「完璧な選曲に酔い、味わい深い佳作」PERFECT DAYS クニオさんの映画レビュー(感想・評価)
完璧な選曲に酔い、味わい深い佳作
ジム・ジャームッシュの佳作「パターソン」2016年を否応なしに想起する。何でもない日常を淡々と描く。「パターソン」でもそうであったように、本作でも音が極めて効果を発揮する。竹箒で早朝掃くガサガサ音を皮切りに、ダイハツ(嗚呼)の軽のエンジン音、終始首都高を走る車の音。生活の生の息吹がひたひたと伝わってくる。思えばドイツのヴィム・ヴェンダースとアメリカのジム・ジャームッシュとはその名前の韻からして混同し易く(少なくとも私は)、制作スタンスも指向も何やら共通点が重なる。ともに既に70代、実際のところ過去の華々しいカルト扱いの輝きを未だ背負っての新作でしょうが、本作の静謐から立ち上る肯定感は深い味わいを残す。
主人公の名前が「平山」とあるとおり、小津安二郎ファンであるヴェンダースにとって変形の東京物語の様相となった。都なのか区なのか民間会社なのかまるで不明ですが、都心の公衆トイレを定期的に清掃する仕事をしている中年と言うより初老のルーティンを密着で描く。この平穏にどんな波風がドラマとして起きようなんて、観客からして思っていないはず。何にも起きないけれど多少の避けがたい事象で、平山のスタンスをクッキリと形作ってゆく。
その関わる人々がまた豪華で柄本以外はほとんどチョイ役ですが、印象を残す。柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり(なんと唄ってくれる!)、三浦友和、田中泯、甲本雅裕、松居大悟、研ナオコ、モロ師岡、あがた森魚、安藤玉恵などが、画面の中で息づく。それぞれのエピソードに挟まれるように、モノクロの平山の追憶が漠然とインサートされる。決して平山の過去を暗示しようなんて端から意図はない。
最初の妄想シーンで示されるのが「影」の文字、以降は漠とした木漏れ日にオーバーラップ映像で雰囲気だけの提示が続く。しかしいよいよのラスト近くで大トリのように登場する三浦友和との出会いの時に「影が重なると濃くなるのか?」の問いに対し、いい大人2人で影踏み遊びをやってのけるシーンが興味深い。「影が重なったらより濃くなってくれなきゃ」と吐露する平山がそこにおり、本作中最もと言うより唯一自分の言葉として吐く。一転して、新たな一日が始まり車を運転するが、これまでずっと助手席側からのカメラ映像だったものが、ラストのみ真正面から運転する平山を長廻しで捉える。笑ったと思えば軽く涙ぐんだりの、さり気ない演技の変化が絶妙で、悲観より肯定感で締めくくる。
それにしても今時カセットテープで、しかも曲によっては中古でも1本1万円で売れるご時世とは驚きました。なによりそのカセットから流れる曲が振るっている!世代的に近いこともあり、「THE HOUSE OF THE RISING SUN」が唐突に流れたら血流が逆走するかのようでした。「THE DOCK OF THE BAY」、「SLEEPY CITY」、Lou Reedの「PERFECT DAY」、「FEELING GOOD」などなど、よくぞの選曲に涙涙です。邦画ですと超有名曲の使用許諾に二の足を踏む場合が多く、流石のドイツとの共同制作の賜物でしょう。
当然にドイツ人から見た東京が視点ゆえに、終始画面のセンターに鎮座するスカイツリーをはじめ、首都高の複雑な曲線を好んで捉え、肝心のトイレも最先端のオシャレなものばかりで、古びたトイレがまるで出てこない辺りは少々複雑ですが。もし病気になったらの懸念も解消はされない。念のため毎朝の缶コーヒーは見えないように手にしてますが、明らかにサントリーのBOSSで役所広司的には安心しました。
唯一彼の妹(麻生祐未)が運転手付きの高級車に乗っており、「本当にトイレの掃除をしているの?」と差別意識を滲ませるシーン。平山のかつての地位を忍ばせるが、深追いはしない、そんなことは実にどうでもよく「今」の充実の静謐が小津安二郎に繋がるのです。