ポトフ 美食家と料理人のレビュー・感想・評価
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料理・フランス映画が好きな方にはおすすめ。
今年432本目(合計1,082本目/今月(2023年12月度)33本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
タイトルの「ポトフ~」については、確かに料理としてのポトフは出ますが、それ以外の料理も多く出てくるし、「ポトフ映画ではない」点に注意です。またフランス映画であり、「ポトフ映画ではない」とはいえ実質「料理映画」には分類されうるのでいい匂いがしそうな(映画館からはしませんが…)タイトルです。
ただそのことは日常生活パートがかなり多く、映画の中で何か大きな「事件」が起きるわけではない(少なくともアクション映画とは絶対に言えない)わけで、一応いくつか区切りになるイベントはありますが、物語自体がきわめて平坦に進んでいくという特徴的な部分を持つという特殊な映画ではあります(何かキーになるイベントはあるといえばありますが、それとて話が極端に変わるわけではないし、実質2時間、フランス料理を色々見たり食べたりをずっと見ている状態の映画と考えたほうがよさそう)。
ただこの点はそういう趣旨の映画もあるのだろうと思うし、フランス映画は何らかの意味で余韻を残す映画(趣旨は自分で考えてね、というもの)が好まれ、この映画も展開が平凡「過ぎる」ところはありますが、この映画にこめられた主義主張は何なのか…は一人ひとり答えは違うのではないかな…と思います。
個人的には100年か150年かくらい「少し前」のフランスにおいて、肉も魚もじゃがいもほか野菜など「食べられるもの」を全て「料理として昇華して食べつくす」という、「この意味における」、日本にいう「いただきます」の文化が流れているのではないかな…と思ったところです。
採点は下記が明確に気になったところです。
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(減点0.3/クレメンス6世のいわゆる「アヴィニョン捕囚」について)
この話、および、グレゴリウス11世によってこれが終わること(歴史としては70年続いた)ことがいきなり話題になるところ、料理と一応「結び付けられて」登場しますが(フランス料理のトリビアのようなものとしての扱い)、この点は高校世界史でちらっと学習するにすぎず、このあと(=グレゴリウス11世による捕囚の終了)の「教会大分裂」(当時のフランスはカトリック教が主流で教会は一つだったが、派閥ができたりして混乱した時代があった。これも40年続いた)の話も、一応は高校世界史で学習しますが趣旨的に後者はミッション系学校で扱うのではなかろうかというような内容のレベルで、一応、映画の趣旨である「フランス料理」に関するトリビアの一つとしての扱いで出る(換言すれば、どうでもいいところで突然出てこない)点で何とかなるかなのレベルで、ちょっといきなり(料理映画でいいなぁ、と思っているところに)この字幕でこの話題は厳しいかな…といったところです。
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ビノシュは出てるだけで存在感あり。でもこの監督は、作品がはっきりし...
ビノシュは出てるだけで存在感あり。でもこの監督は、作品がはっきりしない人なのでイマイチ。
とにかく美しい調理シーンだったなぁ
小学生の頃(昭和)、給食が食べられずひとり残される辛い日々でした。そのせいか、大人になってからフレンチのコース料理は苦手意識しかなかった。フレンチはお皿の上を全部食べないと次が出てこないし(フォークとナイフを揃えれば残しても下げてくれるとは知らんかった)、食べたかどうかをギャルソンにチェックされる視線が痛くて。
そんな私でも冒頭の調理シーンには目を奪われました。最低限の指示+阿吽の呼吸、手際良い進めっぷりに「どんな料理ができるのかな」とワクワクしました。映像が美しく、小鳥やネコの鳴き声が聞こえるのもいいですね。
ドーンと大きい銅製の鍋。これって何人分?30人分くらい?と思っていたら、たったの6人分!美食家の皆さんの食べる量はすごいのね・・・。仕上げのデザート(ノルウェー風オムレツ)もワンピースの量が多いことにびっくり。なぜノルウェー?ってことより、そんなに食べられる?と思ってしまいましたよ。美味しそうでしたが。
