「〝失われた〟が故に得られること」墓泥棒と失われた女神 タニポさんの映画レビュー(感想・評価)
〝失われた〟が故に得られること
よかった。
(見方によるけど)〈人生〉という感じがした。
ラストになるにつれ、監督のやりたい事が明確になってくる映画だった。
けれども、その途中で映画を観ることを投げ出すようなことも無かった。
主人公の名前がアーサーということはイギリス人(?)で、話しかけてイタリア語を教えてくれようとするイタリア(そのまま)という女性は歌を習っている…。(きっと色々知っていると見方が深く広くなるんだと思う)
象徴のような女性が主人公に心を開くにつれ、物語が進行する過程は、今思えばヴェルコールの「海の沈黙」ような形式にも思える。
後半になるにつれ、不思議な世界観はそのままに、更なる不思議に突入していった。内田百聞の「冥途」のようなことになっていった。
ネタバレで書いてゆくが、つまるところ、主人公のアーサーは墓泥棒を続けたが為に、天罰が落ちることになる。
死者の魂へ捧げられていた埋葬品を勝手に生前(?)荒らして売った罪による罰だ。
〝あの世〟に繋がる場所を探し当て続けたアーサーは、やがて自分がその身のままにも〝あの世〟とも〝この世〟ともつかない〝現世のような冥途の場所〟で彷徨うこととなる。ただ分かっていることは、墓泥棒をした罰が待ち受けていることである。
ネタバレとは書いたものの、ラストのラストは是非観て欲しいと思う。どう感じるかは一人一人の観客の感じ方がすべてとも思う。
本作を観た限り、自分はテリー・ギリアムの「Dr.パルナサスの鏡」を少し思い起こした。テイストはかなり違うものの、どこか作風が似ているようにも思った。ギリアムがSFやファンタジーを駆使して世界観を構築するならば、今作の監督、アリーチェ・ロルヴァケルはキリスト教と寓話を折り混ぜて世界観を作り出しているように感じた。テンポは違うものの、詩的なところはどこかタルコフスキーも思わせる。ただギリアムと違うのは、ラストに皮肉を置くでもなく、受け止め方を観客に委ねているところがあった。久しぶりに作家らしい若手映画監督の作品を観た気がした。
ラストをどう受け止めるだろう。
愛を手に入れたのか、死を手に入れたのか。
或いはどっにも手に入れたか、又はどっちも失ったのだろうか。
邦題が「墓泥棒と失われた女神」としたところには、アドベンチャーものかとも思えて肩透かしを受ける人もいるかもしれないが、たしかに〝失われた〟という言葉に含まれる考えは深くも感じる。
〝失われた〟が故に得られることもある…。
そう伝えられたような気がした。