「生死と愛の連続性」墓泥棒と失われた女神 talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
生死と愛の連続性
ロルヴァケルの映画は優しい。大声で叫ばずに大事なことを耳元で囁いてくれる。
アルチュールが海にぶん投げた女神像の頭部の美しさは彼の婚約者ベニアミーナそのもの。彼女も女神像も人の目を喜ばせるために居るのではない。ベニアミーナを夢見るアルチュールは墓泥棒をしながら夢と現実の世界を行き来する。その行き来は能と神話の世界だ。そんなアルチュールをうまく使って金儲けする墓泥棒連中はなぜか憎めない。貧しいから。豊かな者はますます豊かになり貧乏人は置いていかれる世界だからいいんだ。
冬パートは公現祭(1月6日)あたりだから寒いわけだ、クリスマスツリーがちらりと見えたわけだ!その時のアルチュールの服が夏パートになっても殆ど変わっていなくて汚い。可哀相なジョシュ。髭づらで顔も服も汚れていてもアルチュールはピュアだ。ベニアミーナを想う時、女神像の顔をうっとり眺める時の彼の笑みとポッと赤く染まる頬と幸せそうなおちょぼ口がまさにジョシュで嬉しかった💕
いろんな言語が飛び交いながらもテーマは普遍的なものだった。それは死者に対する畏怖の念と敬愛。冒頭、発掘されて空気や日の光が地中に入った途端に色あせていく壁画に少なからずショックを受けた。スパルタコ(女だったんだ!アルバ・ロルヴァケルだったんだ!)がやってるようなアート業(顧客は富裕層)で死者の為の副葬品や絵画が売買され消費されていく。土地も海も山もそこで生まれ採れる幸も本当はみんなのものなのに、特定の人達のものになっていく。だから廃線駅が女と子ども達のものになったシーンはとてもよかった。
この映画を見て立て続けに思いだしたイタリア映画が3本あった:「アッカトーネ」(1961;パゾリーニ)、「赤い砂漠」(1964;アントニオーニ)、「テオレマ」(1968;パゾリーニ)。資本主義、搾取する側とされる側。搾取する側がどんどん精神に異常をきたしていったり、搾取される側は捨て置かれるままだったり。
ギターとトライアングルをバックに歌われるアルチュール物語は狂言回しの役割を担っていてなかなか良かった。早回しのシーンがあったり、逆さま映しなど映像面もとても面白くてはっとする所が多かった。
女神の神殿の壁画も色褪せていきましたが、ラスコーとかアルタミラとか高松塚古墳も、後代の人に見せるためではないという意味では、あんな感じだったのかも、とつい錯覚してしまいました。