チネチッタで会いましょうのレビュー・感想・評価
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劇中劇に興味が
イタリアの映画監督ジャンニは、プロデューサーの妻パオラに支えられながら5年に1本くらいの割合で映画を制作してきた。チネチッタ撮影所での新作映画の撮影が始まったが、これまで順調な人生だと思っていたのはジャンニだけだった。女優は演出に口を出し、恋愛作品じゃないのにラブストーリーだと言い出し、娘に紹介されたボーイフレンドは自分と変わらないくらいの年寄りだし、帰宅して目を覚ますと、40年連れ添った妻パオラから別れようと言われた。さらに撮ってた映画のプロデューサーが詐欺で捕まり資金不足となり撮影が止まってしまった。韓国人プロデューサーとの資金こうしょうを行い・・・さてどうなる、という話。
妻の言うことをちゃんと聞いてないと、40年連れ添っても別れようと言われる、典型的な独善夫を笑う作品なのかも。
主人公を自分に置き換え、よく考えた言動をしないといけない、との反面教師になった。
娘が自分くらいの彼を連れてきたら、父親としてはやはりショックだろうと思う。ま、ここは作品の中ではあまり重要じゃないとは思うが。
劇中劇で1956年のハンガリー動乱の時にソ連がT34戦車で介入してきた方に興味を持った。
最後に邦題について、何で「Il sol dell'avvenire」(明るい太陽)もしくは英語題「A Brighter Tomorrow」が「チネチッタで会いましょうに」になる?
81/2を撮りたい?
ナンニ・モレッティ監督作品は、生真面目そうな印象で食指が伸びずにこれまで未見だったが、今作は映画づくりを題材にしたコメディということで、初めて観てみた。
監督自身が主人公の映画監督を演じるということで、自分の姿と重ね合わせて描いていくのだろうと思って観始めるが、とにかく傲慢で独りよがり、裸の王様のような監督像を演じていて、はたしてこれは戯画化を狙っているのか、それとも本当に自らを卑下しているのかと、戸惑いながら観続けることとなった。
サーカスが大きくフィーチャーされていることもあり、どうしても昔観たフェリーニの81/2を思い出す。あの時は、わけがわからないながらも、溢れ出るイマジネーションの視覚化に呆気にとられた記憶が残っている。
モレッティ監督も、老齢になって、もっと81/2のような自由な映画を撮りたい、と考えたのか?それにしては理屈っぽいし、弾けてない。
自分の好きな映画や音楽をふんだんに取り入れて、撮ってみたかったミュージカルシーンも撮ってみました、という感じで、残念ながら、作品全体に主人公と同様の独りよがりな感じを受けてしまった。
よくわからなかった。
後に何も残らないドタバタ劇
長年観てきた映画の中でもワースト3に入る、論評するに値しない不朽の駄作。
ナンニ・モレッティは何を伝えたかったのか?
やる事・なす事全てが思い通りに行かない老人男性の悲哀。
1956年のハンガリー動乱を契機としてソビエト共産党と決別したイタリア共産党への賛歌。
それならもう少し描き方があるだろうに。
感動もヤマ場も無く、モレッティの個人的なエンディングノートだと思えばこんな物かと。
劇中プロデューサーが韓国人クルーに替わったのは「パラサイト 半地下の家族」がアカデミー賞作品賞を受賞したから敬意を込めて登場させた?
タイトルの「チネチッタ」の文字に釣られて観に行った自分がバカだった。
監督が自ら演技。面白すぎる!
