ポトフ 美食家と料理人のレビュー・感想・評価
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ポトフは pot-au-feu. 🇫🇷 語
【ポトフとは】
「ポット・オー・フー」なんですよ。
「お鍋」=「 オンザ」=「 Fire ファイアー」ね。
これ、語感がいいんだよねぇ ♫
「火 hi」は=フランス語では「フーfeu」。
なんて可愛いんだろ♥
料理が大好きな僕なのですが、
若い頃、オリジナル・ポトフを10年に1度だけ作って、友人たちを呼んで振る舞っていました、
名付けて「10年に1度の大男スープ」。
丸のままのじゃがいも、🥔
そのままのにんじん、🥕
骨付きのチキン、🍗
もしくはビーフか豚の骨付きバラ肉、🍖
丸ごとの玉ねぎにローリエ、🧅🌿
コンソメ・ベース。大ぶりのマシュルームや🍄
トマトをホールで後入れすることも有り。🍅
素焼きのどんぶりです。木のスプーンです。
お店の名前は「3匹のくま」🏡
Bon appétit!
後に信州で暮らすことになり、ワイン醸造所でしばらく働いたのですが、自分のお店とか やったら楽しかったろうなぁ✨と今でも時どき思います。
料理・レストランものの映画は、そういう訳で目がない僕なのです。
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【隠し味は男女のハート】
映画の原題、および脚本のもとになった小説は「美食家ドダン・ブーファンの生涯と情熱」。
その名からわかる通り、邸主のドダンが物語のメインに据えられているはずなのですが、
実際のスクリーンで我々が魅せられるのはジュリエット・ビノシュ演じるスー・シェフ=ウージェニーの、彼女の存在の圧倒的な大きさ。
そして冒頭からの 圧巻の調理シーン。
ドダンがフランベする、
ウージェニーが炒める、
ドダンがコンソメを引く、
ウージェニーが香草を散らす、
ドダンがオーブンを覗く、
ウージェニーがドレッセする、
カメラが皿を追う。人間を追う。
二人対等の、たっぷり時間をかけての美食と人生の、調理シーンでした
今回の映画は
かつて実際に婚姻関係にもあった!という二人、
ブノワ・マジメル と
ジュリエット・ビノシュ のW主演。
倒れたジュリエットのためにマジメルが駆けつけて、彼女のためだけに「療養食のフルコース」を作ってやるんですよね〜
まったくもって粋なキャスティングじゃないですか💕
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【五感で味わう映画】
映画館 東座の社長=合木こずえさんは、今回またまた町内の小さなビストロとのコラボを企画してくれました。
映画を観たあと、余韻に浸りながら通りをぶらぶら歩いて、そのビストロで1週間限定のポトフメニューを頂けるのです(要予約) 。
映画を五感で味わおうというこの東座の企画は、最近では
◆「あのこと」で、性教育スペシャリストによる上演前講演。
◆「共に生きる 書家金澤翔子」では書道家さんのお話。
◆県内に住むパントマイミストの舞台は「沈黙のレジスタンス」に合わせてのステージ。
そして
社長さんご本人による寸劇も行われましたよ。
「世界で一番美しい少年」にぶつけて、俳優になるために劇団で苦労し、辛い思いもしてきたという合木社長の来し方を喜劇に仕立てたものでした。
演出の楽しさを知っている映画館の社長。
人口8万人の小さな街だからこんなユニークなタイアップ企画が実現してしまいます。
どうです、いい映画館でしょう⁉️
えっへん😆👍
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【弱った心と体には手料理が一番】
フランスでポトフなら
日本ではさしずめ「お粥」だろうかなぁ・・
誰だって辛いときには、優しくされたいもの。
「どう具合は?」
「食べられそうかな」
「ちょっとでも食べてごらん」
そう言っておでこに手を当ててもらう。これが最強のお薬。
そしてよく寝て、少し元気になったらデザートは「ミカンの缶詰め」で決まりです。
優しさは、どんな高級な独逸製の注射よりも僕らを元気にしてくれるんだよね。
