ポトフ 美食家と料理人のレビュー・感想・評価
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目と心を満たす、滴るような味わいを宿した秀作
『青いパパイヤの香り』『夏至』で人々を魅了したトラン・アン・ユン監督が、あれから20年以上経って、かつての滴るような味わいを宿しつつ、さらなる次元へ進化を遂げている。時代は19世紀。ここには料理に情熱を注ぐ男女の弛むことのない究道があり、美食家たちの文化や様式に関する興味深い描写の数々、そして決して止まることなく巡りゆく季節と生命がある。時間を割いて織りなされる調理シーンは、まさに言葉を超えた吐息と滴る汗と所作の連続。香りや味わいと相まって男女の間でほのかに交わされる感情すらも繊細に沁み入ってくるのがとても感慨深い。依存し合うわけでも、甘い言葉を囁き合うわけでもなく、ただひたすら至高の一皿を求め続ける。その真剣な眼差し、信頼しきった表情、その果てにたどり着く感情が美しい。食して終わりではなく、永遠にも等しい理想を生涯かけて求め合うかのような、二人にしか表現し得ない愛がそこには刻まれていた。
料理が紡ぐ人間関係が行き着くところは
代表的なイメージショットは、今年9月に公開された同じフランス発のグルメ映画『デリシュ!』と同じなのだが、描くテーマはほぼ正反対。『デリシュ!』は宮廷を退いたシェフが謎めいた女性料理人の助けを借りて、それまで貴族のためにのみ存在したフランス料理を民衆に解放する物語。その過程でシェフと料理人の間には愛が芽生えていく、という展開だったが、本作『ポトフ』は同じフランスの定番料理の名前をタイトルにはしているが、主人公の美食家と、彼の希望を具現化していく料理人は、もっとクールで、だからこそ強い絆で結ばれている。見ていてそこにぶっ飛んだ。食を介して人間関係を描くと、どうしても情緒に傾きがちだが、トラン・アン・ユンの演出は最終的にその種の傾向とは無縁なのだ。
しかし、次々と登場するフランス料理の完成度は『デリシュ!』以上。東京でもフレンチレストランを経営する三つ星シェフ、ピエール・ガニェールが監修した舌平目のクリームソース、子牛のポワレ、アイスクリームが中に入ったノルウェー風オムレツは、映画の後味はどうであれ、視覚から食するに値するもの。このシーズンに打って付けの作品だ。
繊細で深みのある愛情表現は元パートナー同士ゆえか。調理を流麗にとらえる映像に引き込まれる
優れたダンス/ミュージカル映画が冒頭に素晴らしいパフォーマンスのシークエンスを配して観客の心をがっちりつかむのと同じように、「ポトフ 美食家と料理人」も始まって早々、美食家ドダン(ブノワ・マジメル)と料理人ウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)がアシスタントのヴィオレットを指示しつつ手際よく食材をさばいて加熱し仕上げていく過程を、流れるようなカメラワークで躍動感いっぱいに撮影している。トラン・アン・ユン監督の演出意図を体現した俳優たちの演技と、彼らの表情、手や調理器具の動き、そして調理が進むにつれ音を発しながら色と形を変えていく食材を優雅に踊るようにカメラのフレームに収めた、撮影監督ジョナタン・リッケブールの貢献も大きい。
マジメルとビノシュは1999年に『年下のひと』で共演した縁でパートナーになり女児をもうけたが、2003年に別れている。彼らが演じるドダンとウージェニーも公私にわたるパートナーでありながら長年結婚しないままだったという設定であり、互いを想う繊細な感情の表現はそうした私生活の過去の経験がプラスに働いた印象を受ける。
ズアオホオジロのローストを食べる時に皿の真上に寄せた頭の上からナプキンをすっぽりかぶるという、変てこでユーモラスなマナーも描かれている(美食家でない評者は今回初めて知った)。ネットで理由を調べたら、香りを保つため、恥ずべき行為を神の目から隠すため、骨を吐き出す姿を他人に見られないようにするためなど、諸説あるらしい。
絶対味覚を持つ少女ポーリーヌを演じたボニー・シャニョー=ラヴォワールの無垢な魅力もいい。作中では料理の職人技の継承を担う役どころだが、フランスを代表する大女優ビノシュから未来のスターへバトンが渡されたような気にさえなる。本作が映画初出演のようで、今後の成長と活躍が楽しみだ。
美味を求めて
美食家のプライド
全てが絵画の様な美しさ
飽くなき美食
全編、美味しそうな料理が出てくる
ラ・フランス
トラン・アン・ユン「ポトフ 美食家と料理人」冒頭30分間の調理シー...
