「音楽を聴くように映画を感性で見つめて楽しむ映像随筆」PERFECT DAYS Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
音楽を聴くように映画を感性で見つめて楽しむ映像随筆
小津映画を信奉するドイツの巨匠ヴィム・ヴェンダース監督が、東京に住むある一人の中年男性の日常を終始静謐なタッチで綴った映像随筆。その主人公平山さんを演じたのが、今の日本映画界では名実共に最高の名優である役所広司です。この小津タッチのドイツ人監督と役者役所広司の貴重な出会いが、これまでの日本映画にない独特な感性によって、観る者に想像力を掻き立てさせ、“観て感じる”映画の本質を味わわせる逸品を作り上げました。
(と言いながら、ヴェンダース作品を真面に鑑賞するのは今回が初めて、それに役所広司の演技も映画では初期の「タンポポ」「Shall we ダンス?」そして「それでもボクはやってない」でしか観ていない)
何故このふたりのめぐり合わせが出来たのかと調べると、[THE TOKYO TOILET]プロジェクトという渋谷区の公共トイレの刷新と宣伝を兼ねた短編映画制作が切っ掛けという意外なものでした。しかも、それをヴェンダース監督に依頼したことが驚きであるし、快く引き受けたことにも更にビックリと、題材を想うと言わざるを得ません。偏に小津監督と日本的情緒を愛する故のヴェンダース監督の日本愛と思います。更に「Shall we ダンス?」の演技を高く評価していたヴェンダース監督が役所広司を信頼し、この映画の演出をしたことは、作品を観れば分かります。特にラストカットを平山さんの表情だけで捉えたエンディングの演出です。役所広司の素晴らしい演技で締めくくったヴェンダース監督の、平山さんと言う日本人への敬愛の念があって生まれたラストシーンでした。
しかし、この映画は平山さんの過去について何も説明がありません。トイレの清掃作業員の仕事を丁寧に黙々とこなす現在の僅か数日のルーティンが描かれているだけで、幾人かの登場人物が絡んできても平山さんの過去は深掘りされません。僅かに田舎から姪が家出して来て質素なアパートに転がり込んで日常が変化しても、謎は深まるだけです。母親が運転手付きの高級車で迎えに現れて、平山さんとはかけ離れた裕福な生活をしていることが分かる程度の説明シーンでした。確かに生活に困って今の仕事をしているようには見えないし、暗い過去を抱えている様にも見えない。毎日が単純かも知れないが、自分にとって最小限必要なもの、好きで愛しているものに囲まれて、充実した日常に満足している。それが洋楽を昔のカセットテープで聴くこと、安い文庫本で小説を読むこと、小さな木を愛でること、仕事が終わった後の銭湯と独り居酒屋で飲むお酒を楽しみに生きている。まるで俗世間から逃避したようでいて、仕事は多くの人が出入りするトイレ掃除という公共の場所で、人と関わることが嫌ではないが、余計なことは言いたくない。ただ誰からも仕事を褒められることが無くても、完璧に奇麗にすることに誇りと自信をもって取り組んでいる。こんな平山さんが東京にいるだろう。
ヴェンダース監督のこの視点は、今多くの外国人が東京を訪れて感じるカルチャーショックと同じです。それは日本人の誠実さと街の奇麗さにあります。誠実さは、他人との距離を保ちつつ迷惑を掛けずお互いに尊重すること。街の綺麗さは、ゴミ箱がないのにゴミが落ちていないことと、公共トイレまで綺麗なトイレが無料で利用できること。そして日本語の難しさと美しさ。この映画で扱われる(木漏れ日)という言葉を外国語に訳すと単語が幾つも必要となり、その表現の言葉の多様性に驚くといいます。そして、この木漏れ日と枝葉の影を昔のフィルムカメラでファインダーを覗かずシャッターを切る平山さん唯一の贅沢でオタク的趣味が凄い。出来上がった写真を一瞬にして判別し、気に入らないものを即座に破り捨てる。押し入れの中には何年も撮り貯めたものが整理され保管されています。このこだわりの深さ。