多くを語らなくても、作ってくれたその人の愛情がわかり、心細い思いも温めてくれるのが pot-au-feu。
ブノワ・マジメル と
ジュリエット・ビノシュの恋心を、ドダン手作りのポトフは満たしてくれたようです。
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監督は、かつての「フランス領インドシナ」=ベトナム出身のトラン・アン・ユン。
フランス映画にありがちな さばさばとした冷たさや、観終わったあとの ぐったり感はありません。
ヌーベルバーグで失ってしまったフランス映画の良いものを、監督はアジアの眼差しで取り戻してくれました。
監督はフランス人の日常を、潤いのある人肌のものへと復活させてくれました。
厨房ものではあるのですが、(珍しく) 食べるお客さんがみんな清潔で良い人。
そしてウージェニーもお手伝いの女の子たちも、ちゃんと全員が丁寧に扱われていて、フルコースで まかない食を味わう映画なのです。
主人のドダンが単なる美食家ではなく、
「作ること」、
「ふるまうこと」、
「一緒に食べること」、
この三拍子ね。
その食卓の光景のすべてが猛烈に好きな人物であった という設定が◎なんです。
だから
美味しいものが好きなひと、
料理が好きなひと、
そしておもてなしが大好きなひと、
そういうあなたには絶品。オススメの映画です。
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東座の帰り道、
ブルゴーニュワイン「シャンボール・ミュジニー」をスマホでポチりました。もちろんあのウージェニーが愛したワインでしたね。
届くのが楽しみです。
病床のウージェニー:
「作ってもらうのが癖になりそうだわ」
心込めて作った人 ドダン:
「君が食べている姿を見たい」
「ありがとう」。
名優に拍手、
C’était bon! / セ テ ボン / ごちそうさまおいしかったです。
🍝🍷✨
·
料理を巡る夫婦愛
料理の場面はグロテスクなほど生々しさを感じた。やはり、途中に出てくる才能があるという姪の扱いがよくわからなかった。皇太子に出すというポトフがどんなものかもわからないままでした。主役の二人の遣り取りから、夏が好きで、料理人としての意味づけに生き甲斐を感じる妻と、それぞれの季節の始まりが好きで、料理へのこだわりの強い夫の愛情の強さというのは窺えた。
私は秋がすき〜(2024年2作目)
すでに持っているものを求め続ける。素敵な言葉ね。
終始美味しそう。
私は食べることが大好きで料理もするのでいい音だなぁー。と楽しめた。
映画の中に嫌な人がいない。
丁寧に生きていて、丁寧な言葉を使う。
お願い、ありがとうが沢山出てくる。
愛している人に美味しいものを作ってあげたいっていうウージェニーとドダンの愛が綺麗。
今日は美味しいものを食べよう。
冒頭がクライマックスです。100年前の調理場面と料理を再現した素晴...
冒頭がクライマックスです。100年前の調理場面と料理を再現した素晴らしさ。また、調度品や衣装など美術も豊かに表現されていて、いいものを見せてもらった、という眼福の作品です。
ドダン(美食家)とウージェニー(料理人)の深く奥ゆかしい愛情のやりとり、そして互いに自立し料理の高みを目指す崇高さに感銘を受けました。
『サン・セバスチャンへ、ようこそ』の直後に見たので「結婚とはなんぞや!?」と深く考えさせられました(笑)
圧倒的な料理シーンのビジュアル&サウンド
冒頭から料理シーンが圧倒的なビジュアル&サウンドで展開されていき、
グイグイとスクリーンに没入していきました。
セリフもほぼないのですが、料理に向かいあう姿に猛烈に感動しました。
この冒頭がいちばん鮮烈に記憶に残りました。
物語はというと、説明らしきものは一切ない展開で私好みで、
とにかく美食家(と言いつつも料理人でもありますが)の生き様を描ききる。
それが伝え手の伝えたいことなのだなとラストあたりで感じました。
料理同様、実に味わい深い記憶に残るフランス映画でした。
タイトルだけで優勝!
なんて優雅で品がある、まさに口福の極み!
冒頭から料理大事典から飛び出してきた様な華麗な料理…スクリーンから香りや湯気までも溢れてきそうなほど芸術的な料理過程に魅了されっぱなし!