それにしても何度もオーブンに入れたり、何度も漉したりと、フレンチは本当に手をかけて料理をしているのだと改めて感心して観ていました。
新しい料理人の面接の時、ドダンの説明が文学的かつ抽象的で美しい表現でした。それを理解してお皿に具現化できるウージェニーは天才ですね。ジュリエット・ピノシュは「ショコラ」同様に魅力的な女優で「Winterboy」も観たいです。
流麗カメラによる圧巻映像を堪能
これぞ映画です! 映画の持てる利点をフル活用、めくるめく映像体験を静逸に仕上げたトラン・アン・ユン監督は流石の名匠である事を証明した。彼のそぎ落とした流儀をわきまえた撮影監督のジョナタン・リケブールがまた圧巻です。
冒頭の30分に及ぶ調理のシーン。無理に無理を重ねたノーカットではないけれど、人物の動きに寄り添い複数の人物に次々と乗り換え追うカメラ。人物から料理へ、鍋の中まで覗き込むスムースな移動撮影。しかもカメラマンが追う事による画面ブレが一切ないのが驚愕です。多分、一挙の撮影の上で無駄な余白はカットしたのでしょう、あの調理場の中だけで30分を費やす暴挙をやってのけ、それが映画的カタルシスまで昇華しているのですから凄いとしか言いようがありません。
この方の前作を調べましたらなんとフランス版「キャメラを止めるな!」の撮影をなさっていたとか、あの地獄の撮影が本作で実を結んだと言って構わないでしょう。しかしそれにしても湯気でカメラが曇らないのも素晴らしく、食材の色彩の変化、調理の音、食器の音、外から聞こえる鳥の鳴き声までも収める。しかも19世紀末の設定で照明も最小限に絞った自然のまま。
なによりキッチンのど真ん中に鎮座する巨大なテーブル然とした何口もあるコンロ? あの分厚い鉄板の下は薪?石炭? あの全面が熱いのか丸く印のある所のみが熱くなるのか? まるで分かりません。少なくとも日本の「かまど」とは大分様相が違いますね。いずれにしましても変な例えですが、日本の部屋毎暖房に対し、欧米ではセントラルヒーティングの贅沢と一緒ですね。
対する役者さんも凄い意気込みで感服です。ジュリエット・ビノシュはもちろん、超イケメンも老けてしまったブノワ・マジメルもフランスを代表する大スター。普段はきっとあんな料理をいつも召し上がっているのでしょうが、ここでは調理する側に挑戦です。一歩間違えれば大火傷やケガのリスクを乗り越えての役者魂には感動すらしてしまいます。そしてさらに美少女が機敏に調理のサポートをする、「青いパパイヤの香り」の無垢な少女を否応なく連想させる。セリフは最小限で、総ては料理に奉仕のスタンスだからこそ成し得た領域でしょう。
お話はなんてことなく、美食家の神髄極めに尽きますが、ラストで圧巻のカメラの回転(パン)撮影により、主人公2人の結びつきに収斂させる技は素晴らしい。多分貴族の末裔なのか、大金持ちなのは確かで、領土内の菜園やら家畜を抱え、自然の恵みを最大限に活かす。まるで素材と対話するが如く。その自然の命を頂く人間の崇高なまでの探求心こそが本作のテーマでしょう。
ソースを一口味見して、その沢山の素材から調味料までも言い当てるなんざ人間業とは思えない。よく言いますよね「日本人の繊細な舌に・・」なんて言う日本人の優越感をくすぐる低能な表現。フランス人の極めもとんでもないレベルなんです、ワインやらシャンパンへの蘊蓄も日本人の理解を超えている。すなわちどんな民族でもそれぞれの味覚を有する当たり前を、受け入れリスペクトしたいものです。
食と人生の悦び
食と人生の悦び、そして喪失と回復(の予感)を美しい映像で描き切った作品だった。
冒頭のシーンから4人でまるでダンスするように料理し、映像からもゲストたちの表情からもその愉悦と官能を堪能できる。上映時間長いなと、見る前は思ったがこれならいつまでも観ていたい。
その官能はウージェニーのための食事のシーンで最高潮に。洋梨のコンポートの官能的な様といったら…(パンフで見たら「ベル・エレーヌ」という料理でした…)
まだ幼いポーリーンの美しさにも恐れ入ったが、ジュリエット・ビノシュはもう神懸かってましたね。女性の美を若さばかりに求めないフランスの面目躍如、って感じ。
あと素晴らしかったのが撮影で、現代化されていないフランスの光景はとにかく美しいし、料理や屋内のシーンは被写界深度をごく浅くして回りを美しくボカしているにも関わらず、その都度必要なところにビシッとピンが決まってて技術的にも素晴らしかった。
