「ザンドラ・ヒュラー素晴らしい」落下の解剖学 talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
ザンドラ・ヒュラー素晴らしい
ヒュラーは「ありがとう、トニ・エルドマン」で知り、その後「希望の灯り」「恋人はアンドロイド」といい俳優だなと思っていた。だからこの映画で彼女がまさに適役の主役を堂々と演じたことが嬉しい。彼女も映画も監督も高く評価されたことが本当に嬉しい。
パートナーなり人生の伴侶との暮らしの中で日々互いに使う言語は、二人の共通母語=同一の母語か、各自が一番使いこなせる同一の外国語 (この映画では英語だった)がいいと私は思う。自分の母語を相手に押しつけるのは嫌だし、相手の母語を自信なく不安げに使うのも嫌だ。愛する、喧嘩する、馬鹿話をして笑う、相談するなどなど、とにかく言語が二人の間で機能しなければ嫌だ。外国語で話さなければならない裁判に出廷するなんてどんなに大変だろう。それでもすぐに同時通訳にスイッチできる仕組み(用意)がフランスにあることをこの映画で知った。日本の裁判所はどうなんだろう。
最後の最後まで、エンドロールが完全に終了して明かりがつくまでこの映画はどう終わるのかわからずドキドキが止まらなかった。知的で挑戦的、とてもいい映画だった。監督の視線や頭の中、今まで彼女が生きてきた中で何を言われ聞き考えてきたのかとてもよくわかる気がした。
おまけ
夫婦喧嘩のやりとりを相手の承諾得ずに録音するのは最低ではないでしょうか?と思う一方で、人々とのやりとりからヒントを得て小説書くのかなあ~、いやらしいなあ~、なんてことも思いました
返信ありがとうございます。
全ての事実がそのまま撮影されたという印象があります。
この作品で思うのが、人の思っていることと実際のふるまいの差で、裁判になってしまうことでそれが暴露されますが、この他人の奥底を知るというのは、気分が良いものではないということでした。
おはようございます。
この作品が気になり2度目を鑑賞しました。
私自身の思い込みがどれだけ強かったのかわかりました。
おそらく、この物語は見たまんまというところでしょう。
裁判そのものが示す白黒の決着
犬の柄
ダニエルの腹を決める行為
最初にその白黒を決めたのが、サミエルだったのかもしれません。
殺意は明確にあったのでしょう。
やったのかどうかという証拠は完全に隠しています。
しかし、1度は試みたことから、おそらくやったのでしょう。
ここを読みとくのがこの作品の面白さですね。
コメントありがとうございます。
賞を取ったこの作品には奇妙な点がありました。
判決後の妙に長いシーンです。
そこには大きな理由と秘密があると考えました。
裁判は、健気な息子ダニエルの正直な言葉によって惑わされてしまいます。
それが夫の嘔吐と妻がその時見たという錠剤痕です。
それを言にが食べたことで犬の様子がおかしくなります。
サンドラは、来客した学生との対談の途中に大音響で音楽を鳴らしてきた夫に対し、明確な殺意を覚えたのでしょう。
帰り際の学生に2階のベランダから見送ったのは、「私は怒りに震えていない」という演技だったと思われます。
最後の長い余韻は、無罪を勝ち取ったにもかかわらずすっきりしないサンドラの心境を描いています。
もしかしたらこの作品は、フランス人がパートナーに持っているあるあるを表現したのかもしれませんね。
コメントありがとうございます。
ヒュラーの表情は細やかでしたねー。見どころたっぷりでした。
息子役もまたすばらしく!!
ピアノを弾く姿には成長と運命と孤独を感じました。