一つ一つの料理が美味しそうで、空腹の時には観てはいけない作品。 パ...
全幅の信頼が置けるシェフ
目と耳、そして心へのごちそう。
青いパパイヤの香りの監督、繊細で豊か、一瞬一瞬を慈しむように見つめてしまう、余計なものがない作品でした。
余計なものとはなにか。
無理なドラマ展開や
過剰な音楽、オーバーな演技がない。
画面の外を感じられるような、
虫の音や鳥の囀り、
見えないものが重層的に、あたかもパイの生地のように仕組まれていました。ちょっと例えがヤボですが。
冒頭から圧巻の調理行程のスペクタクル。
バベットの晩餐会のクライマックスを先にたっぷりと見せる。
俳優たちは、ドキュメンタリーのようにただひたすらに手を動かす。
そとからさし込む陽光、厨房の薄明かり、蝋燭のランプの灯火。
作る、作る、食べる、食べる。
セリフも極力排され、食べる場面なんぞ。芝居で一番難しい。俳優の人間の素がばれてしまうから。
あのレオスカラックス作品で世に出た美少女ビノシュが、見事に歳を重ね、いまや世界の大女優だ。
しかし、それを全く見せない。
いちばん弱い立場の後ろに隠れるようにして生きてきた人間として、
一品一品をたいせつにたいせつにたいらげていく佇まい。
それまでの人生や、現在の状況、作ってくれる人への感謝、愛情、見つめ合う、凝縮された名場面でありました。
ブノワも、仕事しているだけなのに、背中に男の色気というものが現れて。
この表現!
白黒かつてあったフランス映画の伝統、映画らしさを継承した。
大胆なカメラワーク、動くところがちょっと他に見られないようだったり、音では、音響が雄弁で、かつ寡黙でもあるという、一度では観尽くせない魅力に溢れていました。
思いは胸に秘めて、
言葉は口にするならばとっておきのものに、
まなざしは優しいものにして。
こうするしかなかった、しかし悲嘆に暮れる事なく、また明日から
毎日毎日毎日を最善を尽くして生きていくのでしょう。
出会いと別れ、愛すること、泣くこと、笑うこと、そして、大好きなものへのひたむきさ、情熱。
それだけあればいいのだ、と。
「食」で繋がる二人の関係性が素敵な一本。
映画の世界でも、撮影機器の小型化・軽量化が進み、カメラが直接に厨房に入ることができるようになったと言われますが、その「フットワーク」を活かして映し出される料理の数々も、本作に華を添えます。
総じて、映画作品として、画面の配色が美しい一本でもありました。
料理人としての技量にドダンから全幅の信頼を置かれているウージェニーと、病をおしても、ドダンのその信頼に応えようとするウージェニー。
その二人の関係性の、何と美しかったことか。その美しさがスクリーンを通じて輝くようにも思われました。評論子には。
(実社会で、この世の中の誰かと、こんな関係性をもし築けたとしたら、それはそれは、どんなに素晴しいことでしょうか!)
