したいのだが、そういったパーツを繋げて想像するにしても、悩みますね。結論として、このシンプルライフを主人公が、最初から意図して始めたのか、それともリア充なプチブル生活を捨てて、世捨て人のように生きるように人生をリセットする事件の結果として始めたのか、という二つの解釈があるのですが、キャディバッグのカットで、後者であると断じます。
描かれている、凛とした、簡素な生活を淡々と描写しているのを見て「ああいう生活にあこがれる」という観客が多いでしょうが、僕は「ああなることを決断させられる現実の諦観するきっかけがあった」という主人公の<過去の悲劇>に思いをはせてしまいます。
ある日ではなく日々ですね
まさにパーフェクト。
さすがヴェンダース監督。最近見ないスタンダードサイズの映像の中で、おじさんが生活してるだけ。なんでもない日常を切り取っただけなのに、恐ろしく感情が同期される映画だった。私がおじさんだからというのもあるだろうけど、それだけでもないし、作風の好みや相性が良かっただけではないだろう。(と、思いたい)
話は、公衆トイレ掃除人の、変わり映えのしない日々が展開されるだけなのだが、いつのまにか引き込まれていた。
朝起きて、車に乗り好きな音楽を聴きながら仕事に行き、昼休憩と、帰り道、仕事終わりの銭湯や一杯飲み屋での、ちよっとした息抜き。夜は布団の上で好きな本を読んで、眠くなったら明かりを消して眠り、夢を見る。そしてまた朝を迎えて…。そんな彼のまさに完璧な日々。バタバタ仕事をしている我が身からは羨ましく思える、まさにパーフェクトな日々。
そんな平穏な日常に、周囲の人々から差し込まれるさざなみのような出来事。それらを温かく受け入れて、また平穏な日々に溶け込んませて行く。ルー・リードのPerfect dayが流れ、いつしかトイレの掃除人の人生に共感し、憧れすら抱いている自分に気付く。
もちろん、役所広司さんが素晴らしい。寡黙な男の設定なのだけど、それにしても最初の30分くらい一言も喋らない。おじさんが早朝に目覚め、布団を畳み、歯磨きや身支度をするだけの映像が淡々と流れる。普通なら、これ誰が見たいの…なのだが、さすがの役所広司さん。玄関を開け、空を見上げて深呼吸、自販機で缶コーヒー(もちろんBOSS)を買って、作業車へ乗り込む。(車はダイハツだったな)だいたいこのあたりまでが朝のルーチン。何度も繰り返されるのだが、それがなんか心地よい。詳細は控えるが、ラストも名シーンだと思う。
同じ役所広司さん主演で「素晴らしき世界」(西川美和監督)がある。あちらも社会復帰を目指して一人暮らしのおじさんの話。性格はほぼ真逆な足を洗ったヤクザの設定でしたが、良い映画でしたので、役所さんの演技を見比べてみるというのも面白いかも。
年の瀬に良い贈り物をいただいた。
海外から見た場合の作品であることに注意しないと変な見方になる…
今年427本目(合計1,077本目/今月(2023年12月度)28本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
表題に書いたのが全てを物語っているような気がして、大手のシネコンで放映されている割に極端にセリフが少なかったり展開が変だったり(一度しか出てこなかったり、ストーリーの筋と関係のないものが出てくるなど混乱させる)という、音響設備がぶっ壊れたんじゃないかというほどにセリフが少ない映画です。
結局のところ「海外から見た日本を描く」作品なので、インターネット、スマホ他で広がった「人と人との間隔」、あるいはコロナ事情によるそれ、あるいは、映画内で何度も描かれる多機能トイレほかを描くのか(多機能トイレ「自体」は海外にもあるのでしょうが、映画のように何度も出てくるというのは、建築物としてのそれに着目したものと思います。ただこの為に見方によっては何を述べたいのかわからない)、色々な見方があろうと思いますが、個人的には折衷的な見方でみました。
かつ、上記の「極端にセリフが少ない、何を言いたいかわからない」他が意味するところは、映画の最後の最後になってはじめて「海外から見た日本を描く作品」である点であり、このことはなかなか最初ではわかりづらいので、途中で脱落する方も多数出るんじゃないか…という気がします(実際、3割くらいの方が途中で抜けていた)。
個人的に気になった点としては、やはり以下のような点があります。
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(減点0.3/(日本において)多機能トイレの抱える問題に触れていない)
これだけ多機能トイレを舞台(?)にした映画であるのに、日本においてよく言われるこの問題、つまり、健常者(ここでは、身体障がい等があっても意味もなく占有する類型も含む。以下同じ)の方の「多機能トイレの占有」や「家と化する」問題(この問題は一部、ホームレス問題(福祉行政)と絡む)、あるいは「想定されていない使われ方をする」(そこで焼肉をやったりといった極端な類型があった)といった問題が「日本には」存在することは事実で、映画内ではこれらの行為は描写されていませんが、これだけ多機能トイレを描写するのなら、その点は当然監督の方も日本サイドとのやり取りでこの論点を知っていたと思われるため、この点にはエンディングロールでも触れておいて欲しかったです。
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なお、上記のように「成り立ちが特殊」な作品なので、作品とは無関係な人物や描写(すなわち、ノイズ的描写)が他の映画と比べて多いのですが、謎解きものでもないですし、「そういう作品」と割り切るしかないです。
※ このことは実は「映画好き」ほど混乱させる要素が強く、作品内では途中、音楽カセットテープのお店に行くシーンで、ルーリードのテープの写真が出てくるところがあるのですが、某作品…というか、「初代ベイビーわるきゅーれ」を彷彿とさせる部分(主人公のまひろが作内で何度か着ているTシャツの柄がそれ)など、「ネタ映画なのか」と思ったりと混乱度合いはそこそこあります(まぁ、これもマニアなんでしょうが…)。
視点とは発見だ
見事に何も起きない日常を描き、感動させてくれた。
その作劇の秘密は視点だと思う。些細なことが絶妙なドラマとなって日々が綴られる。そこに人生の豊かさを感じる事ができる。
透明トイレのやりとり。いいかげんな若者。大の大人のくだらない影踏み。
ラストの主人公の表情が全ての要素を昇華していく。
まさにPERFECT DAYSだった。
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