「左側に寄せたエンドロールには、色んな意味合いが込められている」メイ・ディセンバー ゆれる真実 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
左側に寄せたエンドロールには、色んな意味合いが込められている
2024.7.15 字幕 イオンシネマ京都桂川
2023年のアメリカ映画(117分、R15+)
全米を震撼させた年の差夫婦の再現映画に挑む女優を描いたヒューマンドラマ
監督はトッド・ヘインズ
脚本はサミー・バーチ
原題の『May December』とは、「親子ほどの年の差のあるカップル」のことを示す言葉
物語の舞台は、2015年のアメリカ・ジョージア州サバンナ
女優のエリザベス(ナタリー・ポートマン)は、再現映画の対象であるグレイシー(ジュリアン・ムーア)の家を訪ねた
彼女は20年ほど前に当時13歳だったジョー・ヨー(チャールズ・メイトン)と性的関係を持ったことが問題視され、その後、逮捕され服役することになった
グレイシーはジョーの子どもを身籠っていて、獄中出産を果たし、長女のオナー(Piper Curda)が生まれた
その後、出所したグレイシーはジョーと結婚を果たし、今度は双子のチャーリー(Gabriel Chung)とメアリー(Elizabeth Yu)を授かる事になった
エリザベスが訪ねた2015年には、オナーは大学生となって離れて暮らし、チャーリーとメアリーは高校を卒業する年にまで成長を遂げていた
エリザベスは取材と称してグレイシーに会い、自分が演じる人物はどのような人間なのかを観察しようと考えていた
13歳と36歳の恋愛、それは想像が及ばないものの、演じる上では同化せざるを得ない
そして、エリザベスはグレイシーの他にも、彼女を知る人物を訪ねて回る事になったのである
映画は、実際に起きた事件がベースになっていて、グレイシーのモデルはメアリー・ケイ・ルトーノという女性で、ジョーのモデルはヴァリ・フラウアウという青年である
グレイシーとジョーは同じペットショップで働いていて、その倉庫で行為に及んだのだが、エリザベスは生々しくも、その現場で想像を膨らませていく
そんな同化作業の果てに、グレイシーと同じメイクをして、彼女の元の家族たちとも会っていく中で、ある事実が浮かび上がってくる
それが真実なのかはわからないものの、エリザベスの出現は、ジョーに大きな動揺を残す事になるのである
ジョーはかなり不安定になっていて、それはこの20年間に一度も言えない事を抱えていたからだった
あの時、行為に及んだのは何故なのか
グレイシーが誘ったのか、ジョーがしたいと思ったのか
そのわだかまりはずっと燻っていて、それぞれは違う思いを描いていたことがわかる
ラストでは、グレイシーと映画制作陣が取材の果てに得た結論を演じる事になり、それはグレイシーがジョーを誘惑している、という構図になっていた
これが正解かはわからないが、ジョー自身があの時の選択が若かった故の過ちだったと感じていることが影響しているようにも思う
ジョーは考えてしまった
もしかしたら、自分にもチャーリーのような人生があったのではないか、と
それが、疑念として残り、エリザベスとの出会いによって発露した、という感じになっていた
いずれにせよ、かなり解釈の分かれる映画なのだが、制作的には正解をはっきりと描いている
それは、エンドロールが左側に寄っているというもので、これの意味を示すシーンがいくつかあった
一つ目はブティックにおける「本物のグレイシー、エリザベス、鏡に映るグレイシー」という構図で、これは左側が真実である、という意味になる
また、グレイシー流のメイクをするときは左がエリザベスで右がグレイシーになっているが、パーティの際の化粧室では、その立ち位置が逆になっていた
これも、エリザベスがグレイシーに近づいた、あるいは同化したという意味合いになっていて、本物のグレイシー&エリザベスは左側にいる、という意味になると思う
この辺りを踏まえて見ていくと面白くて、ベッドでジョーがグレイシーに語るシーンでは、ジョーが左側のソファに座っていたりする
どこまでが意図的であるかはわからないが、ある程度の筋をつけていると感じたので、その答え合わせがエンドロールだったのではないだろうか