「部屋のカーテンは開いていた」PERFECT DAYS 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
部屋のカーテンは開いていた
スイスの友人から届いたgreeting card に、この映画を見たことが記されていた。彼が日本で製作された映画を見たのは「東京ソナタ」以来であったと思う。それ位、ヨーロッパでも注目されるイヴェントとなっているのだ。彼が言った通り、素晴らしかった。
前半、平山(役所広司)のルーティンが繰り返し描かれる。古いテラスハウスの一室で目ざめて外に出て空を見上げ、自動販売機で缶コーヒーを買って、軽のバンに乗り込む。軽が走り始めると、カセットデッキのボタンを押す。流れ始めたのは、アニマルズの「The House of the Rising Sun(1964年)(朝日のあたる家)」。車外の情景は、私の好きな「ロスト・イン・トランスレーション」を思わせた。外国人から見た日本の姿。
平山は、渋谷の改修された公共トイレの清掃員をしている。ただ、部屋のカーテンは夜も開いたままになっていた。春から夏、朝4時に起きる養蜂家は、カーテンを持たないと聞いたことがある。夜明けが近づくと目を覚まし、道を掃く婦人の竹箒の音に合わせて起き出すのだろう。しかし、夜明けの時間は毎日少しずつ変わってゆく。昼は公園で「ともだちの木」と呼ばれる木に陽が当たっているところを、アナログカメラで撮る。この木に陽が射すゆらめきを、毎晩のようにモノクロで夢に見る。この情景だって、毎日少しずつではあるが、変わるだろう。映画の最後に、ベンダースの解説がある。
こうした平山の日常に変化が訪れる。姪の「ニコ」が転がり込んで来たのだ。やがてニコの母である妹が訪ねて来るに及んで、平山の過去が見えてくる。おそらく資産家一族の一員、何らかの理由で仕事をやめて裕福な暮らしを切り上げ、下町の古びたアパートで一人暮らしを始めたのだろう。
平日は、仕事のあと銭湯で一番風呂に入り、お酒を飲むだけだが、休日になると、なじみの居酒屋にゆく。ママに扮する石川さゆりが、常連客のあがた森魚のギターに合わせて「朝日のあたる家」に浅川マキが作詩した「朝日楼(1971年)」を歌う。音楽を楽しむことは誰にでもできるが、音楽を作ったり、演奏したりするには才能が必要だ。浅川マキは早く亡くなったが、そうした才能を持って生まれた一族の一人だ。
平山がいつものように軽を運転していると、ニーナ・シモンの「feeling good(1965年)」が流れる。It’s a new dawn, it’s a new day(夜が明けて、新しい一日が始まる)。CDよりも高周波域を含むと言われるカセットの音を反映しているのか、一際豊かな音響。しかも、それまでスタンダードだった画面サイズが、奥行きを持って広がり、私を魅了した。
この映画では、役所広司は、シナリオに沿ってルーティンを演ずることからスタートしたのかも知れない。しかし、外界の微妙な変化を感知してか、いわば平山という人間のドキュメンタリーを撮っているようだった。最後に、ベンダースの選曲に違いない「feeling good」で話は閉じた。
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この映画が、第96回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされたことが伝えられた。日本で封切られる前から、日本映画の代表として推薦を受けたことは正しかったことが証明されて、大変嬉しい。是非、一人でも多くの皆さんにこの映画を楽しんでほしい。役所広司さんのことを、誇らしく思えるはずだ。(2024.01.23)