仔牛のポアレなんぞ恥ずかしながら喉が鳴りそうになりました💦
情熱の全てを料理に捧げる美食家と料理人…
深過ぎる料理への想いと絆で結ばれる2人の愛の物語であるところがザ!フランス!
美食家ブノワ・マジメルと冷静かつ甘美な魅力を放つ料理人ジュリエット・ピノシュ
贅沢過ぎる完璧なキャスティングだ!
そこに絡む絶対味覚の見習いの少女
絶対的・美少女な彼女に今後も注目したいし
料理の監修をしたピエール・ガニュールも皇太子専属シェフ役でちゃっかり出演したりして…
フランス代表作の奥深さを充分に堪能出来ました
静かなのに奥底では熱い
ユーラシア皇太子に晩餐会に出された料理が不満だった美食家が、考えられる最上の料理で逆に皇太子をもてなそうとする。選ばれた料理はポトフ。ただの家庭料理とも言えるポトフでどうもてなすのか?料理人との試行錯誤が始まる…。
みたいな映画だと思っていた。いや、この内容ならポトフってタイトルにしちゃダメよ。ポトフなんて…と訝りながら食べ始めた皇太子が、むさぼるように完食するクライマックスを待っていたのに。
とにかく調理して食べての映像が繰り返される。冒頭なんかかなり長い調理シーンだった気がする。でも、三つ星シェフが監修しただけあって相当に美味しそう。料理好きな人ならこれだけでも観る価値はあるかも。
美食家と料理人の愛の物語として頭を切り替えて観ていたが、それもどうやら違う。料理でつながり、料理を通して関係を深めていった2人だからこそのラストシーンはグッとくるものがあった。イメージしていたものとはだいぶ違うけど、これはこれで悪くない。とても静かに話が進んでいくのに、奥底では2人の料理への熱い思いが燃えていた。まるで火にかけられた鍋のよう。はっ!だからポトフという邦題にしたのか!(たぶん違う)
料理界のナポレオン?
最初の料理のシーンで睡魔に襲われた私が悪いのですが、
>「食」を追求し芸術にまで高めた美食家ドダンと、
>彼が閃いたメニューを完璧に再現する天才料理人ウージェニーの評判は
>ヨーロッパ各国に広まっていた。
という設定が全く入ってきませんでした。
ただ単に仲良しグループでご飯を作って食べてるだけの上流階級の人たちって感じで。
料理を作ることで世の中に貢献してるのかな、貴族って存在だけが正義なの?
ま、そんな感じで、私はむしろヴィオレットが不憫だな〜とか、
鍋持って階段(段差)を上り下りするときにぶちまけないかな〜とか、
最後も火事になるんじゃないかな〜とか、変な心配ばかりで、
素直に見れなかったです。
細部にまでこだわりはある、ただ、それで?って思いましたとさ。
【料理は愛情‼︎ by結城 貢】
知識と教養に裏付けられた、機知に富んだ気障な台詞回しと世界に誇るフランス料理、これぞ自立した男と女の大人の仏映画。
レシピを粛々と熟していく調理工程の様式美と自然光に映える食材、ドキュメンタリーを観てるかのような長回し撮影と繊細な画角、料理は味覚だけでなく五感で堪能するもので、料理人は芸術家であり科学者であり哲学者だと思わせてくれる、併せて料理人の社会的地位が日本と比較にならない程に高いことにも妙に納得させられた。
調理器具に調度品、インテリアから当時の上流階級層の衣装まで、象徴的な照明と色合いも相まって楽しめた。
但し粉もん文化の庶民階級出身としては、蘊蓄抜きに美味いもんは美味いでええやないかとも⁉︎とりあえず料理も恋愛も準備と下拵えが大事だと勉強させてもらいました。
最後の
