「人間関係が希薄なこの映画は、監督の意向に反して、1/3くらい編集カットされてしまったのか?」ポトフ 美食家と料理人 YAS!さんの映画レビュー(感想・評価)
人間関係が希薄なこの映画は、監督の意向に反して、1/3くらい編集カットされてしまったのか?
SLが好きで、グルメな先輩の勧めで、鑑賞してきました。
現代では珍しくもないが、映画中の"ノルウェイオムレツ"は食べてみたいと思った。
まず、とにかく"カメラに落ち着きがない" いじり過ぎ!
僕達 観客は、料理している最中や、サービス(運んでもらう)時の"手先がみたい"のに、
カメラは人物の顔を追い過ぎて、肝心な手元はうつさない。
暖炉や蝋燭の火はきちんんと映し、たまに木漏れ日までは映すのだが。。。
重要な時に、診さなければいけない"美食家の顔の表情"の露出が足りなかったり
暗い廊下と階段を、あてもなく無神経に暗く映し続けたり、撮影したカメラが安物かもしれないが
撮影には、まったくセンスの欠片がなく ド級の下手カメラ であった。
映画の中で、使われたコンロは、焚火での釜戸なのだが、
カメラが廻っている最中は、カメラが熱や水蒸気で、故障したり、レンズが曇ることを危惧し
撮影時は すべて釜戸に蓋をして撮影している"リアル感のない"ところは強く興ざめした。
中華料理でなくても、火を魅せる事は、調理映画なら重要なファクターな筈だ。
まして、フランス料理では、15㎝から30㎝クラスのフライパンを多用するのだが、
映画では、軽い焦げ目をつけたりすることもなく、油の代わりにワインを使う事もなく、
垂れにもこだわりが薄く、そのくせ英国料理の様に、皿の置き方や盛りつけに注視したり。。。
この映画のような 煮込み中心でしかないフランス料理は16世紀後半の昔であっても、チャンチャラおかしい。
よって、たまに 申し訳程度の湯気は映りこむが、調理時に温度や熱を感じる事もなく、効果音で誤魔化しているのは、料理映画として失格である。
舞台はプロバンス地方の田舎の様だが、映画の地勢を表現したり、映画の魅力を増す為に、
ただの畑や庭ではなく、周囲に広がっている筈の 田園風景 を写す場面が必要であった。
普通の監督は、そのカットを 映画のどこに差し込むか、悩むのだが
本作の監督は、そんなことに悩む以前の問題であった。
新人料理人の成長や、彼女の実家の工夫は? 新技術をポトフに使わないのか?
不採用だった新人料理人との展開は どうでもいのか?
美食家はオーナープロデューサーではあったが、職業は。。。貴族なのか?
結局、最高の料理は、完成せずに、投げ出して他の料理家のファンになったのか?
この映画に、ポトフ(おでん)は関係なかった。
オスマントルコ(ユーラシア国)皇太子との結末は?
この映画のストーリーは解らなかったし、何も残らなかった。
僕は20代中盤から10余年「東京会館」で毎月2回
この映画の様に、オーナー的である 常務・総料理長が属するクラブで、
この映画の"サロン"の様にオーナーと共にコース料理を食していたが、
この映画では、フランス料理の良さである"緊張感"が、何も伝わってこない残念な映画だった。
ただ、主人公:ドダンは、僕らが認識する"フランス男子"として、最高のカッコ良さだったので、ドダンを観る為と
調理と食事のシーンが長く、映画を観ていると、100%お腹がすくので、食前映画としては、最高の出来だった。
料理人の話では、新人調理人を扱った 日本のドラマ「バンビーノ」が好きです。
共感ありがとうございます。
コンロは確かに密閉されていて、もうガスなのか凄いなと思ってました。撮影の都合だったんですね・・ストーリーとしては未解決事案も多かったんですが、最後の二人のやり取りが全てのような気がしてます。やはり「ポトフ」という英題が間違い。
予告からとても期待していたのですが、色もなんとなくさえなくて美味しそうに見えませんでした。ストーリーも?で、「ポトフはどうなった?」「皇太子はどうなった?」という感じでした。
私は逆に料理の作り方にはあまり興味がなかったので、最初の作る場面が長すぎて退屈でした。
この映画の後、「バベットの晩餐会」を見に行ったのですが、こちらは料理が美味しそうで。思わず帰りにフランスレストランに食べに行きました。