コレもっと宣伝して広く観て貰うべき傑作だった。お薦め。
料理は爆発💥だ‼️
料理は芸術なんだろうけど…
20年間ひとつ屋根の下で暮らした料理人(女性)と美食家(男性)の話
料理はとても美味しそうで、食べたくなるんだけど、下ごしらえをあそこまで撮るのは…
折角料理人と美食家は結ばれるのだが、料理人が…
絶望に苦悩する美食家は、料理人との一緒に過ごした時間を忘れる為に…
料理は奥が深いな〰️とは感じたが、だからなに❔と最後もよくわからん😵🌀終わり方 ポトフは食べて〰️
洋梨とジュリエットビノッシュのオシリ
それにつきる
ラ·フランスよ
だが、それだけじゃ身も蓋もない。
かつては本物の夫婦だった彼らが演じた濃厚ソースドラマ。
冒頭から、魚の肝をソテーにして、アラを野菜とともに煮詰めて、何度もグリルにいれる仔牛肉にかけるソース。
コテコテやん。
ちょっと食傷気味に
ジュリエットビノッシュは背中とオシリ健在でした。
ジュリエットビノッシュはいつまでたっても夏の女でシュ。
東洋思想とフランス流ガストロミが融合した奇妙な味わい
エスコフィエが38歳、というセリフが出てくるので1884年か1885年の設定ということが分かる。
清仏戦争がありベトナムがフランスに割譲された頃。ひょっとしたらトラン・アン・ユンは意図してこのセリフをはめ込んだのかもしれない。
冒頭、延々と美食家と料理人が友人たちとの午餐のための料理をするシーンが続く。スープからデザートまでコース一式が出てくる。場内ではいびきかいてる人もいたし後でロビーでそこが長いって文句を言ってる人もいたけどここは料理の個性というか思想を紹介しようとしているところなので映画の肝になりますね。ただ年代的には当然なのだけど、彼らの料理はトラディショナルなフランス料理の範疇で、バター、クリームとフォンを多用した重厚なものであることは変わりはない。新鮮な野菜をドッサリ使っているところとフォンが魚ベースであるところが魅力なのかな。
ユーラシア皇太子(これがどこの人なのかよく分からない。モンゴル人っぽいから中央ユーラシアのウズベキスタンとかトルメキスタンあたりか?)のお招きのメニューのバルザック流というか満漢全席のえげつないものに比べればモダンなんだけど。ちなみにユーラシア皇太子にポトフを供するプランは料理人が死んだので実現しません。もしやってたらちゃぶ台ひっくり返されていたかも。
美食家が最後の方で、自分の料理について、言葉で説明をします。これが調和に重きをおく東洋的な思想に彩られているようでした。最後の「料理人か妻か」っていう問いも禅問答みたいですね。
ヨーロッパでは絵とか音楽が19世紀末に東洋の影響を受けたことは確かです。でも料理までそのような流れがあったのかどうか。多分にトラン・アン・ユンの創作によるものとは思いますが。そういう意味では、この映画は「バベットの晩餐会」や「ショコラ」のようなガストロミ(食文化)系というよりは「ディーバ」とか「キッス・オブ・ドラゴン」などと同じフランスを舞台とした東洋趣味の作品だと思うのです。(長々書きましたが私は嫌いではありません)
料理は文化だ、芸術だ
大半が調理シーンとそれを食べるシーンというユニークな映画だが、十分に楽しめた。ワンカットで丁寧に描かれる調理シーンに関心を持てるかどうかで、評価は左右されるだろう。ストーリーはシンプル。「ポトフ」という題名から誰もが予想する展開は、肩透かしをくうので減点。
光と影の屋内シーン、たまに挟まれる屋外シーンの美しさには魅了された(監督は「青いパパイヤの香り」のトラン・アン・ユン)。ブノワ・マジメルが魅力的だった。
料理愛
予備知識ゼロで映画館にとびこんだので、延々と続く料理のシーンに意表を突かれました。
ふたりとも料理する人なのかと思ったら、そうではなくて彼女は使用人なのね。
彼は料理はもちろんできるけど、メニューを考えたりする美食家で。
ブルギニョンソースとか、ノルウェー風オムレツとか、どれも本当に美味しそう。
さすが美食の国フランスですね。
菜園にアンテナをたてたりして科学的でもある。
花模様のお皿もすてき。
ラスト、妻として愛されるよりも、料理人としてリスペクトしてほしい、ということ?
それほどドダンにとっては料理が大切なのだと、敬服いたしました。
妻?料理人?ポワール?