二人の遣り取りにビビッと来ました。それまではちょっとダラダラ冗長だなぁ、ユーラシア皇太子向けのポトフはどうした?と思ってました。愛する女性の為、必死に料理する姿じーんとしましたし、崩れた躰でも愛しい気持ちが見えて良かった。それに「ちゃんと」メソメソしていたので意外にすっきり。
パイ生地にザクッと切り込む音と感触、雑?に取り分ける感覚は日本料理には無い感覚。スプーンで直に味見する所も。
ラ・フランスは美しい女体を表す🍐
フランス発の料理映画は観て食べて楽しむ感覚で
料理を作ること、食べることが好きだと、
より楽しめる👩🍳🔥🥘
ポトフというフランスの伝統的な家庭料理が
どこでどう出てくるのかと思っていたら
終盤グッと泣かせます😂
料理を彩る食材も然ることながら
部屋を華やかに彩る四季の花々も素敵だった💐*·̩͙𓈒𓂂𓏸
抑揚のない淡々と料理を作る行程やらと
子守唄のような仏語に睡魔との闘いが
繰り広げられていました🙄
音と映像の巧みな演出により、心地よい空気感に浸れる秀作
第76回カンヌ映画祭監督賞受賞、ベトナム出身のトラン・アン・ユン監督作品。
19世紀末のフランスを舞台に、料理への情熱に溢れ、自らも調理する美食家と卓越した技術を待つ料理人の女性、20年以上共に暮らすこの二人の静かな愛を、ミシュラン三つ星シェフのピエール・ガニェールが監修した料理とともに、美しく描いたフランス映画。
名女優ジュリエット・ビノシュら役者たちの秀逸な演技の下、ストーリーはゆっくり、かつドラマチックに展開していく。調理の場面のみならず、シーンの多くがワンカットで撮影されており、その卓越したカメラワークは息を飲むばかり。
長い尺の調理シーンの映像もよかったが、何より素晴らしかったのは音。素材を捌いて切る音、調理や食器から出る音、足音、息づかい、屋外の小鳥の囀りなどの環境音。
エンドロール以外に音楽が一切流れない中、包まれる音に惹きつけられた点は過去一番。カンヌで監督賞を取ったことが頷ける。
題名であるポトフとはほぼ関係なく、途中ストーリーを端折って「えっ?」という展開もあるが、スクリーンから受ける美しさと音、その空気感が沁みる、そんなしっかり作られた映画。食に対する飽くなき追求という観点でも楽しめた。
それにしても、ひと皿の量が驚異的だったり、8時間以上に及ぶ食事会が催されたりと、フランスの美食家たちの胃袋の強靭さが、羨ましくもあり、とても印象的。
そして、次の回の入れ替え時に出会ったローブリューのシェフに鑑賞のバトンを引き継いだが、フレンチの料理人の目線で、この映画をどう観て感じるのか気になるところ。
ちなみに劇場に貼られたポスターは、東京国際映画祭で来日したからか、洋画には珍しく監督と主演男優の直筆サイン入りだった。
食にこだわる方にお勧めの映画。
一緒に食事。
20年一緒に住む天才女性料理人ウージェニーと男性美食家ドダンの話。
フランスの片田舎に一緒に住む料理人と美食家、二人の関係性はドダンが考えた料理をウージェニーが作る…ある日をきっかけに結婚を決めた二人だったけど…。
とりあえず冒頭から料理を作るで始まり、作られた料理がホントに全て美味そう!
仕事を終わって飯を食わずに劇場に行った私にはちょっとお腹が減ってキツかった(笑)
あと、シンプルに思ったのは「食」へのこだわりが凄いのと、ドダンの中盤過ぎの「歯」について話そうの、歯ネタでの熱弁はやはりお国柄!?それとも美食家ならでわ!?
ドダンがウージェニーに言ってた夕飯の食事時、「この時間が大切なんだ」と言ってたドダンは素敵だけど、日本人にはなかなか出ない言葉かな。
将来有望ポーリーヌ役の子が可愛かった!