この映画の楽しみ方で私が追いつけないのが、車中で流れる洋楽の選曲の意味合いでした。流石に「朝日のあたる家」は知っていても、その他が分からない。そして昔のカセットテープが高額で取引されることにも驚きました。LPレコードが蒐集家に根強く人気があることは承知していましたが、古くなれば伸びきってしまうテープが今も価値があるのかと。デジタル録音の解析度の高いクールな音とは違って、アナログ録音の温かみのある音楽はクラシック音楽に限らず良いものがあるのですね。この音楽が平山さんの心の内を反映させているのではと、聴き入り魅了されましたが、深くは理解できませんでした。
外国の監督から見えた東京の中の日本的な美しさと、余計なものを削ぎ落した平山さんという日本人の日常から想像した人生の生き甲斐を表現したユニークな映画でした。ルーティンの繰り返しのような日常にある変化を、まるで音楽の流れのように描いた映像の詩的な表現は、観る人の想像に委ねた面白さです。音楽同様、感性で観る映像詩でした。撮影フランツ・ラスティグの映像が素晴らしい。自転車の影を撮ったアングルからティルトアップしたショットがいい。
自分の過去を一切を語らず、価値観を押し付けず、説教することなく、ただただ美しい佇まいで暮らしているから、みんなこれだけ平山に憧れたんですよね。
今度カナダ人の感想も聞いてみたくなりました。なかなかあの境地まで辿り着くのは難しいでしょうが。
お疲れ様のシチュエーション、色々あるから、仕事が終わった同僚には使えない英訳ですし、つくづく日本語は奥が深いです♪
平山さん、めっちゃインテリで洋楽の趣味もよくて、ちっとも冴えないおっさんじゃないw 実際あんなイケおじ、独身なわけない!www
音楽が平山さんの心の内を反映させているー共感です。カセットテープの選び方、入れ替え方も彼の大切にするこだわりが表れていましたね。セリフ以上に繊細な所作の数々が平山さんを浮き彫りにする様子、美しい映像に見入りました。人間も自然界の一部、その命の時間も光と影の中の存在だということを噛み締めるような作品でした。
Gustavさん、コメントありがとうございます。ログアウトしてログインしたのが1月10日です。ログアウト以前のも読めます。でも共感やコメントやレビュー記入は1/10以降に限ることにしました。だから自分のレビューは2本だけ。すっきりしました。今後ともよろしくお願いいたします
みかずきです
共感ありがとうございます
本作、仰る様に、確かに、主人公は、トイレ清掃員として清貧生活をし、木漏れ日に代表される自然の刹那の変化を感じ、そこに小さな喜びを感じる生き方をしています。それは、主人公が過去の父親との確執を踏まえて、人間関係に距離を置いていることが奏功していると思います。
そんな、主人公の生活も、中盤以降、姪と、母親(主人公の妹)の登場&台詞で、主人公の過去が垣間見えた時点から、乱れていきます。
相棒である若手社員の突然退社、親密度を深めていた馴染みのスナックのママの所に元夫が現れて、主人公の心は揺らぎ、頑なに守ってきたルーティンは崩れます。
どんなに主人公が人間関係に距離をおいても、我々が人間社会で生きている以上、人間関係から影響を受けることは避けられません。人間関係に距離を置くのではなく、しっかりと人間関係と向き合いうことが大切だと思います。
主人公の清貧生活のなかでの崇高な生き方は素晴らしいと思います。
その生き方をDAYSではなくLIFEにするためには、人間関係にしかりと向き合うことが必要だと思います。主人公は人間社会を生きているのですから。
では、また共感作で。
ー以上ー
Gustavさん、フォローありがとうございます。プロフィールの写真を変えましたが以前のtalismanと同一人物です。ログアウトしてからログインするのに手間がかかってしまい変なことになってしまいました。すみません