19世紀末のフランスの田舎町で女性天才料理人のウージェニーと共に暮らす美食家のドダンの話。
使用人のヴィオレタが連れてきた少女ポーリーヌの資質がなんちゃら言いながらコース料理の調理と食事の様子から始まって行くけれど、なんだか料理のシーンが長い。
その後も突然具合が悪くなりつつも料理を続けるウージェニーとか、ユーラシア皇太子の晩餐会招待とかみせていくけれど、やはり一つ一つのシーンが長かったり、そもそもこれいりますか?なシーンがあったり。
いよいよポトフまでも非常に長いし、と思っていたら、あっという間に…。
ストーリー自体は悪くないけれど全体的に長くて冗長気味だし、最後はそんな中途半端な…。
もう30分短くて良かったかな。
映画はいいが、タイトルで誤解する
序盤は少ない情報、少ないセリフ、冗長とも取れる長回し…、これが中盤以降の山場への下ごしらえなのかなと思いました。
2人の愛の絆を凛とした空間で描いていて、邦画にありがちな哀しいシーンでのドアップや号泣など一切なく、うるうるもの。
引っかかるのは原題でもあるポトフ、観客は当然最後にポトフ作りでもうひと山あると期待するのに、回顧的なシーンで終わったときはポトフはどこと探してしまう(笑)
冷静に考えれば十分だったのだが、そこだけ減点。
他の方も書いてたが、ポーリーニが後半で(ポトフ作りで)輝いていたら。
寝落ち……
予備知識ほぼゼロでしたし、劇場の静けさやほんのちょっぴりの暖かさが加わったし……
言い訳ばかりになりますが、冒頭部分寝落ちしてしまいました。
その結果、時代背景や主人公二人の置かれている社会的な地位を理解できず、それなのに眼に飛び込んでくる映像は極上の美味であることをビンビンと伝えてくる。
でも、でもですよ、きっとあの二人は有り余る予算を料理にかけられているはず。だとしたら美味しくって目に麗しくって当り前じゃないの!
ウージェニーがこの世を去ってからあれだけ沈み込んでいたドダンがやる気をもたげてきたモチベーションは何だった?
なんて、自分が寝てしまって観られなかったくせにちょっとスネてみました。
フランスを舞台に、民間初のレストランを創り上げた「デリシュ!」の爽快感とは全く異なる作品ですが、ワタシの個人的好みはデリシュだなぁ。
それはそうと、コロナ以後、撮影の問題や俳優組合のストなども影響しているのか、ハリウッド作品を鑑賞する機会が減って、フランス映画やインド、中東地域のものを目にすることが増えたのは寂しい反面自分の視野が広がった気もして嬉しい事なのかもしれませんね。
さあて、来年も(まだ今年ももう少しあるけれど)映画にドキドキ・ワクワクしようっと🎵
美しく、優しい映画。
暇があれば、食べ物のことばかり考えている私には、至福の映画。調理シーンは飽きないし、無駄な音楽はなく、小鳥のさえずりのほかは、食器や調理器具がカチャカチャと触れ合う音のみ。映像も美しかったー、さすが、トランアンユン監督。
料理って、日常であり、愛情だなぁとしみじみ。
ラストシーンのカットも素敵でした(涙)
羨ましすぎる広ーいキッチン、窓の外に広がる自然、大きな鍋、大きなおたま、新鮮な食材、水や油を派手に飛び散らせながら作る料理、一度やってみたい!
皇太子を迎えることがメインかと思った…
料理で結ばれたふたり、ただひたすらそれだけの流れだった…。料理作って、食べて、愛を確かめ合って。料理見習いとか友人達とかいろいろ登場するけど描き方が淡いからのめり込めず…ただ、料理や草木は美しかった?
わたしはあなたの妻?それとも料理人?
美味しいものが分かるだけでなく、料理が作れてワインに詳しくて、言葉で表現するのに長けて、営業的政治もできる。それが美食家。
美食家と料理人の関係ってプロデューサーとディレクターに似てる。お互いをリスペクトしつつ、お互いを補完し合う。まさにパートナー。
料理シーンはワンカット、bgmの音楽もなし。料理の音と自然の音が背景として映画を引き立ててる。
美しい自然の中のお城で、探究心のままに料理を考案し、作り、食べる。そんな幸せな時間をただただ眺めていられる。
「人は持ってるものを求め続けることが幸福なんだ」
「わたしはあなたの妻?それとも料理人?」
「料理人さ」
最後の回想で流れてきたこの会話がずっと頭にこびり付いてる。パートナーとしての最高の関係を崩したくない、一方でそれを超えた関係を望む。その両方を求めたくなる相手といれることが幸せなんだろう。
物語的には、もう少しポーリーを引き立てたり、ストーリーを設けても良かったのではって思うけど
この料理の数々が観れただけで満足です。
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