ナンニ・モレッティ監督が自ら監督、主演、脚本をこなしている。
よくあるストーリーだが、ジャンニのユーモアはこの作品の魅力。監督自ら演技するとは。
以外と楽しめた作品。時間も◎。
イタリア映画やハリウッド作品の引用も満載だが、全く気にしない。
予告編と違って面食らったが楽しかった。
理解できない自分が悪いんですけど・・・
率直に、あまり・・・zzz・・・ってな感じの映画でした。構成や内容そのものは理解できるのですが、イタリアの現代史が色濃く絡んでくる内容なので、そこら辺が理解できていないと難しいのかも─。それと、非常に遠回しのような皮肉などもかなり分かりづらい・・・まぁ素直に笑っちゃうところもあるとはいえ、ムズいなぁ、眠いなぁ、と至らぬ自分・・・
そういえば、あの名作の誉れ高い「8 1/2」なんてのも自分には全くだめだったからなー、なんて思ったり─。
なんか異様につらかったから難しかったのかと思いつつ改めて思い起こして作品の内容を振り返ってみると、全く飛んじゃっているわけではなく、むしろムズいと思った割には結構記憶にあったりして、それを辿るとなかなか面白い内容・展開だったのかもーとなってきてはいるのですが、最後とは全く分からなかったし、誰?誰?っていう感じで、やっぱ正直に楽しめなかったという次第です。
日本なら「太秦で会いましょう」か
「未来の太陽」が原題です
様々な回顧や引用の果てにみえて来るもの
イタリアを代表する映画作家であるモランディが、映画監督ジョヴァンニに扮する自伝的で、私小説とでもいうべき映画。
ジョヴァンニは、十分な資金もないまま、1956年ハンガリー動乱の最中、イタリア共産党の招きで興行していたハンガリーのサーカス一座を擁護したことをきっかけに、イタリア共産党の人びとが、ソ連の共産党から独立してゆく姿を描こうとする。モランディもまた、共産党員であったに違いなく、しかも、その本音と思しき言葉が映画の最後に出てくる。
モランディのジョヴァンニとしての演技は的確、フランシス・フォード・コッポラを引用した暴力に関する議論などは面白かったが、出演する俳優の演技はともかくとして、撮影所に通ってくる時の履物にまで口を挟もうとし、周囲のひんしゅくを買う。彼は、常に演説口調で、教条的。何よりも、40年間、彼に寄り添い、プロデューサーとして歩んできた妻、パオラも別れを考え、カウンセラーの許に通っている。ジョヴァンニは、パオラから思ってもいなかった別れを切り出されて動揺を隠せず、若い頃から抗うつ剤や眠剤のお世話になっていたことを告白する。映画「息子の部屋」の神経質な父親が想い出される。
途中でフランス人製作者の本体がばれて退場し、お隣の国の資本が入って(これが現実)撮影は再開され、カウリスマキを思わせる音楽が流れてくる。モランディは労働者階級の出身ではなく、フランスのフォーレを除けば、イタリアの音楽と言うよりは、ハンガリーのサーカス音楽隊やトルコを思わせる音楽が中心で、出てくる必然性も、音楽と接する喜びも弱い。
大団円に出てくるパレードも、黒澤の「夢」を考えたのかもしれないが、土着性もなく、ましてや笠智衆のような名優の存在も望むべくもない。インド映画の幕切れを思い出すが、場面の切り替えも弱く、踊り、音楽共に精彩を欠く。結局、中途半端なまま作者の暗澹たる衰えを感じさせて終わった。しかし、モランディ自身も含め誰一人として、この幕切れには満足していないだろう。その絶望があるからこそ、ただ一つの可能性が感じられる。皮肉なことだが。
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ア・チネチッタ
5年に1本のペースで映画を撮る映画監督の映画感と家族の話。
1956年のハンガリー事件に繋がる作品を撮影するジャンニと、他の作品を手掛けている最中のプロデューサーの妻を軸にみせていく。
イタリア共産党員を描いた作品なのに時代背景だったり政治色をまるで理解せず、ニヤけた演技で監督のディレクションに一々意見するアホな女優とか、時代背景に削ぐわないモノを見逃す助監督とか、基本ドタバタした流れではあるけれど、笑いの方はドタバタというよりも憫笑的な感じ。
他人の作品に8時間は笑えないし、そりゃあ愛想をつかされる切っ掛けになるだろうけどとか。