基本外食オンリーな私だけどあんな手料理だったら食べたいな~
只々料理を作り続ける映画だった
調理素材が生きている時の形に近いところから料理するから鳥の足の薄皮を丁寧に削いだり豚の臓物を取り出したり日本近海の魚に比べると巨大と言ってもいい魚の体を曲げながら鍋で煮込んだりの描写が細々続く。
俳優は大変だというのが率直な感想。
物語としての起伏は料理界のナポレオンと言われる男の最高のアシスタントだった内縁の妻との愛情溢れる暮らしと彼女の後継探しかな。沢山のマダムがアシスタント実技試験を受けるがなかなか合格者が出ず将来を嘱望される少女はまだ年若い。ただ、それはメリハリの効いたドラマチックな話ではなく、こういう生活を送った人達もいましたという淡々とした誰かの日常のひとコマのようで。人生はそんなものだろう。
しみじみとはなったが、心打たれるまではならなかった。見るタイミングで感想が変わった気もするが、のんびりとフランス料理やフランスの田舎風景を見たい人にはお勧め。刺激的ドラマを見たい人にはお勧めしない。
お腹すかして見よう
大好きなトラン・アン・ユン監督作なので期待して見に行った。
ほぼ料理映画。こってりフランス料理が9割の作品だった。
自分は、最近どんどんベジタリアン化しているので、肉と牛乳をたっぷり使ったフランス料理にはもう惹かれなくなっている。胃もたれする感じ。
それと尖った作風が特徴的だったトラン・アン・ユン監督が、クラッシックなフランス映画調の作品を撮ったのも驚き。ベトナムのバックグラウンドを持つ監督をまったく感じさせない古風なフランスがあった。
それでも映像の美しさはさすが。
音楽がほぼなく、常に鳥の声が聞こえてるのもなかなか良かった。
料理をしない私にとっては
最初の調理の場面が続くのはやや辛かった。
ショコラで見たばかりの女優さんが出ててビックリ。歳をとったせいもあるが、それ以上に、全体の色彩の雰囲気に(「ショコラ」での服装は華やかだった)落差を感じた。
洋梨のシーンはインパクトが強すぎて、私にとってはこの作品には合わなかった。
主人公は、友人や「料理人」に恵まれ幸せな人だと思った。
ジェンダーとプロフェッショナリズム
本当に久しぶりのトラン・アン・ユンの作品である。冒頭「イェン・ケーに捧ぐ」とあるので、「青いパパイヤの香り」で成長した主人公を演じた彼女が亡くなったのかと思いきや、長年を公私にわたるパートナーであり続けた彼女への謝辞であり、監督から彼女への思いこそが、映画の主題となっているのだ。
そして、「青いパパイヤ」で額の汗を片腕で拭いながら、もう片方の腕で鍋をふるう彼女の料理をしているシーンが脳裏によみがえり、本作のジュリエット・ビノシュの料理する姿とオーバーラップする。ビノシュは額に汗を浮かべるどころが、意識を失う手前まで疲労困憊の様子だ。
そう、このようにしてトラン・アン・ユン監督は、調理作業に従事する女性の肉体的な負担を直接的に何度も描いている。その重労働の所産として目を奪われんばかりの豪奢な一皿が生まれ、男たちの食卓が形作られるのである。
同じく食への強い関心を隠さなかった映画作家として我々は伊丹十三の名を思い起こす。彼の代表作「お葬式」においても、精進落としのごちそうを準備するのは女たちであり、それを食すのは男たちなのだ。男たちの饗宴に女たちが入ることはなく、女たちが台所でその料理を口にすることは本作にも共通する。
観客が食べ物の美味しさ、舞台となる家屋の内部、農園、と美術のすばらしさに気を取られることは監督の本意だろうか。いや、これら美しい生活が女たちの労働によってこそ成り立っていたことを観客はもっと意識すべきである。生産する性と享受する性の固定化。このことを抜きにしては、この映画は単なる料理のデモンストレーションに終わってしまう。
さて、死の直前、女が男に対して「あなたにとって私は『妻』だったのかそれとも『料理人』だったのか」を問う場面がある。
もちろんこれこそが映画のテーマであり、監督が観客に問うている問題なのである。
命を削って作ってきた料理。これを相手がプロフェッショナルとしての仕事の成果と認めるか、愛情の対象へのまごごろの所産として感謝するのか。彼女が求めたのはジェンダーから逃れられない男と女の愛情の所産としてではなく、プロとしての評価だったのだ。
これこそが、彼女が結婚を拒み続けて理由であり、料理を続けてきた理由なのだ。
そうでなければ、丹精込めて作った料理を、台所で使用人と一緒に食べることなど耐え難い屈辱なのである。
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