「美食」をモチーフとして取り上げながらも、ドダンとウージェニーとの関係性に焦点が据えられているので、違和感(普段は貧食のやっかみ?)もなく、ストーリーの中に入っていくことができた一本でもありました。
「美食」にも「料理人」にも、とんとご縁がなく、食品スーパーでは閉店間際の半額シールから目が放せず、見切り品のカゴの中に野菜類の調達を頼っている評論子にも。
充分に佳作としての評価が可能な一本と思います。
(追記)
最後の厨房での長回しのワン・シーン。
ドダンの回想を表現するのもでしたけれども。
作品上の時間を短時間で遡るという意味では、これも一種の「省略法」と称して差し支えないかと思いますけれども。
映画として、こういう撮影の撮影技法もあったのかと驚きました。
そんなことも印象に残った一本になりました。評論子には。
愛に溢れた映画だった!
日差しが差し込むキッチンの中で、料理するシーンから始まる。肉や野菜が焼ける音、キッチン用具がぶつかる音…映像と音が相まって、ずっと見ていたいくらい美しいシーンだ。
ドダンがウージェニーだけのためにもてなすフランス料理、ドダンをベッド待つウージェニーの後ろ姿、散歩や食事をしながらの2人の語らい、愛が痛いほど伝わってくる。
一方で、ウージェニーを女と愛しつつ、料理人としてのリスペクトを忘れない、ドダンの気遣いが素晴らしい。
ウージェニー役のジュリエット・ビノシュは、今年60歳になっても美しいボディ。後ろ姿だけで、男をその気にさせるセクシーさがある。
「愛している」という直接的な言葉ではなく、料理や会話を通して愛を語る。この愛の表現を描かせたら、フランス映画はピカイチだなと思う。
【”ガストロノミー、そして美味礼賛。”今作は料理への情熱で強く結ばれた美食家の男性と女性の料理人の愛と人生を味わい、劇中供される美味そうな料理を目で愛でる作品なのである。】
■19世紀末の仏蘭西郊外に住む、美食家・ドダン(ブノワ・マジメル)と、彼がひらめいたメニューを完璧に再現する料理人・ウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)。
2人が生み出した極上の料理は人々を驚かせ、類まれなる才能への熱狂はヨーロッパ各国にまで広がっていた。
ある時、ドダンはユーラシア皇太子から晩餐会に招待されるが、ボリュームはありながらワインを出す順番も含め、満足出来なかったと漏らす。
そして、ユーラシア皇太子に対して、仏蘭西の庶民食であるポトフを提供しようとウージェニーに提案する。
◆感想
・序盤20分の、ドダンの友人達を招いた昼餐会のためにドダンとウージェニーが協力して料理を作るシーンが圧巻である。
言葉は少ないが、2人の料理への愛、お互いを大切に思う気持ちが凝縮されているように思えるからである。
・更に二人は、近所で農家を営む夫婦の娘で、味覚の鋭いポーリーヌにも料理を教えつつ、料理を食べさせ感想を聞くのである。
取分け私の興味を引いた料理はデザートで出された”ノルウエー風オムレツ”である。
・贅を尽くした料理を食べながら会話は、カレームの話に移って行く。外交官タレーランの料理人としてウィーン会議で度々晩餐会を開き、仏蘭西の存在感を高めたと言われる伝説の料理人である。
ドダンの友人達が、単なるグルマンではなく知性と教養がある人である事が分かる。
■秋になり、ウージェニーは漸くドダンの求婚を受け入れるが、虚弱だった彼女はある日、早逝してしまう。
食欲もなく、項垂れて暮らすドダン。
友人達は、彼を励ますために様々な女性料理人をよこすが、ドダンの口には合わない。序でにポーリーヌも・・。
<だが、ある日友人が料理を持ってドダンの家に掛けこんで来る。
その料理を口にしたドダンは、友人からその料理を作った料理人の名を聞き、家を駆けだして行くのである。勿論、ポーリーヌを連れて。
今作は、料理への愛や思入れが凝縮された、トラン・アン・ユン監督が、“食”の深さと楽しさを堪能させてくれる作品なのである。>
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