正直、観賞する人にその拘りは無意味じゃね?なんて思うほどの偏屈さをみせていたジャンニが、そんな変化する?というユニークだし平和的なぶっ壊しのラストで、なかなか面白かったけど、ちょっと劇中劇のみせ方が断片的過ぎた感じ。
ということで、この劇中劇が観たくなった。
それでも映画をつくることについて
2023年。ナンニ・モレッティ監督。高名な映画監督は独りよがりで周囲から煙たがられている。長年連れ添ってともに映画をつくっているプロデューサーの妻は、一緒にいることが苦痛で別れたがっているが一歩を踏み出せずにいる。新作は1956年のハンガリー動乱を題材にしたものだが、俳優の自己主張とかみ合わず、資金も底をついて難航、そもそも動乱では若者たちが破れていった現実に鬱々としている。かたや、妻がプロデュースする作品現場に行って見れば、暴力とエンタメに偏った許せない作品が撮られていて気が滅入る。しまいには自殺願望にも似た絶望感にとりつかれて、という話。
それでも映画作りには喜びがあることが歌とダンスで表現されている。売れる映画ではなく面白い映画をつくりたいという出資者もいないわけではないし、陰鬱な歴史は映画のなかでは明るい未来へと改ざんすることができるのだ。
映画つくり、そこでつくられる映画作品、現実のハンガリー動乱、自身の青春期など幾層にも重なった現実のレベルが主人公の映画監督のキャラクターを描いていく。
やや難易度の高い映画ではあるがおすすめ
今年418本目(合計1,509本目/今月(2024年11月度)24本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
イタリアといえば独特なイタリア映画が年に数本か放映されていますが、その監督さんの日常を描きつつ、いろいろな思想等に触れあうなどの、比較的「知識水準」が高めな映画だなと思った一作です。
多くの方が書かれている通り、この時期のいわゆる「共産主義」という概念をまず知らないと厳しいところ、イタリアのそれは「イタリア共産党」であり(それは、イタリアの建国(19世紀と比較的最近のお話)、こうした特殊な成り立ちでできたイタリアの歴史をある程度知らないと難しいかなといったところです。
ただ「ある程度は」高校世界史の範囲ではあるし、イタリア映画は極端にレアではないものの上映される映画は多くはなく、求めてくる背景知識もややマニアックかなという点はありますが、それでも常識+α程度のお話なので見て損はないと思います。
なお、作品にあたってこの映画の主人公は「イタリアのイタリア映画の監督」とあるように、ある程度のイタリア映画の知識・様式等を要求させるセリフが少ないながら出ます。数は少ないもののVOD等で検索をかけるとわかるので、どんな映画でもよいので、「イタリア映画」を数本見ているかどうかでも理解度は変わるかなというところです(とはいえ、年400本くらい見る私でもイタリア映画なんて10本あるかないかの世界ですし、その中でVOD落ちしている映画は少ないか)。
採点上特に気になる点までないのでフルスコアですが、イタリア建国から今日(厳密には映画で描かれる時代)までは短く、そこに「イタリア共産党」というのが絡んでくるというのは教科書レベルの話なので、教科書なりなければいわゆるYoutube等での「歴史チャンネル」等見ておくだけでも違うかなというところです。
失態から得るもの
190カ国が歓喜する映画を…
40年前から制作してきた映画は、自己満のみで、ある探求してきたモチーフが最期にあった。
そのあるものについては、自分は気づいていないが長年連れそうパートナーもそれには恐れていた。
それを資金不足で撮影中止となっていた映画を理解力と資金力のある韓国人の支援で撮影が再開でき、
その長く秘めていたモチーフの模範演技を監督がした時に、とんでもなく違和感を持ってラストシーンを変更する決意をする。
翌日、撮影関係者20名程度で、円卓会議でラストシーンついて皆んなの意見を聞くと、
全員が一斉に思い思いのラストを喋り出し、監督は傍観するだけだった。
そして、そのラストシーンは、あのモチーフと全く違うものとなり、
この映画の忌まわしく喧騒な始まりと反比例するものとなっていた。
そうそれは、権威的共産主義のソビエトのポーランド、チェコなどへの威圧行為や最近の映画作りの無意味で過激な暴力シーンなどに違和感を覚え他人の撮影を阻止してしまうなど挙動不審な行為を起こしてしまうそんな監督が、
嫌な政治への不満と服従、他人の意見を聞かない口論好き、人を愛せない自分など、
