「青い海も青い魚も みんな昔手にしたもの 今は私のこの掌の中を 冷たい風だけが通り抜けてゆく」PERFECT DAYS 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
青い海も青い魚も みんな昔手にしたもの 今は私のこの掌の中を 冷たい風だけが通り抜けてゆく
公衆トイレの掃除人、平山。
こざっぱりした部屋には、たった一竿の箪笥と、本棚いっぱいの本と、たくさん揃えたカセットテープと、テーブルに並んだ豆鉢。
朝は、落ち葉を掃く箒の音で起きる。
豆鉢の植物に水をやる。
歯を磨き、髭を整える。
整然と玄関に揃えた小物をポケットにしまう。
外に出ると毎日空を見上げる。
自販機でコーヒーを買う。
仕事車のカーステで、カセットテープをかける。
昼飯は、いつもの神社の境内で食う。
新芽を見つければ持ち帰り、新しい鉢に植え替える。
仕事を終えた夕方、まだ陽の高いうちから銭湯の一番風呂に入る。
浅草駅地下の居酒屋で野球を見ながら酎ハイを飲む。
夜、寝る前に本を読む。
休みの日にはコインランドリー。
古いカメラに収まっていたフィルムを現像に出し、出していた写真を受け取る。
写真は気に入ったものだけ残す。あとは破って捨てる。・・・そんな、ただ繰り返される毎日。(どこを切り抜いても、このままBOSSのCMに使えそうだ)
長逗留している木賃宿のようなミニマムな生活。無用なものを削るソリッドな暮らし。まるで、働きながら人生の旅をしているって感じ。
でもなぜ、淡々としたその姿を見ているだけで、涙が誘われるのだろうか。
劇中歌が懐かしい、古き良き時代のアメリカの曲だからか。アメリカばかりじゃない。金延幸子の「青い魚」は抜群に良かった。居酒屋のママ役の石川さゆりが、常連客役あがた森魚の伴奏で歌う「朝日があたる家」は艶やかだった。垣間見える彼女の人生は、味わいが深そうだった。
本だって、幸田文「木」も、パトリックハイスミス「十一の物語」もどこか示唆的。古本屋の店番オバサンの書評もだ。
姪のニコの存在も、平山の生活の風景にちょっとした風を吹かせてくれた。
神社の参道を、真ん中を避けて歩くことができる彼が疎遠になった家族の物語は、おそらくもう修復はできないのだろう。木漏れ日は、同じようでありながら常に変化していて、その瞬間はもう二度とない。人生もそうだといっているようだった。
そんないくつものシンパシーが、僕を幸せな気持ちにさせる。あ、これ最近どこかで?と思い出してみた。そうだ、終わったばかりのTVドラマ『セクシー田中さん』だ。「小さな喜びをたくさん集めるとそれで人は幸せになれるのかも」と言う言葉に勇気づけられた女性が、前向きに生きる力をもらっていたが、まさにその気分だ。平山の仕事ぶりをみながら思い出す、「箱根山、駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋 を作る人、捨てた草鞋を拾う人」という格言。そうだ、世界はこうしてたくさんの人の営みで成り立っているのだ、と思い知らされる。世の中のひとびとは同じ世界で生きているようでいて、たしかに別の世界で生きている。ただ、空間を共有しているだけに過ぎない。
ニーナ・シモンの「feeling good」がかかり、平山のアップが続く。次第に変わっていく平山の表情をどう捉えるべきか。"気分がいい"って曲名のわりには、とてもザワザワする曲だ。この先の平山の人生だけじゃなく、これまで生きてきた平山の人生はけして彼の望んでいた人生ではなかったろう。完全な人生、そんなものだったのではなく、そんなものはそう手にできるものではないと、むしろそうこの映画は言っているようだった。