映画馬鹿な自分に気づいたとき、
映画のラストが変わった。
イタリア共産党も変わった。
奥さんも戻ってきたことだろう。
A Brighter Tomorrow
難しい映画でした。
それが良いとこかも知れませんね。
ブラボー
╰(*´︶`*)╯♡
チネチッタで会いましょう
「ローマ法王の休日」「息子の部屋」などで知られるイタリアのナンニ・モレッティ監督が、
時代の変化についていけない映画監督が痛い目にあって初めて大切なことに気づく姿をユーモラスにつづったヒューマンドラマ。
イタリアの映画監督ジャンニは、これまで40年間、プロデューサーの妻に支えられながら映画を制作してきた。
チネチッタ撮影所での新作撮影を目前に控え、頭の中はアイデアでいっぱいのジャンニだったが、順調だと思っていたのは本人だけだった。
女優は演出に口を出すばかりか政治映画をラブストーリーだと言い出し、
娘に紹介されたボーイフレンドは自分ほどの年齢だという。
誰にも理解されず、ひとり帰宅して目を覚ますと、今度は妻から別れを切り出されてしまう。
さらにプロデューサーが詐欺師であることが発覚し、資金不足で撮影が止まってしまう。
主人公の映画監督ジャンニをモレッティ監督が自ら演じ、モレッティ作品の常連俳優マルゲリータ・ブイ、フランスの名優であり映画監督でもあるマチュー・アマルリックが共演。
2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。
チネチッタで会いましょう
劇場公開日:2024年11月22日 96分
あまり意味わからなかった…
ナンニ・モレッティ監督作は、これで3作目。
主演もしてる『親愛なる日記』を観てからナンニ・モレッティ監督が好きで、今作を楽しみにしてました。
映画監督が主役で、映画の中で映画を撮ってるシーンが結構あり、
映画の中で映画を撮ってるシーンなのか、映画の本筋のシーンなのか、こんがらがって、置いてけぼり…
いまいち付いていけなかった…
あと、知らない映画ばかりだったけど、いろんな映画タイトルを出し、あの映画の、あのシーンみたいに!と、いろんな映画のネタバレがあり困ったものです(笑)
監督の奥さん役が知ってる顔だと思って調べたら、同じくナンニ・モレッティ監督の『3つの鍵』にも出てたマルゲリータ・ブイさん、綺麗(笑)
何の話か分かりにくいけど、イタリア共産党がらみの話でもあります。
もう1回リベンジ観賞したい。
もし・・・
躁鬱で仕事のことしか頭になく妻をプロデューサーとしてしか見ていず、一人よがりの映画論を延々と続けて仲間や若手をうんざりさせる映画バカのおじさん監督、嫌だなあ。でもモレッティがやりたかったことが後半になって少しはわかったような気がした。
ニコニコ顔のたくさんの出演者、アルバ・ロルバケルもゲスト参加の楽しい行進に思わず笑ってしまった。「もし」はないかも知れない。でもそんな「もし」を可能にすることができる潜在能力が私達にはあったのかもしれない。そう考えるだけで少しは元気になるかもしれない、絶望しないで済むかもしれない、おんなじようにみんなも思っているのかも知れない、そんな力をもらった気分!
1950年代が舞台の映画「トランボ」(2015)、「イル・ポスティーノ」(1994)と見て、この映画も映画の中の映画は1950年代設定。アメリカでもイタリアでも共産党が活躍していて共産党員がメディア、映画、文学関連にもたくさんいた時代。ソ連のハンガリー動乱(1956)、その後はソ連のチェコスロバキア軍事侵攻(1968)。ロシアに名前が変わって2022年2月以降今も続くウクライナ侵攻。そんな時代、「もし」を思い返して夢見るひとときが私達には必要なのかもしれない。勿論ソ連・ロシア万歳ではない。真逆!ソ連・ロシアと当時の例えばイタリア共産党を同一視しない。
この作品はモレッティの8 1/2だと思った。フェリーニの8 1/2がどちらかといえば個人的だとしたら、モレッティの作品は社会的。ロシアとウクライナの戦争が長年続く難しい時代、ありえないかもしれないけれど、あり得た未来に夢があるかも知れない、共感して連帯できる信頼関係を作りあげられるかもしれない。未来への夢と明るい太陽を見せて貰えた気がする☀️
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